電子書籍の厳選無料作品が豊富!

24歳・女性です。
小学生の頃からなぜか「戦時中」の映像を見ると「この風景覚えている」と感じることがあります。「この風景(場面)知っている」だと教科書などで学んだのだからそれを記憶しているのだと思えますが、自分が体験したような感覚に陥ることがあります。挙句の果てに、「あぁこんなんやったなぁ」と発している自分の発言に驚いたことがあります。
(自分の寝言ではっと目が覚める感じですね)自分のなかにもう一人居るような感じで驚きと恐さを感じました。
あと、映像を見るだけで胸が痛くなります。刺すような物理的な痛みで涙も出ます。
自律神経失調症を患っていたせいか、物事に関して「無感動」な所があると友人に指摘されるぐらいの私ですが(友人は自律神経失調症を患っていたことは知りませんが)、これは一体何なんでしょうか?不思議です。

A 回答 (3件)

私が出会った、「人に対してものすごく気をつかう人」のほとんどの方は、ある面に関してすごく鈍感だなと感じました。

そしてそのことに気づいていない(気づけば気をつかう範疇に入ってしまいます)。
気をつかう故にある面が見えないんです。
それで、自分の中のバランスが自然にとれるんですね。
「物事に関して「無感動」な所がある」ということと、「映像を見るだけで胸が痛く」なるような鋭い感覚は矛盾していないと思います。
視野の角度を狭くすれば、その部分はよく見えるけれど他の部分が見えなくなるのは当然ですから。
で、他の部分が見えないというのは、他との関係性も見えないということです。
「「戦時中」の映像」で言えば、映像だけに入ってしまうと、それ以外との関係性(ほかの映像・時代や撮影した人・場所・その時代の自分の祖父母などの住居・その映像を見せた人の意図、未来への願い・その時代の別の側面…。)が見えにくくなります。
ものの見方について、そういう傾向があなたは強い(良いとか悪いとかという意味ではありません)ということなのではないかと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
なるほど!と思いました。ある分野に関してのみ思い入れが強すぎるんですね。無意識の中で声を出すほど・・・。
無感動といわれながら戦争に関する物事だけすごく反応する自分にずっと不思議に思っていました。少しスッキリしました!

お礼日時:2007/08/05 16:49

デジャビュと言われる、普通の現象だと思います。

私にもありますが、私の考えではその人にとって最も愛着のあるものがそういう感じを与えるのだと思っています。むしろ大切にしたらどうでしょう。私はそういう対象は私だけの宝と思っています。懐かしいと思えるものは意外に少ないものですが、そういうものは大切にしたほうが良いことのように思います。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
「最も愛着のあるもの」ですか・・・。
戦争に関しては愛着というより「忘れてはならないもの」として自分の中にインプットされているのかもしれませんね。

お礼日時:2007/08/05 16:45

ひょっとしてその頃の方の生まれ変わりかも?・・・という声も聞こえてきそうですが・・・これは「既視感」(デジャヴ:フランス語 Déjà vu)ですね。


Wikipediaによると、「既視感は統合失調症の発病の初期や、側頭葉癲癇の症状として多く現れることがあるが、健全な人に多発することも稀ではなく、一般的な感覚である。また、一般大学生の72%が経験しているという調査結果もある。」とあり、前段の記述がちょっと心配ですが、かなり良く起きる現象だといえると思います。↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A2%E8%A6%96% …

普段は「無感動」な所があるとのことですが、人間は皆それぞれ同じ所で感動するわけではなく、人とは違う感性を持っているわけですから、人と感覚的なものまで合わせる必要はないと思います。
ただ、先ほどの記述もありますので、もし心配なら、心理学や心療内科の先生などに相談してもよいかもしれません。あくまで参考までに・・・。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
デジャヴ・・・健全な人にも発すると聞いて安堵しつつも「統合失調症の発病の初期や、側頭葉癲癇の症状」には不安を覚えます・・・。
でも、結局これが何なのか謎ですよね。

人より感動が少なくてもいいですよね。誰しも「ツボ」が同じとは限らない・・・私もそう思っております。

お礼日時:2007/08/05 16:43

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!