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言語表現と映像表現にはどのような違いがあると思いますか?
文学作品が映像化されるにあたってストーリーに大きな改訂を加えられることがあります。
文字が映像で表現される場合、どういったところが大きく変わってしまうのか、双方の長所と短所を踏まえた上で意見をお聞かせ下さい。

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A 回答 (5件)

 質問者さんの「映像」という言葉は映画の「映像」という意味なのだろうと私は解釈しましたので、以下映画にします。


 さて、質問者さんは二つの質問をしていますよね。一つは「文学作品の映画化について」二つめは「言語表現の映像化」。これは答えが違います。でも質問を読んだ印象では一つめが気になっているようなのでそちらを答えたいと思います。
(1)描写
 映像には豊饒な描写があるといったのは、シーモア・チャットマンです。例えば「少年は赤い椅子に腰を下ろした」という一文があるとします。文学ではこれだけで十分です、必要のない描写は書く必要がありません。しかし映像にする場合、少年は何歳くらいなのか、もっというと実際に誰なのか、服装は、人種は。また赤い椅子はどんな赤色なのか、朱か、紅か。椅子の形はどんなか、ソファか、パイプ椅子か、木製か。また少年がいる場所はどこなのか、室内か、草原か。映画でこの一文をあらわすにしても無限の情報を決めなくてはいけません。
(2)視点
 前の方も仰っていました。視点は文学と映画では違います。何故なら映画はキャメラと通じてしかストーリーを物語ることができないからです。キャメラがある以上語る視点は限られてきます。キャメラに一人称の語りは出来ません。1946年に制作された『湖中の女』を見ればわかります。キャメラは人の視点の代わりは出来ないのです。
(3)解釈
 多分、ここが一番重要なことだと思います。「ストーリーに大きな改訂を加えられることがあります。」と質問者さんはいいます。つまり、原作に手を加えるなと言いたいのでしょう。そこで考えて欲しいのは映画とは誰が製作するものなのでしょうかということです。映画の製作責任者は監督です。つまり原作を書いた作者はではないので、「原作と違う」という文句はそもそも的外れな意見なんですね。作る人が違うのだから作品ももちろん違います。ダ・ヴィンチの作品『岩窟の聖母』を見れば一目瞭然です。あれはどちらかが弟子が描いたものだといわれています。同じ構図でこれだけ違う絵画が出来てしまうのだから、映画だって違って当たり前です。
 原作がある映画とは監督が原作をどのように解釈したかということだと私は思っています。限りなく原作通りに映画化したいと思う監督もいれば(私はそのような監督を個性も主張もない監督と呼びますが)原作を読んだ時に自分がした解釈で映画化する監督もいます。付け加えられたストーリーは監督の原作を読んだ時の解釈。そこを観て「この監督はそんな風に原作を解釈したのか」と思えば、原作付き映画をもっと楽しく観られると思います。
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 まず、大きく変わるのは視点だと思います。

映像の場合、視点は何でもありです。
 しかし、文学の場合、視点が固定されています。一人称、三人称とありますが、固定されるのです。文学の場合、神の視点をつかうという表現方法があります。しかし神の視点だけで構成してしまうとぶれます。感情移入ができなくなります。しかし、映像の場合は、ぶれても問題ありません。映像は、主人公がぶれることはないのです。だから、面白くするために、文学ではありえない視点で監督は撮ります。
 だから、ストーリーも文学の視点の制限をなくしたうえで、面白くするために変更されているのをよくみます。
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ギリシャの詩人、シモニデスは、


「絵画はもの言わぬ詩であり、詩はもの言う絵画である。」
との言葉を残しています。絵画や彫刻、劇などに意味を込めることが出来、
また、叙事詩などから映像を思い浮かべることが出来ると言っています。
つまり、映像は言語化できるし、言語表現は映像化できるとしています。
しかし、文学作品が映画などになると、自分が思っていたよりも、場面
が短時間で終わってしまっていたり、逆にこんな長かったかな?と思う
こともあります。
映像は、脚色され、俳優などの特長も生かす工夫もされますね。ですから、
俳優の特色で、ヒロインなどのイメージが作られてしまう可能性があります。
言語表現のなかでの「ヒロイン」は、人によってさまざまにイメージ
されていますから、正確には表現出来ないと思います。

言語情報の伝達という面から考えますと、言語だけによる伝達に比べ
て、映像は何倍もの情報を伝えることが出来ます。ですから、大河ドラ
マなどをよく見る人は歴史が強いケースもあります。ちなみに、シモニ
デスは、映像を活用した記憶術を作りました。

結論としては、文は読んで楽しみ、映像は見て楽しむ事が良いと思います。
以上
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文字は永遠であり、想像力の源です。


映像は過去であり、象徴力の源です。

文字は想像でき、何年後も
また想像できる。

映像はその世代のものであり、
何年後もその世代のものである。

例・
セーラー服と機関銃。
原作を読んだ人とか
薬師丸ひろこの映画を見たとか
テレビのドラマをみたとか。
いろいろ飛んだ感想がそこにはあると思いますよ。
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短所としては、単純に時間の問題(映画は2時間くらいにしなければならない)などの制限によって、どうしてもストーリーを変更せざるを得ないことがと思います。


さらに決定的なのが人物の心理描写ではないかな、って思います。
文章ですと、登場人物が心で思っていることを詳細に表現できますが、映画ですとこれを表現することは難しいことだと思います。
長所は、、、、思いつきません。エンターテイメント性くらいでしょうか・・・
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Q文学作品を映画〔映像〕、漫画で見る場合の利点と欠点

元々、本、漫画での作品を、映画、映像、漫画で見る場合の利点と欠点について、皆さんの意見を教えてください。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

こんにちは。
面白い質問ですね。

では、私の意見です。

・利点
直接視覚や聴覚に訴えるので、情景がすぐに分かり、感情移入しやすい。
綺麗な情景、切ないシーンなどではとても感動できる。
誰もが同じものを見るので、感想など話し合うのに理解しやすい。

・欠点
原作者の意図とは違う、映画や映像、漫画の製作者側の解釈が盛り込まれる為、別の作品と考えたほうが良い(気がします)。
行間、コマの間の動きやイメージを自分なりに咀嚼してイメージを膨らませる事が出来なくなる。
想像の幅が狭まる、というかほとんど無くなる。


…といったところでしょうか?
個人的には、原作至上主義なので、映画化、ドラマ化、など二次的な作品は全て一種のパロディ物として区別しています。
もちろん、原作よりも素晴らしい作品になる事もありますし、そんな作品は大好きですが、たいていは原作のほうが好みですね。
やっぱり、最初に自分の頭の中でイメージが膨らみすぎて映像化されたときにがっかりしちゃうんだと思います。


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