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「勝ち負けの哲学」は何故か削除になっています。理由が全く思い当たらないので問い合わせはしましたが、後は一利用者としては如何ともしがたいので気を取り直し、次の質問をしたいと思います。

坂本龍一氏と福岡伸一の対談の記録「音楽と生命」を購入したのですが、彼らは20年近い歳月をかけて対話を重ねてきたと言います。そういう相手がいるということは羨ましいですね。

さて、この本のはしがきに、次のような文章があります。

「不思議なことに毎回話すたびに最終的に一つの話題に収斂してゆきます。それはロゴス(人間の論理)とピュシス(自然)の対立というものです。」

このテーマは、ハラリ氏の「ホモ・デウス」全般に流れるものであるとも思います。そして、これほど哲学的なテーマはないと思っています。

しかし、このような本質的な事は、現代哲学では問題にされなくなっているようです。(尤も、私は現代哲学のことも文系の科学のことも詳しくは知りませんが。)

非常に捉えどころの難しい問題であると思いますが、この点についてお考えのところをお聞かせください。

質問者からの補足コメント

  • 福岡伸一→福岡伸一氏

    失礼しました。

      補足日時:2023/04/14 13:11

A 回答 (4件)

「ロゴスとピュシスの対立」の回答画像4
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2023/04/16 17:19

不当に質問が削除されたとのことですが。


私は2007 - 2023 までのブログを強制削除されました。
このGooは飽くまで管轄が日本企業なので、政府の眼が執拗に光っています。
今、政府は強い政府を創ることに奔走しており、極端な反共政策を敷いて、新・大政翼賛会の樹立を本気で考えています。
昔の特高が復活するかもしれません。秘密警察のことです。
今回の選挙結果に開票の不正疑惑もありますが、マスメディアは政府の強権政治に依って、圧力を加えられていると想定されます。テレビ・新聞・ラジオなどのマスメディアをご覧になるのは自由ですが、政府の「検閲」があるので、反政府思想は厳しく、今後も取り締まられていくことでしょう。

ところで、質問内容とは異なりますけれど。

殆どのブログサイトの運営のサーバーは日本企業が運営しているので。

貴殿にとって、適しているかどうかは不明なのですが、YouTube動画を創って、呼びかけてみることは良い策かもしれません。

では!
「ロゴスとピュシスの対立」の回答画像3
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この回答へのお礼

ジャニー氏の問題で、ツイッター等で喧々諤々やっていますね。

お礼日時:2023/04/16 17:18

とても興味深いご質問です。



ピュシスが何であるか、それに光を当てるのがロゴスであると言うのが、変哲のない見方だと思います。

アーティストにとっては、ピュシスは天啓の源泉であり、模倣し難い完全美だと思います。それは、アーティストの感性に内在しているもので、才能だとか天性だとかの代物でしょう。
アーティストは、これを、如何に他者に通じるものに翻訳するかに苦心する。そこでロゴスを用いるのだと思います。
ロゴスはつまりは包丁です。魚のあらを取り、臓物を除き、棘を抜き、綺麗に設えてから調理するので、抜かりない料理が出来上がる。

自らの内に在る、または外にある自然を表現すると言う事は、自分の感性で捉えた爆発?熱量を、ロゴスと言う内燃機関に封じて燃焼させ、動力に変換する作業だと思います。なので、ロゴスは精巧であればあるほどよく、柔軟であればあるほど良いと言う事になり、優れたロゴスほど、目的に適ったロゴスほど、ピュシスに近づいていくことになります。(その完成系が、ピュシスと一体化している真のロゴス、生きた言葉と言う事になるのだと思います。)

閃きをそのままに表現に昇華し得るには、ピュシスを如何なく発揮するするために、ロゴスには一つの使命が生まれます。

それは、ピュシスの本質を捉えると言う事です。

ダイヤの原石があれば、カッティングの形はより大きく、美しく輝くようになされるべき、というのが定石です。
創作をひらめいた時に、そのアイデアの素晴らしさが如何なく発揮されるための表現手法を、ロゴスによって導き出す。



ホモデウスの要約としては、遺伝子改良やサイボーグ化により人は神の如き存在に進化する。という話だったでしょうか。

確かに遺伝子改良で悪意を取り除き、しかも賢くて強くて美しい人間を作ることは出来そうな気がします。そして、機械化することで念動力(機会を意のままに操る)なども手に入ると思います。しかしここで、

人間のピュシスとは何か?

という問題が、前時代から変わらず存在すると思います。ロゴスによって自らを構成するものを書き換えて、しかも尚存在するピュシスに対し、どのようなアクセスを試みるのでしょうね。想像できません。ここら辺からがチャレンジと言う事になるのでしょうね。

自分の思考の浅さに気がつく問いかけでした。
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この回答へのお礼

流れるような文章、流石ですね。

ピュシスを表現するのは結局ロゴスである。と、お二人も述べている。かのトインビー博士も「人間の理解力には限界がある」ということをあっさり述べている。

ロゴスが科学に支配されているうちは、ピュシスの理解は不可能であろうと思うけれど、哲学と芸術に可能性があるだろうとやはり思います。

現存するものの中では、仏教哲学がそれを可能にするのではないかと考えています。例えば「空」の概念などが重要だと思います。

>人間のピュシスとは何か?

うーむ、私は「自然」と合致していると思いますが、頭の中はロゴスであり、それを信じていてそれで動いているというのが人間の、動物とは決定的に違う特質だと思います。

だから、ロゴスとピュシスの「一致」という文化への志向ということになると思います。

まあ、言うは易しですが。

お礼日時:2023/04/15 09:20

人間と自然との対立が、現代に於いて顕著になりました。



生物の営みは、進化とそれによる向上が“形式”となっていると、云ってみたいですが、哺乳類の頂点にいる人間の営みも、ささやかながら向上していると云えないでしょうか?

だからこそ地球規模での自然と、対立する関係にあると云う人間の存在に気付き、疑問を持たざるを得なくなってきている、と云う事でしょう。

今ここのカテで、煩悩即菩提に付いての質問が投稿されていますが、このニャンポコさんの質問は人類の煩悩の事である、とも云えますね。

そう思うので、この煩悩に刺激を受けた人間は、いま何とかしなければと、菩提心を起している状況だと云いたいです。
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この回答へのお礼

yy8さんだから正直に言いますが、「煩悩即菩提」などの仏教哲学を私はよく理解しているとは言えないと思っています。
何事にも「山」があり、それを越えると次の山が来る。まだ、大した数の山を越えていないという自覚です。

人類の文明は向上している部分もあり、その反面無視されている部分がある。
その無視されている部分を見ようと努力する人達がいたのですが、非常に少なくなり、更に、「陰謀論」という枠組みに押し込められ、絶滅しようとしていると見ています。私などはその端くれです。

うむ、確かに現代の「ロゴス」は煩悩に染まり真っ赤になっているように思います。頑張っている菩提心が絶滅しなければいいが…

お礼日時:2023/04/15 08:44

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