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日本が第2次大戦の幕引きを渋ったのは、国体維持の問題が大きかったのだと聞きます。つまりは、貴族院とか皇族の問題が大きく絡んでいて、これは当時の政治に影響力があり中枢を担っていたわけで、その維持をめぐってどうこうという間に、都市は爆撃され原爆が投下されたわけです。また離島の玉砕もあります。

これは、考えようによっては、日本に民主革命がおきなかった付けを払わされたということではないでしょうか。あるいは、やはり当事者の決断が悪かったのでしょうか?

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A 回答 (4件)

確かに、先の戦争の終結において日本政府がこだわったのは国体の護持であったのは間違いないです。

しかし、じゃあだからといって皇族が政治的に影響力があったかというと、それはほとんどありませんでした。例えば、開戦直前に昭和天皇は「本当にアメリカと戦争して大丈夫か」とかなりしつこく聞いています。御前会議(天皇出席の会議)で昭和天皇は「発言する」と言い出して周囲を慌てさせています。当時、既に御前会議は形骸化していて「陛下、このようになります」という申し出に天皇がケチをつけるというのはありえないこととなっていたのですね。会議において天皇自らが発言すること自体が異例となっていたのです。
そもそも、軍部が暴走するきっかけになったのはいわゆる「統帥権」です。軍部はこの統帥権を利用して政治システムを骨抜きにしていったんですね。で、結局のところそれは「天皇陛下のため」という名目になるんです。ですから、軍部としても国体の護持にこだわらないとそもそも何のためにこうなったかのつじつまが合わなくなってしまうのです。軍部そのものが「天皇への絶対の忠誠心」を軍そのものへの求心力としても利用しているので、そこらへんがゆらぐと軍の存在そのもののアイデンティティが問われてしまうのです。

>日本に民主革命がおきなかった付け
見方によっては当時の人々を批判しているようにも受け取れますが、日本では今も昔も本当の意味での革命は起きておらず、また今後も起きることはないと思います。
文部省はゆとり教育をすすめてきましたが、ここにきて「やっぱあれは失敗だった」と大きく方向転換しています。でもお役人は誰も責任をとりませんし、それに対して当事者の学生世代は何も抗議行動をしていません。また、バブル崩壊後日本の被雇用者の立場はどんどん弱くなり、しかし一方経営陣はほとんど責任を取っていません。しかしどこの労働組合もストライキもやらなきゃ暴動も起こりません。これから消費税が値上げされても国民は暴れないでしょう。フランスではフランス革命の伝統にのっとり、今でも気に食わないことがあると暴動が起こります。私たち日本人は、従順な羊なのです。
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この回答へのお礼

「軍」の横暴腐敗によるところが大きいとのお考えですね。いえている気がします。おそらく1から4までの回答者様の複合体が回答なのでしょう。
民主主義革命と民意の向上、これこそ究極の必要性なのかもしれません。中国韓国北朝鮮とくらべて、なんと日本の民衆のだらしなさ?主張のなさというものが素人レベルでも感じられますね。べつに革命を経験してきた連中でなくてもです。

お礼日時:2007/07/13 06:47

天皇の戦争反対への力は無かったから生き残ると言うのはバカげています。


ヒモ一本、正装した腰にぶら下げた刃物で決着をつけることが出来ると思いますけど。
玉音放送の後に自殺して欲しい、これを願っていた人も多いでしょう。
軍人含め国民は自害した物もいました。
さぞガッカリした事でしょう。それを裏切って厚顔無恥。

これが全てだと思います。腐った見本です。
天皇が生き残る事によって天皇に群がる連中が生き残ったのです。
質問者様が仰る革命が起きなかった付けはミートホープの社長がこれからも楽に生活できる無責任さでしょう。

国敗れて貧乏人あり。共産になろうが国民は生き残るのです。
当時の天皇軍幹部連中が国民を守ったなど噴飯物です。
戦意の無い脱走兵を国民はリンチ殺人をしていました。
早期の白旗講和では天皇・軍に国民暴動リンチは向かったでしょう。
待つことによって空襲や原爆で弱らせてくれたので有り難がるのです。
国民も負けが見えてきて錦の御旗の玉音。これが結論です。
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この回答へのお礼

筋を通すと考えれば、お答えのようなやり方が一番適しています。革命については、私はもっと逼迫したら起きたかもと思ったのですが、反対ですね。待つことでそういう機運もなくった。

お礼日時:2007/07/13 06:41

「国体護持」は、単なる言い訳です。


要するに、当時の指導者が、甘い見通しで戦争を始めてしまい、終わらせたいけど、自分達の体面が傷つくのが嫌だと言う勝手な理屈からです。
日本は、あの当時独裁国家であったわけではありません。
植民地と「今は」言われている朝鮮半島や台湾からも国会議員が選出され、日本「本土」の議員達と伍して議会を運営していました。
ある意味では、大正デモクラシーを経験した日本は、世界で最も民主的な国家だったと言えるでしょう。
逆に、民主的であれば平和を希求するのかといえば、そうではありません。
かの民主主義の発祥の地と言えるフランスの歴史を振り返ってみてください。
かの国は、民主革命後、植民地主義を放棄したでしょうか?
対外侵略を止めたでしょうか?
逆に、「民主化」の過程で、徴兵制度を創出し、欧州全土を戦場と化したのです。
ナポレオンは、選挙で選ばれ、議会によって皇帝の地位を認証されたことを忘れてはいけません。
かの、アドルフ・ヒトラーも、選挙によって地位を得たのです。
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この回答へのお礼

戦前の日本は、結構民主的だったとの議論もあるようです。終わらせたいけど、自分らの対面がということ、いえてるような気がします。「国体」さえ言い訳にするとは何たる堕落なのでしょうか。

お礼日時:2007/07/13 06:43

終戦時日本が国体の護持に拘ったのは日本の伝統である天皇制が自分たちの時代で終わったという後世の批判を恐れたのが理由と思います。



少なくともそう考える教育にさらされ信念となっていた時代です。
国民自体も国家と心中する覚悟でした。

戦後の民主主義教育はありましたが、日本の民主主義はまだまだ未成熟です。  
民主主義というのは他から与えられる者ではなく、血を流して獲得するものです。  その記憶がない日本では民主主義の真の定着はないのではないかと思います。
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この回答へのお礼

「国体」にこだわったのだというお考えですね。確かに教育は絶大だったのかもしれません。それでなきゃあ全面戦争はできないでしょうから。真の民主主義は血を流した歴史の後でというお考え、まったくそのとおりです。

お礼日時:2007/07/13 06:45

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Qなぜ日本は第二次世界対戦に参戦したのか。

一応検索したのですが見つからなかったので質問させていただきます。
どうか教えてください。

タイトルの通り、なぜ日本は第二次世界対戦に参戦したのでしょうか。
その背景には五・一五事件や二・二六事件も関係していると聞いたことがあるのですが、どういうことでしょうか。
そもそも、日本は第一次世界大戦に参戦し、戦争はたくさんの人の命を奪うということが分かったはずなのに、どうして戦争を止められなかったのでしょうか。
レベルの低い質問で申し訳ございません。
よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

 歴史の流れによるものです。

 鎖国からの開国時、アジアの極東の一島国でその他大勢の国の一つであった日本は、日清・日露・韓国併合・第一次世界大戦と軍事・外交的成功を収め、欧米から列強の一つとして認められるまでになりました。

 ただ、列強トップのイギリス・アメリカとは大きく水をあけられており、イタリアやロシア革命の混乱を脱しはじめたソ連、第一次大戦の敗戦国ドイツなどと同列でした。

 しかし、多くの列強が国境を接ししのぎを削りあっているヨーロッパ・アメリカから最も遠い極東アジアには、列強の利権が最後まで未確定であった中国がありました。
 衰退した清朝の倒れた後の中国は、軍閥が群雄割拠する政治的に混乱した社会があり、中国と隣り合う日本はもっとも有利な地理的位置におり、中国の利権を手に入れれば一躍、アメリカ・イギリス(広大な植民地の中でも、インドという人口の多いアジアの重要地域を手に入れたことが、イギリスの繁栄の原動力でした。)と並ぶ列強トップになれるように見えました。

 第一次世界大戦の破壊からヨーロッパが回復するにつれ、世界の列強間の経済戦争が激化し、お互いの勢力圏から他国を締め出すブロック経済が進展、利権の確定していない中国が各国の経済戦争の主戦場となりました。
 
 経済戦争だけでは、国力のあるアメリカ・イギリスに勝てない日本は、その地の利を生かして軍事的に中国の利権を確保すればよいという考えが、軍内部に生まれました。

 皇道派(現場指揮官が多く、天皇に対する忠誠心など精神論を信奉。)と統制派(陸軍大学卒業者の参謀などが多く、論理を重視。)に分かれていた軍内部は、五・一五事件や二・二六事件によって、統制派がコントロールするようになり、暴力機関である軍の力を恐れた文官・政治家が増えたこともあり、軍内部で独自の政治的意図を持って行動する素地が生まれます。

 この時点で日本の選択肢は、日本がアメリカの覇権を認めるか(第二次大戦後、現在も続いている状況です。)、日本がアメリカと並び立つかという選択になりました。(当時、あめりかのGDPは日本の10倍と言われていました。)そして日本は日本がアメリカと並び立つ可能性にかけたわけです。
(ですから、日本とアメリカの間の戦争は侵略戦争ではありません。)

 日本がアメリカと並び立つには、その経済力の差を少しでも埋めなければなりませんが、その可能性は列強の権益の確定していない中国にしかありません。
 まともに正面から経済戦争をしたのでは、アメリカに勝てません。そこで軍事占領による市場・資源の確保を目指したのです。
(ですから、中国に対しては侵略戦争となります。)

 アメリカに対抗する以上、満州事変から日華事変(=支那事変・日中戦争)太平洋戦争と続くこととなりました。
 
<<個別エピソード>>
・満州事変と支那事変の開始
 戦前の日本の政治システムにおいては、日本軍は皇軍=天皇の軍隊として存在しており、内閣と軍(陸軍=参謀本部、海軍=海軍軍令部)は、天皇のもとで並立する立場でした。
 明治時代においては、明治維新の重鎮(政治家だが、明治維新では軍指揮官としても活動。)が生存しており、内閣・軍双方に対して強い影響力を持っており、天皇を補佐する枢密院のメンバーとして内閣と軍をコントロールし、日本の政治力の根源となっていました。
 昭和になると、この枢密院に軍・行政双方に強い力を持つ人物がいなくなり(政治体制が確立して年数がたったため、軍・行政いずれかの出身者となり、どちらにも強い発言力を持つ人物がいなくなったのです。)、軍事・行政を統括した視点で政治力を発揮出来なくなったのです。

 そのような状況の中で、政府・参謀本部ともに「満州では、極力事を構えない。」方針であった(=満州の軍閥、張学良の兵力は、日本軍の10倍あるといわれていた。)のに、満州派遣日本軍(=関東軍)の参謀であった石原莞爾・板垣征四郎が、この方針を無視して軍事行動を起こし、張学良軍を電撃作戦で圧倒、軍事作戦としては大成功をおさめました。参謀本部・日本政府ともに関東軍の軍事行動を追認し、満州国建国に至ったのです。ここまでは、石原莞爾の戦略通りの展開となったのです。

 その結果、石原は陸軍同期の中で最も早く大佐となり、陸軍内部で「軍参謀は中央の方針に反しても、作戦で戦果を挙げれば、出世する。」という認識が生まれることとなりました。

 石原莞爾は、満州を取って「日本・朝鮮・台湾・満州を日本の経済圏として開発することに専念すれば、アメリカに対抗できる。」との見方を持っており、そのための戦略は、『満州を勢力下に置いた後は、他国との軍事衝突は外交力を総動員して回避し、軍事費を抑え経済開発に専念する』というものでした。

ところが・・・・
Wikipedia抜粋 
 石原莞爾は、1937年の日中戦争開始時には参謀本部作戦部長となり、内蒙古での戦線拡大に作戦本部長として、中央の統制に服するよう説得に出かけたが、かえって現地参謀であった武藤章に「石原閣下が満州事変当時にされた行動を見習っている」と嘲笑される。戦線が泥沼化することを予見して不拡大方針を唱えたが、当時関東軍司令長官東條英機ら陸軍中枢と対立し、1937年9月には参謀本部から関東軍に左遷された。

 日中戦争を開始した中国派遣軍参謀を評して、石原は「鵜の真似をする烏」と言ったらしいが、過去の自分の行動が影響を与え、石原の戦略は崩壊することとなって行きます。

<<日米開戦>> 
 開戦直前に昭和天皇は「本当にアメリカと戦争して大丈夫か」とかなりしつこく聞いています。御前会議(天皇出席の会議)で昭和天皇は「発言する」と言い出して周囲を慌てさせています。当時、既に御前会議は形骸化していて「陛下、このようになります」という申し出に天皇がケチをつけるというのはありえないこととなっていたのです。会議において天皇自らが発言すること自体が異例となっていたのです。
 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3146246.html

 歴史の流れによるものです。

 鎖国からの開国時、アジアの極東の一島国でその他大勢の国の一つであった日本は、日清・日露・韓国併合・第一次世界大戦と軍事・外交的成功を収め、欧米から列強の一つとして認められるまでになりました。

 ただ、列強トップのイギリス・アメリカとは大きく水をあけられており、イタリアやロシア革命の混乱を脱しはじめたソ連、第一次大戦の敗戦国ドイツなどと同列でした。

 しかし、多くの列強が国境を接ししのぎを削りあっているヨーロッパ・アメリカから最も遠い極...続きを読む

Q小学生でもわかる第二次世界大戦の流れ

小学生と、知的障害がある中学生に第二次世界大戦のことについて
説明してほしいと頼まれましたが、しゃべった内容が難しかったのか
ぽかーんとされてしまいました。自分が完ぺきに理解しているというわけでもないので
説明しながら自分でもわからなくなってしまいました。

そこで、子どもにも簡単に説明できるような第二次世界大戦の
開戦きのっかけ、流れ、終戦、状況などをとても簡単に教えてください。
お願いします。
一時間以内で話せたらいいかなあと思っています。

Aベストアンサー

 こういうのでどうでしょうか?

(1) 世界は3つのグループがあった。
 A)アメリカやイギリスなどお金持ちの強い国。
  Cグループの弱い国を支配していた。

 B)日本・ドイツなど貧しくて強くなりたかった国。
  AグループからCの国を奪おうとして戦争を起こした。

 C)AグループやBグループに支配されていじめられて
  いたので支配から逃れようと運動をおこしていた。

(2) 開戦

 ・日本は朝鮮や台湾・中国の北部を支配していた。
  中国全部を支配しようと戦争を始めていたが、アメリカ
  やイギリスが邪魔をしたのでそれら強国との大戦争に
  なった。
 ・ドイツも同じく周りの国々を軍隊の力で支配し、
  アメリカやイギリスと大戦争になった。
 ・強国に支配されていた国々は日本やドイツのやりかた
  が酷かったので日本やドイツと戦いを始めた。

(3) 流れ

 ・日本とドイツの戦争のしかたは奇襲といって相手が
  油断しているときに突然襲う戦い。だから初めは
  勝つけれど、より強いAグループが本気を出すと
  日本・ドイツは負けていく。そして支配の仕方が
  酷いので支配された国の人から恨みをかい日本と
  ドイツは大敗する。

(4) 終戦
 ・負けることがわかっても日本だけ戦いつづけた。
  理由は天皇を守るためということだった。
  戦いが続く中、アメリカは原爆という大きな爆弾を
  日本の広島と長崎に落として日本は降参した。

(5) 状況

 ・この大戦争は初めは強国どうしのよその国を奪い合う
  喧嘩だった。けれど日本やドイツが少人数の偉い人の
  命令をみんなは文句を言わず聞け、一人一人の事より
  国=偉い人のほうが大事なんだという考え方と、一人
  一人の事を大切にする考え方に賛成する国々との戦い
  となり、最後は日本と80の国々との戦いとなった。

 ごめんなさい。やはり難しいですね。でもこれを下敷きに

もっとお話し的に変えたらどうでしょう?

 

 こういうのでどうでしょうか?

(1) 世界は3つのグループがあった。
 A)アメリカやイギリスなどお金持ちの強い国。
  Cグループの弱い国を支配していた。

 B)日本・ドイツなど貧しくて強くなりたかった国。
  AグループからCの国を奪おうとして戦争を起こした。

 C)AグループやBグループに支配されていじめられて
  いたので支配から逃れようと運動をおこしていた。

(2) 開戦

 ・日本は朝鮮や台湾・中国の北部を支配していた。
  中国全部を支配しようと戦争を始めていたが、アメ...続きを読む


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