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ア)形容動詞を品詞の一つとして認めず、体言に助動詞などが接続したものとして扱う説があるそうです。この説は形容動詞を認めると何か不都合があると主張しているのですか。それとも形容動詞を認めなくても説明の付かない現象はないから認めまいと主張しているのですか。前者のとき、不都合な例を幾つか挙げて頂けますか。
 なお、形容動詞を認めると同じ単語が用法によって名詞になったり形容動詞の語幹になったりする(煩わしさがある)のは承知しています。

イ)形容動詞を品詞の一つとして認めず、形容詞の一つとして扱う学説があります。この説は形容動詞を認めると何か不都合があると主張しているのですか。それとも形容動詞を認めなくても説明の付かない現象はないから認めまいと主張しているのですか。前者のとき、不都合な例を幾つか挙げて頂けますか。
 なお、この説は母国語に形容動詞がない外国人が日本語を学ぶ際には有効な気がしています。

ウ)形容動詞を品詞の一つとして認めるか否かは議論があるのだと推測しています。文法の歴史を省みるとき、形容動詞の認知度は拡大しつつあるのですか、縮小しつつあるのですか。縮小しつつあるとき、ア)が有力なのですか、イ)が有力なのですか、何れでもないのですか。

宜しくお願いします。

A 回答 (3件)

何かと制約の多いこういったサイトでは説明しきれませんので、


阪倉篤義著「改稿日本文法の話」(昭和60年4月第2版、教育出版)をご紹介します。
 九、単語の種類
  (5)形容動詞
    形容動詞を肯定する立場
    形容動詞を否定する立場
    やはり認めておきたい
    なぜ形容動詞という品詞をたてるか
    問題はまだ残っている
    用言
上記の部分が質問者様の疑問にある程度答えてくれると思います。啓蒙的でわかりやすい本ですし、公立の図書館でも手に入ると思います。ご一読をお勧めします。

また、たとえば
「講座日本語の文法3 品詞各論」(昭和42年10月、明治書院)
などは、やや古く、入手が困難かもしれませんが、形容動詞についての研究史がうまくまとめてあります。これもご一読をお勧めします。

なお「ナ形容詞」といった名称は意外に古く、三尾砂「話しことばの文法」(昭和17年刊、昭和33年改訂版刊)に見られるようです。こんなことも「講座日本語の文法3 品詞各論」には書いてあります。
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この回答へのお礼

手頃と思われる書籍を推薦して下さいまして有り難うございます。
阪倉篤義著「改稿日本文法の話」は市場に流通しているそうですし、
三尾 砂著「話しことばの文法」は復刻版があって隣の市の図書館にあるとのことですし、
「講座日本語の文法3 品詞各論」も急ぐ話ではないので、心掛けておけば何処かで閲覧できると思います。

読んだ後でないと実のあるお礼は言えない筈ですが、今日明日という短期間で入手するわけにはいかないので先回りをしてお礼を述べてしまいます。有り難うございました。
その後、時枝誠記著「日本文法 口語篇」(岩波全書)の「いはゆる形容動詞の取扱ひ方」の節を通読しておきました。ここに橋本進吉博士の主張も顔を出していて予備知識になりました。

頂いたお二人のご回答で十分だと思いますので4月1日、24時以前に何方からも新たな寄稿がないときは質問人の都合のよいときに締め切ることにします。
お世話になり感謝しています。またの機会にも宜しくお願いします。

お礼日時:2007/03/30 21:32

No.1(こう書くと「top」と間違われそうですね(^.^))です。


 このサイトでは、一旦見送るとずっと以前の物になってしまうので、再び見つけるのは難しくなりますね。一度でも開くとタイトルの色が変わって見つけやすいのですが。
 さて、ここのカテゴリーも「国語」となっていますが、特に「日本語」という人は最近増えて、「国文法」か「日本語文法」かで考えが分かれるような気もします。いわゆる「日本語教師」が外国人に「日本語」を教えるために派遣されています。この前、日本語教師として勤めている若い人が、あるサイトに書いていました。その若者は「日本語文法」などの講義を受けて資格を取り、外国に赴いたのですが、その勤務先の国には元高校の国語科教師がいて、(当然その元教師は日本語教育のベテランだと思っていたはずです)「否定形」という言葉を口にしたら、「『未然形』でしょう」と言われ、話が合わなくて困ったという内容でした。
 「日本語文法」には、こうした「日本語教師」用に書かれたものもあります。わたしが購入した本も、どうやらその「資格検定」向きの本だったようです。安くてページ数も少ないので買ったのですが、読んでいる内に「なに、これ?」と驚きました。「格」について書いてあるのが、英語の人称代名詞に出てくる「I、My、Me」(主格・所有格・目的格)のようにチャチなものでなく、何とラテン語の「格」を例に挙げ丁寧に書いてあるのです。本来の「格」はこんなにあったのかという、勉強にはなりましたが、日本語の名詞・代名詞には「格変化」は存在しません。あるのは「格助詞」を付けることで「格」として存在しうるのです。
 このような本もありますが、「学校文法」を修正したり、新しい「説」を立てたりした「新国文法」と言ってもいい、「日本語文法」の本もあるようです。今のところ、どの本がお薦めかは分かりませんが、取り敢えず、次のサイトをご覧ください。(まだ未完成のようです)現時点での「日本語文法」の一つの方向性が分かります。

参考URL:http://www.geocities.jp/niwasaburoo/shuyoumokuji …

この回答への補足

問い合わせではありませんが字数制限1000字では、お礼が尽くせないのでここに書きます。
サイトをご紹介を下さって有り難うございます。
1試みに、目次から「21.3 ナ形容詞と名詞述語の活用」(http://www.geocities.jp/niwasaburoo/21katuyou.ht …)を選び、通覧してみました。ここでは9つの活用形があると述べているように読み取れます。一方、「独りで学べる日本語文法」(凡人社、前出)では6つの活用形があると述べているように読み取れます。こんな基本事項ですら説明が一致しないのでは細部は推して知るべしで、品詞としての形容動詞を認めることに、仮にどんな不都合があろうと「ナ形容詞」を導入することによっては解決できないだろうと判断します。研究が緒に就いたばかりなのでしょうか、専門家はいざしらず、ただの一般人が近寄る世界ではないように思いました。
そういえば(いまさら気づくのも愚かですが)「イ形容詞」だの「ナ形容詞」だのと表示した国語辞典も未だ見たことがありません。詰まりは学問として一段落すら着いていない段階なのかな、と考えます。質問文のイ)は普段から些かなりと文法に関心をもつ事情通からは出てこない疑問なのだろう、これが今の時点での感想でイ)の疑問は解決した気分です。

2その後、ANo.1のお礼の欄に記した通り、名詞の定義がどうなっているのかがはっきりしたので時枝文法の主張も理解でき、ア)の両派の論点を認識できました(他にも隠れた論点があるのかもしれませんが)。個々の具体例についてしか形容動詞の語幹か名詞かを述べられない形容動詞容認派よりは、用法に関わらず名詞だと断定できる形容動詞否認派の方に、今の時点では親近感をもちます。当否はともかく根拠を挙げて自分の意見をもてるようになったので、すっきりしました。何れの説にも収斂しないのは双方に相当の理由があるからだと納得できました。

3ア)の形容動詞認知派と否認派は、がっぷり四つで増減なし。イ)の「イ形容詞、ナ形容詞」導入派は黎明期で活用形の数すら定説がないので勢力ゼロ。こう考えると、ウ)の質問に関しては拡大、縮小ともに無し、といったところでしょうか。この判断は自己流で怪しいですが、自分なりの推測がついたのでウ)も解決した気分です。

4十分ではないですが、お蔭様で質問をする以前よりは自分の見解がもてるようになりました。質問をしてよかったです。

お世話になりました。
(ご回答は大いに役立ちましたが、土、日になれば回答をしてやろうという方が居られるかもしれませんので、最短でも4月1日(日)の24時までは締め切らないことにします。悪しからず。)

補足日時:2007/03/28 22:08
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 この質問に回答が付かないのには、理由があります。

まずさまざまな文法論の知識があることが前提になり、大学の国語学の教授くらいでなければうまく回答できないと思われるからです。わたしにはそういう能力はありません。しかし、それにもかかわらず、こうした回答が付かない難問には、大いに関心をもつという好奇心があり、そのため見当違いの回答をしては恥をかいたりしています。

 日本語の文法に本格的に手を付け始めた国学者たちは、他国の文法をあまり気にせず(と言うより知らなかった)、部分的に文法論を展開してきましたが、残念ながら「文法体系」を確立するには至りませんでした。しかし、これらには今でも参考になる優れた理論が残されています。
 近代になり、西洋の言語学・文法論が入ってくると、それを参考にして「文法体系」を確立しようという試みが行われるようになり、飛躍的に研究が進みました。その一部として「品詞」を考えると、「名詞」「代名詞」「動詞」「形容詞」「副詞」「助動詞」(実は英語などでいう「助動詞」とは性質が異なるが)「接続詞」「感動詞」は日本語にもあるが「助詞」という特別の品詞が存在することが分かりました。この助詞については国学者(及びそれ以前の研究者)が「て・に・を・は」として指摘していたのです。
 また、これも国学者が指摘した「活用」と呼ぶ一種の「語尾変化」のようなものが「動詞・「形容詞」に存在し、「助動詞」にも存在することが分かりました。その活用を考えた時、いわゆる「連体修飾語」が「形容詞」中心と思われていたのに、活用しない「連体修飾語」があるのに気がつき、「連体詞」という品詞を置く必要に気づきました。これで「名詞・代名詞」「動詞」「形容詞」「副詞」「連体詞」「接続詞」「感動詞」(これらを国学者は「詞」=今の自立語と呼びました)「助動詞」「助詞」(辞=今の付属語)など、一応の品詞が出そろいました。しかし、肝心の「形容動詞」はまだ出てきません。実はその話に行く前に述べておかければならないことがあります。それは、近代になって優れた文法体系を築き、○○文法と称される研究者、例えば「山田文法」「松下文法」「大槻文法」「橋本文法」「時枝文法」などはいずれも「古典文法」(いわゆる文語文法)と「現代語文法」(いわゆる口語文法)との間には整合性がなければならぬという、考えが存在します。なぜなら、それは日本語の歴史と共に変遷してきたからということです。そこで「形容動詞」の登場です。橋本文法などでは、「静かなり」「堂々たり」は古語ですが、「静かに+あり」「堂々と+あり」から出てきたから、語の働きは「形容詞」であるが、活用は当然「あり」から来た「動詞型」の活用をするから、二つ合わせて「形容動詞」を立てたわけです。この考えは文法論者の中では少数派ですが、ご存じのとおり、「教科書文法」に反映され、われわれも「形容動詞」を習ってきました。しかし、現代語ともなると、「だろ、だっ・で・に、だ、な、なら」という活用語尾の、どこが動詞的かということになりますが、しかし、それとは別に「静かだ」「立派だ」と「学生だ」との間には確かに違いがあり、(例えば「学生」には多くの助詞を付けられるが、「静か」「立派」はそうはいかない。また「静かだ」・「立派だ」には「非常に」という「連用修飾語」が付けられるが、「非常に学生だ」とは言えない)「形容動詞」の存在もうなずけるところがあります。
 しかし、一方で「形容動詞」の存在を認めない「時枝文法」では「名詞+だ」とし、「山田文法」では「体言+存在詞の『だ』」とし、古語の「静かなり」は副詞「静かに」に存在詞「あり」が、「堂々たり」は同様に副詞「堂々と」に存在詞「あり」が熟合したものと説く。「大槻文法」「松下文法」では「形容動詞」を認めています。
 
 本来の質問に答える前に「形容動詞」についてまとめてみました。しかし、それは「こんなに簡単にまとめていいのか?」といわれそうなくらい、お粗末なものです。
 まず
イ)から、「イ形容詞」と「ナ形容詞」の二つを「形容詞」と考える。これは「古語」の問題を持ち込まない、すっきりした説明です。しかし、「形容動詞」を認める立場からすれば、「イ形容詞」は「形容詞」で「ナ形容詞」は「形容動詞」と言うでしょう。問題は「連体修飾語」として使用する場合は「静かな場所」となるから「静かな」は「ナ形容詞」で説明可能です。しかし述語となる「この家は静かだ」となり、この「静かだ」をどう説明するのでしょう。多分このように形容詞を二つに分ける考えを採る人は「だ」というような「助動詞」の存在を否定していると思います。
 そして、文を
1、名詞文 人間は動物だ(である)。
2、動詞文 犬が歩く。
3、形容詞文 花は美しい。
 のように分けるでしょう。その時、「静かだ」「静かな」は「形容詞」の変化形と説明するか、「静か」を名詞と考え、後に付いた「だ」を「ダ文」と説明するか、(たしか「ノダ文」というのを見かけました)結局は勉強不足でよく分かりません。(お手上げ)
質問ア)については、「形容動詞」を認めると何か不都合があるかということは、「形容動詞」を認めないと何か不都合があるか、の裏返しになり、わざわざ「形容動詞」を認めた方に説明責任があります。「静かだ」の「静か」に沢山の助詞は付けられない。「静かを感じる」は不可。また、「静か」という語幹は独自の役割を果たす。「ああ、静か」。「静かだ」の前に「非常に」というような「連用修飾語」が置ける。「非常に静かだ」これらは橋本文法(学校文法)の主張です。
 これに対する「時枝文法」の考え。「静か」という名詞に「だ」という助動詞が付いたもので、二回過程に分かれると説明します。(言語過程説を読んでみないと理解しがたいですね。)「学校だ」という語句の前に「連用修飾語」が付かないという説に対して、「明日から、学校だ」という例を挙げ、付かないわけではないと言う。

質問ウ)については、答える能力や資料がありません。出版される学者の専門的な書物の数から言えば、「形容動詞」否定派が多いように思いますが、学校で教える文法では相変わらず「形容動詞」が存在しています。
 
 大変、頼りない内容ですが、他の人の回答が出るきっかけにねれば、幸いです。

この回答への補足

前略、以下はご回答への問い合わせではなく実態は、お礼ですが長くなるのでここに記します。

1 この質問への直接の回答へ入る前の国文法界のガイダンスが、とても参考になりした。門外漢には口語の文法、即ち中学生時の文法のため、学校文法を実態よりは神格化して捉えていたらしいことに気づきました。今後は諸々の説を従来に比し、受け容れ易くなるかもしれません。

2 イ)についての、ご回答に関して。(「ナ形容詞」と「静かだ」、「静かな」について)
「ナ形容詞」容認派も更に細分化されて諸説あるのかもしれませんが、偶然、町内の図書館にあった書籍の記事を記します。この書籍の学会内での位置づけや評価など予備知識は一切ありません。
東中川かほる・東雲祐子著「独りで学べる日本語文法」(凡人社)、P50の記述。
「ナ形容詞」は次のように活用すると考えます。
語形   語幹   基本形   だの形  て形   ばの形     ない形      た形
静かだ  静か  -な     -だ    -で   -ならば    -ではない   だった
            静かな村  静かだ  静かで 静かならば   静かではない 静かだった

この記述から「静かだ」は「ナ形容詞『静か』の『だの形』」である、「静かな」は「ナ形容詞『静か』の『基本形』」である、こんな表現をするのかなと思います。この書籍では「静かだ」の「だ」を切り離して「だ」の品詞は何かといった議論はしない気がしますが、この点は著作者に尋ねないと判りません。もちろん、「人間は動物だ」といったときの「だ」については論じています。

3 ア)についての、ご回答に関して
時枝文法には分かり難い所がありました。そもそも私には「静か」を名詞だとは認め難いです。「静か」を主語にした短文を作れないからです(作れるのかなぁ?)。もしも、「静か」を主語とする短文を作れなくて、しかも名詞だとすると名詞とは何ぞや、という話に飛び火をしてしまいます。

4 ウ)についての、ご回答に関して
私ごとき人間が「イ形容詞」だの「ナ形容詞」だのという言葉を知ったのは「形容動詞」否定派の書物が増えた証左だと思います。

5 文法を先に定めたエスペラントやコンピュータ言語と違って、自然発生した言語に文法の網を被せるのは至難な事だと納得しています。その割にはどの説も上手く理論化出来たものだと思っています。

6 印象だけで言うと国文法は欧文の文法に比して、あまり例外ということを言わない気がします。もっと遠慮なく例外を連発した方が、すっきりした文法になる気がするのは横着者の発想なのでしょうか。

門外漢の何気ない質問に正面から、お応え下さって恐縮しています。有り難うございました。またの機会にも宜しくお願いします。

今後、ご回答下さる皆さんへ
回答を咀嚼するには調べ事を要する可能性大ですので、お礼は遅れるかもしれません。勝手ながら悪しからず。

補足日時:2007/03/27 03:17
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この回答へのお礼

順序が逆転しましたが、以下は補足の欄へ投稿した後に書いています。
補足の欄の「3 ア)についての、ご回答に関して」の「時枝文法には分かり難い所がありました」以下を撤回します。「静かだ」=名詞「静か」+「だ」との解釈は理解できます。名詞の条件として主語になれることを含めるのは一部の辞典に過ぎないことを確認しました。
名詞の条件として主語になれることを含める辞典では「静か」を「形容動詞」としているし、「静か」を「名詞」としている辞典では名詞の定義として主語になれるか否かは述べていないので、どちらも論理に矛盾は無くどちらも「静か」が主語になれないことは承知のようで、これには私も賛同できます。時枝文法にも、この点で分かり難い所はありません。
実は昨晩、補足の欄への記事を書いているときに名詞の定義が統一されているのか否か疑問があったのですが、何らかのお礼を急がなければならないという気持ちがあって調べが不十分なまま、投稿してしまいました。お詫びします。

お礼日時:2007/03/27 12:09

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