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いつもこのサイトではお世話になっています。
武士の刀について質問です。刀は合わせるだけで刃こぼれすると聞きました。
安物では負けて死んでしまうのでそこそこのものは必要なのでは。
そこで質問です。
1・褒美に拝領するのは「高級品」で合戦に使わない?
2・刀そのものは高いので廉価な、でもそこそこ戦える「復旧品」があった?
3・もちろん個人で買っていた?
4・刃こぼれしたら捨てていた?

以上お教え願いますでしょうか?

A 回答 (7件)

 歴史に詳しくないのですが推測で.....



1.使ったのでは?(家宝にする場合もあるかも)
2.普及品は、あると思いますよ
3.ケースバイケースでは?(買ったり、もらったり、奪ったり)
4.少々なら研ぐという事もしたのでは?

この回答への補足

「復旧品」→「普及品」の間違いでした。訂正します。

補足日時:2007/06/20 07:25
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
4の研ぐというのは包丁みたいに砥屋がいたのでしょうか?
2はやはり見せ掛け程度の安物とかあったんでしょうね。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/06/20 07:24

時代によって答えは違ってくるかと思いますが、内容からいって戦国時代の事だとすると


1.基本的にはその通りだと思います。戦国時代には槍が主武器で刀は槍を失った時のぜいぜい護身用です。今風に言えばサイドアームに過ぎません。そうした中で刀を実用品としてより美術品として扱われる場合がでてきた時代です。高級品はもったいないからまず使用しません。
2.普及品というのはあったでしょう。実際に戦闘に使われるのはほとんどがそれだと思います。それは主に美術品として扱われる古刀とかではなく同時代の製作品でしょう。
3.武士=侍=士分は独立事業主です。上位の武士から領地なりを保障される代わりに、その収入で人(足軽等)を雇用します。従って士分の装備は自弁。彼らに雇われる者にも装備を支給します。
4.刃こぼれくらいでは捨てないでしょう。研げばいい事です。折れたら捨てるでしょうが、曲がったくらいでは微妙です。日本刀は折れにくくはありますが、よく曲がります。
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この回答へのお礼

2は1の逆説的に解釈すればほとんど現存しないと思っていいのでしょうか。
4も3の回答からするとやはり大事に研いでつかっていたのですかね。
<折れにくくありますが、よく曲がります
そうなんですか。曲がると刀の鞘にいれにくいでしょうね。
丁寧な回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/06/20 07:30

1・褒美に拝領するのは「高級品」で合戦に使わない?



 そりゃそうですわい。折れるし、それ以前に、城内に部屋を持つ身分でないと盗まれたでしょうね。前田犬千代が信長の元を出奔する原因となったのは刀を・・・ 違ったかな。

2・刀そのものは高いので廉価な、でもそこそこ戦える「復旧品」があった?

 普及品とよぶべきかどうかは不明ですが、刀には高価な物から安価な物までさまざまでした。当然自分の収入に見合ったものを使っていたでしょう。

 ちなみに、江戸時代の武士が腰に差していた大小は、安いというよりは「細くて軽い」ものだったそうです。実際に打ち合えばすぐに折れるような。(この部分は本で読んだことです)

3・もちろん個人で買っていた?

 身分によるでしょうね。例えば3両二人扶持の軽輩に刀が買えたとは思えませんから、主人が超安値のものを貸し与えたりしたのではないかと思います。

4・刃こぼれしたら捨てていた?

 もったいない。まさに、物を無駄にしない時代です。そんなことはしません。

 刃こぼれくらいなら研げばしまいです。だんだん細く短くなったでしょうけど、軽くなって喜んだかも(昨今も料理人の包丁が、使い込むほど研ぐので短くなるらしい)。

 折れても、何かに再利用でしょうね。刀にできるかどうかはわかりまえんが、大刀なら小刀くらいには。折れた先端部は小柄とか。
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この回答へのお礼

前田利家の話は刀の鍔の部分に挿している小刀だったと記憶していますが・・・(記憶ちがいならすみません・・・)
2・武将より上ぐらいならめったに抜刀し、戦に参加しなかったのでむしろ権威の象徴で良かったのでしょうね。
3・レンタルということはもちろん返却していたのでしょうか?
4・再利用は説としては納得します。おもしろいですね。

槍は壁に掛けてあって合戦にあたっては「ほいほい」とあてがっている印象がありますが、刀についてはほぼ自前だと思っていました。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/06/20 07:36

まずは参考に↓


http://www.uraken.net/museum/milt/mlttoken04.html

日本刀は人を斬ると、血や脂ですぐに斬れ味が悪くなります。剣豪として知られる13代将軍足利義輝は、多くの刺客に囲まれた際、数本の名刀を畳に突き刺し、次々に取り替えながら斬ったとの話が残っています。
また、刀は魔よけ&護身用に、百姓でも普通に差してます。「数打ち」と呼ばれる粗悪品でしょうが。

1.合戦に刀を用いるのは、倒した敵の首を取るのが主な用途なので、高級品はもったいなくて使わないでしょう。高級品を持つ身分だったら、首取りは従者の仕事になりますし。
ちなみに刀で甲冑を斬るのは不可能で、槍に刀で勝つのも無理でしょう。それでも非常事態になったら用いたとは思いますが。

2.数打ちの普及品がありました。

3.百姓でも、日常持っています。

4.金属は貴重品なので、捨てるなどとんでもない。当時、世界一のリサイクル技術が発達したのが、戦国期です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。また、参考URLも本当に参考になりました。「打ち刀」というのですね。足利義輝はたしか塚原ぼく伝の免許皆伝を受けましたが、松永弾正の手にかかったんでしたよね。
<刀で甲冑を斬るのは無理>そうでしょうね。最後は小刀使用して首を取っていたのでしょう。
リサイクル技術ですか。すごいです。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/06/20 22:23

書き忘れましたので追加



前田利家が盗まれたのは笄(こうがい)で、耳かき付ミニ孫の手(兜の中がかゆいときにかく)が用途です。こんなものを黄金で作るってのは、あんましいい趣味じゃないかなw
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この回答へのお礼

そうそう、なんとかと言う小坊主が隠したものですね。利家の歌舞伎者が垣間見えます(余談)。追加ありがとうございます。

お礼日時:2007/06/20 22:25

まず戦国期とへ平和になった江戸時代とは異なります。


江戸時代は武士は刀をぬくのは生死に関わり、メッタに抜くものではなかったのが普通です。

戦国期は実用本位でなければものの用に立ちませんでした。

この前提で考えますと
1.褒美に与えるのは戦国期では実用に耐える名刀で、平和時はいわゆるブランド品で実用に耐える可能性はあったと思いますが、戦闘そのものがなかったので不明です。

2.刀は色々あり、身分財力に応じてふさわしいものを求めていたと思います。
由緒や鍛冶の明確なブランド品は当然高価ですが、量産品は実用本位でした。 
折れた物は研ぎ直し短くして再生、曲がったものは補正し、刃こぼれは研ぎ直して再生します。 戦歴のある刀は殆ど再生復旧品であった筈です。

3.概ね個人が調達していましたが、支給品もかなりあったでしょう。

4.刀は量産品といえども再使用が不可能な程ひどい損傷でなければ捨てることはありません。
そのようなものでも鉄材として農機具などに再加工されて使用されました。
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この回答へのお礼

No4回答者様の参考URLで実用品を拝見しました。戦歴のある刀はほとんど再生品であるのも納得です。
4の農耕具に再加工と言うのが興味深い話です。鉄は貴重品であるのでそうそう捨てられるものではないということですね。また半農半士である(刀狩り以前の一揆にも使用)ことにもつながったのでしょうね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/06/20 22:32

鎌倉時代だったか室町時代だったかのジョークでこんな話が残っているそうです。

道端で、身なりの貧しい者が立派な刀を売っていた。通りがかった武士が「これは立派だ」と欲しくなったがあいにく持ち合わせがない。すると相手は「お武家さんのお持ちの弓矢と交換しますよ」というので武士は喜んでその取引に応じました。さて帰ろうとするとさっきの奴が交換した弓を構えて「撃ち殺されたくなければ刀と持ち金を置いていけ」と脅迫し、あえなく武士は身ぐるみはがされた、というオチです。
このジョークの笑いのツボは「武士がメインウェポンの弓矢を他人に渡すだなんてなんてバカな武士なんだ」というところだそうです。まあ考えてみたら飛び道具の弓矢のほうが強力なのは当たり前の話で、先ほどのジョークも刀をナイフに、弓矢を拳銃に置き換えれば現代人でも理解できますね。
つまり武士にとっての刀は「私は武士である」という身分証明みたいなものだったのです。サラリーマンのネクタイみたいなもんですね。ネクタイを締めないとなんとなくしまらないのと同じで、刀差してないと武士としての格好が悪いってことです。だから、江戸時代には貧乏武士は刀を手入れする(手入れしないと錆びてしまいます)金もないので竹で作ったいわゆる竹光を持っていたのです。もちろんイザというときに何の役にも立ちません。ま、それをいったら昭和時代のお巡りさんも持っていた拳銃に弾は入っていなかったそうですから似たようなものかもしれません。

というわけで、江戸時代になるまでは武士のメインウェポンは弓矢ないし槍だったわけです。江戸時代になると平和な世の中ですから弓矢だの槍だのというのを持って歩くとそれこそテロリスト扱いされるので武士の表芸としての武術(弓矢や槍の技術)は急速に失われます。剣道はもちろんあったのですが、江戸時代全般を通して剣道師範の生活はカツカツだったようです。幕末になって世相が騒がしくなると今の格闘技ブームのような「剣道ブーム」が起きて新撰組を始めとした剣豪が出てくることになります。
実際のチャンバラは技術というより体力と度胸の勝負だったようで、桜田門外の変で水戸藩士が使った刀を証拠として魚拓ならぬ刀拓をとっていて、それによると刃こぼれどころか刃面が全て失われて芯だけになっていたそうです。実際に斬り合いをやった人の回想によると「自分の名前を呼ばれて席を立ったところまでは覚えているが後は全く覚えていない。気がつくと相手が倒れていた」そうです。宮本武蔵も「相手の股に自分の太ももを入れるくらいに踏み込め」と書いています。

映画「七人の侍」では三船敏郎が土山に刀を何本も差していて斬り合いをしながら次々と取り替えるシーンがあります。#4さんの足利義輝のエピソードを基にしたものですが、リアリティがありますよね。池田屋に行った新撰組の面々がその後刀をどうしたかは私も興味あるところです。

この回答への補足

回答<エピソードでありますが、私も好きなので(笑)、脱線歓迎であります。

補足日時:2007/06/21 20:22
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この回答へのお礼

刀拓とはすごいですね。武道の代わりとして魚釣りを奨励していた藩も話には聞いたことがあります。証拠=手柄だったのでしょう。
家宝としての刀は多く現存していますが、斬り合いをして刃こぼれをした刀というのは現存しているのでしょうか?今までの回答者様のお答えから推測するに、研ぐ、打ち直す、加工し別の物になるなどの例を挙げていただいているので現存する「斬り合い」の痕の残っている刀はお目にかかれないのでしょうね。

ありがとうございました。

お礼日時:2007/06/21 20:33

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