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「抽象」「抽象的」という言葉はかなり様々なニュアンスで使われていると思います.私はこの言葉を「本質的な部分以外は切り捨てる」という意味だと考えています.例を挙れば「抽象的な猫」というのは毛の色とかは無視して,動物で4本足で・・・と一般的な猫の特徴のみに絞っていくことだと考えています.
しかし「抽象的」という言葉が「ぼんやりしてよくわからない」と同義で使われたり,他にもいろいろなニュアンスで使われていると思います.
そこで質問です.
1.私の「抽象的」の捉え方はあっていますか?
2.普段あなたは「抽象的」という言葉をどう使いますか?
3.なぜこんなゆらぎが生じるのでしょうか
どれか一つでも回答していただけたら嬉しいです. 

A 回答 (4件)

1.の答


それで合っています。
2.の答
(a) の意味でも (b) の意味でも用います( (a)、(b) については後述)。
3.の答
ゆらぎの原因の一つは、(a) が失敗しやすいことにあります。


【解説】

「抽象」は、(幕末または明治期に)西洋語から取り入れられた翻訳語である。例えば英語では abstract (abstraction) となる。ab は「~から離れて」の意の接頭辞、tract は「引く」であるから、「抽象」の本義は次のようになる。

『大辞林』(三省堂)から「抽象」
事物や表象を、ある性質・共通性・本質に着目し、それを抽(ひ)き出して把握すること。その際、他の不要な性質を排除する作用(=捨象)をも伴うので、抽象と捨象とは同一作用の二側面を形づくる。(引用終り)

「抽象」のこの意味を (a) としよう。ご質問文中の「本質的な部分以外は切り捨てる」は「捨象」に相当するが、「抽象」とともに「同一作用の二側面」である。したがって、捉え方としては合っていると言える。

次に、「抽象的」という言葉に「ぼんやりしてよくわからない」の意味もあることは、ご質問者のおっしゃる通りである。これを (b) としよう。また、私としては、普段「抽象」を (a) の意味でも (b) の意味でも用いる。
ある言葉に、本来の意味と、そこから転じた(派生した、通俗的な)意味があることは珍しくない。もっとも、「その派生は当然」という場合と、「その派生は逸脱」と見なされる場合とがあるだろう。「抽象」についてご質問者は、(b) の意味で用いるのは一種の逸脱だと捉えていらっしゃるのかも知れない。それに対し、私は (a) から (b) の意味が派生するのは当然と考える。
その理由は、西洋で「抽象」が背負っている歴史にある。元々は西洋語だから、西洋でのいきさつを見なければなるまい。
ホワイトヘッド(1861-1947)は、「西洋哲学史はプラトン(の対話篇)の脚注に過ぎない」と喝破した。

The safest general characterization of the European philosophical tradition is that it consists of a series of footnotes to Plato.(引用終り)

「The safest」と形容していることからも分かるように、ホワイトヘッドは奇を衒ってこれを言ったのではない。手堅く慎重に言っても、西洋哲学はプラトンの脚注だというのである。そのプラトン哲学の中核を成すのは、師のソクラテスから受け継いだ「イデア」論だった。周知のように、プラトンの弟子がアリストテレスで、のちにアリストテレスの学問はキリスト教神学を補強するために採用され、西洋中世を支配した。近代以降にまで影響を残している。彼はプラトンのイデア論をそのまま引き継いだのではなく、批判した上で、いわば総合化した。
イデア論は、「存在するとはどういうことか」(存在論)、「認識するとはどういうことか」(認識論)という問題に、ある種の透徹した解決を与える。また、それに対する強力な反論も生れた。いずれにせよ、真(まこと)にホワイトヘッドの言うとおり、プラトン哲学、なかんずくイデアをめぐる論考は西洋哲学史を貫く重大テーマなのである。

私は教養がないから大雑把なことを言うが、「イデア」は「具体物から抽出した本質」という一面を持っているだろう。もうお気付きになっていると思うが、「イデア」は「抽象」とつながっている。しかも、イデア論の説くところによれば、そのイデアこそが真の存在である。
これに対しては、すぐに反論も思い浮かぶだろう。例えば、次のように。

個々の具体物は現実に「存在」しているが、「本質」は抽出の仕方により、人によって違いがあるかも知れず、観念的な不確かなものである。それを「真の存在」と言われても。

そう、(a) に言う「抽(ひ)き出して把握すること」は、しばしば失敗するのではなかろうか。ご質問者は猫の本質を例に採っているけれども、それでは人間の本質は何だろうか? 「動物で2本足で……」というのは、生物的な種としての「ヒト」の特徴に過ぎまい。そんなことで、人間の本質を言い当てたことになるだろうか? 人間の本質とは、例えば理性を持っていること? では、理性とは何?
人間の最大の関心事は人間であって、他ならぬその「人間」について (a) が困難ならば、「抽象」など当てにならないということになる。実存主義哲学はおそらくこの辺に注目し、「少なくとも人間に関しては、『現実存在であること』が『本質』に先立つ」と説いた。
わざわざそんな主張が現れたのは、西洋の伝統的なイデア論において、「本質は現実存在に先立つ」と考えられていたからだ。イデアこそが確実なものであり、現実世界はいわばその影に過ぎず、あやふやなものだと言っていた。だから、影ではなくイデアの方を認識するのが真の認識だ、と。前述したように、これは存在論と認識論に関する「ある種の透徹した解決」でもあった。
しかし、それとは逆に実存が本質に先立つならば、本質を抜き出そうにも、一通りとは限らないということにもなるだろう。その際の抽象化の失敗は、無知や怠慢によるものではなく、不可避なものである。

以上、イデアだのプラトンだの何言ってんだ、と思われたかも知れないが、要するに「なぜ (a) は失敗するか」を説明してみた。もっと一般的に言えば、「抽象には虚偽が付きまとう」ということである。
もし、「本質」が確かに本質であるなら、「ぼんやりしてよくわからない」とは正反対に、はっきり・くっきりしているはずだ。しかし、本質を取り出すのはそうそう簡単ではないので、下手に取り出した「本質」を基に論じても、しばしば現実から遊離してしまう。ゆえに、「抽象」「抽象的」が (b) の意味を持つのは当然と考えられる。
また、そこから通俗化して、「抽象」をもっぱら (b) の意味で用い、本来の (a) の意味を忘れたような人も増えた。これは語義の「ゆらぎ」とも言えるが、揺らいだ原因は単に恣意的なものではないのである。
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「抽象的な猫」という表現は未聞です。

普通そんな言い方しないと思いますが。
もし質問者さんが日頃からこのような使い方をしているのであれば、あなたの「抽象的」の捉え方は「外れている」と言われても仕方ないでしょう。

「抽象的な猫」はないけど「抽象的な猫の絵」ならありえます。
この場合も、(抽象的な)→(猫の絵)であって、(抽象的な猫)の(絵)は無いかと思います。
やはり、抽象に対する具象、具体という語を頼りに抽象/抽象的という語を使うしかないんでしょうね。

その意味では、抽象/抽象的という語にあまり大きな「ゆらぎ」は無いと思います。(『新明解国語辞典』参照)

【蛇足】
猫は具象性が強すぎて、この言葉から連想するイメージに(言語コミュニケーションを阻害する程の)大きなバラツキは生じないと思われます。その場合、敢えて「抽象的な猫」が通常の言語生活空間で問題になることは考えにくいです。よって「抽象的な猫」は語られることがない(あるいは非常に頻度が少ない)。これが抽象度がより高くなった「哺乳類」となると、鯨も犬も猫も含んだ概念なので、それ自体が抽象語として存在し、かつその言葉から連想するイメージは、時、場合、話者、聞き手などによりバラツクので、結果として「ぼんやりしてよくわからない」と同義と解釈されるようになるのでしょう。
しかし、異なる語彙レベルで見れば、哺乳類、魚類、鳥類などの比較は逆にかなりの具体的なイメージで区別できますよね。
要は言語の階層構造のどこに着目して考えるかに依って抽象と具象の境い目も変動するわけです。
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>「本質的な部分以外は切り捨てる」という意味


これはどうでしょう。

抽象と具象を説明する割と有名な話ですが、個人的には比較的わかりやすいかな? と思いますので紹介します。

「日本では花鳥風月といえば自然の有様を表す言葉です。でもこれは中国から『自然』という抽象概念が入ってきたときに、『自然』という言葉のままでは理解できなかったので、花・鳥・風・月という具体的なもの(具象)に置き換えて『自然』の意味を理解しようとしたのです」

「ぼんやりしてよくわからない」はその通りと思いますが、それは#01さんも書かれているとおり「具体的ではない」というとらえ方をした方が正しいニュアンスだと思われます。
なお私は「抽象的な猫」という表現は聞いたことがありませんし、適切な例とは思いません。もし質問者さまが「抽象的な猫」のような表現を普段からお使いなら、「抽象」のとらえ方が少しずれているためかもしれません。
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1.あっているとも言えるが、違っているとも言える。


2.普通は「具体的でないこと」を「抽象的」と言います。しかし、後で述べるように「具象」の反対語として使うこともあります。
3.「抽象」という言葉が「抽象的」だからです。ちょうど「憲法」で「天皇は日本国の象徴であり」とありますが、「象徴」という語がいろいろな意味に取れるのと同じように、「抽象的」なので。
 質問者がおっしゃる「猫」の件は、むしろ「抽出」と言うべきで、通常写真に撮った猫は全く猫的に見えますが、漫画のキャラクターになった猫は特徴が抽出されて描かれています。似顔絵などもそうですね。
 しかし、絵画では「抽象画」に対立するのは「具象画」です。よく絵画展で「何が描いてあるのか、分からない」と言っている人がいますが、大抵はそれが「抽象画」である場合です。 
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