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A 回答 (3件)
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No.3
- 回答日時:
線の引き方に補足ですが、マルクスまでが近代思想で、20世紀の各種のマルクス主義は現代思想だと思います。
ソ連型マルクス主義は単純化・平板化・俗流化によって、ナチズムに比すべき動員力を持った、というのは大衆社会現象だと思います。毛沢東主義は、中国内では紅衛兵を動員し、国外では暴力革命を呼号する勢力の思想として影響力を持ちましたが、構造主義や実存主義と接点があったと思います。他にも、直接に構造主義や実存主義の影響を受けたマルクス主義も登場しましたし、日本にも複数のマルクス主義が現代の状況に対応して登場しています。観念論の側は、マルクス主義の台頭の後では、直接言及するか否かにかかわらず、マルクス主義を意識して議論しています。近代合理主義が、資本主義社会での市場原理の制覇と、それに対する反発としてのマルクス主義にいきついたこと、この双方への批判が、普通「現代思想」と言われる思想だと思います。
キルケゴールはマルクスより年上で、マルクスが影響力を持つ前に亡くなっていますから、そこは違いますが、全体性の放棄という僕の特徴づけに従えば、現代思想の先駆と位置づけうると考えています。
No.2
- 回答日時:
欧米の言葉では「近代」はmodernで中世や古代と対立する概念。
「現代」はcontemporaryで、現在を起点に、地続きと考えられる範囲です。
どこにcontemporaryの境界線を引くかは、現在をどのような時代と考えるかで決まります。
僕の考えでは、現在は西欧文明の限界が明らかになりつつある時代だと思います。
これが正しいなら、西欧文明を最初に相対化した哲学者が最初の現代哲学者です。
それはニーチェです。
フーコーやドゥルーズ、デリダなど、現代を代表する哲学者たちがニーチェを
先駆者と見なしているのは、ニーチェこそ、西欧文明の普遍性を否定し、
その限界を考えた最初の哲学者だからです。
ただし、注意しなければならないのは、西欧文明の批判は
東洋思想や仏教思想を持ってくれば出来るというものではない
ということです。
近代化=西欧化が世界規模で進んだ結果、東洋思想や仏教思想とされるものは
実のところ、東洋や仏教の仮面を被った西欧思想であるか、
反合理主義的な神秘思想であるかのどちらかなのです。
西欧思想の批判は、結局、西欧思想を内部から再検討することによってしか
遂行することが出来ません。自分が座っている枝を自分で切り落とす
ようなもので、それが現代思想の難解さとなっています。
一方、近代哲学とは、西欧文明の普遍性に疑問を持たない思想です。
ヘーゲルは西欧文明を頂点とする発展図式を打ち立てましたが、
彼こそ代表的な近代哲学者と言えるでしょう。
マルクス主義が話題になっていますが、マルクス主義は
ヘーゲル主義の一変種に過ぎず、西欧化=近代化の理論にとどまっています。
したがって、現代思想とは言えず、あくまで近代思想です。
No.1
- 回答日時:
(1)と(2)が密接に結びついていると考えますので、僕の考えを言いやすいように、(2)を先に回答します。
(2)は、僕はマルクス思想の影響が強まったところで境界線を引きます。
哲学史を単線的に論じていいものなのか、という問題はありますが、あえて単線的に論じると、近代哲学はヘーゲルとマルクスで集大成されると思います。
唯物論と観念論でくくるのは、マルクス的なやり方で、異論があろうかとも思いますが、さしあたりそうします。
唯物論の側では、唯物論がマルクス主義の代名詞のようになって、マルクス解釈に複数のものが出てくるとか、マルクス主義の俗流化が生じるとか、ということになります。ベルンシュタインの修正主義はカントへの回帰という面がありますが、全体性の放棄という点ではこの後の観念論の動向に重なります。
観念論では、世界や宇宙の全体を体系的に論じようとする、全体性や体系性が放棄され、その関心領域に応じて、思考対象そのものが個別化していきます。乱暴に単純化すると、個人の内面を対象にする実存主義、認識論や科学方法論としての論理実証主義、構造主義、ポスト構造主義、個人の内面と他者の内面をつなごうとする現象学、ということになるでしょうか。社会構築主義は、現象学の問題意識と構造主義の問題意識をつなごうとし、分析哲学は論理実証主義と現象学をつなごうとした、というのが僕の理解です。理解が正確ではない可能性がある上、大雑把過ぎますから、各方面から異論が出そうな整理ですが。
ここでは構造主義を観念論にくくりましたが、構造主義者には唯物論者だと言われる人もいます。
(1)現代思想というとき、その共通点は「近代合理主義への批判や懐疑」と言うことができるのではないでしょうか。ここで合理主義というときには、知性や理性で世界や人間について考察し、それにもとづいて個人や社会のあり方をつくりだそうとする立場をさしています。
近代社会や現代社会は、近代合理主義にもとづいて形成されているのに、それは人間を必ずしも幸せにしなかった、という認識は共通していると思います。
これに対して、合理主義を徹底させることでその矛盾を批判し、克服しようとするのがマルクスで、合理主義そのものを懐疑・否定するのが、観念論の側ということになります。論理実証主義や分析哲学は、考察そのものは合理主義的にしますが、考察やその妥当性の範囲を限定する、という態度になります。
総じて、合理主義は真理についてのグランドセオリーが存在することを前提して、真理探究をめざします。マルクスは、より開放的で壮大なグランドセオリーをめざすのに対し、観念論は万能のグランドセオリーを否定する、ということになるのではないか、と僕は理解しています。
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