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人間いつかは死ぬものです。

往生の瞬間、いったいどんな気持ちになるのでしょうか。
死んだことの無い自分にはまだわからない感覚ではありますが、その瞬間を安らかに迎えるために何をすべきかには興味があります。

ぶっちゃけたはなし、不治の病に冒されて体が蝕まれていくさまは相当な恐怖が伴うはずですよね。

みなさんならどうしますか?宗教にすがる?哲学に自分の人生を問いかける?それとも自棄になってやけくそになる?

よろしければ教えてくださいね。

A 回答 (13件中1~10件)

うーん、どんな死に方でも「死ぬほど痛い!」「死ぬほど苦しい!」「死ぬほど寒い!」といった瞬間は多分あるんじゃないでしょうか。



眠りながら死んでいくというような場合でも、はたから見れば「痛覚が麻痺してるから楽そう」という感じですが、当人は「物凄い悪夢」を見てるかもしれませんし。

事故で「即死」というような場合も、はたから見れば「苦痛は一瞬だった」ように見えても、バイク事故で生還した人などの話では「超スローモーションになった」というような事も聞きます。ですから苦痛を受けてる瞬間が「一瞬」とは限らないような気がしますねぇ。

人は死にそうになった時「走馬灯(過去の記憶)を見る」事があるようです。
単純に考えるとなんだか神がかりな現象のように聞こえますが、現実的に考えると「あ!死んじゃう!」と感じた瞬間、助かる手段を脳から引き出すために物凄い速度で脳から過去の記憶を呼び出してる現象なんじゃないかなと思います。視界が超スローモーションになるのも、もしかしたらそれに関係してるのかなぁと考えるとなんとなく辻褄が合うような気がします。

というように色々考えると、やっぱりなるべく死にたくはないですねぇ。(他人を踏みつけたり押しのけてまで生き残りたくはないですが)

まあ怖がっていても始まらないので、僕は「いつ死んでも困らないように」生活するよう心がけてます。

「寝てる間に突然死」なんてのも割とよく聞きますし、そう考えるとふとんに入って翌朝起きられるなんて保障はないですから、「今日中に」という期間で「やるべき事」をやってます。(さすがに「数秒後」とかでは何も出来ないので…笑)

やりたい事はいっぱいあるんですが、「もっともやりたい事」からやるようにしてます。僕はモノ作りの仕事をしているので、「これで最後かもしれない」と考えると手は抜けなくなります。死んだら言い訳もできなくなりますし、実は結構なまけ者なので、自分をコントロールするには丁度いいです。(笑)

そんな事を10年くらい続けてきて、最初の頃は焦るばかりだったのが最近は落ち着いてきたもので、インディアン(ネイティブアメリカン)の「今日は死ぬにはいい日だ」なんて心境がちょっと解るような気がしてきました。

死んでも困らないし、運良く朝目覚めたらそれまでの経験を活かしてまた何かすればいいし。

哲学というような複雑なものじゃなくて「ワリキリ」みたいな感じですかねぇ。
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24歳男です。



死の恐怖はありません。
既出ですが私もできれば早く死にたい(消えたい)と思っておりますので。

逆に死にたくないと言える人がうらやましい今日この頃です。
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同じく現実逃避をお勧めしますね。


痛い苦しくてなお不治の病ならば、お薬ばんばん打って痛みを消してしまって好きなことをやればいいと思います。
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自分は病気で苦しむくらいなら安楽死したいですね。

させてくれるなら。
「死」への恐怖はほとんどないですね。
「痛み」への恐怖はありますが。
全ての生き物に平等に与えられているものが「死」だと思います。
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自分が数秒後に死ぬとは思えないです。


でもいつか死にます。
いくら告知されてもそれがいつかは解らない。
医者の言うことも絶対ではない。
死んだ時には死んだことに気が付きませんので死ぬことを考えなければ恐怖も無いわけで、生きているときだけの問題と言うことで、生きている時に死ぬことを考えるか考えないかの問題かと。

往生際の悪い人が考えている参考意見です。
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死の恐怖はありません。


例え今、あと一日の命だと宣告されたとしても普段と変わらぬ生活をできると思います。
ただ、痛いのや苦しいのは嫌なので不治の病で悪化する一方ならいっそのこと安楽死させて欲しいですね。

死の恐怖ってどこからやってくるのでしょうね。
私は、毎日が充実した暮らしを送っているので、生きることに未練はありません。

かといって死にたいとも思いませんが。
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苦痛もなく、誰にも迷惑かけないのなら


むしろなるべく早く死にたいって感じですね。

そういう状態に近づけるよう今、生きてます。

今は治る見込みのない病気の人などの
死ぬ権利なども主張されて来てますし、

ちゃんと生き続けていれば、
自分が死んで悲しむ親も先に逝きますし、
歳を取ってからの死ならば、
友人や家族の悲しみも若いうちの自殺なんかよりは
幾分軽いでしょうし、納得してくれるでしょうから。

私は死への恐怖は考えた事ないです。
むしろ良い死に方を迎える為に生きてるって感じです。
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小学校の頃に読んだ冒険物の本を読み返す。



理由は、現実逃避
未知のものへの恐怖と好奇心を素直に感じられた時代を思い返す。
死ぬ時に「あの本まだ読み返していなかったなぁ~」と死んでいく
あの世で本の中の世界が広がっていたら楽しいかも。

あくまで理想ですが
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>往生の瞬間、いったいどんな気持ちになるのでしょうか。


さすがに、この"死んだ"はないけど、類似体験??で、幽体離脱等の時、はじめての時は恐怖を覚えました。でも、なれてくると、「あっ、また抜ける」という感じ。

死の恐怖を持つということは、智慧のある証拠かもしれません。
現世のひとは、みな"死"を見ないし、軽く考えているから。
これの対策は、"正しい"宗教の教え、例えば、チベット仏教等などを勉強するのも、ひとつの方法とは思いますよ。
"コツ"は宗教的に善行、徳を積み、悪業を遮断すること。又、死の瞬間の意識状態で、来世が、決定すると言われているから、可能な範囲で、常に高い意識状態にするように心がけることかな。

あいまいな回答で、ごめんね、それだけ、この質問の回答は難しいのですよ。
以上
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人は誰でも死にますが、誰も死んだことがないと思います。


 「死んだことありますか」
と聞かれて「はい」と答える人がいないからです。

 だから、自分の死はありえません。それは他人にあるので、特に考えなくてもいいのだろうと今は考えてます。
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