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基本的なことですいません。
「私は歯が痛い」は命題でしょうか?

A 回答 (9件)

>お聞きしたいのは命題というのは、


>「真偽の一定した文」のことをいうのか
>それとも、真偽の与えうる文であればよいのかということなんです。
>宜しくお願いいたします。

ウィトゲンシュタインの「論考」のニュアンスでいうと、
・真偽を語り「うる」ものが命題である。
・真偽を語り「えない」ものに対しては沈黙しなければならない。
ということになると思います。
なるほどここまで来ると「基本的なこと」になるのかなあ。

ウィトゲンシュタインも「痛い」ということには随分戸惑いを見せていましたね。
厳密な意味で痛いというのを伝えられるか、という問題に立ち入れば命題とは言えないので、やはりこの「私は歯が痛い」はグレーゾーンですね。
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この回答へのお礼

どうもご回答ありがとうございます。

暇見て論考を読み返しています。

又よろしくお願いいたします。

お礼日時:2006/12/15 11:58

#5です。

ご返事ありがとうございました。

おっしゃっている要旨がやっとわかりました。(^^;)
理解力不足で申し訳ありません。
私は素人なので確信は持てないのですが、
「常に真偽が定まっている」ということが命題の定義に含まれているとは認識していませんでした。
「論理的意味合いにおいて常に真であって矛盾がない」ということだろうと考えていたのです。
「解釈の違いによって複数の意味を持ち得る文」は命題と言えない、というふうに捉えています。

また、論理的方法論の一貫として意味を持っている言葉だと思っているので、他者が確認(または認識)できない事柄を含むものもやはり命題とは言えないように思います。
論理を展開していく上での基盤になり得る文、という意味ですが、
その意味で「私は歯が痛い」は×ですが、「私は独身である」は○ではないかという気がします。

「歯が痛い」ことを前提に話を展開していたが、実際良く調べたら痛いのは歯ではなくて歯茎であった、などということになっても不思議ではないように思うからです。
それにひきかえ、「独身」であるかどうかは確認できる事柄ですから命題足り得るように思うわけです。
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この回答へのお礼

どうもご回答ありがとうございます。

いやこれまで命題というのは真偽の定まった文だとばかり思っていましたが、どうも皆さんのご意見を伺っているとそうではないようですね。
すっかり騙されてしまいました。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2006/12/09 12:46

状況や前提から切り離して、文章をとらえる、ということですか。



>実際に歯が痛いときに述べた場合は「真」となり、別のときに述べたときは「偽」になつてしまう

と言っているのとまったく方向が変わりましたね。
状況に応じて真偽が決まるということを言っているのですから。

意味というものは文脈に応じて無限に生成されますが、文脈という「状況・前提」から切り離された時は意味を持ちません。
文脈がなく、意味を持たないものに、真偽を問えるかどうか考える余地が果たしてあるでしょうか。

「ほんほほほんほほほほ」
はい、これは命題でしょうか。
意味がないから命題ではないというかもしれません。
しかし、文脈によってはこれも意味をなしえます。
指を歯で噛んで「3足す3は6です」と言っているのです。

意味がないから命題であるかどうではなく、意味がわからないから命題かどうかを判定する対象にはならない、ということになるでしょうね。
もし、一切の前提や状況を取り除いて考えたら、ですが。

そもそも、前提のない発話というのはできないのではないでしょうか。
「私は独身です」には、「私とは誰か」「独身とはどういうことか」といった前提がなければ成り立ちません。

この回答への補足

ちょっと話がそれてしまいましたが、
お聞きしたいのは命題というのは、

「真偽の一定した文」のことをいうのか
それとも、真偽の与えうる文であればよいのかということなんです。
宜しくお願いいたします。

補足日時:2006/12/09 11:45
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やはり問題は「時」だったようですね。


さらに言うならば、「私」という語句も怪しいものですよ。
つまり、語り手が変わっても「私」という言葉が変わらないのであれば、語り手によって真偽の判定が異なってくるということがあります。

発話には暗黙のものが存在しているわけです。
ですから「my own」が入っていないことを指摘するのは、本来野暮なことではあるのですが、こうした野暮な点が命題か否かを判断するのを厄介にさせているのです。
「私なる人が」というのも、「私」とはどういうことを意味するか、という点で論争になりうるところです。
暗黙のところで、それを語っている人が、ということが含まれていますが、語る人によって真偽の結果が異なるのだから命題とは言えないのではないか、という話にもなってきます。

時の問題ですが、「私は歯が痛い」と言った場合、「痛かった」とか「痛くなるだろう」というのとは違って現在時制を用いていますので、発話者がそれを発話する時点の状況ということが暗黙の前提として存在すると思います。
その前提ならば答は「痛い」か「痛くはない」の2種になるので命題たりえます。
すべての暗黙の前提を了解した上で、という話ですが。

(しかしやはり「痛い」という語句から察する限りでは難しいかもしれませんが)

この回答への補足

>発話する時点の状況、とか前提とか一切の情況から離れて、「私は歯が痛い」という文が真偽が問えるかどうかが問題だと思うんですよ。そうでなければ正しい知識というものはありえないと思うんですね。そういう意味で「私は歯が痛い」という文を一切の情況から離れて考ええた場合、それは有意味ではある(文法規則に問題は無い)が、無意義な文であろうと思うんですが、どうなんでしょう。

補足日時:2006/12/09 02:20
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この回答へのお礼

「私は独身である」という文は同じ理由で命題とはいえないと思うんですが、どうなんでしょうかね。

お礼日時:2006/12/09 04:41

#3です。

ご返事ありがとうございました。

おっしゃるように、個人(私)の【感覚】なので「真意を問い得て不明瞭ではない」という命題の定義に合致しないという考えです。
「私には虫歯がある」の場合は、客観的に確認できるわけですから命題と言えるのでしょうが。

この回答への補足

いや、hakobuluさん、これは感覚の問題ではなくてですね(私本人は真偽を知りえるはずなので)、「私は歯が痛い」という文が、実際に歯が痛いか痛くないかという具体的な情況を離れてですね、常に真偽が定まっているということは言えないだろうということなんです。

補足日時:2006/12/09 02:01
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この回答へのお礼

「私は独身である」という文は命題といえますかね?

お礼日時:2006/12/09 04:38

「痛い」が問題でないならば、


「ゾウは鼻が長い」という命題と同列に語れるものでしょうか。

実際使われている言語は、意思疎通の用をなせば十分とされるために、粗雑になることがあります。
また、同じ事象をニュアンスを変えて伝えることがあります。
「ゾウは鼻が長い」は、「ゾウの鼻は長い」と同じことを表現しています。
しかし、この表現では、「ゾウの鼻」を中心にする視点ではなく、「ゾウ」を中心にする視点からものを言うようにしているという点で、後者の<視点転換>の例にあたると思います。

では、「私は歯が痛い」はどうか。
これも、「私の歯は痛い」と同じです。しかしこの場合、補足して「私の歯は私にとって痛い」としなければ意味が通りにくくなります。
これは長いと痛いの違いなので、88mmyyさんによればそこは問題ではないということになるはずです。
「痛い」を問題にしないとなれば、一見命題で通りそうですが、1つマズい点があるのではないかと思います。

それは、「私は歯が痛い」という場合、この歯は「my own」であるということを明確に述べていないということです。
たとえば、ワニに咬まれている人とそのしっぽではたかれている人がいたとして、
「しっぽではたかれた、いてぇよぉ」
「俺は歯が痛いんだ、なんとかしてくれよぉ」
みたいな感じの使われ方がないとも限りません。
つまり、「私の歯が私を痛がらせる」であることが確認できないのです。

そうした日本語の曖昧さが残っている状況で、命題であるか否かという判定はできないと思います。いやむしろ、命題としない方が無難でしょう。

補足で述べられている「私」というものが体験する痛みの「一過性」のことについても、「今現在」などといった時間を指定する語句が入っていないといけないことになりますね、厳密には。

この回答への補足

歯は「my own」で間違いないのですが(笑い)、私が頭が痛い理由はこういうことなんです。
私なる人がですね、「今現在、私は歯が痛い」という文を、実際に歯が痛いときに述べた場合は「真」となり、別のときに述べたときは「偽」になつてしまうということなんですよ。
だから、>「今現在」などといった時間を指定する語句が入っ、たとしても
「今現在、私は歯が痛い」という文は真偽が定まらないということになってしまうんです。
どんなもんでしょうか。

補足日時:2006/12/07 19:19
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「真意を問い得て不明瞭なところがない」とは言えないように思うので、命題とは言えない、に1票入れておきます。



他に気を取られて痛みを忘れる、なんてこともありますからね。

この回答への補足

1,2番様への補足と重複いたしますが問題は問題は「痛い」ではなくて「私」にあるようなんですよ。別の時と場所で述べれば(つまり具体的な情況を離れてしまえば)真偽が変化してしまったり、真偽を断定できないような文は命題とは区別されるらしいんですね。

具体的な情況によらず常に真偽が一定している文が命題ということらしいんですがどうなんでしょうね。
いやほんとに頭が痛いです。

補足日時:2006/12/07 16:32
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痛みは現代医学で定量評価できるとのことですから命題になるでしょう。

この回答への補足

どうも問題は「痛い」ではなくて「私」にあるようなんですよ。別の時と場所で述べれば(つまり具体的な情況を離れてしまえば)真偽が変化してしまったり、真偽を断定できないような文は命題とは区別されるらしいんですね。
どうなんでしょうか。
いやほんに頭が痛いです。

補足日時:2006/12/07 16:18
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「痛い」の部分が微妙ですね。


「私は歯が50本ある。」なら命題です。

この回答への補足

問題は「痛い」ではなくてどうやら「私と表現される者」にあるようなんですよ。
いいやほんとに頭が痛いです。

補足日時:2006/12/07 16:16
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