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の中で、「親ソ政権」という言葉を耳にしたのですが、どういう意味なんですか?
それの崩壊を嫌がってアフガニスタンに侵攻したとありますが、
馬鹿な俺でもわかる説明をお願いします。

A 回答 (3件)

 東欧の衛星諸国は心ならずもソ連の属国のような状態を取らされ、これを西側は黙認していました。

ポツダム会談での約束があったからです。これとは別に親ソ政権が発展途上国に沢山できたので。これは今では考えられないのですが、ソ連は共産党政権の下で大変巧く行っているというソ連の宣伝を真に受けていた知識人が大変多かったからです。マルクス・エンゲルスの資本家=搾取する人、労働者=搾取される気の毒な人とい図式で自由主義社会での諸悪の根源が資本家の搾取にあるという教条主義が罷り通っていたからです。
 ですからアフガニスタンに限らず、エジプトのナセル政権もそうでしたし、インドも中立とは言いながらソ連にかなり近寄っていました。エチオピアでも新ソグループが皇帝を殺害して政権を握りました。イタリアでも新ソグループの力が大変強くて政権が安定せず、kれが経済発展を阻害していました。フランスもドゴールが出るまでは左派勢力が大変強い国でした。このように冷戦時代はそのうち世界中が共産党政権になってしまうという危惧が蔓延していたのですよ。
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1973年に当時のアフガニスタン国王ザーヒルが国を留守にしていたときにダウド首相によるソ連の援助を受けた軍部クーデーターが勃発し、アフガニスタンには親ソ政権が生まれました。


しかし野心家のダウドはソ連の傀儡の座に満足せず、サウジアラビアやイラク、イランなど親米国家(当時はイラン、イラク共に親米政権でした)を歴訪して、アメリカに近づく構えを見せたので1978年にソ連はダウド政権を倒してタラキ政権を立てました。
しかしこのタラキも国民の支持を獲得するのに失敗し、アフガンは内戦状態になってしまいます。
そのためソ連は武力介入の準備を始めるのですが、この時ソ連地上軍総司令官パヴロフスキー上級大将は「カブールは我が国にとって念願の『インドへの扉』となるでしょう」とロシア時代から存在するインド進出願望と結びつけています。
そしてタラキを追い落としたアミンが熱狂的なアフガニスタン民族主義者でソ連と距離を置く態度を示したので、ソ連は武力侵攻してアミンに替わる親ソ政権を打ち立てようとしたわけです。
この時、ソ連軍はアミンを打倒したのはあくまでもアフガニスタン人であり、ソ連軍は関与していないとするため、アミンのいたダルラマン宮殿にた全員を虐殺することを命じていました。
アミンを抹殺した結果、ソ連はカルマル政権を立てますが、ソ連軍という共通の敵が現れた結果、バラバラだったアフガンの反政府勢力は結集し、それが長年続く戦乱の始まりとなります。
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帝政ロシア(ロシア正教)から続くソ連との連携が強い政権です。



旧東ドイツ・ポーランド・ルーマニア・ブルガリア・ハンガリーなどが親ソ政権でした。
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