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水田稲作を核とするいわゆる弥生文化に同化せず、狩猟・漁労・採集を生活の基本とした縄文人もいたと思うのですが、4世紀以降まで続いた縄文集落遺跡を教えてください。
サンカのように山野を移動した人たちを除いて、定住した人たちの遺跡です。
よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

ANo.2の続きです。



青森でさえ弥生時代前期に水田耕作が始まっています。(田舎館遺跡)
前にも回答したとおり「続縄文文化」「擦文文化」が質問者さんが欲するものにあたりますが、基本的には北海道地域にとどまるようです。
東北北部には「続縄文文化」「擦文文化」の影響がみられるようですが、「水田耕作はせずに狩猟・採集のみ」とまで言えるかどうかはわかりません。
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この回答へのお礼

ふと思いついた質問に、再度のご教示ありがとうございます。
水田稲作は、関東には東北から南下したのではないかと、歴博が推論しています。(下記)

「関東で水田が確認されるのは前100年ごろ。その一方、日本海沿いに稲作は北上し前400年ごろには青森に到着。そこから太平洋側を南下していた。関東の稲作は、西からではなく、北から伝わった可能性が出てきた。」

縄文人が、水田耕作を見てすぐ米作りを始めたのではなく、畑作・漁労・採集生活を守った集団がいたのではないかと、思っています。
そのような集団が4世紀以降にいたとして、その遺跡が発掘されても、それは「縄文遺跡」ではないのかも知れません。
あいまいな質問に回答してくださってありがとうございました。

お礼日時:2009/11/12 20:25

ANo.1の続きです。



ちょっと誤解を招きそうな書き方になっていたので捕捉します。

狩猟・採集社会として「アイヌ遺跡」を掲げたのであって「縄文=アイヌ」という意味ではありません。

この回答への補足

質問があいまいでした。 申し訳ありません。
近くまで弥生人が押し寄せたのに、水田稲作を導入せず、従来どおりの狩猟・採集生活を続けた人びとの集落遺跡があると思いますが、そのような意味で質問しました。
北海道以外でこのような遺跡をご存知ないでしょうか。

補足日時:2009/11/10 20:31
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北海道地域は、その気候もあって近代に至るまで水田耕作に向かないところでした。


故に北海道地域では
縄文文化→続縄文文化→擦文文化・オホーツク文化→アイヌ文化
と変遷します。
「北海道のアイヌ遺跡」が答えとなるかと思われます。
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