映画のエンドロール観る派?観ない派?

私は最近まで本っていうのはかなり信憑性の高いものだと思ってました。とくに大手の出版社から出てるのは。
しかし、先日とある大学の教授の文庫本で「私は阪大卒だから東大卒にコンプレックスがあるけれど、阪大にも届かない人たちは東大にすらコンプレックスを感じないだろうがね」とかご自分の教授している私立大のことを「三流大学」って平気で書いてる。そんな教授がいました。ちょっとびっくりしました。そこへ通っている生徒が読んだらショックでしょうに・・・。
教授って頭がいいはずなのに、なんで文庫本でそんなことをいちいち書いてるのか?って疑問かつ今までの私の思い込みがゆらぎました。

本出してる博学者とかであっても、くだらんこと書いてる人っているんだなって・・・。

従来の私は、、、
例えば「大学院まで行って、政治学を研究してきて教授にもなって、長年研究してきてる人が出した本」・・・そこまで長年研究してるんだったら間違いなくその人の行ってることが正しいんだって思ってました。なぜなら私は政治学なんて1分も研究したことはないからです。
ですが、上に書いたちょっと変だなって思った本は私でもわかる範囲のことだったからおかしいと思えたんです。
要するに自分のわかる知ってる範囲のことなら「あれ?」って思えますが、全然知らない範囲のことなら疑問すらもてずに鵜呑みにしてしまいます。

皆さんはどこまで本の書いてあることを信じますか?

A 回答 (7件)

本と言う物は基本的に物の見方や考え方を教えてくれる物だと思います


正解か、正解で無いか、と言うより
”こういう視点がある或いは考え方がある”という意味です
コミックなどは面白ければ良い訳ですが其の中に読者の知識になったり励みになったりする物があればなお良いと思いますし、
思想書などは完全に著者の世界の話ですから”全て正しい”と思うことは危険で、共感したり反感を持ったり自分の意思をはっきりもって読む姿勢に健全性を感じます。
現実的に政治や経済の書物は他の視点で書かれている同一テーマの本も併せて読んでみる必要が有ると思っています。
他方で数学の解き方の参考書などはそのまま鵜呑みにする方が学習が進むのではないかと思います。
歴史書は著者により同一時代や人物の表現ががまるで違うことが反って楽しさを倍増させていると思います。
一般に著者のはっきりしている書物は小説を除き信憑性が有ると思っていますが新聞のように記事に筆者名を出さない物は最初から責任の所在を隠すためと言われていますので常に疑問を持ちながら読んでいます
メディア機関は最大の圧力団体であり利権企業体であるため文面の裏にある目的も読み取る必要が有ります。
こんな読み方もありますね最近、フェニズムの本をよく読んでいます、論理矛盾がいっぱいあってそれを見つけるおかしさが楽しいわけですが、自分が文章を書くときに矛盾が無いようにしっかり論理を組み立てて、読む人に矛盾を感じさせない文章を書く参考にしたいと思います
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました
こういう視点や考え方があるだけで「この考えに従え」ってことではないんですね。すべてが正しいって思うことは危険だってわかりました。もっと勉強します

お礼日時:2007/07/18 10:17

最初に、ちょっと補足的なことを書きますね。


自分の教授している私立大のことを「三流大学」と認識している先生は、それこそゴマンといます(というか、自分の教え子は「“三流”であって、国立大生のように知的水準が高くない」と把握した上で教授できない先生は逆にダメです)。これを表に出すか、出さないか。また彼らをバカにしているのか、それとも彼らのレベルに合わせた教授法を熱心に模索しているのか…それは先生それぞれの人となりということで、ご質問にある先生は倫理的にちょっといただけないかもしれませんが、本の内容的には特におかしくない。信じるも信じないもありません。ajendazxzさんが信じたくないだけで、現にこういう先生が「存在している」んですね~。
さて、本の内容の真偽ということに関しては、私は基本的に信じるようにしています(笑)。なぜなら、本の内容というものは客観的(科学的・論理的)なデータがあって、初めてその信憑性が増すわけですが、それらのデータが本当に正しいのか、ということにまで、私は頭が回りません。強いて言えば、そうした客観的(に見える)データがたくさん掲載されている本は信じるに足り、データが乏しい本はちょっとあやしいなと、思います。
ひとまずは信じる。しかし、その本一冊だけで白黒はっきりさせるのは愚の骨頂だとは思います。例えば、「原発は安全だ」という本を読めば、今度は「原発は危険だ」という本を読む。「南京大虐殺はあった」という本を読めば、「なかった」という本も読む。「偏差値は大事だ」という本を読めば、「偏差値なんかくそ食らえ」という本も読んでみる。これを意識して本に接することで、自分の中にちょっとは価値のある「知識」がたまっていくのではないかなと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました
なるほど!1冊だけにとどまらずそれとは逆の視点から書かれた本を読むということをやってみます

お礼日時:2007/07/18 10:14

基本的に本というのは著者がいるわけで、その著者の考えを書いているだけだという風に私は考えています。


ですから、納得できないような内容を書いている本があれば、この作者は自分と違う考えなのかと思うだけですし、納得できる内容であれば、自分と同じ考えだと思うだけです。
どんなことでも人それぞれの考えがあって、答えなんて一つではないと私は考えているので、本の内容の全てをそのまま信じることはしませんし、自分の考えと違うからといって、全てを否定するようなことはしません。

余談になりますけど、と学会という団体が書いている『トンデモ本』シリーズなどを一度読んでみるといいと思いますよ。「原子力発電で作られた電気には放射能がまざっている」とか、「太陽には森林がある」とか、「古代、アメリカは日本だった」とか、「トンデモ」な本がいろいろ紹介されていて、読み物として面白いですし、「本の内容を鵜呑みにしてしまう」ということは、絶対になくなると思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました
そうですね。考えが違うだけであって、べつに否定してるわけでないですよね。その本読んでみます

お礼日時:2007/07/18 10:12

本に書いてあることは5割くらいは信じます。


でも、ひとつの事に対して1冊だけ読んで信じることは絶対できません。
最低でも3冊くらい読んで、「こういう考えもあるんだな」程度の認識にしています。

メディアが何であれ、あくまで伝聞情報なので、100%はないですね。
でも、やっぱりテレビなんかよりは信憑性が高いように感じてしまいますが。(テレビの場合、7割以上が嘘だと思ってます)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました
テレビはやらせ多いですものね

お礼日時:2007/07/18 10:11

>皆さんはどこまで本の書いてあることを信じますか?



わりと素直に「ふうーん」とは思いますが、間違いないはずだ、とまでは確信していません。
ものによっては正しさを求めて読んでいるわけでもないし。
データとか実際にあった出来事の取材は正確でないと困りますけれど、小説とかエッセイとか対談は、テストの回答ではないのだから、絶対的な正解はないと思っています(テストの回答だってたまに間違いが出ますけど)
自分が気に入ったものを読むだけ。

対談本やエッセイはわりあい自由な発言が含まれますので、中には本人も全部自分の言っていることが正しいと思っていない人もいますよ。
「これを全部信じないと思うけど(笑)」とか断りを入れたりして。
ちょっと危うい部分があっても興味深い発言とか。

もちろん社会的にあまり酷い発言は困りますし、編集部も気をつけると思いますけれど、だからといって、品行方正で常識的なことだけ言っていたら、面白みも新しい視点も何も出てこないんじゃないでしょうか。

出版社の手を経ますので、垂れ流せるネット情報よりは一定の質を期待できると思いますが、本にだって間違いも無駄もあり得ます。
人間が書いて作っているのですから、不完全さもあります。
発言者は、性格のいい人間だけでもないでしょう。

自分はこの本を読みかけで挫折しているのですが、
ただ本を読むだけでは自分で物を考えなくなる、と指摘している人がいます。
「読書について 他二篇」ショウペンハウエル
http://www.amazon.co.jp/%E8%AA%AD%E6%9B%B8%E3%81 …
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この回答へのお礼

なるほど!回答者さんの回答でピン!ときました。
>品行方正で常識的なことだけ言っていたら、面白みも新しい視点も何も出てこないんじゃないでしょうか。
たぶんその教授もふつうに「どこの大学だって立派だ」っていうことを書いても売れないからあえて「自分の教えてる大学は三流であるけど」って書いたかもしれないですね。あえてひどく書くことである意味興味をひきつける。私もその教授がそのように書いてなかったらそこまで記憶に残らなかったであろうし・・・。

>発言者は、性格のいい人間だけでもないでしょう
おっしゃられるとおりでございます。
盲目的に権威みたいなものをうのみにしないようにしたいです。

おすすめの本見てみます。
ありがとうございました

お礼日時:2007/07/17 18:27

こんにちは。



基本的に、実用書とか学術書にあることは、ひとまず信じますが、それが絶対とは思っていないです。子供の頃に読んだ教科書ですら、現代の最新の研究からしたら、間違いがいくつかあるそうですし。むしろ、完全に100%正しい書物なんて、ほとんどないのでは?

なにしろ、遠い昔には、天動説が正しいとされていた時代もありますし、学説って、あくまでも「その時代の科学や常識で、正しいと信じられている一説」でしかないんですよね。しかも、研究者の書く本というと、あくまでも「その人が現時点で正しいと信じている説」を書いているだけであって、本当に正しいかどうかは疑問です。人間である以上、偏見や勘違いもあるでしょうし。かつて学生の頃に、「1人の教授が話すことだけを聞いて信用しちゃいけない。数人の教授で考えが違うこともあるから。」っていう先生もいましたよ(^^;。

とはいえ、自分の教えてる大学のことを「三流大学」っていうのは、ちょっと問題外ですね。自分のことを「三流教授」って言ってるのと同じだと思いますが。。。

怪しいと思ったときは、類似の書籍を数冊読むとか、何人かの研究者の本を比較するとかしてみてはいかがでしょうか?No.1さんも書いていらっしゃるように、現在はネット上にもたくさん情報があふれてますので、ネット検索するのも良いかと思います。

ご参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました
>、「1人の教授が話すことだけを聞いて信用しちゃいけない。数人の教授で考えが違うこともあるから。」ということば私も覚えておきます。おっしゃられるとおり人間ですからやはり間違えもあるってことですね。でもみんなが読む文庫本で自分の教え子たちの学校を三流って・・・・なんていうか・・・

お礼日時:2007/07/17 18:21

〉教授って頭がいいはずなのに



暴言、失言はもちろんですがワイセツ行為で逮捕される教授もいますよ。
頭がいいのは勉強の内容に対してだけで、逆に世間の常識には欠ける人の方が多いようにも思われます。
(統計をとったわけではないので本当に多いかどうかは分かりませんが)

私が本を読んで使えそうだ思う情報があったらまずは自分で試します。
本より信用できないネットで調べるのは最悪ですから。

本でもデタラメなのが多いですからね。
たとえば「1ヶ月で英語ペラペラ」みたいな大ウソのタイトルは国で禁止できないのかと思います。
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この回答へのお礼

>「1ヶ月で英語ペラペラ」
ありますね(笑)そういういかにも売りたいがために出てる本。いわれてみるとそういうのはうそだと思ってました。

たしかにわいせつ教授とかいる世の中ですよね。知性は高くとも人間性はないのかもしれませんね。

まず自分でためしてみるところからはじめます。ありがとうございました

お礼日時:2007/07/17 13:42

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