ラブレー・モンテスキューの思想について、痴呆症について至急教えてください。

A 回答 (4件)

<ラブレー>


ラブレーの『ガルガンチュア物語』における思想でよろしければ・・・
1,笑うことが人間の特性である。
2,最も大切なのは人生であり、科学はその次である。
3,役立つことを学び、欲するところを行え。
4,知識への渇望
5,カトリック教会の強震・強欲への反感
6,ユマニスムの分裂からカルヴァン派への罵倒
7,歪められたものへの哄笑と歪めるものへの抗議
8,真実探求のための懐疑主義

<モンテスキュー>
モンテスキューは17~18Cの人ですが、モンテーニュらと同じモラリスト的思考をしています。『ペルシャ人の手紙』(1721)は当時流行した「外国人の目から見たフランス像」という形式で書かれていて、18世紀フランスの腐敗した社会を鋭く、軽妙に批判しています。有名な「法の精神」では各国の政治形態をその国の風土と関連づけて紹介し、それぞれを相対的に示すことで政治的自由と寛容を述べています。当時絶対王政であったフランスを相対的な考え方で啓蒙しました。

痴呆症については知りません・・・
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こういう時、こんなサイトをお薦めしています。

参考までに。

参考URL:http://webcat.nacsis.ac.jp/
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Rabelais といえばGargantuaですねえ。

大好きです。いやそれだけなんですが。
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 フランソワ・ラブレーについては、



ミハイル・バフチン著 川端香男里訳
『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネサンスの民衆文化』 せりか書房

という本が、僕の知る限りではもっとも参考になります。
 かなり分厚く、高価な本ですので、図書館で探すことをお勧めします。
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Q政治思想(ロックやモンテスキュー、ルソーなど)についてです

政治思想についてです。

大学で「17世紀~19世紀にかけての自由主義・民主主義の思想的展開について説明せよ。」という課題が出されました。
ロック→モンテスキュー→ルソー→コンスタン→トクヴィル→JSミルの

流れで書いていけばいいと言われたのですが、なかなかうまくまとめられません;;
どのように書けばいいか、どのようにまとめればいいかなどアドバイスをください。また、これだけは触れといたほうがよいという事柄ありましたら、教えてください。
どなたかお願いします。

Aベストアンサー

大学の課題ということなので、私が上記の課題を出されたら行うであろうアプローチの仕方を参考までに述べてみます。

まずは、字数制限を意識して、それぞれの重要度も考慮に入れながら、文字数を割り振っていきます。
例えば、字数制限2000字だったとしたら、ロックは重要だから600文字、コンスタンはさらっと流せばいいので300文字位にしようと個々人それぞれに字数制限を設けます。

次に、彼らが何を言いたかったのかを端的に箇条書きにしてみます。
例えば、ジョン・ロックであれば
・王権神授説の否定
・公権力よりも個人の自由が優先される
・人は平等に生命、財産所有、(公権力からの)自由を有する
,,,etc

などなど。
これらの情報は、ネットでも良いのですが、間違っている情報なども多く、素人には判断できませんので、なるべく使わないようにします。
私が一番参考にしたのは、高校の「倫理」や「世界史」の教科書・参考書・用語集なんかですね。
これらの本は、最低限の情報は載っていますので、これをまとめるだけでも、単位がもらえる可能性があります。
但し、先生によっては高校教科書に批判的であったり、自分が授業で教えた説でないといけないなんて先生もいますので、そこら辺はチェックしておきましょう。

次に、参考書などを遣って箇条書きしたモノと授業中のノートを使ってってある程度方向性を決めていきます。
方向性が出来たら、後は一気に書いてみます。
そして、最初に決めた字数前後10文字文くらいになるように推敲していきます。
この作業をモンテスキューやルソーなどについても個々別々に行います。
そして、それぞれの関係性や歴史的背景などを意識しながら、文章をつなげていきます。
最後に字数制限や無駄な文章を削減していきながら調整し仕上げます。
文章は「短い文書を長くする」よりも「長い文章を短くする」方が楽ですので、個々それぞれの時は字数制限を少し超す位の意識で書く方が良いと思います。

とまぁ、まずは個々人の思想についてまとめ、次にそれを上手くつなげていくというアプローチをよく使っています。

ではでは、参考になれば幸いです。

大学の課題ということなので、私が上記の課題を出されたら行うであろうアプローチの仕方を参考までに述べてみます。

まずは、字数制限を意識して、それぞれの重要度も考慮に入れながら、文字数を割り振っていきます。
例えば、字数制限2000字だったとしたら、ロックは重要だから600文字、コンスタンはさらっと流せばいいので300文字位にしようと個々人それぞれに字数制限を設けます。

次に、彼らが何を言いたかったのかを端的に箇条書きにしてみます。
例えば、ジョン・ロックであれば
・王権神授説の否...続きを読む

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私は西洋哲学(主に分析哲学)や仏教哲学(インド・チベット中観思想、唯識思想、日本仏教思想、西田哲学)に興味を持っており、その両者を比較して研究することにも関心があります。
そこで次の2点について質問します。
1比較思想を行っている有名な学者さんはどのような方がいらっしゃるでしょうか?
2また比較思想の学科を置いている大学はどのようなところがあるでしょうか
何卒、ご回答よろしくお願いします。

Aベストアンサー

参考意見です。
 最初に注意しておきたいのは、安易に比較研究をしようとすると多くは薄っぺらな結果しか出てきません。これを行えるのは、実力のある学者か、天才だけです。
 とはいえ、普通の東洋思想の研究者は、西洋思想の中の自らの研究領域に似ている分野に関する知識は最低限もっています。現代は西洋人の研究者と交流することが多いので、東洋思想だけやって、西洋思想は知らないでは済まされない時代になっているからであり、なにより比較によってその思想が鮮明になるからです。
 例えば、唯識を学ぶのであればカント哲学のあたりは当然勉強していますし、道教を研究するならばキリスト教の知識は必須です(そして道教とキリスト教は驚くほど似ていることがわかる)。
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Q空海の思想は、梵我一如思想と一線を画していたのでしょうか

私は秋月龍珉氏の「誤解された仏教」を先日読了しました。
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空海自身の思想は、梵我一如思想から一線を画していたとは、どういうことでしょうか?私は空海思想がよくわらないので、どなたか教えていただけないでしょうか。よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

このご質問に正確にお答えできるのは、仏教思想の専門の方がふさわしいように思います。
素人の私の感想になりますが・・・

mmkyさんが簡潔におっしゃられているように、空海という人物は桁外れの天才だったのでしょう。
最澄という学問肌の天才とはまた違って、実修を重んじ、実証さえ示す事のできた稀有の天才だったようです。

仏教思想の極至とも言われるその教えが、広く一般に受け入れられてこなかったのには、事相とも言われる実修面での複雑さが影響しているように思われます。
また、教相とも言われる教理面においても、あくまで実修を通してのみ確かな理解が可能のようにも思えます。
一般人が近ずけるのは、実証であるところの現世利益の面に限られてきてしまったように思えます。
学者からの目においても、遠巻きに論じられてきた感があります。
>空海の思想・・・云々・・・と言っても、果たしてそれが正鵠を射たものなのかどうか、疑問があります。
遠巻きの論評を参考にして、空海の思想の本質を探る事には無理があるのではないでしょうか(失礼ながら・・・)

少し大げさな表現かもしれませんが・・・
釈迦と空海は仏教史においての超弩級的な存在のようにも思えます。
空海の般若心経秘鍵に書かれていますが
釈迦が祇園精舎において、天人や菩薩に対して般若菩薩の印、真言、曼荼羅の法を説いたとあります。
これは釈迦が在世中に、既に密教の法を説いたという事にもなってしまいます。
この表現に対して仏教学者は一言も解釈をしていません。
解釈のしようが無いのでしょう、下手な解釈を下せば仏教思想の上で大変な事になってしまうからです。
空海が釈迦に等しい境地を得たことを現したもののようには思いますが
言い切ったところが凄いと思います。

この事一つをとってみても、空海の思想というものは
論評するのは自由だとしても、確かな解釈を下しずらいものだと思います。
しかし、その思想の本質の核そのものについては、一般人でも受け入れられる面があるようにも思えます。

加とは如来の大悲をいう
持とは衆生の信心をいう

空海の教えはこの言葉に尽きているとも言われます。
如来の大慈悲心を信じるという事ならば、我々一般人でも受け入れ易い教えになります。
加持というものを、ある方はこのように分かり易く言われたのを覚えています。
・・・真心で祈る・・・と
仏の大慈悲心を信じて、純粋な気持ちで祈るという事なのでしょう。

学ぶだけではなくて、祈る、というところに空海、お大師様の教えの本領があると思います。
そのあたりの事を念頭において学ばれる事をお勧めいたします。
ご参考になれば幸いです。

このご質問に正確にお答えできるのは、仏教思想の専門の方がふさわしいように思います。
素人の私の感想になりますが・・・

mmkyさんが簡潔におっしゃられているように、空海という人物は桁外れの天才だったのでしょう。
最澄という学問肌の天才とはまた違って、実修を重んじ、実証さえ示す事のできた稀有の天才だったようです。

仏教思想の極至とも言われるその教えが、広く一般に受け入れられてこなかったのには、事相とも言われる実修面での複雑さが影響しているように思われます。
また、教相とも言...続きを読む

Q「すべては手に入らない」という意味の思想・熟語を教えてください。

本来は
仏教カテゴリで質問したかったのですが、見つからなかったので哲学カテゴリで質問させていただきます。国語カテゴリが適切なのかもしれませんが。

仏教ですとたとえば、「諸行無常」=「あらゆるものは移り変わり常に同じ状態であるものなどない」
といった意味の熟語?がありますが、
「すべては手に入らない」という意味の思想・熟語はあるのでしょうか?

私のイメージしているのは、「二股に分かれた道があるときに、右を選べば左は選べない、左を選べば右は選べない、両方の可能性や結果を得ることはできない。」というものです。
つきつめると、「何かを得るには、何かを失わなければならない」(右の道を選ぶには左の道の可能性を失わなければならない)という感じでしょうか。

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

量によって解決できると書きましたが

なかなか解決できないから
問題になるわけです。。、

すべては手に入らないから選択するんです。。。

Q現代思想 理性・精神の重視と感性・身体の復権について

本に書いてあった対立軸についてよくわかりません。
1 理性・精神を重視→神に代わって人間の理性が世界を支配する(例)迷信・不合理の追放、化学・技術の進歩、民主主義の発展。

2 感性・身体の復権→理性重視の近代精神が現代のの混迷をもたらした(例)科学の暴走への危惧、地球環境の破壊、精神的荒廃、孤独。

1と2が対立しているとのことです。どのような点で対立しているのかいまいちわかりません。わかる方ご教示ください。

Aベストアンサー

 対立しているといえばしているようにも見えますが。

 これに1つのプロセスを補って、3つのレベルで説いてみようと思います。

 前近代-宗教・伝統・共同体的価値が支配的な時代
 近代-理性的・科学的価値が支配的な時代
 後期近代-近代的価値が生んだ腐敗を清算する時代

 いささか単純すぎる図式ではありますが…一応あなたの書物の図式にあてはまるものです。

 近代期(通例はフランス革命以後)は、人権などの近代的価値が生まれ、民主主義という普遍的?政治制度が
発展する一方、同時に産業革命以降に資本主義が都市化と産業化とともに進展してきた時代を指しています。もちろん同時に社会主義や独裁などとの対立が激化していった過程でもありましたね。この時代の価値は、前近代的価値を否定して生まれたものといわれます。ウェーバー流には、「脱魔術化」すなわち伝統的価値や宗教的価値を否定し、人間を合理化していく過程です。

 感性・身体の復権というのがいまいちこれだけのヒントでは理解しかねますが、あげられている例を見ますと、この近代の合理化が実は精神的荒廃を招いてきたということです。とりわけ地球環境の破壊というのは、人間が合理化することの帰結を把握していなかったということです。
 たとえば、日本は高度成長期において、大規模な開発を行いました。結果、生み出したものは公害問題という人間自身に害をもたらすものでした。地球環境問題・核の恐怖、貧困(エイズなども関連)などはグローバルな問題とされ、地球そのもののの存続を危ぶむものとして懸念されはじめたのは、それほど昔ではありません。せいぜい1960年代以降ぐらいではないでしょうか。
 科学の暴走への危惧とは、20世紀前半からの核への恐怖、軍事力の増大、世界戦争の勃発などがおもなものでしょう。これらは明らかに近代になって、ひどくなった現象です。昔にも戦争はありましたが、これほどの動員体制と規模を大きなものは過去に例はありません。戦争の産業化(ギデンズ)は、間違いなく近代の産物です。
 孤独とは難しいですが、実は「孤独」って近代的現象じゃないの?っていう話はあります。それはなぜか。第1に、共同体的関係がたしかに薄れているからです。この手の議論は、実は100年も200年もやっているので怪しいところはあるのですが(笑)、日本でいえば、核家族化や産業化に伴う流動性の高まり(つまり人があちこち移動する)によって、人間は従来の共同体的紐帯(つながり)を失いつつあるのです。
 第2に、先の言葉でいう「脱魔術化」すなわち、宗教的価値・伝統的価値の否定は、人間の心のよりどころを失うこととなりました。現代では、より自分実現が啓蒙され、自己責任が問われるようになりました。それは、システムとしての個人主義の確立と進展です。結果、人は、原子としての「個人」として置かれるようになっているのです(実際は違うのだが)。
 近代の成熟期のなかで、後期近代が出現する。すなわち、近代の負の遺産に対して、とりわけ20世紀後半以降に見直しが進められているということですが、それをこの著者は「感性・身体の復権」として考えているのです。
 感性とはおそらく平和・人権・民主主義などの普遍的な価値が再度問われる時代へ移っているということでしょう。身体は、これだけの情報量ではいいかねます。
 
 補足:ただ今は、近代の反省性(A・ギデンズ)という議論が個人的には説得的だと思います。近代と後期近代に連続性があるか、ないかというのはかつての焦点でした。つまり、近代とポストモダン(後期近代)は違うのかどうか。

 対立しているといえばしているようにも見えますが。

 これに1つのプロセスを補って、3つのレベルで説いてみようと思います。

 前近代-宗教・伝統・共同体的価値が支配的な時代
 近代-理性的・科学的価値が支配的な時代
 後期近代-近代的価値が生んだ腐敗を清算する時代

 いささか単純すぎる図式ではありますが…一応あなたの書物の図式にあてはまるものです。

 近代期(通例はフランス革命以後)は、人権などの近代的価値が生まれ、民主主義という普遍的?政治制度が
発展する一方、同...続きを読む


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