人に聞けない痔の悩み、これでスッキリ >>

ブラジル在住です。ポルトガル語は勉強中でまだカタコト以下です。
こないだ初対面の方に、私自身の宗教についてたずねられました。
そこで「無宗教」をそのまま訳して「sem religiao」と答えたところ、
「あなたは神様を信じていないのか」と聞き返されました。
「神様は信じているが、宗教(団体)には属していない」と答えました。
なぜかと聞かれましたが、「機会がなかったから?」と頭の中では浮かびましたが、ポル語にできず、相手の方は納得しないままウヤムヤになってしまいました。
私は「神様はいないと信じている人」=無神論者で、洗礼をうけたり、集会に参加したり「宗教団体に所属している人」=○○教徒である、と捉えていたのでこのような答え方になってしまったわけですが、これを海外の方に分かってもらうにはどのような説明が適切でしょうか。(sem religiaoとは言わないほうがいい?)
あるいは、「お墓参りにも行く、神社にも行く、実家には仏壇も神棚もある、天理教の御祭りにも参加する」私は仏教徒で神道で天理教だと言ったほうが誤解を招かないですか?(それなら無宗教ではないだろう、というのが一般的な考えならそれでもかまわないんですが)
個人的には、この宇宙を動かしているエネルギーとか、生物の潜在エネルギーとか、なにか形のないものを、「神様」と呼んでいるに過ぎなくて、どんな宗教も同じ(キリスト教も仏教も自然神も)と思っています。そういう意味で神様(と呼ばれるところのエネルギー)の存在は信じています。
まあ、「人間」を神とあがめる宗教は別ですが。
質問文が長くなってしまって申し訳ありません。
要は「○○教徒である」ということの定義って何ですか?(その宗教の神様の存在を信じることか、洗礼を受けることか、はたまた戒律を守ることか・・・)というのが質問です。

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A 回答 (17件中1~10件)

この問題は、多くの日本人にとって、最も海外とのギャップを感じる問題の一つだと思います。


私は、高校の時、縁あってカトリックの洗礼を受けましたが、未だに、いや一生涯、厳密な一神教の世界は理解できない、いや理解したくないと思います。いくら十戒の第1戒に、「あなたには、私のほかに、神々があってはならない」という厳然たる掟があって、基本的に異教は崇拝してならないと考えられているからといっても、それは自分がもしそう思いたければ思えばいいことであって、異教を信仰している人にまで、押し付けることはできません。

十字軍以来、こうした一神教の考え方が、世界侵略を正当化するための「錦の御旗」になったことは事実ですし、ガリレオの地動説のような多くの科学的な発見も、「神の冒涜」という名の下に、異端(神の意志に背くとみなされる考え方)扱いされました。

前教皇(ローマ法王)ヨハネ・パウロ2世は、最も偉大な教皇の一人と呼ばれておりますが、彼の業績の一つとして、他の宗教との和解を図ったことが挙げられます。1986年および2002年に世界の宗教者をアシジに招いて平和の祈りを捧げたり、2000年の大聖年には聖地エルサレムを訪問し、ユダヤ教との歴史的和解への道筋をつけました。2001年には、シリアでローマ教皇としては初めてイスラム教のモスクに足を踏み入れ、さらに、2004年には東方正教会に2人の聖人の遺物を返還し、1000年にわたる東西教会の分裂を乗り越える試みを開始しました。また、前記十字軍に対する謝罪や、ガリレオへの名誉回復と地動説の承認(1992年10月)など、過去の過ちに対する見直しも行いました。そして、この前教皇の下で、教皇庁諸宗教対話評議会の名秘書官(次長)として、世界の諸宗教を対話でつなぎ平和への道を開いた、尻枝正行神父(本年6月ローマで死去)の功績も忘れることができません。

そもそも第2バチカン公会議(1962年~1965年)以降、カトリックは宗教間の対話にかなり努力するようになり、少なくても表面上はあまり、他宗教を排他的に扱うことはなくなったと思います。例えば、マザー・テレサはインドの貧民街で「死を待つ人々の家」というホスピス施設を創設しましたが、彼女は収容者の臨終に際し必ずその人の宗教を聞き、その宗教で葬儀を行ったと言われています。

一説によれば、「神」というのは、全ての人類にとって超越的な存在であり、ある所にはキリストを通じてキリスト教として伝わり、ある所にはアラーを通じてイスラム教として伝わり、又、ある所には釈迦を通じて仏教として伝わっただけだという説もあります。つまり、神という意味では確かに一つであり、一神教であっても不思議でないというのです。元々私は、信仰厚い家庭に育ちました。両方の祖母とも、超越的な神の存在を信じ、仏教、神道、キリスト教それぞれを等しく崇敬おり、上の考えに近いものでした。
結局、本当の所はそれこそ「神のみぞ知る」ことであり、どの宗教が優れているか、などという議論をしていても仕方がないと思います。宗教の目的は、人間の心の浄化であり、教義は二の次なのだと思います。だから宗教で争いが起こるなどということは、本当に信じられないことなのです。

日本人のこうした考え方は、依然としてやはり世界的にみれば、特殊なのでしょう。容易に外国の人には理解されないことかもしれません。だからと言って、妥協する必要はないと思いますし、こうした多神教的世界観を逆手にとって、信条や宗教を盾にした戦争や侵略に異を唱えることは大切だと思います。又、最近アメリカでは、他宗教の人に人に配慮して、Merry Christmas という代わりに Season's Greetingsっという挨拶を交わすようにしたり、フランスでも、宗教的な強制を排除しようという動きがあるようであり、歓迎すべきと思います。

かつて新渡戸稲造は、ベルギーの法律家の家に招かれた時、彼から日本の学校で宗教を教えないことに疑問を呈され、「それではどうやって道徳教育を授けることができるのですか?」と質され、はたと困りました。そして日本人の心と行動を律するいわば「宗教」に当たるものが 「武士道」だということに思い当り、名著「武士道」を書きました。是非英語・日本語対訳になっている講談社バイリンガルブックス版
http://www.kodansha-intl.com/books/html/jp/97847 …
の一読をお勧めします。

長文となり、大変失礼しました。しかし、この問題は私にとって、生涯の課題の一つであり、この機会に思う所をまとめさせていただいたことを感謝します。
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この回答へのお礼

ご丁寧な回答、大変勉強になりました。
今回の件は私にとって、今まで空気のようだった自分の日本人としての宗教(信仰)を深く考えるよいきっかけだったと思います。信仰とは本当に人それぞれで、誰にとっても簡単に一言ですべてを言い表すことのできるものでもないし、本当に回答者さまのように、ひとりの人間が生涯をかけて追究していくべきものかもしれないと思いました。
>神という意味では確かに一つであり・・・
深く納得できる考えです。
>「武士道」
確かに道徳とは「道を説く」ものであり、宗教と呼べるものでなくてもかまいませんね。(神道も「道」ですよね)日本に戻りました折には、ぜひ、拝読したいと思います。
ご回答いただきまして、ありがとうございます。

お礼日時:2007/08/02 08:04

>なんとなく濁すのがいいんじゃないでしょうか。


日本人どうしならできますが、こちらの国では濁すこと自体が難しいですし、印象も悪いです。なので聞かれたことにはこちらも誠心誠意答えなければいけないな、と思います。ですが、確かに自分から話題にすることはまずないでしょうね。

確かにそうですね、しかし、「そのことについては話したくないんだよ。」とはっきり伝えれば、それ以後続けようとする人は居ないと思いますよ。ラテン系は特に「i don't know」これが多い返事です。スペン後では「no se.」ですが、ポルトガル語もそれに近いですか??「ああ、話したくないんだ」、彼らはそう言うことについてはシンプルですから♪濁す、と言う表現が勘違いさせてしまいましたね。でも、外人も結構、濁すんですよ。遠まわしな言い方するんですよ。そうそうストレートではないので、たまにはっきり言わないと!って張り切りすぎて、びっくりされたりしますので、語学勉強と共に、付き合い方も勉強されてください。がんばってください。ブラジルもラテンアメリカですから、冗談言って逃げるのも方法の一つかも。失礼な響きかもしれませんが、彼らは結構、頓知が利けてなんぼなんですよ。日本人は、冗談が下手ですからね。でも、きっと宗教の話も、うまく出来る日が来ると思います。とても真面目な方のようですし。
片言だと、やっぱり勘違いがおこるでしょうからね・・・。私も、片言の時代は、難しい話題になると、勘違いをさせたり、大きな疑問を持たせてしまったりしていました。そう言う経験が、モチベーションをあげてもくれるんですけどね♪本当に、頑張ってくださいね(:
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この回答へのお礼

「Nao sei.」もしくは「Nao quero falar・・・」ですかね。
確かに、これならまちがいなく伝わりますよね(^^)。
遠まわしな表現でも、ネイティブ同士なら伝わるので(日本人どうしであれブラジル人どうしであれ)、伝われば問題ないと思うんですけどね。「何が言いたいの?」ってなってしまうのが問題なわけで・・・。
ポル語にはポル語なりの婉曲な表現はあるかと思うんですが、これはブラジル人との会話に慣れないとしょうがないですね。がんばります!
今まで日本でたくさんのブラジル人の方が、職場(ブラジル人が多かった)でも家(主人はブラジル人)でも、一生懸命日本語を覚えてコミュニケートしてくれてたから、私も少しでも早くこの国になじめるように本当にがんばります。ご返答いただきまして、また励ましていただいて本当にありがとうございます。

お礼日時:2007/08/05 18:32

No.7, 9です。


だいぶ以前に私がスペイン語を習ったときのベネスエラ人(白人系)の先生が「クリスチャンではない」と言ってたんですが、無宗教なのか何なのか不明。
私のスペイン語も大したことないので。

旅の指差し会話帳ですか・・・・・・・・・・・・・・・
それはまた。

先日読み直した本。
グレートスピリット、キリスト教徒をやめて自然(nature)を信じることにした人、自然宗教、アニミズム、多神教などのキーワードが出てきました。
ブラジルにいらっしゃるならなかなか読める機会はないかもしれませんが(アマゾンで通販すれば買えると思うけど)、宗教の定義を知りたいのなら、こういう感じの本を読んでみたらいいかもしれません。
ユダヤ-キリスト教についても触れられています。
また、はっきり言うのだけが「海外」ではありません。違う文化もあります。

海外旅行的には角が立たぬよう、難しくならないように、というのが穏当なお勧め意見だと思いますが、そういう会話の仕方に納得できないなら、ご自分で勉強するしかないでしょう。

『ナバホへの旅 たましいの風景』河合隼雄、朝日新聞社
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%8A%E3%83%90%E3%83 …

私が持っているのはハードカバーなんですが。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%8A%E3%83%90%E3%83 …

この回答への補足

>また、はっきり言うのだけが「海外」ではありません。違う文化もあります。
わざわざのご指摘恐れいります。もちろん日本人が、いつでもどこでもなんでもかんでも曖昧にしているわけではないように、海外(私はこうは言ってませんが)の方だって、ケースバイケースだし、時と場合と相手によりけりだし、個人の性格にもよるでしょう。また文化もいろいろあるでしょう。そうしたことは前提としてのコメントのつもりだったんですが、あげ足を取られないためにはこうした断りを入れるべきだったのでしょうか。あるいは誤解を招いてしまったのであれば、大変申し訳ありませんでした。
「はっきり言うの「だけ」が「海外」の文化」だと申し上げるつもりはありません。
>海外旅行的には・・・
旅行ではなく在住(永住)です。
また、「話題を避けるべき」というご意見に私が共感を示していないのは、もとより私自身で「わかってもらうにはどうしたらいいか」という趣旨の質問を立てておりますので、論点の拡大を避けるため、災難を避けるのに非常に有効で、また貴重なご意見をいただきながら、上記の質問内容に則った方針でコメントさせていただいております。どうか、ご容赦下さいませ。

補足日時:2007/08/05 16:54
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この回答へのお礼

補足欄訂正です。
>、「話題を避けるべき」あるいは方便として「仏教(神教)を名乗るべき」というご意見に・・・・

重ね重ねのご回答ありがとうございます。
ご紹介いただきました本は、日本に帰りました折にぜひ拝読させていただきます。(通販は可能ですが、何分こちらの給料で生活しているものですので、物価の高い日本の買い物は控えさせていただいております。)

お礼日時:2007/08/05 17:03

定義も、今いる国や地域に合わせるしかないと思います。


厳密に戒律を守っているのが当たり前な国もあれば、
結構ルーズな国もあるので、
ルーズな国なら「仏教」とか「神教」の教徒と言ってもいいでしょうが、
敬虔な国では無理ですよね。
まぁ、100%扱える言語でもってさえ宗教の話は難しいのですから、
お茶を濁してその場を凌げばベストかと。
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この回答へのお礼

「合わせる」は、もしかして新しいご意見ですかね。(他の方の回答から私が読み取れてないのでしたら、すみません)
他の方のお礼欄で、「濁す」のは難しいと書き込んでいるんですが、今回のところは、相手の方がつたないポル語の私を相手に、懸命にコミュニケーションをとろうとしてくれてたので(ふたりきりだったので、他の人に話題を振ったりもできなかった)「濁すなんて思いつかなかった」と言うのが正直なところかもしれません。今後私のほうから宗教の話題を振ることはないと思います。
ご回答いただきましてありがとうございました。

お礼日時:2007/08/02 08:41

命の尊さや人を思いやることなどについて道徳で習いますが、一定の宗教に元ずいているわけではなく日本人の場合、人間の道徳心として当たり前に教わったような気がします。

小学校の頃、悪い事をしたら地獄に堕ちるとか罰があたるなど親から幾度となく戒められる話を聞くこともありましたが、なんだかいろいろな宗教や伝説などミックスされていて一定の宗教の教えに結びついていたのか判断はつきません。宗教を聞かれると困る日本人の若者は多いと思います。しかし信心は浅くても、お盆には多くの人が家に帰り霊をお迎えしたりお墓に参って掃除をします。宗教というより先祖代々亡き人の霊を弔う心は強いのではないでしょうか?話は違うかもしれませんが、アメリカ人の友だちは日本語が話せると言うのですが「こんにちは」「お腹すいた」程度で会話はまるで無理です。日本人の場合英語は話せないと言ってもレストランでの注文や旅行先で大抵のことは対処できる人も多い。話せるということについての見解の違いですが、宗教についても家で仏壇にお参りしてるくらいじゃ私は仏教徒とは言えない!くらいズレてることも厳しい日本人にはあるのではないでしょうか?団体に属してなくても、浅くても深くても宗教の個人的な活動内容までは他人に図れませんから、海外での会話で信仰心の度合いはさほど気にしなくていいと思います。語りたい人は語るし、語りたくない人はそう言えばすむ事です。
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この回答へのお礼

>語りたい人は語るし、語りたくない人はそう言えばすむ
できることなら語りたいので、こちらにお寄せいただいたご回答をもとに、自分の考えを深めるとともに、ポルトガル語の学習にも力を入れたいと思います。
「話せる」というような意味に幅のある言葉についても、できるかぎり、正確に伝えられるようになりたいですね。完全にはムリでしょうけど(たとえ日本人どうしでも)少なくとも努力はしたいな、と・・。
それがコミュニケーションであり、言語力(日本語力、ポル語力)だと思うので・・・って、ここは私の意思表明の場ではないですよね(笑)申し訳ありません。
ご回答いただきまして、ありがとうございます。

お礼日時:2007/08/02 08:24

イギリスとカナダに在住経験のある30代女性です(現在はカナダ在住)。


私は渡航前、海外をよく知る知人から「外国人と、宗教と政治の話はするな!」とアドバイスを受けましたよ(笑)
実際こちらに住んでみると、よく「宗教は?」と聞かれます。私は決まって「私は無宗教だけど、親族の葬式や法事は仏教のスタイルで行うんだ」と答えます。すると、当たり前のように「そんなの変だ!」と言われるのですが、私はそこで「日本人はそういう人が多いんだ。日本ではよくあることだ!」と強く答えます。だって、実際そうだと思うし、日本人って特定の宗教を熱心に信仰している方って、外国に比べたら少ないと思うんですよね。実際、身内のお葬式は仏教でするのに、結婚式は教会で…って。でもこれは日本の教育的、文化的な問題であって、外国の方にとやかく言われる筋合いはないと思いますよ。
カナダは移民が多いので、色んな国出身の方と話す機会がありますが、例えば同じカトリックでも、私の友人Aさん(韓国人)は毎週日曜日に教会に行くけど、Bさん(ブラジル人)は1年前に結婚した時に行ったっきりで、それ以降は教会に行ってないわ、と平気で言ってます。でも2人とも「私は敬謙なクリスチャンだ」といいます。人それぞれですね。
ちなみに私の場合は英語ですが、質問者様はポルトガル語ですし、ただいま勉強中との事ですので、会話の内容によっては非常に伝える事が難しいと思います。いずれにせよ、語学力がアップすれば色々ディスカッションができて楽しくなると思います。頑張ってくださいね♪
質問の趣旨とそれてしまってたらすいませんm(__)m
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この回答へのお礼

いえ!とっても嬉しいです。ポルトガル語がんばります!
私もやっぱり正直に強く答えたいですね。というか、こっちの人って逃がしてくれないんですよね(笑)ポル語だけの問題じゃなくて、「明日いける?」「うーん、難しいな」「で、どっちなの?」・・・みたいな(笑)なんでわからないの?と思いながら「NAO!(Aの上にミミズ記号)!!」って言うようなことが何回かありましたね。性格的にははっきりしている方なんですが、柔らかい物言いを心がけていることと、それをつい直訳してしまうのが、いけないんでしょうね。ディスカッションを楽しめるぐらい上達できるように、がんばります!
ご回答いただきまして、ありございます!

お礼日時:2007/08/01 13:27

はじめまして♪私の主人はラテンアメリカ出身です。

ラテンアメリカって、物凄く敬虔なクリスチャンが多いので、宗教の話はしないほうがいいような気がします。。私の主人は、その「無宗教」ですが、それを彼の国で言うと沢山の人に囲まれて、「気狂い」扱いされるそうなので、絶対に、宗教の話には触れないそうです。
彼の国で、教会へ行きました、「別の宗教の者の家ではない、」と司祭に言われ(要は私のこと)、彼が怒って私たちは教会を後にしました。先進国の人々は、あまりこだわりませんが、まだまだ、宗教が問題で紛争している国もあります。日本人のよく言う「山の神、風の神」などの考え方も、完全否定されます、・500年前、スペイン人がラテンアメリカを発見するまで、原住民(インディアンって呼ばれた人々)は日人のような考え方で、「山の神、水の神、森の神、」って考え方だったのを、殺戮でキリスト教の一神論に考えを改めさせられた歴史があるので、特に、ラテンアメリカでは日本人の考え方も危険です。「全能の神」は絶対です。それ以外にありえないのが彼らの考えかた。
仏教は、三大宗教に入れられていないのは、「仏陀は実在する人物で人間であったから。」って理由なんです。え?マホメットだって、商人じゃん。。って思うんですが、。宗教は奥が深く、話すのは、なかなか難しいですね・・・。
宗教の話は、なんとなく濁すのがいいんじゃないでしょうか・・・。頑張ってください(:
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この回答へのお礼

>なんとなく濁すのがいいんじゃないでしょうか。
日本人どうしならできますが、こちらの国では濁すこと自体が難しいですし、印象も悪いです。なので聞かれたことにはこちらも誠心誠意答えなければいけないな、と思います。ですが、確かに自分から話題にすることはまずないでしょうね。今回宗教の話題になってしまったいきさつはNO8の回答者さまのお礼欄に書かせていただいたとおりです。
貴重な経験談をいただきまして、ありがとうございます。
ラテンアメリカ・・・こわいですね(笑)生まれ育った環境が違うんだから信仰もまた違っていて当然で、そこを尊重できなくて何が宗教だと、こんな話を聞くとNO1の回答者さまに心底共感ですね。あっ、批判ではなく感想です。(日本人も残虐だなどとドっと反対意見が寄せられると対処しかねますので、念のため)またもし仮に批判されるべき点をあげるとしても、キリスト教そのものではなく、そのような人達の人間性だと思いますけど・・。はあ、オブラートに包みまくった会話ができる日本社会はすばらしいですね。ご回答いただきましてありがとうございます。

お礼日時:2007/08/01 13:00

ちょっと一言だけ。

この件はキリスト教以外の一神教の国でも要注意ですよ。一神教はキリスト教だけではありません。ユダヤ教もイスラム教も一神教です。
「無宗教と無神論者はイコールなのか?」という質問者さんの疑問がありましたが、無神論者どころが、「魂のない」生きもの、動物と同じレベルとされる恐れさえあるそうです。
宗教は(日本人はそうではありませんが)その人の基盤ですから、つっこんだ議論をするときはそれなりの覚悟はいると思いますが、いかがでしょうか?特にブラジルはヨーロッパよりキリスト教の力が残っているところのようですし。
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この回答へのお礼

宗教の話題になってしまったいきさつはNO8の回答者さまのお礼欄に書かせていただいたとおりです。こちらの状況説明がいたらず、大変失礼いたしました。
ご回答いただきまして、ありがとうございます。

お礼日時:2007/08/01 12:22

No.7です。


お礼コメントをありがとうございました。

>近頃はやりのスポーツジムのホットヨガに通う日本の女性達は、果たして、ヒンドゥー教徒といえるでしょうか?

ええっ!? それは言えないでしょう(笑)いくらなんでも。
だってヒンドゥーの教えを信じてるわけじゃないでしょう???
文化の一旦を習っているだけであって(たいていは美容や健康のために)、何でそんな風に考えるのか私には理解できませんが・・・・・。

一般的な日本人の「お寺と神社」な生活をしている人は自分の意識でいいと思いますが、宗教によっては信者になるための手続き(儀式などなど)がありますから、たとえば勝手にクリスチャンと名乗ったりは出来ないと私は考えます。
洗礼を受けなきゃまずいでしょう(宗派によるのかもしれないが)。
仏教はあんまりうるさいこと言わないんじゃないですか?
他の仏教徒の人にも仲間だと認めてもらえると思います。
出家するなら別ですが(儀式も修行もある)、そうでなきゃ自分の自覚で十分でしょう。
檀家ってのはありますが・・・・。神社なら氏子というのも。

私はわりとカトリックなんかは好き(興味ある)ですが、ニューヨークのハーレムでゴスペル(プロテスタントでしょうね)を見学して、「こりゃ違うわ」と、結局自分は仏教&神道&多神教の血が流れているらしいと「感覚的に納得」したことがあるんです。
で、外人から「あんた仏教徒かい?」と聞かれて「そうです」と答えることに抵抗がないんです。

しかしNo.8の方がおっしゃるように、やたらと宗教なんか聞かないものでもあります。避けたほうが無難だと。
と言いながらスペインのタクシーの運転手のおじいさんに聞かれたことありますけど。
まあ宗教でケンカするような場所でも相手でもなかったから、危険な話題ではなかったんですけどね。

ご自身としては仏教徒とも言いたくないならば、「神様は信じるが無宗教」と言えるようなポルトガル語を磨けばいいんじゃありませんか?
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この回答へのお礼

>ええっ!? それは言えないでしょう(笑)いくらなんでも
ですよね(笑)私もブラジル人がそう言ってたときはかなり驚きました。仏教徒と言うのがイヤなわけでは全然なくて、ただきちんとした教義も宗派も知らないのに、言っていいのか?と思ってたんです(いんですね)。客観的に「私って何教なの?」と逆に聞きたい気持ちと言いますか・・・。自分の宗教(信仰?)くらい自分の言葉で説明できなきゃいけませんよね。がんばってポルトガル語を磨きます!
ご回答いただきましてありがとうございました。

お礼日時:2007/07/31 10:33

宗教を聞かれたら仏教(BUDDISM)と言うと相手は納得します


だいたい人の宗教を聞くなんて要らぬお世話です
手術で入院する時は別ですが(貴方の葬式の時の用意に聞くのです)
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この回答へのお礼

私の状況説明が適切ではなくて、申し訳ありません。
私の語学力がまだあまりにも未熟なため、「旅の指差し会話帳」という本と辞書を使っての会話(・・・というよりレッスン??)だったんです。なので、本に書かれた言葉から話題を拾って、食べ物のページなら「この中で何が好きですか?」、家族のページなら「あなたに兄弟はいますか?」のような形で会話していたんです。つまり宗教の話題になってしまったのはたまたまそのページまで来てしまっただけで、その方に深い意図はないんです。説明が足りなくて大変失礼いたしました。
ご回答いただきまして、ありがとうございます。

お礼日時:2007/07/31 06:54

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以前、仕事でUAEに行った時、自分の信条としては「宗教=なし」としたかったのですが、余計なトラブルになることを恐れて、泣く泣く「Buddhist」と記入したことがありますが、未だに何か割り切れない思いでいます。

Aベストアンサー

> 実際、「宗教」欄を書かない場合、入国拒否や、不利な扱いをされることがあるんでしょうか?

 旅行マニアのひとりとしてこれまで見聞した範囲では、入国拒否こそ
ないものの、かなりのトラブルになるようです。

 全員が生まれた時からイスラム教徒(たまに土着キリスト教もいますが)
という中東では、無宗教というのは無国籍とおなじくらい、ありえないこ
ととされます。つまり、非イスラム教徒=異教徒であり、宗教心がない
人間など彼らには想像がつかないのです。

 よって、宗教がないと申告することは、私には国籍がないと申告するのと
同じくらい彼らにとって異常事態なのです。そのため尋問を受けたりスパイ
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が、これはあくまでも私個人の意見です。
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すいませーん。また登場してしまいました。
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たまたま隣にいた日本人が韓国語が話せたらしく、文句を言ってくれたのですが、
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N.Yも40日いましたが3人しか日本人に会いませんでした。んーでも五番街にはいっぱいいたかも・・。
飛行機の利用の関係で主要都市に行ってしまいますが、そこからレンタカーで田舎へ行くので、日本人にはほとんど会わないです。
アメリカでは嫌な思いをしたことがないです。
ちょっと話が通じないと、親切にゆっくり説明してくれたり、更にわからないと簡単な単語にかえて言いなおしてくれたり・・・アメリカはいつでもどこでもそうでした。でもユニバーサルで隣にいた日本人がレストランのオーダーが出来なくて困っていました。明らかに店員の意地悪でした。うーん・・
でも誰がなんと言ってもアメリカ大好き。
すいません 質問からずれてしまいました。

すいませーん。また登場してしまいました。
前回の補足です。
グアムの行きたくない理由は、日本人ばかりで、グアムの良さを感じる事が出来ませんでした。
韓国は、真冬に行きました。韓国の人から見ると、当時私の一歳の子供の服装がすごく薄着に見えたのでしょう。心配していると言うより、まるで私が虐待をしているといわんばかりにすさまじい勢いで言って来るんです。それもすれ違う人たちみんな。韓国語なのではっきりした言葉はわかりませんでしたが、雰囲気で伝わりました。「もう、放っておいて」と言...続きを読む

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http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog053.html

「ホテルのフロント係は、女性の方を見向きもせずに、デュボイスへの対応を続けた。勘定がすべて終わると、彼はデュボイスに向かって深々とお辞儀をし、それからやっと、その厚かましいアメリカ女性の方を向いたのだった。フロント係の毅然とした態度は、これまでの白人支配の世界とは違った、新しい世界の幕開けを予感させた。

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http://hanausagi.iza.ne.jp/blog/entry/964059/


人間は好き嫌いのほかに生理的嫌悪ということもあります。戦後は戦争の被害ということも理由に付け加わりました。

オバマ大統領はなぜ黒人なのか。ハーフではないのか。白人男性の主人と黒人女性奴隷の間に生まれた子どもは、生まれながらにして奴隷であり、色が白いほど高く売れたと聞きます。人種差別に法的に最終的な決着がついたのは1964年(昭和39年)かともいわれます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E6%B0%91%E6%A8%A9%E9%81%8B%E5%8B%95

>日本人の君はまだマシな方だ
そんなわけで、白人にすれば納得ずくというより、無理やり人種平等を誓わされたわけで、本人からみた多層な差別意識があるのはある面いたし方がないと考えます。

武力ということではないにしても、要は実力で認めさせるほかはないと考えます。

アジア人という定義の仕方に白人目線を感じます。つい近年まで白人は有色人種を人間とは見ていませんでした。「奴隷、当時のヨーロッパでは『黒人が白人と同じ人間である』という考え方はなかったのである。
『法の精神』で知られるモンテスキュー。
社会学の父と讃えられるフランスの哲学者でさえ「黒人が人間だと考えるのは不可能である 彼らを人間と考えるなら 我々がキリスト教徒でないと認めざるをえなくなる」と語っている。」
http://www.fujitv.co.jp/ainori/st/st361.html

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Q欧米では無宗教の人はキチガイ扱いされる?

某カルトにはまっている知人から『欧米では無宗教の人はキチガイ扱いされるんだぞ』と言われたのですが、実際どうなのでしょうか・・・

Aベストアンサー

具体的に米国の雰囲気については述べられませんが、こと欧州に
関しては、全体的に言えば、無宗教も、反教会主義も反キリスト教会
も、何でもありです。公言しても、何らマイナスになることはありません。

60年代までは、インテリの中には意図的にカトリックであることを公言
する雰囲気がありました。いまやそれは逆に隠す傾向にあります。
インテリと教会の関係も、もはや終わっています。

無宗教者は「欧米ではキチガイ扱いされる」というイメージは、明治時代
に日本に持ち込まれた一面的な印象をそのまま続けているのではない
ですか。あるいは、カルト的な人間が一方的に言いふらしているか、
あるいは学校の社会科で一面的に教えられたか。

(どの国にも、過激な根本主義者は見られます。一部ですがどの宗教に
もいます。現今の世界情勢を見れば、一目瞭然です。)

旧共産主義諸国では、おおむね無宗教、反教会の教育に成功しました。
その結果、教会に一度も足を踏み入れたことのない人びとは、かの国々で
はおびただしい数に上ります。
聖書をみたことも、当然、手にしたこともない人というは別に珍しくありま
せん。クリスマスや復活祭もまったく祝わないか、祝っても、国民的行事
位にしか考えない人も、もの凄くいます。

特に、ドイツをはじめ、少数ながら教会税制のある国々では、当初から
あるいは途中から脱退する人の数も、もの凄いです。そこでは、「無宗教」
と言うことを申告すれば、教会税を払う必要はありません。それで差別
されることはまったくありません。教会税は、いわば、クラブの会費みたいな
ものだから、それに入れば義務付けられ、源泉徴収されるます。

仕事を始めるときに、当初から「無宗教」と記入すれば、教会税はかから
ないし、途中脱退すれば、その月から免除されます。職場でも、一般社会
でも何ら問題はありません。ただ、葬式のときも無宗教ふうに、教会の
司祭や牧師なしで埋葬するだけです。それでも不都合はありません。

欧州各国でそれぞれにちがいますが、無宗教者が何かの差別を受ける
ことはありません。教会が猛反対した人工中絶や、離婚も、もはや昔話に
近い感じです。教会の思惑どおりには社会が動いていません。

昨今、同性同士の結婚すらも承認される時代です。
本当に、無宗教者が差別されるのでしたら、もっとも反教会的、反宗教的で
ある同性愛結婚はまずもって不可能なはずですが、大体認められる傾向に
あり、いくつかの欧州内の国では、法的に承認されています。
これは社会的にも、無宗教者がキチガイ扱いされていない、明白な証左です。

ニーチェが反教会的、アンティ・キリストについて書いたのは19世紀です。
フランスは18世紀のフランス革命以降、人々の教会離れは進みました。
無宗教も反教会も何ら問題はありませんでした。
国民の9割がカトリックだとされたポーランドでも、教会とは無関係な人は
かなりいました。何も不都合はありませんでした。
イタリアでも、戦後の共産主義が強かった頃、教会と縁のない人はもの
凄くいました。今でもいます。

宗教の自由を求めてあの大陸に渡り、建国した米国でも、その後、数多くの
国からの移民でなりたっています。長期の生活経験がないので詳細につい
ては語れませんが、

欧米のうちの欧州、特に、EUのなかでは無宗教でも、反教会でもいっさい
問題はありません。人間にとって、自由性こそ最も重要なことだからです。
教会もそれは成立当初から自覚しています。

カルトに染まっている人の言うことを鵜呑みにしないほうがいいです。
どうか、諸外国についての、一面的で、誤った想像や認識から開放され
ることを願います。

具体的に米国の雰囲気については述べられませんが、こと欧州に
関しては、全体的に言えば、無宗教も、反教会主義も反キリスト教会
も、何でもありです。公言しても、何らマイナスになることはありません。

60年代までは、インテリの中には意図的にカトリックであることを公言
する雰囲気がありました。いまやそれは逆に隠す傾向にあります。
インテリと教会の関係も、もはや終わっています。

無宗教者は「欧米ではキチガイ扱いされる」というイメージは、明治時代
に日本に持ち込まれた一面的な印象をそのまま続...続きを読む

Q有機物と無機物の違いはなんですか?

稚拙な質問ですいません。
有機物の定義とはなんでしょうか?
無機物とどこで線が引かれるのでしょうか?
有機化学と無機化学の違いはなんですか?
髪の毛は有機物?無機物?
ご教授ください

Aベストアンサー

有機物とは基本的に生物が作るもので炭素原子を含む物質です。また、それらから派生するような人工的で炭素を含む化合物も有機物です。ただ、一酸化炭素や二酸化炭素は炭素原子を含みますが無機物に分類されます。
無機物とは水や空気や金属など生物に由来しない物質です。

Q宗教って何のためにあるんですか?人はなぜ宗教を信じるんですか?

宗教が原因で世界中で戦争や人殺しやテロが勃発してます。でも、今生きている人の中で神様を実際いることを証明した人は誰もいません。なぜ、実態があるかもどうかもわからないものを人は信じるのでしょうか?宗教を信じる事に何か利益があるのですか?しかも個人的に信じるならまだしもそれが原因で人殺しが起きたり、政治に介入したり、教育や司法、あらゆる場に介入しています。
また、宗教をねたに詐欺や金儲けをしている人が大勢います。宗教って一体 何のためにあるんですか?信じている人はどうして信じるのでしょうか?
何か信じて利益になるんですか?

Aベストアンサー

こんにちは。
私も前の方と同様に思います。

神さまも仏様もキリスト様も結局は人の心の中に存在するのだと思います。

イエスキリストやゴータマシッタルダ(仏陀)も実在の人であったようですが、その後進達によって、実在の姿からかけ離れた姿で言い伝えられています。

教祖は人間でも死去すれば、弟子達によって神格化されてしまうのは、洋の東西によらないでしょう。

結局、宗教で信じているのは、教祖(始祖)ではなくて、神格化された教祖の姿なわけです。

その言葉なり戒めを信じて疑わずにやっていけば、迷う部分が大幅に減り、ストレスなども相当減らせます。
そういう意味で宗教は有益だと思います。

ただ、近頃はやけにお金を貢がないといけない宗教が多いですね。
私はそういうのは宗教だと思ってません。
人の悩みや弱みに付け込んだ詐欺だと思ってます。

Q神道を信じてない、って言う人

この間終戦の日にNHKに「私は神道を信じていないので」と言っていた若者がいました。
ぼくの場合は神道って信じるも信じないもなく、生活に根付いているものだと思うのですが、具体的な例となると初詣に神社に行く、くらいしかいえません。
そこで、生活の中に溶け込んでいてだれでもやっている神道の習慣をおしえてください。
あと、仏滅、友引なども神道でしょうか?合わせて教えてください。

Aベストアンサー

体系化・理論化されている宗教としての神道(皇室神道とか)となると別ですが、
「日本古来からの信仰観、死生観、思想、文化」としての神道を考えると、
あまりにも生活の中や思想、他の宗教の中にまで深く入り込んでいて気がつきにくいですね。
現在庶民の一般的な宗教である「仏教」は、その伝来時に神道の思想や神を呑み込むような形で広がりました。
さらに陰陽五行や修験道、道教、儒教などの思想も複雑に絡み合っていますから、
「これは神道。あれは仏教。これは陰陽道」などと明確に区分けするのは難しいです。
ですがいくつか生活に根ざしているものでわかりやすそうなものを挙げてみれば、

・お葬式の後の、酒や塩での「お清め」
 「清める」という概念は仏教にありません。「死者と触れた穢れをはらう」という神道の概念です。
 「穢れをはらう」という観念は、神道の基本ですね。

・厄年、厄払い
 気にしない人も多いと思いますが、気にしている人もとても多いですね。

・茶碗や箸は、個人専用のものを使う
 多くの家庭では、自分専用の茶碗や箸を使っていませんか?
 個人差はあると思いますが、他人の使った箸を自分が使うのは、ちょっと嫌だなぁということはありませんか?
 これも神道の、「穢れ思想」からくるものです。

・妊娠5ヶ月の「戌(いぬ)の日」に妊婦が着帯する
 これは説明の必要がないかもですね。今でも多くの妊婦さんがやっていると思います。

・お祭り
 最近は地域民の親睦などを目的とした宗教と関係のないお祭りも多いですが、
 もともと神道的な行事です。盆踊りなども。
 「祭日」というのは祭りをとりおこなうための休日ですね。

・祖霊信仰
 もともと仏教には、「ご先祖様」を祀るという観念はありません。
 お墓にお参りすることをはじめ、死者に対する行事は神道に根付くものです。
 先祖の霊を迎えるお盆なども突き詰めれば儒教と神道の風習です。
 多くの日本人の死生観は、神道を基本に仏教の輪廻転生などと習合したものです。

・雛祭り
 もともとは紙の「人形」を作って川に流し穢れをはらうという神道行事です。
 節分や端午の節句や七夕などの古来からある行事も神道とは関わりが深いです。

・各種お祝い
 お食いぞめ、初誕生祝い、節句、七五三、成人式などなど。
 中国伝来のものと混ざっているものも一部ありますが、
 「祝う」というのは神道においてとても重要なことです。

・結婚式での忌み言葉
 「切る」「割る」などの言葉は使ってはいけない、というのがありますよね。
 これは日本古来の「言霊信仰」に根ざすものです。神道に含まれるといっていいでしょう。

調べれば調べるほど、まだまだたくさんありますよ。
神道は神様を「信じ崇め奉る」ものというより、長い歴史の中で培われた日本文化そのものです。
日本人として育っている限り、神道と縁のない生活を送るのは不可能でしょう。

体系化・理論化されている宗教としての神道(皇室神道とか)となると別ですが、
「日本古来からの信仰観、死生観、思想、文化」としての神道を考えると、
あまりにも生活の中や思想、他の宗教の中にまで深く入り込んでいて気がつきにくいですね。
現在庶民の一般的な宗教である「仏教」は、その伝来時に神道の思想や神を呑み込むような形で広がりました。
さらに陰陽五行や修験道、道教、儒教などの思想も複雑に絡み合っていますから、
「これは神道。あれは仏教。これは陰陽道」などと明確に区分けするのは...続きを読む

Q一神教と多神教を生み出す環境の違い

宗教には一神教と多神教があります。
高校のときの社会の先生は、それが生まれる背景を次のように説明してくれました。
「砂漠のように何もない世界では一神教が生まれる。日本のように四季があって自然が豊かな世界では多神教が生まれる」
当時はなるほどと納得したのですが、今考えると、そんな単純ではないと思います。

一神教と多神教が生まれる環境というか、背景というか、生まれる要因としてはどのようなものがあるのでしょうか?
また、一神教の神は戒律が厳しいといわれますが、どうして厳しくなってしまうのでしょうか?
神についての概念は両者で大きく違うと思いますが、一緒に論じてよいものなのでしょうか?

いろいろと疑問を書きましたが、神に関することなら何でもよいので書き込んでください。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

宗教を、一神教と多神教だけで考えると、実際と異なるものになってしまいます。

一神教の世界でしばしば問題となった、二元論的考え方も、考慮すべきです。
二元論は、光と闇、知性と肉体、善と悪などの対立軸を考える考え方です。

有名なところでは、ゾロアスター教やマニ教ですが、キリスト教の中でも、グノーシス派、カタリ派、ボゴミール派、フス派などあります。
普通のキリスト教においても、神とサタンの対立が描かれており、完全な一神教とは言い切りません。

二元論的立場に立つ多神教として、ゲルマン神話(オーディンとロキ)、ヒンドゥー教(ビシャンヌとシバ)などがあります。

ギリシャ神話では、ゼウスの優位が描かれ、完全な多神教とはなっていません。
日本の神道においても、天照の優位が確立していますが、ギリシャ神話ほど、優位は確立していません。

仏教においても、南方仏教は、ブッダが中心で、一神教に近い形になっています。
それに対し、北方仏教は、多神教に近いかたちになっています。

イスラム教やユダヤ教においては、完全な一神教になっています。
逆に、ケルト神話は、完全な多神教の世界です。

このように、世界中の宗教は、色々な種類があり、単純に一神教、多神教と2分して述べる事は、各宗教の本質を見失う事になりえます。

宗教を、一神教と多神教だけで考えると、実際と異なるものになってしまいます。

一神教の世界でしばしば問題となった、二元論的考え方も、考慮すべきです。
二元論は、光と闇、知性と肉体、善と悪などの対立軸を考える考え方です。

有名なところでは、ゾロアスター教やマニ教ですが、キリスト教の中でも、グノーシス派、カタリ派、ボゴミール派、フス派などあります。
普通のキリスト教においても、神とサタンの対立が描かれており、完全な一神教とは言い切りません。

二元論的立場に立つ多神教として...続きを読む

Q野武士はなんですか

野武士というは、盗賊とか、山賊とかという話しなら

いつも聞いてましたが、

その「野武士」とは、戦国時代で別に生活して活動しましたから

なんか、他の時代で活動した山賊や盗賊とは違うことがありませんか

Aベストアンサー

野武士とは特定の君主に仕官しない武士の集団と言う理解で良いと思います。

領地をもっている武士の場合には、なんらかしらの形で自身より強力な勢力の保護を必要としますが(保証してもらわなければ領地を奪われてしまいますから)、野武士の場合は大抵の場合領地からの年貢を経済的な基盤としていませんでした。また有力な大名の勢力が接する国境に拠点を構えていたようです。

戦時は隣接の大名の傭兵として稼ぎ、平時は国境という大名の勢力が及びにくい街道や水運の要衝において通行料を徴収したり(かわりに野武士の勢力圏での安全を保証していました)、富裕な村落を略奪したりして生活していました。ただし、「略奪」は野武士に限らず、当時の武士においては軍事演習と実益が得られる一挙両得の行動で、武士として「やましさ」を感じるような行為ではなかったようです。

交通の要衝で通行料を徴収し安全を保証する活動を通して、水運業者や馬借などの陸運業者との繋がりの深い野武士も多く、室町時代初期の「悪党」と呼ばれた武士と共通点が多いように思います(「悪党」には同族的な要素が強いのですが、「野武士」の集団では血縁関係は必ずしも重要な要素ではなかったイメージがあります)。

野武士とは特定の君主に仕官しない武士の集団と言う理解で良いと思います。

領地をもっている武士の場合には、なんらかしらの形で自身より強力な勢力の保護を必要としますが(保証してもらわなければ領地を奪われてしまいますから)、野武士の場合は大抵の場合領地からの年貢を経済的な基盤としていませんでした。また有力な大名の勢力が接する国境に拠点を構えていたようです。

戦時は隣接の大名の傭兵として稼ぎ、平時は国境という大名の勢力が及びにくい街道や水運の要衝において通行料を徴収したり(か...続きを読む

Qイタリアで日本人は差別されてますか?

先日北イタリアへ行ったのですが、個人旅行であったせいかいろいろ不愉快な思いをしました。
・なにしろ見る目が厳しい。
観光地じゃなかったのでアジア系が目立つのか、それともスカートだったのがいけないのか・・・どこでも怪訝な目でみられました。
町にスカートの人は店員以外では見かけませんでしたが、何か意味があるんでしょうか。パンツスタイルにしたら少し変わりました。
・電車で嫌がられた。
一等車にしたのですが、途中乗って来たカップル(女性)にあからさまに嫌がられ、男性にどうにかしてと頼んでいたようですが結局彼等は次の駅で出て行きました。。。
その他にもカフェで他の客にどかされた等イタリアのイメージが崩れました。何しろ怪訝な目で見られるのが厳しくて・・・。
ミラノのような大きいところではそうでもなかったのですが、もしかしてイタリアって日本人(もしくはアジア系)嫌ってますか?
イタリア語の勉強も始めたのにこれですっかり気が萎えてしまいました。参考に教えていただけると幸いです。

Aベストアンサー

ヨーロッパ人の基準からすると、日本人女性の服装は、売春婦に見えることが多いのです。日本にいる時と同じ感覚で、おしゃれをしていたのではないでしょうか。パンツに変更したのは、正解だと思います。

イタリア人が日本人に差別感情を持っているという話は、聞いたことがありません。遠い国の話ですし、直接的交流は少ないですからね。

わたしも世界各地を旅行して、好奇心の目で見られるのは慣れています。そこらじゅうで、ジャポネとかヒネーゼ(中国人)とかキタイ(契丹人)とか呼ばれますが、気にしません。そこらじゅうの国を回りましたが、「よそ者が何しに来やがった」という悪意の目つきは、ウズベキスタンのフェルガナ地域でしか、出くわしたことがありません。外国人を見たら興味を抱くのは、大都市以外ではどこの国でも一緒です。日本でも、例えば田舎の田んぼのあぜを黒人が歩いていたら、じいさんばあさんがぎょっとした目で見たり、村中の人が集まってきたりするでしょう。小沢一郎の一人区まわりと同じで、村人がワサワサ出てきても、まったく不思議ではないと思います。

イタリア人の差別感情は、主としてアルバニア人に向けられます。イタリアは第2次大戦中の一時期、海を越えた向かいのアルバニアを支配していました。戦後、アルバニアは、ホジャ大統領の下、独自の共産主義閉鎖国家を作り、弊害も多かったものの、結果として、ユーゴスラビアに併合されてぐちゃぐちゃな内戦に巻き込まれることを避けることができました。アルバニアはユーゴスラビアともソ連とも中国とも仲たがいして、鎖国状態にあったのですが、実際には市民はイタリアのテレビを見て、世界情勢を知っていました。ホジャ大統領の死後、共産主義が崩壊し、資本主義の導入も失敗、ねずみ講への投資を国家が推奨するということを資本主義を理解していない国民に推奨したため、ねずみ講の崩壊と共に、政局は混乱、政権が吹っ飛んだのです。この時、多数のアルバニア人がぼろい船でイタリアに渡って不法入国した事情があり、アルバニア人に対する感情は、きわめて悪いものと推定されます。

ヨーロッパ人の基準からすると、日本人女性の服装は、売春婦に見えることが多いのです。日本にいる時と同じ感覚で、おしゃれをしていたのではないでしょうか。パンツに変更したのは、正解だと思います。

イタリア人が日本人に差別感情を持っているという話は、聞いたことがありません。遠い国の話ですし、直接的交流は少ないですからね。

わたしも世界各地を旅行して、好奇心の目で見られるのは慣れています。そこらじゅうで、ジャポネとかヒネーゼ(中国人)とかキタイ(契丹人)とか呼ばれますが、気にしま...続きを読む


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