
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
ご質問では、お寺の鐘・・・云々とありますが、一般的には町内毎に太鼓をたたいて時刻を告げていたようです。
もっともそういったシステムが整っていたのは、江戸のような都会の話で、田舎に行けば当然お寺の鐘が時を告げていたのでしょう。現在の感覚では違和感がありますが、当時は、日照時間に合わせて時刻を確認していました。
具体的には、日の出=明け六(あけむつ)として、約2時間ごとに1刻づつ時間を進めていました。その2時間も太陽の動きを見て個人の感覚で判断していたので、当然季節によって間隔が変化し、ひじょうにアバウトな時間感覚のだったと思いますが、おおらかな時代では支障が無かったのでしょうね。
しかし、いくらなんでも太鼓をたたく側が適当に時を告げていたとは思えないので、和時計で確認していたんでしょう。
ちなみに、和時計は現在のような24時間計ではありません。そもそも先に書いたように、時間自体が一定でないので現在の時計では役に立たないわけです。一番使いやすい時計は、日時計になると思いますが、天気の日ばかりじゃないでしょうし、日没後も時間を計る必要もあるので、水時計や砂時計、ゼンマイ時計など併用していたんではないでしょうか?
以上。以前に本(石川英輔氏の著書で本の名前は忘れました。)で読んだ内容を書きました。記憶違いの箇所もあるかもしれませんが・・・あしからず。
No.5
- 回答日時:
先に昔の時刻ですが、#3の回答者さんが回答しておられるように
現在のような一定の時間の進みかたではなく、日の出から
日の入りまでを6等分する方法でした、不定時法と呼びます。
これの時計ですが、様々な時計が考えられています。
古いものでは、西暦671年6月10日に水時計(漏刻といいます)
を天智天皇作ったとされ、現在の時の記念日になっています。
貯めた水を細い口から排出させてその量から時間を計るものです。
前回答者さんの他にはロウソクの燃える速さで計る蝋燭時計とか
線香の燃える速さで計る線香時計などがありました。
和時計は江戸期には大変精緻なものができており、不定時法にも
対応したものが作られております。長野県松本市の民族資料館
にはコレクションがありますので、お近くでしたらご覧になったら
いかがでしょうか。
No.2
- 回答日時:
お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!
おすすめ情報
デイリーランキングこのカテゴリの人気デイリーQ&Aランキング
おすすめ情報