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因果応報って・・ほんとに存在するのでしょうか?

人を傷つけても・・のほほんと生きてる人って多いと思うんです。そういうひとに限って・・痛みを知らずに傍若無人に生きてる気がします。
傷つけた方はずっと傷が癒えないのに。

因果応報や、ハブラビ法典的なことで、ずっと我慢してきたけど、どうしても許せない人がいるので、何も出来ないけど、犯罪を犯す気もないけど・・・相手に心理的に復讐したいと思ってしまうんです。

いい大人が恥ずかしいですが。
いい大人が人を平気で傷つけるのも理解できません。
自分がやり返すのも馬鹿な事だと分かってます。

A 回答 (14件中1~10件)

因果応報と言う言葉は誰が言ったのですか。


似たような言葉に「報徳」というのがあります。

報徳は二宮金次郎(尊徳)の言葉で
徳(良い行い)を積めば必ず後で良い事が自分
に返ってくるというものです。

因果応報というのはそれの悪い意味での言葉
だと思いますが。

誰の言葉か分かりますか。
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おそらくあります。

ま、あるとは限りませんが、どういう形になってもあると思います。例えば、人間が、水質を汚染すれば、水、魚と一緒に体に入り(しかも、濃縮され)、人に帰ってきます。大気を汚せば、それも呼吸で返ってきます。他にも、空に向かってつばを飛ばせば、自分にかかるというものも割と有名です。又、速さに関しては人を叩けばやり返されるように、あるいは空に向かってつばを飛ばせば、自分にかかるように、すぐ返ってくる場合や、大気汚染、水質汚染のように時間がかかることもあります。
それより、仕返しなど物騒なことより、ポジティブにもっといいことを考えましょう。
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因果応報はあります。


それは全ての結果には原因があるということです。

本来、仏教の言葉ですが、「悟り」を得るためには、全ての苦しみを遠ざけることが大切です。そのためには、苦しみの原因となる事を捨てていくことで、因果応報を断ち切ることが出来るという意味だと理解しています。

あなたの質問に対して、仏陀の言葉から引用します。
「うらみに対して、うらみをもって報いるならば、うらみの無くなる事はない。うらみをすててこそ、うらみはなくなる。」
これは、スリランカの政治家が、第二次世界大戦で日本への賠償請求を放棄した際の演説で引用した一文でもありますが、この時の各国の反響は大きかったそうです。

また、周囲の人のことも気になるようですが、これにたいしても仏陀は答えています。
「他人の行った事、行わなかった事を見るな。他人の過失を見るな。ただ、自分自身の行った事と行わなかった事を見よ。」と。

私自身、そんな言葉を実践できているわけではありませんが、心が荒れてきた時は、上の言葉を思い出してみるのです。
誤解のないように書きますが、私は何処の宗教にも属しません。

参考資料:『真理の言葉・感興の言葉』、『ブッダの言葉』ともに岩波文庫より
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基本がしっかりできているスポーツ選手は怪我をしにくく、


逆に基本がおろそかな選手はよく怪我をします。
たぶんこれと全く同じで、人間的に基本が欠けていると
どこかで怪我をするんじゃないかなと思います。
私の持論ですが、基本がおろそかな人はみんな不幸になって
います。因果応報は普通にあると思います。
昔の格言って恐ろしいなと思いませんか?ほとんどが真実だと
思うんですよ。人を呪わば穴二つ。
復讐なんてくだらないと思いませんか?
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苦しみ悩んでいらっしゃる内容は、多かれ少なかれ誰でもある程度経験があると思います。



因果応報は確かに存在します。
この世は全てエネルギーから出来ていて(物理学的にもそうですよね)そのエネルギーは同じエネルギーと同調する性質があるので、自分が出した負のエネルギーは必ず自分自身に戻ってきます。
それが因果応報だと思います。

ただし、因果応報は輪廻転生の中でこそ正確に働けるのだと思います。
ですからたった1回の人生の中で報いが帰ってくるかどうかは場合によって違って来ると思います。

それにその人がどんなことで苦労したり、悩んだりしているかは、傍目では分からないものです。

物質的な苦労は他人の目からもよく分かりますが、真の苦労である心理的な苦しみはなかなか分かりません。

質問者様を傷つけてのほほんとしている人がもしいるならば、その人は大変人格的に未熟で、これからその未熟さを自覚して、成熟していくために
それ相応の苦労をしなければならない運命です。

人を傷つければ、その他者の痛みを理解して反省、後悔し、同じような苦しみを味わっている人に対して心から同情できるようになるまで、何度でも同じような苦しみを味わうことでしょう。

ですから、どうかそのことは放念して下さい。
質問者様はその人より人格的に高いので、復讐は出来ないけれど心で復讐したくなる・・というハイレベルの葛藤を味わっていらっしゃるのだと思います。

すべて宇宙の法則(原因と結果の法則、つまり因果応報)が滞りなく働いてくれますから、心痛めずに御自分の幸福だけを考えて、どうかネガティブな感情から早く脱出してください。

そしてその人の未熟さを哀れんでください。
その人は法則も何も全く知らないのです。未熟な子どもと同じです。
そしてその内、苦しい体験を積んで、徐々に分かっていくでしょう。
それをわざわざ見届けてあげる必要なんてありません。
人生の時間がもったいないのでどうか御自分の幸せのためにこそ貴重な時間を使ってください。
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こんばんは。


>人を傷つけても・・のほほんと生きてる人って多いと思うんです。そういうひとに限って・・痛みを知らずに傍若無人に生きてる気がします。傷つけた方はずっと傷が癒えないのに。
・・って事ですが、その人、その後、どうなりました?死ぬまでのほほんと生きて、大した苦労もせず、大往生であの世に行きました?
死ぬまでが人生です。だから死ぬ前にならなければ分かりませんよ?ひどい事をし続けて、何の苦しみも味わう事もなく大往生で亡くなった方もたまにはいるかもしれないけれど、私はそういう人、知りません。必ず、別の事で苦しんだりしてます。しかもより激しく。そういうのを見る度に「人の人生は結局差し引きゼロだな。」としみじみ思います。
もしもあなたが今、誰かにひどい事をされたとして、その人が今、のほほんと生きていたとしても、必ず、その人は生きている間に、別の事で同じくらいに辛い目にあうと思います。
もちろん、根拠はありません。ただ私が見て来た経験だけで言えば・・です。
黙ってじっとその人を見続けてみたらどうでしょう?あなたが復讐しなくても誰かが&何かがその人にちゃんとケツを拭かせます。(←言葉遣いが悪い!)
だから難しいかもしれないけれど、その人を恨まないように憎まないように自分の心をコントロールしてみて下さいね。誰かを憎むと自分が辛くなるだけだから。
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「悪い」ことをすると自分に跳ね返ってくるという、いわゆる「因果応報」は、当たり前ですが、決して科学的根拠のある原理ではありません。

そのような形式があるとすれば、それは人為的システムによって生じたものです。法が決めた「悪い」ことをして罰を受けるのは、法権力が罰則を設け、刑罰の執行を実施しているからに過ぎません。

 この「因果応報」の教えの弊害はいたるところに現れます。
「悪いことをすると自分の身に跳ね返る」と真剣に信じている人は、世の中に数多くいる「悪いことをしていながら何ら不幸にならない人(美しいために友達の彼氏を奪うことに成功した女性等)」を見ては苛立ち、平等ではないと感じ、偏狭な行動をとってしまうことがしばしばあります。そもそもの教えが間違っているために、彼らの信じる世の中の摂理と、現実の世の中の動向との間に著しい乖離が生じ、病的なまでに敏感に「世の中の矛盾」とやらに悩まされることもあります。これは現代人の大多数が罹っている、「道徳病」でもあります。
 
 より問題であるのは、「善悪」の問題が結局は個人や集団にとっての恣意的な事柄にしか過ぎないにも拘らず、自分にとって不都合な相手を「悪」と認識してしまいがちな人間は、「悪」に対する報復(跳ね返るべき何か)を自らの手で作り出し、憎悪とともに相手にぶつけようとします。
 この種の人間的(=非人間的)な思考を持つ者たちは、相手を独善的な見地から断罪しておきながら、恐ろしく冷酷に「お前の今までしてきた行動が、跳ね返ってきたのだ」などとつぶやきます。彼らは、相手に生じた不幸が、決して原理に基づいて生じたのではなくて、単に彼らの憎悪・嫉妬・虐待嗜好等のみによって生じたのだという事実を、認識する能力を持ちません。
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復習って書いていましたね


復讐です
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質問者様は因果応報 の有無をお知りになりたいのですか?


それとも復習に対する是非をお知りになりたいのですか?
答えは因果応報はあり 復習もすれば良いです
もちろん輪廻転生が存在する上での因果応報です
それを因果応報と言うのですから
しかし それより重要な事は復習ということです
復讐心は決して悪くありません
このような事を言った方がおられます
『優雅な生活 これが最大の復習である』
あくまで自らのスキルアップに視点を於いた言葉ですね
確かに子供時代いじめていた相手がロールスロイスのストレッチリムジンで同窓会に登場して来たら いじめていた子は頭カチ割られた気分でしょうね しかも苦痛は一生続くでしょう
私は仕事柄いじめにあって悩んでいる子供ともお話をする事がよくあります
そのような時『必ず将来見返せ』と伝えます
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因果応報、これは確かに有ると思いますよ、但し前世で悪事を働いたから云々などという誰にも証明出来ない事ではなくて



現実の世界で他人に害悪を及ぼす人は回りまわっていずれ自分に跳ね返ってきます。
他人を傷つけ平気な人間はまともな人には相手にされなくなります。

物理用語でカオス理論て聞いた事有りますか、すべてがすべてに関連し、他に何も影響を与えず自分だけ存在すると言う事は有りえない、と言うような内容です。自然界はすべてカオスの法則によって左右されています。

人間界も同じ、『人間カオス理論』とでも言いましょうか、因果応報は最新物理学でも証明されているのですね。

>人を傷つけても・・のほほんと生きてる人って多いと思うんです。そういうひとに限って・・痛みを知らずに傍若無人に生きてる気がします。

それでも因果応報は有ると信じます、カオスの考えでは周囲に悪影響を与える人間が自分には何も跳ね返って来ないと言う事は無い、と断言しているのです。

では何故そのような不条理に見える事が有るかと言うと
1、因果応報とは人間界の話、野獣には関係ありません。ありとあらゆる悪事を働いても穏やかな最期を迎える事も有るかも知れません。野獣には適用されないと言う事です。その代わりに生前まともな人間からは愛される事は無く何時も戦々恐々としていたかも知れませんね。

2、本人は応報に苦しんでいても表には出さず、周囲の人には見えない為にノホホンと暮らしているように見える。しかしその実心が病んでいて内面は非常に不幸である。

では何故他人を傷付けても平気な人間がいるのか?
これはその人の生育環境が悲惨だったのかも知れません。人間は育てられたように育ちます。
虐待されて育った子供は自分の子供にも同様に接してしまう、知らず知らずのうちに。悪の再生産ですね。

rebasashirebaさんは高みから相手を見る事は出来ませんか?自分はあんな人間とはレベルが違う、プライドが有る。と言うふうに考える事は出来ませんか?
悟りを開けなどとは言いませんが低レベルの人間と同等になる必要は無いと思いますよ。
悔しいでしょうけれどご自分を信じ大切にしてください。
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