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源氏物語が紫式部によって書かれた時代、平安貴族の夜型生活が顕著に見られますがどうしてでしょうか?教えてください。

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A 回答 (1件)

どなたも回答されていないようなので。



「古今著聞集」に、村上天皇が下部(雑用役)の老人に、「今の政治を世間ではどのように言っているのか」と尋ねると、『「めでたく候とこそ申し候へ。但し主殿寮に松明罷り入り候。率分堂に草候」と奏したりければ、御門おほきにはぢおぼしめしてけり。させる公事の日にはあらざりけるにや。松明のいると申すは、公事の夜に入るよしにて侍り。(略)』とあります。
古代日本では政治は早朝(日の出前)に始まり、昼には終わったようです。この政治が早朝に始まる習慣は律令が導入されても変わりなく、奈良時代では日の出前に官庁に出勤する官僚で混雑したようです。
ところが、平安時代になり、表面的に平和な時代が続くと、政治も儀式化し、取り立てて重要でもない儀式も荘重になり、時間も長くなり、夜に入ることも多くなります。その上儀式の終了後に直会(なおらい)として宴会が行われることもあり、ますます夜に入ることが多くなります。このような男社会の政治・儀式の時間の変化が夜型生活をもたらしたと思うことが一点目。
次に、当時の婚姻形態が招婿婚の形式で、男が夜に女のもとを訪れる形式(夜這い)であったために夜型であったと思うことが2点目。
以上の2点が、源氏物語が紫式部によって書かれた時代、平安貴族の夜型生活が顕著に見られたことの原因ではないかと思います。

個人的な意見ですので参考程度に。
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Q平安時代の貞操観念について・・・

源氏物語のあらすじを読んでみて、平安時代の「女性の貞操観念」にふと疑問を抱きました。(ちなみに、結構ネットで調べてみましたが、明瞭な答えを得れませんでした・・。)

例えば、源氏は父の女御である藤壺と契ったり、頭の中将の元愛人の夕顔のもとに通ったり、終盤の薫と匂宮と浮舟の関係などなどに関して、なんだか凄く性に関してフリーな感覚を抱きました。
当時の貴族の女性は滅多に人前に出ないし、親は今より娘を大事にする時代のはず。いったい、当時の貞操観念はどのようになっていたのでしょうか。下記三項目が現在の疑問点です。

(イ)そもそも貞操観念はだいたいいつ頃定着し始めたのか。(貞操観念というよりは処女性や穢れという考えでしょうか。)
(ロ)(当時の人々に「穢れ」という考えがあったのならば)男性は女性の貞操を気にしてなかったのか。
(ハ)もしも浮気関係が露呈してしまった場合、どうなるのか。

もしまた違う疑問点が出ましたら、補足質問するかもしれません。宜しくお願いします。

Aベストアンサー

平安時代は「通い婚」ですから、男性が女性の家に通ってきてる間は結婚している事になるでしょうが、明日からはもう、通ってこなくなるかも知れないわけで、保証がないのなら、それに縛られる事もなかったんじゃないでしょうか?
男のほうも、毎日通っていても、毎日、家にあげてもらえる保証はないわけで、ある日突然「今日はダメ」となって、そのまま通っても通っても会ってもらえないという事も多々ありましたから、これまた何の保証もありませんから・・・

(イ)戦国時代に日本にやってきたルイス・フロイスが、その著書の中で「日本女性は処女の純潔を重んじない。それを欠いても名誉も失わないし、結婚も普通にできる」と書いていますし、大名のお姫様も、政略結婚などで、次から次へと、別の男性に嫁ぐという事もありましたから、少なくとも戦国時代までは、「一生ひとりの男性に・・・」という考えはなかったと思います。
江戸時代になって儒教の教えが浸透して、徐々に貞操観念なるものが生まれ始めた頃に、杉田玄白らが「ターヘルアナトミア」を翻訳した「解体新書」を発表して、その中に女性にのみ存在する「処女膜」なる物の存在が書かれていた事から、一気に純潔が重んじられるようになったようです。
もちろん処女膜という言葉も玄白が作った物です。
(ロ)上記のように、江戸中期頃までは、貞操を気にしないのが常識ですから、女性も男性も気にしてないと思います。
(ハ)源氏物語をご存知なら、宇治の浮舟の家の前で薫と匂宮がバッタリというのもご承知だと思いますが、あんな感じじゃないですか?
浮気した事を責めるのではなく、当人たちが、この先どうしたいか?という事だと思います。
「他の男が通って来てるなら、もういいや」とそのまま、どっちか(あるいは両方とも)が身をひくのか?
「いや、それでもモノにしたい」
と思ったて、何とか彼女の気をひこうとするか?

平安時代は「通い婚」ですから、男性が女性の家に通ってきてる間は結婚している事になるでしょうが、明日からはもう、通ってこなくなるかも知れないわけで、保証がないのなら、それに縛られる事もなかったんじゃないでしょうか?
男のほうも、毎日通っていても、毎日、家にあげてもらえる保証はないわけで、ある日突然「今日はダメ」となって、そのまま通っても通っても会ってもらえないという事も多々ありましたから、これまた何の保証もありませんから・・・

(イ)戦国時代に日本にやってきたルイス・フロ...続きを読む


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