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わが国には「表現の自由」と「思想の自由」と言うものが存在します。


その中で例えば、この思想は反社会的で危険だ。禁止する。と言う事があった場合、これは「思想の自由」に反する事と受け止められる時もあります。

しかし、その思想を拒否する思想もあり、それも思想の自由です。結局は、どちらの思想を支持するかの問題で、「禁止する思想」の支持が多ければ、その思想は禁止されます。


これと同じで、表現も言えるでしょうか?


例えば、破廉恥なCMが流された場合、はしたないと思って批判が集まって、そういう類の放送を法律で禁止された。

これは、「表現の自由」に反します。



「思想の自由」では、思想を否定する思想と言うものが存在し、「思想の自由」と言う憲法を保ちながら、思想に制限をかける事は可能ですが、表現を否定する気持ちは、表現ではなく思想の分野で、表現を否定する表現と言うものは存在しないように思います。


つまり、この例で言えば、「思想の自由」を尊重するならば放送は禁止ですし、「表現の自由」を尊重するならば継続と言う事になります。

前置きが長くなってしまいましたが、二つ質問があります。


・「思想」を否定する「思想」と言うものが存在し、それもまた「思想の自由」ですが、「表現の自由」を否定する表現と言うものは存在するでしょうか?


・「思想の自由」と「表現の自由」は同じ憲法に定めるのは矛盾しないか?


答えだけでなく理由も教えてください。
よろしくお願い致します。

gooドクター

A 回答 (7件)

"「思想の自由」なんて法律、無意味ですね"


   ↑
御指摘の通り、あまり意味はない、という人も
います。
しかし、社会主義のように思想を押しつけたり
する場合もあり得る訳です。
又、日本では、沈黙の自由や謝罪広告の強制が、
これとの関係で問題となったことがあります。

”アルカイダを否定する思想も、民主化を否定する思想も「思想の自由」だと
思うので法律矛盾はしないと思う。結局は、「思想の自由」と「思想の自由」
との戦いなのだと思います。”
   ↑
誤解というか、思想の自由と表現の自由を混同している
ように思えます。
思想の自由とは、両親の自由と一緒になって「内心の自由」を
保障したものです。
思想良心を外部に発表する自由が表現の自由であり、学問的体系の
形をとる場合は学問の自由になる訳です。

”表現を拒否するというのは思想であって、「その表現は嫌だ」と言う
「思想の自由」を遂行している。と言う事です。
その「思想」をもって他人に要求する行為そのものは「表現」ではありません”
   ↑
根底に思想があって、それが外に出ると表現になる訳です。
質問者さんの意見を理解することが出来ましたが、それは
一般に説明されている内容とは異なるようです。

この回答への補足

回答有難う御座いました。


>しかし、社会主義のように思想を押しつけたり
>する場合もあり得る訳です。

確かにそうですね。





>思想の自由とは、両親の自由と一緒になって「内心の自由」を
>保障したものです。
>思想良心を外部に発表する自由が表現の自由であり、学問的体系の
>形をとる場合は学問の自由になる訳です。


なるほど、思想と表現の違いが分かりました。


「思想の自由」と「表現の自由」の共存は矛盾しない事が分かりましたが、現在の法律は矛盾している事が分かりました。

法律「解釈」で矛盾が無い様に乗り切っているのでしょうね。
有難う御座いました。

補足日時:2012/07/09 15:03
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>>「思想」を否定する「思想」と言うものが存在し、それもまた「思想の自由」ですが、「表現の自由」を否定する表現と言うものは存在するでしょうか?



○「思想の自由」と「表現の自由」は本来的に一体のものですね。
でもこれが難しい時代があったのです。
西洋法における、思想・内心の自由が出てきた本来の理由は、ヨーロッパ中世の歴史的事実として、思想として、「私は神を信じない。」と内心で考えていても、それを口に出した時点「表現の時点」で村八分になるか魔女裁判にかけられて処刑されたということから来ているのですね。
日本でも江戸時代にあったのですね。九州のキリスト教徒は「内心の自由」としてのキリスト教を信じていても表現の自由はなかったのですね。それを口に出したり、十字架で表現したりすると牢獄か死刑だったのですね。内心はキリスト教、表現は仏教の仏像ですね。
西洋法は、個人の信教の自由の担保が内心の自由であり、表現の自由であったのですね。
つまり、法の本来的な趣旨は「思想の自由」と「表現の自由」は本来的に一体のもので別々の自由ではないですね。
近代では、それだけでは対応できませんので、個人の思想・内心の自由を担保し、同時に、同じ思想のものが組織しても良いということになっています。ここに表現の自由が組み込まれていますね。これは「思想及び良心の自由」の社会的、集団的な言い換えですね。

「日本国憲法 第十九条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」
「日本国憲法 第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」

>>「思想の自由」と「表現の自由」は同じ憲法に定めるのは矛盾しないか?
○「思想の自由」と「表現の自由」は一体のものとして解釈すれば矛盾はないと思いますが、独立に解釈すると矛盾が起きることがありますね。
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この回答へのお礼

回答有難う御座います。


>「日本国憲法 第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」


最後に思った事は、何で日本のAVはモザイクがあるのだろうかと言う謎である。
これは本当に「表現の自由」でモザイク規制を無くすべき。エロにラディカルで自己中心的な欧米だってモザイクは無いんだから。



冗談はさておき回答有難う御座います。
満足のいく回答が出ましたので締め切らせて頂きます。

お礼日時:2012/07/09 15:11

思想・信教の自由は、個人の心の中の問題であり、


禁ずる事などできません(洗脳か脳手術でもしない
限り)。
それを自分の内面から外に出す時に、表現の自由
が関わって来ますが、こちらは他人との関係におい
て成るものですから、当然「他人の自由や社会の
公益を害さない限り」という社会的ルールが生じます
(表現に限らず、他人の自由を害する自由は相互
主義により成り立ちません)。
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この回答へのお礼

回答有難う御座います。


>自分の内面から外に出す時に、表現の自由
が関わって来ますが

そうみたいですね。
私の「表現」の法律解釈が誤っていたようです。

お礼日時:2012/07/09 15:05

”その思想を拒否する思想もあり、それも思想の自由です。

結局は、
 どちらの思想を支持するかの問題で、「禁止する思想」の支持が多ければ、
 その思想は禁止されます。”
  ↑
禁止されません。思想が思想にとどまっている間は
その保障は絶対的です。
禁止されるのは、それが他人に害悪を与えるからです。
思想が思想にとどまっている間は、他人に害悪を加える
ことはないと考えられるからです。
だから、日本では民主主義に反する思想も革命思想も
認められます。禁止は出来ません。

”「表現の自由」を否定する表現と言うものは存在するでしょうか?”
   ↑
意味がよく解りません。
「下品なCMを止めろ」という表現の自由の行使は表現ではない
のですか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>思想が思想にとどまっている間は
>その保障は絶対的です。
>禁止されるのは、それが他人に害悪を与えるからです。

そうですね。オウム真理教も、オウム真理教を崇拝する事は今でも違法ではありません。
でもそれを言われると、「思想の自由」なんて法律、無意味ですね。



例えば、中国共産党が、「口に出さなければ(行動に出なければ)思想は自由である。これは反共産党の国民も平等に思想の自由を保障する。しかし、民主化を言論と言う行動に移した場合、それは反政府テロ活動に相当する罪である。故に国家転覆罪により拘束する。」
(中国は「言論の自由」を法で定めていないので何も問題ない。)

アメリカ政府が「口に出さなければ(行動に出なければ)思想は自由である。これはイスラム原理主義思想のアメリカ国民も平等に思想の自由を保障する。しかし、アルカイダのような危険思想を呼びかける映像、言論をネットで流した場合は、そのアップロード者を拘束、映像も検閲削除する。これらの行動は、テロ行為に相当する行為であり思想の自由や表現の自由の侵害には当たらない。」



なんて事もまかり通る。

後者は一見まともなように思える(日本人なら)
しかし、前者とやっている事は変わらない。


ただ私は、アルカイダを否定する思想も、民主化を否定する思想も「思想の自由」だと思うので法律矛盾はしないと思う。結局は、「思想の自由」と「思想の自由」との戦いなのだと思います。




>「下品なCMを止めろ」という表現の自由の行使は表現ではない
のですか?

それは、「表現」ではなく「思想」や「言論」の範疇じゃないのですか?



つまり、表現を拒否するというのは思想であって、「その表現は嫌だ」と言う「思想の自由」を遂行している。と言う事です。その「思想」をもって他人に要求する行為そのものは、「表現」ではありません。


芸術で言えば、戦車のプラモデルの表紙に描かれているような戦争イラストは「表現」。
http://angelhalo.air-nifty.com/.shared/image.htm …

ゲルニカのような反戦絵画は「表現+思想」と言うものに該当すると思います。
http://blog-imgs-34.fc2.com/u/r/u/urugamisama/ge …

絵画そのものは「表現」です。
しかし、ゲルニカの反戦へのメッセージと言う「思想」があります。
その魂をキャンパスに埋め込んだ事で、「表現+思想」と言うものを実現しました。



しかし、これは私の解釈であって、当方は法律家ではないので正しいかどうかは分かりません。貴方が法律の専門家ならば全面的に貴方の主張を私は認め自分自身の「表現」と「言論」、「思想」の範疇の法律解釈が誤っていた事を認めます。

お礼日時:2012/07/08 15:38

頭の中で完結できるのが思想です。


ひとたび行動に移せば表現です。

なので、考えてるだけなら人類絶滅主義者も国粋主義者も他人の迷惑にはなりません。

他者を行為で迫害すれば「思想の自由」に反するので、認めたくない他者を排除すれば暴行になります。
暴力を使わずに表現だけで思想を叫べば、本来なら憲法で保障されている国民の自由です。

でも、この国の靖国神社で反天皇制のTシャツを着て歩けば右翼に殴られます。
警察は警備をしません。
共産主義国家では反政府運動は死刑です。

つまり国家の定める憲法とは、しょせんは権力者側がつくる大儀に過ぎないということです。
憲法に絶対正義は有り得ません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>頭の中で完結できるのが思想です。
>ひとたび行動に移せば表現です。

はい、日本語や哲学的にはその解釈は一理あります。

しかし、「表現の自由」と言う法律の「表現」とはその範疇ではありません。
法律解釈での「表現」とは、主に映像、絵画などの視覚的な分野を指します。


ちなみに、文字や報道、芸能人の言葉などは「言論の自由」の範囲です。

そして、手を動かす、足を動かすという運動的な行動に移る事は、哲学的に言えばそれも自己表現なのかもしれませんが、法律解釈では「表現の自由」や「言論の自由」の範疇ではありません。そして日本国家は、「行動の自由」と言う憲法は定めていません。


>憲法に絶対正義は有り得ません。

正義かどうかはどうでも良いです。「法律は正義である」それを定めている法律は日本国憲法ではないと記憶しています。

しかし、法律に矛盾はいけません。これは法整備の絶対条件です。

お礼日時:2012/07/08 14:55

社会としては「自由=何をしてもいい」とはならず


最低限のルールは、必ず存在します。

ルールが無ければ無法地帯となり、社会という集団組織を維持できないからです。


子供より大人は自由ですが、自由の枠は自分で考えねばなりませんね。
社会では、分かりやすいよう取り決めをそれなりに明確化されているのだと思います。

だから憲法が存在します。


何の取り決めもない自由が欲しいなら、一人きり自給自足で生きることを選択するのが
その人に合うのだと思いますよ。

複数なら夫婦だとしても、それなりのルールは存在しますからね。


よって矛盾しないで、定めることができると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

確かに「自由」の定義にもよりますね。


例えば、「自由」=freedomと言う意味ならば、圧制への開放などの意味で、好き勝手と言う意味はありません。

しかし、「自由」=自由出家、自由狼藉(福沢諭吉がfreedomを「自由」と誤訳する前は、日本で使われている意味の自由はこれ)などの意味で、これは好き勝手、自由気ままと言う意味です。(つまり、日本において本来の意味の自由はこっち)


法律に定められている「表現の自由」と言う「自由」の定義は何なのか気になりますね。


もしfreedomの自由なら、法律によって表現を規制する事は独裁国家は良くやる事です。それに対する「開放」を意味し、いかなる国家の規制も反対し、表現の自由を認める。と言う解釈が出来ます。

そしてこの「自由」が自由狼藉などの好き勝手と言う意味であれば、文字通り、表現は規制されるべきでなく、好き勝手やってよいという意味になります。



freedomにしろ、自由狼藉にしろ、国家の規制に反対する意味の「自由」には変わりません。


ただし、貴方の文章で読み取れる「自由」は「freedom」でも「自由狼藉」でもありません。そういう造語的な「自由」をこの憲法の法律解釈に採用しているならばこの限りではありません。

お礼日時:2012/07/08 14:40

表現を否定する表現=見せるを隠すで否定する【モザイク】とかかな?



思想の自由と表現の自由 他を否定しても 規制しなければ 矛盾しないかと

今の法律だと 矛盾しまくりだけどね
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

なるほどモザイクですか。
ご意見ありがとうございます。

お礼日時:2012/07/08 14:16

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