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哲学用語や過去の哲学者たちが説いてきたことをまったく知らなくても、真理だの本質だのを考えようと尽力すれぱ哲学になるんですか?

また、この現代社会西暦2023年に「世界は土で出来ている」を哲学的な思考をすれば哲学になるんですか?
というか受け入れてくれるんですか?

A 回答 (5件)

哲学用語や過去の哲学者たちが説いてきたことをまったく知らなくても、真理だの本質だのを考えようと尽力すれぱ哲学になるんですか?


  ↑
なります。
算数とは違います。
客観的な答えなどありません。



また、この現代社会西暦2023年に「世界は土で出来ている」
を哲学的な思考をすれば哲学になるんですか?
というか受け入れてくれるんですか?
 ↑
それが、理論的であれば、哲学に
なりえます。

説得力があれば、受け入れられます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2023/05/24 12:29

哲学の事を、


『フィロ・ソフィー』と言い、知恵を愛することです、
芸術にもスポーツにも文学にも政治経済にも哲学がありかす、が、
「よりよく生きるための知恵」でなければ価値はありません。

この哲学カテにも
価値を生まない哲学に没頭する、知ったかぶりや自己中がいます
アホやマヌケが受け入れてくれます。
見抜いていきましょう。
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大雑把にいうと、哲学というのは特別なものでもなく、世の中の不安や謎などといったことに疑問を持ち、それを考えながら答えを見つけ、その答えを吟味する営みのことです。



多くの哲学者たちは、ただ単に疑問を持ち問うだけでなくて、それに対して真剣に答えることに責任を感じているものです。

その根底には好奇心というものが最初の出発点になるでしょう。しかし自閉的な好奇心に終始してしまうと、それは独りよがりの感想に終わってしまうでしょう。

今、最も信頼できる知識は何かと問われると、ほとんどの人が科学的な知識だと言うと思う。

確かに科学的知識は実用的で生活する上で便利です。しかし、それだけで科学的知識は本当に信頼できるだろうか。

信頼できるなら、実用性以外のどういった理由からなのだろうか。
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この回答へのお礼

確率……ですかね?

お礼日時:2023/05/24 05:06

個人の感想と学問との一番の違いは、学問というのは、広く多くの人に受け入れられて、学問になるという事です。



だから個人で真理や本質を幾ら考えても駄目で、それを学会で発表し、他の学者達に認められないと、哲学にはなりません。
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この回答へのお礼

個人がどれだけ理を尽くそうが『哲学』ではなく『哲学的思考』ということですね。

お礼日時:2023/05/24 05:11

迷わずやれよ


やれば分かるさッ!

いちにいさん
だあーッ!
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この回答へのお礼

迷わずにやればなぜ分かるのか、故猪木さんに問いたかった。

お礼日時:2023/05/24 04:57

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