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No.5ベストアンサー
- 回答日時:
「日本海学講座」というHPがあります。
1999年度の特別講演で、国際日本文化センター教授・安田 喜憲氏が、出土した多くの遺物を例にして、次のように講演されています。
「今まで縄文時代の人間や弥生時代の人間というのは、ものすごく移動している、特に日本海を縦横無尽に移動しているということは夢にも思わなかったのですが、最近、私たちのいろいろな研究から、古代の人々は東シナ海をかなり自由に行き来をしていたということがわかってきたわけです。」
(略)
「この揚子江の下流域と日本海側との交流は、6000年前の鳥浜貝塚の時代にもあるわけです。6000年前の鳥浜貝塚と河姆渡遺跡(揚子江)の間には、深い交流があったのです。だからその海のルートというものは、6000年前にもう確立しているのです。だから、それを当然受け継いで。その海のルートというものは、代々伝承されますから、3500年前にはもっと航海の技術も発展していますから、このルートを通って、この若狭や北陸地方と中国の揚子江の下流域には、深い文化的な交流があったのです。」
http://www.nihonkaigaku.org/9_f/i9906/ts.html
黒潮の強さも今とは違うでしょう。
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ip …
ありがとうございます。
とても勉強になりました。
新石器時代から、詳しいことはわからないまでも高度な社会があったようです。それも、大河の流域とは少し離れた位置に。
ブラージュの人文地理学でも、「大きな文明の生まれる前に、コアな文化を持った集団が、少し離れた場所(おそらく山地)に点在していたはずだ」といった事が書かれていたように記憶してます。紅山文化や越人がそれに当てはまるのかも知れません。
黒潮を巡る文化圏があったと考えることは可能なようですが、航海技術については依然、謎のままというのは少し残念です。
でも色々と勉強になりました。
ありがとうございました。
No.7
- 回答日時:
#5です。
そうですね。丸木舟で大海原に漕ぎ出す精神力の源は何なんでしょうね。
勇気があり好奇心旺盛で、しかもかなりの自信を持っていたのに違いないですね。
縄文時代の人びとが、動物的な勘とすばらしい視力を持っていたことは間違いないでしょうから。
しょっちゅう星を眺めていれば、星の動きから北極星の位置も自然と覚えたのではないでしょうか。
雲の動き、空の色からある程度は天候の変化を予測できたのでしょう。
興味があるのでWebで調べてみたのですが、同じ疑問を持っている人もいますね。
http://www.jinruisi.net/bbs/bbs.php?i=200&c=400& …
http://www.kodai-bunmei.net/bbs/bbs.php?i=200&c= …
文字を残さなかったから、航海術は想像するしかないのではないでしょうか。でも、想像するだけで壮大な気持ちになります。
No.6
- 回答日時:
素人ですが、かなり活発に船による交易・交流があったと見ています。
とくに北海道から大陸にかけては、冬凍結した可能性があり、歩いてそりで割りと簡単だった気がします。
韓国との行き来、東シナ海は、それよりは大変だったかもしれないですが、現在のように100回航海して100回とも無事だったほど安全ではないとしても、ある確率で無事航海が成功すれば、交易交流には随分寄与したことになります。(ずっと後の鑑真和上が難破したくらいですから大変はたいへんだたんでしょうね)
航海技術そのものの回答でななくてすみません。
ご回答ありがとうございます。
私も考えてみましたが、今は航海というと目的地がはっきりとありますが、コンパスのない時代では、星座や太陽の位置で大まかな方角はわかるにしても、最終ゴールポイントを自分で選ぶ決定権があったか疑わしいと思います。
ある程度、ある季節に海流に乗ると自然と辿り着いてしまう場所、それも今で考える港よりずっと広範な地域において、漂流者を不定期に待つということが行われていたのではないでしょうか?
イカダでも1ヶ月分の食糧を積んでいれば海流に乗るだけで東シナ海を越えていけるかもしれない。もちろん100%ではない。しかも、どこに着くかは運任せ。でも、ある程度は季節があってれば近い場所に辿り着いたのではないでしょうか?何十kmも離れるかも知れませんが、当時の人には一週間で歩いて行ける範囲は「庭」くらいの感覚だったかも知れない。
その場合、海プラス陸路となるので大量の運搬は諦めなければなりませんが、それは仕方ない。目的と違う村に着くかも知れないけど、それも仕方ない。
そんなふうにしたって人の交流は生まれるわけです。
ようは勇気があればできなくはない行動です。あるいは海への何かしらの信仰があったのかも…海で死んだら天国に行けるみたいな…
なんてことを最近考えてます。
No.4
- 回答日時:
当時御丸太船で一日がかりの航海(50-60キロ程度)は二万年前(旧石器時代後期)まで確認されています。
よく言われる国産黒曜石の交易ルートは日本海の向こう岸を及びます。また、日本で作られた縄文土器がフィリピン辺りで発見される事もあります。一説には中南米とかアフリカで似たものが発見されたりと言うことで、それは漂流して着いたものか、また実際の航海が可能だったかと言う調査がなされています。ご回答ありがとうございます。
私も自分なりに調べてみましたが
出土品からみると→交易は行われた
航海技術→不明
といったような感じかと思ってます。
地図やコンパスのない時代に、どんな世界観を抱いていたのか不思議に思います。
No.3
- 回答日時:
縄文でも弥生でも無理ですね
黒潮は手で漕いで渡れるものではありません
どこに付くかは解らないし元に戻れないのです
だから日本は急に渡来人ばかりになって弥生が来るのは
大陸で内戦が起きたときだけです
特に船の戦争では逃げて黒潮で流されて日本中に来た事でしょう
だから縄文人は北と南では大きく違います
北は寒い頃に歩いて来た人たちです これが日本人の基礎です
南は黒潮に流されて来た人たちでこれの少数の人が混ざって
縄文人になっています これに大陸の多量の難民が混ざって
弥生人になります
ご回答ありがとうございます。
春秋戦国時代~三国時代、幾度となく中国では激しい戦乱が起こりましたが、弥生人とはその頃の難民だったのでしょうか?
推進力が「手で漕ぐ」というのは確かに厳しいですね。
でも、当時の木製の舟は腐食によってほとんど現存しないそうなので、もしかしたら風を操る技術もあったかも知れません…。
伊豆と近畿では普通に交易が行われていたようですし…。
どうなんでしょう…?
No.2
- 回答日時:
今のように簡単ではなかったと思うけど頻繁に航海はしてたと思います。
特に東北は大陸に近く北海道や島伝いに移動すれば大陸にたどり着くことは可能。
海上では水平線までの視界が約16kmですから、港を出て16km沖合に出れば自分の出発地を含めて直径32kmが有視界で方向を定めることが出来る範囲になります。この32kmをうまくつないでいくと、南方のフィリピンあたりまで行けるという話もありますよ。
そうなのですか?
理論上ということで、現実の航海は簡単な話ではないのでしょうが、とても興味深い話でね。
でも、昔の船、もしくはイカダといったものは、方向転換や沖に近づくための推進力はどうしていたのでしょう?やっぱりオールのようなもので漕ぐしかないですよね…
潮流に逆らって、思い通りの場所につくことは可能だったのでしょうか?
もしくは、一度航海に出たら、もう戻ってくることは考えないというスタンスだったのでしょうか?
だったら、どこに辿り着こうがなるに任せるってことで、それはそれでアリなのかもしれません…
ご回答ありがとうございました。
No.1
- 回答日時:
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