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滋賀県下・近江平野の東海道線(当時、長浜--大津間)は、東海道本線のうち、最後に開通した区間です。
(いな、最後の電化区間だったか?)

そのうち、彦根--野洲間は、「旧中山道」を西へ1-4kmほど、
外れています。なぜ、そのような、ルーティングになつたのでしょうか?
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Q1 東海道の他のいくつかの宿場町と同様に、沿線の「○○宿」より鉄道布設に反対があった?
Q2 近江平野に関しては、「旧中仙道」ではなく、「朝鮮人(通信使)街道」の町に沿わした?
Q3 ○○川の渡河部の橋梁建設にあたり、立地選定した結果?
Q4 用地買収にあたり、地価の安い所を選んだ?
Q5 トンネルを少なく(安土に一つのみ)するため?
Q6 その他の理由?

A 回答 (1件)

鉄道忌避伝説は、ほとんどが後年の捏造や妄想であることは、現在では学識者の間では定説になりつつありますが、いったん広まった伝説はなかなか収まりませんね。

ということで、Q1はノーでしょう。

鉄道敷設にあたっては「街道に沿わす」という考えはありませんから、Q2もノーでしょう。名古屋以東の東海道本線も沿っていないところの方が多いと思います。旧街道と1-4km以内に敷設されている線路のほうが珍しくありませんか?

やはり、Q3~4のような、建設上有利な地点を選んで線路の位置が決められたと考えるほうが自然だと思います。

題名は忘れましたが、鉄道忌避伝説は虚構だったという事を解説した本が、最近出たはずです。
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