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戦前の日本では、
旧制中学を卒業すれば大学に行けたのでしょうか?
高校の立場はどうなりますか?

よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

>旧制中学を卒業すれば大学に行けたのでしょうか?



戦前といっても太平洋戦争末期とそれ以前では制度が違うため微妙ですね。
ただ「大学の本科」に限れば答えはNoでしょう。

戦前は数多くの学校(種別)があり、現在と比較するのは難しいです。
単純に「小学校⇒中学⇒高校⇒大学」というようなストレートな順番だけでなく、多岐にわたる選択肢があります。
小学校(国民学校)卒業後だけを見ても以下のように多岐にわたります。(太平洋戦争末期)
国民学校高等科:2年制(12~14才)
実業学校:4年制(12~16才)
青年学校普通科:2年制(12~14才)
青年師範学校予科:3年制(14~16才)
師範学校予科:3年制(14~16才)
高等女学校:4年制(12~16才)
中等学校:4年制(12~16才)
高等学校尋常科:4年制(12~16才)

大学(本科)に行くための進路だけに限定すれば以下の2ルートが正規ルートでしょう。
・旧制中学→旧制高校→大学
・旧制中学→大学予科→大学

なお旧制高校の定員は帝国大学の定員とほぼ同数だったため、専攻を選ばなければ帝国大学への入学は約束されたようなものだったようです。
逆に言えば一部の一部の帝大に人気が集中すると定員割れを起こす帝大や公立大学が出てしまうようです。

その対策として各大学が大学予科を新設して学生の確保に力を注いだとのことです。(大学予科は特定の大学の付属学校のため、他の大学には進学できません)

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E5%88%B6% …
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数は少ないものの、七年制高校がありました。

名称は高校ですが、小学校を卒業すれば中学に相当する尋常科に入学できたので、事情を知らない若い人は誤解するかもしれません。
国公立では東京、浪速、私立では成蹊、成城、武蔵、甲南です。学習院も中高一貫ですが、ここは8年かかりました。
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投稿したつもりですが、出てないようです。



旧制中学・高等女学校(の上級部分)は現在の高校と同じです。旧制高校は現在の大学の教養部(ほとんどなくなりましたが)に対応し、旧制大学は現在の大学の専門課程です。このようなことを知らない人が増えたのでご質問のような疑問が生じたと思います。

戦後の学制改革で、旧制高校は次のどちらかになりました。
(1)
帝国大学と合併し、その教養部になる - 一高+東大、三高+京大など
(2)
上に専門課程(文理学部が多い)を継ぎ足し大学に昇格。医大、高商、高工などが専門学部として参加することもあり、駅弁大学と揶揄される

これとは別に高等専門学校から発展した大学や、医科大学もありました。東京高商→東京商大→一橋大、蔵前高工→東工大→新制東工大、東京高師→東京文理科大学→東京教育大→筑波大学、などなど。

帝国大学には主として旧制高校から入学したのは皆さんの回答通りですが、北海道大や台湾大のように志願者が少ない帝国大学は大学予科を作りました。帝大(旧制東大のことです)や京大を除く帝国大学は、高校卒業者だけでは定員が埋められないので、高工、高商、医専などの卒業生で埋めました。

逆に、どうしても医者になりたい高校生で、帝国大学医学部ではなく医大を受けるものもいたようです。

なお、東北帝大ではかなり古くから女性を受け入れていますが、旧制高校には女子学生がいなかったので、東京女高師(現お茶の水大)、日本女子大、東京女子大などから受け入れました。日本女子大も東京女子大も正規の大学ではありませんでした。
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#1です。


年配の方からの又聞きですが、「大学予科」と勘違いしていたかもしれません。
もしも間違いならばお詫び申し上げます。
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中等学校と大学の間には「高等学校」か「大学予科」があったはずです。


中等学校から大学に直接入学できたなんて聞いたことがありません。
尚、中等学校は5年制ですが、4年修了時点で高等学校への受験資格がありました。
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行けました。


旧制中学は五年制で、現在の中学と高校をあわせたようなもので、大学や旧制高校、各種専門学校への進学を目的にする者の通うところでした。

つまり、旧制高校は概ね大学と同格だったわけです。
戦後、旧制高校は新制大学になりました。
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