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ソ連は無条件降伏してましたか?

gooドクター

A 回答 (8件)

無条件降伏は無理かもしれませんが、ソ連を敗北させた可能性はあるかと思います。



●独ソ戦線について・・・
もし、日本が参戦した場合、実行されると思われる作戦の一つがシベリア鉄道の破壊です。
実際、関東軍には白系ロシア人の工作部隊が複数あり、この部隊がソ連攻撃の際にはシベリア鉄道破壊の任務を与えられていたと言われます。
また、空爆によるシベリア鉄道破壊もありえるでしょう。

もしシベリア鉄道が破壊されたらどうなるか・・・

第二次世界大戦でのソ連はアメリカ、イギリスからのレンドリース(軍事供与)が無ければ勝てませんでした。
アメリカやイギリスから戦車7千台以上、飛行機1万4千機以上、トラック37万台以上、その他大量の物資、食糧がソ連に渡されました。その運ばれた物資の約半分は、船でウラジオストックまで運ばれ、そこからはシベリア鉄道で西に運ばれました。
シベリア鉄道はその重要な補給路でした。
また極東やシベリアに配置されていた部隊が、西部での危機のために鉄道で運ばれます。1941年年末までに極東やシベリアから西部に鉄道で運ばれた部隊は34個師団にも及びます。
そうしたシベリアから運ばれた部隊の活躍があってモスクワはドイツ軍より守られました。

つまり、シベリア鉄道が早期に破壊された場合、ソ連は補給路と増援部隊の到着に乱れが出る事が予想されます。
ソ連も鉄道を破壊されれば修理するでしょうが、日本軍も再攻撃して、破壊して直して、破壊して直してのシーソーゲームのようになるのではないかと。ドイツ本土が連合軍の空爆を受けた時と同じです。

その結果、シベリアからの援軍の到着が遅れソ連の戦線は崩れる可能性があるかと。モスクワも陥落するかもしれせん。
レンドリースは極東ルートが使えないので、北極海ルート、イラン経由と空輸となり、ソ連に送られる物資の量も下手をするとかなり減るかもしれません。

なお、そう簡単に極東ルートの物資を他の輸送ルートに振り分けるのは困難が伴うかと。
北極海ルートの場合、主要港のアルハンゲンリスクからの鉄道が一本しかなく、輸送量がどうしても限られます。新たに鉄道を建設にするにしてもモスクワまで1200キロという距離と厳寒の地でとてつもない困難です。
イラン経由は最も遠いルートで時間もかかるし当然船舶の量がさらに必要となります。

また、ソ連は大量の農民を徴兵しました。当時のソ連の農村人口はソ連全体の7割を占めていました。
ウクライナなどの穀倉地帯をドイツに占領された事と合わせて、ソ連の食糧生産は非常に低下します。1945年というウクライナを既に奪回していた年でさえ、ソ連の小麦の生産量は戦前の半分以下でした。
その不足する食糧の穴を埋めていたのもレンドリースです。
もし、レンドリースにおける食糧の量が激減したら、農民の徴兵も手加減しなければならないかもしれず、そうなれば史実よりソ連兵の数は減るという可能性も出てきます。

そして、モスクワが陥落した場合、ソ連側の鉄道による物資や軍の移送がスムーズに行かなくなる事が予想されます。
ソ連の鉄道はモスクワを中心に張り巡らされましたが、モスクワより西側と南側に鉄道路線は多く敷かれ、モスクワより東側は西や南より鉄道網が発展していないのです。特にモスクワより東では南北を繋ぐ路線が限られています。
そういう面で、ソ連軍の展開と補給は少々乱れるかもしれず、それがドイツ軍に有利に展開するかもしれません。

モスクワを占領した後、どこまで進めるかはわかりませんが、ヴォルガ河を超えた辺りからだとウラル山脈を越える鉄道は大きく南北に迂回している鉄道を除き3路線しかないので、ドイツ空軍が鉄道を叩きソ連軍の交通網を麻痺させる可能性もあるかと。そうなれば、展開は増々ドイツ軍に有利になるでしょう。


◆つまり日本が参戦してシベリア鉄道を遮断すれば、ドイツにかなり有利な状況になる可能性もあります。

また、1943年の時点でさえ自発的にドイツ軍に参加してソ連軍と戦っていたロシア人は100万人と推定されています。
もし、モスクワが陥落すれば、こうしたスターリン体制を嫌いドイツ軍に味方したロシア兵はもっと増加したかもしれません。スターリンを見限る者が増加するかもしれないのです。
ロシア人だけでなく、ドイツ軍には東方部隊として、旧ソ連国民のアルメニア人部隊、アゼルバイジャン人部隊、北カフカス人部隊、タタール人部隊、トルクメン人部隊やコサック義勇兵部隊等々、ソ連のスターリン体制に不満を持つ少数民族の部隊がかなりありました。こうした少数民族達の中で、ドイツ軍に味方する者がさらに増えたかもしれません。少数民族と言ってもコサックなどは25万人が兵士としてドイツ軍に参加し、カルムイク人も8万人が参加しています。
そうなれば増々ドイツ軍は有利になったでしょう。
そしてソ連軍を東方へ押しやり、カフカスの油田地帯を制圧できれば、ドイツ軍はさらに有利になったでしょう。
カフカスの油田地帯はソ連の石油生産の9割を占める油田地帯です。ここを押さえられれば、スターリンには致命的です。この当時は、まだウラル東方の油田は発見されておらず中東の油田も現在のようには開発されていませんでした。

また、ウラル東方のシベリアや極東は人口は少なくソ連の人口の2割しかおらず、食糧の自給もできてない地域も多々あります。もし、スターリン体制を支持するソ連人がドイツ軍から逃げ、そんなウラル東方に押し寄せたら、致命的な食糧不足、物資不足になるかもしれません。
そうなれば、下手をするとソ連は内部崩壊するという可能性が出てくるかもしれません。
いずれにせよスターリンは危機に陥るかと。



●日ソ戦について・・・
もし、日本がソ連と戦った場合、かねてからの計画通り、まず沿海州を占領。この後、北および西に攻勢に出てルフロウ付近まで進出するでしょう。ルフロウは満州国の北、漠河の近くですから、それほど西進するわけではありません。
カムチャツカ半島の要地と樺太も占領予定でした。
日本軍は恐らく勝利できるのではないかと。恐らく制空権は握れましょうし、局地的な戦いで不利になっても退けば、ソ連軍は補給の問題から攻勢には出てこず、守勢に徹すると思われますし、時間が経てば極東ソ連軍は手持ちの物資を食い潰しジリ貧になるのではないかと。
スターリンは西部第一に考えるというか、極東に多くの戦力を割いたり補給を滞りなく続かせるなんて余裕は無いでしょうから。


こうした日本軍の作戦が成功すれば、日本は樺太の油田を占領しソ連の石油生産に更に打撃を与える事になります。
また、沿海州を北極海方面に北上すれば、そこにはソ連最大の金鉱山があります。
この金鉱山はソ連の戦中の戦費、戦後の復興資金を支えたと言われるほどの金鉱山です。ここを押さえれば、ソ連の戦時経済には大打撃であり、日本の経済に大助かりです。


■そうしたわけで、もしも上手く行けば、日本は沿海州、樺太、カムチャツカ、シベリアの一部とソ連最大の金鉱山と樺太の油田を手に入れ、ドイツも上手く行けばスターリンをウラル方面に追いやり、ウクライナの穀倉地帯、ドネツの工業地帯、カフカスの油田地帯を手に入れ、戦争目的である東方生存圏を手に入れ、スターリンはウラル周辺からシベリアで食糧不足、石油不足で悩み、アメリカとイギリスの援助で何とか生きているという事になるかもしれません。

なお、日本は史実では防共回廊を構成しようと満州国から西へモンゴルの部族や少数民族の部族と接触していましたが、そういう動きも活発化し、そこで日本の工作機関の動きと東へ追いやられて来たスターリンとが衝突するかもしれません。

また、旧ソ連の少数民族達の軍がドイツ軍支援の下に、その地を奪って新たな国を作ろうと、スターリンにとどめを刺さんとするかもしれず、そこでソ連は終わりになるかもしれません。


◇ただしソ連が敗北する可能性はあるとは思いますが、ソ連が勝利する可能性も十分ありえるかと思います。
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結論的には、無いといえるでしょう。



ドイツ軍は、攻勢終末点はウラル以西と分かっていました。
戦略目的は、ウラル以西の資源の確保です。
ソ連軍の撃破ではありません。
更々、ウラルを越える気はありません。

一方、日本陸軍は、関特演で、兵員、物資も最も充実していました。
ソ満を越えるのは、極東ソ連軍が1/2の兵力になった時に進行可能との見積もりでした。
戦略目標は、ウラジオストク等で、バイカル湖を最西時の攻勢終末点と見積もっていました。
ソ連は、兵力が1/2になると、日本軍が攻勢をとる事が分かっていましたから、西部戦線がいくら苦しくても、それ以上の兵力西送はしなかったでしょう。

ソ連は、たとえ東西から攻め込まれても、ウラル~バイカル湖の広大な国土で、政権を樹立し続けたでしょう。
内紛は、あったでしょうが・・・

だから、ドイツ軍がモスクワをとっても、日本軍がバイカル湖まで来ても、絶対に無条件降伏はないでしょう。
アメリカからの援助物資が、大幅に減ったでしょうが・・・

ドイツ軍と、日本軍がインドで握手なんて、夢物語です。
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>>◇第二次世界大戦で日本がドイツとともに、ソ連を挟撃してれば


   ソ連は無条件降伏してましたか?

それは、「ない」と思います。
ソ連が、相当、苦労したことは、想像に難くないですが・・・。

昭和16年(1941)年6月22日、ドイツ軍は、「独ソ不可侵条約」を破って、突然、ソ連に侵攻を開始しました。
日本は、「これは、ソ連を叩く好機」とばかりに、、関東軍特殊大演習を実行し、満洲に70万もの大野戦軍を集めましたが、結局、極東ソ連軍と干戈を交えることはしませんでした。
当時、日本には、北に向かってソ連と戦う「北進論」と、南に下って欧米の植民地を奪い、石油などを獲得する「南進論」が議論されていました。
結果、「南進論」に決まり、日本は、東南アジア各地に進軍しました。
ソ連は、言わば、虎口を逃れたのです。
戦後、ソ連軍の将軍は、「もし、あの時、関東軍がシベリアに侵攻していたら、われわれは、なすすべがなかった・・・」と述懐しています。
なお、日本に北進の気がないことは、「ゾルゲ事件」で逮捕・処刑されたソ連のスパイ、R・ゾルゲがモスクワに知らせており、この極めて重要な情報が、スターリンの戦略に大きな影響を与えたようです。

付け加えますと、昭和14年(1939)の5月から始まった「ノモンハン事変」の痛手は、「北進論」の歯止めになったようですが、日本は、あの戦いの評価を誤っていました。
表向きは兎も角、内心では、「われわれは、大敗北した」と思っていたようです。
しかし、戦後も大分経ってから明らかになったことは、極東ソ連軍も、関東軍とほぼ同じほどの被害を出していたということです。
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独ソ戦が始まったとき、当然日本国内でも陸軍内でも対ソ参戦すべきだという声はあがりました。

だから、関東軍特殊演習、世間では「関特演」の名で知られる開戦準備を進めました。結局開戦しなかったのは、対米情勢などのほうが切迫した状況で、「もしアメリカと戦争になることを考えたら、ソ連とも戦争をしたら前門の虎後門の狼で詰んでしまう」となったからです。

ただ、現実的には対ソ開戦は非常に困難だったと思います。まず極東ソ連軍と関東軍を比較すると、既に兵員数ですら極東ソ連軍に劣っていました。さらに航空機、戦車となると比較することさえ嫌になるほどで、さらに火力の差となったら考えることさえ嫌になるほどの差がついていたのです。特に火力、すなわち戦車や大砲の性能や数はもうどうにもならなかったのです。
さらに、関東軍にはノモンハン事変というトラウマがありました。ノモンハン事変は表向きは日本側の勝利、あるいは引き分けということになっていますが、陸軍の捉え方としては「全滅」です。

また、スターリンも日本が対ソ戦に参戦して挟撃されることを恐れていたようです。なので、極東ソ連軍をヨーロッパに回送するのは1941年時点ではかなり限定的にしていました。日米開戦を受けて、対ソ参戦はないと安心して極東ソ連軍を独ソ戦へ投入しました。

日本軍の補給能力を考えると、仮に対ソ参戦してもウラジオストックを占領するのが関の山だったんじゃないかと思います。独ソ戦への影響ですが、モスクワが陥落したかもしれませんが、テレビゲームではないので、モスクワを占領すればソ連の敗北が決まるとなったわけではないし、一時的にモスクワを占領できても占領を維持するのは困難だったと思います。
というのも、1941年冬にソ連軍は冬将軍の力を借りて反撃に出るのですが、この反撃でドイツ軍の中央軍集団は崩壊の危機に陥るんですね。これを救ったのは、意外にもヒトラーの死守命令(このときの死守命令の成功があのスターリングラードの敗北の一因となったのは皮肉でしょう)と、スターリンが焦って翌1942年春に全軍で反撃したためです。1942年春のソ連軍反撃の失敗でドイツ軍は青作戦をすることになったわけですが、ソ連軍がもっとモスクワ周辺で苦戦していたらソ連軍の反撃はモスクワ周辺の限定的なもので終了した可能性はあり、そうなればむしろドイツ軍のほうが苦戦を免れなかったと思います。
だから、これこそ歴史のIFですが、もしかしたら対ソ参戦とモスクワの(一時的な)陥落が、むしろ第二次大戦を早く終結させたかもしれません。しかも、連合国側の勝利で。いやこの場合は第二戦線がないので、赤軍大勝利かな・笑?
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それでもスターリンは降伏せずに戦争を続けたと思いますよ。


なぜなら、ナポレオンに率いられたフランス軍がモスクワを落とした時でも、ロシアは焦土作戦などを駆使して逆転勝利を引き出しましたから。
https://ja.wikipedia.org/wiki/1812%E5%B9%B4%E3%8 …
また、日本にとっては延べ三年間続いたシベリア出兵が結局のところ徒労でしかなかったことも大きかったと思います。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%99 …
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まず第一に、第二次大戦でのロシアにおける極東の意味とは、アメリカからのレンドリース(武器支援)をウラジオストックで受け取りヨーロッパ戦線に武器を供給することです。

そのルートが日本の対米開戦で失われた以降は、日本がソ連に敵対しようがしまいシベリア東部などソ連にとって大きな意味はありません。
日本がちょっかい出せるエリアに、ソ連の継戦能力に影響をあたえることができる戦略目標は無いと思われます。
よって満蒙国境の主力部隊は結局ヨーロッパ戦線に引き抜かれていたでしょう。
モスクワが危機に陥ったための戦力抽出と思われがちですが、それ以前に極東に戦略的価値がなくなった故の戦力抽出です。

次にモスクワ陥落があったとしても、スターリンはまず戦争を諦めないでしょう。
すでに工場のウラル地方への疎開が行われていたので、どう見てもモスクワ陥落後をみてスターリンは戦っています。
ドイツがまかりまちがえばモスクワを攻略し、鉄道線沿いにカスピ海まで制圧したとしても、まだまだソ連は戦闘を続けるでしょう。

ドイツは戦略的な理由より思想的な理由で戦争をはじめてますので、ソ連の妥協できる範囲とドイツの妥協できる範囲は程遠く講和も見込めませんし、結局ドイツの勝利の見込みははじめからなかったと思います。
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無条件降伏したかどうかは分かりませんが「独ソ戦への貢献」にあるようにモスクワは陥落した可能性は高いと思います。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%92% …
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ドイツがキエフへ向かわず、直接モスクワにいけば、落ちたという説があるそうです。




ヒトラーが参謀の作戦に反対したとか。


日本の側はモスクワからかなり遠くてただし、分散にはなるでしょうね。
日本はアメリカやアジアの南へ戦線伸ばしていてそれがソ連にとなるとかなり違う作戦ですが。
その作戦が可能だったかは不明です。


ただ、ドイツも結構早く劣勢になっていったので、機会があったかわかりませんが。
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