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1970年代後半の中国とベトナムの対立の歴史的背景について
おしえてください。

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A 回答 (1件)

間接的には紀元前からの中国によるベトナム支配が尾を引いていたとも言えますが、直接的には、カンボジアの内戦からの流れであると言えますネ。


1975年にクメール・ルージュ(ポル・ポト派)を中心とする解放勢力はプノンベンに入城します。しかし、シアヌーク殿下はポル・ポト政権の極端な社会主義政策に反対して、北京へ亡命します。
1978年末にベトナム軍がカンボジアへ侵攻したためにポル・ポトはタイ国境へ逃げてゲリラ勢力となります。
そしてヘン・サムリン政権が誕生しますが、シアヌーク派はその政権を認めず、ついに殿下の息子のラナリットがヘン・サムリンと戦闘をはじめます。
中国・アメリカ・日本・東南アジア諸国はシアヌーク、ポル・ポト、ソン・サンの三派連合の後押しをし、ベトナムとソ連はヘン・サムリンの後押しをし、1989年のベトナム軍撤退まで戦闘が続きました。この時点で中国とベトナムの対立ははっきりとしたものとなっていました。
そして、ベトナム戦争の結果、1976年にベトナムはベトナム社会主義共和国となっていたのですが、そのときに1955年に中国共産党と交わした合意;ベトナムに住む華僑に自由権限を与える;を破棄してしまい、1976~77年にかけて、ベトナム国籍の取得か国外退去かの選択を華僑に迫りました。
さらには1978年になると、ベトナムは民間企業の廃止・商業資本家の排斥・余剰資産の没収、そして、外国人の就労禁止を決定しました。
その結果、多数の華僑は中国に戻り、中国政府とベトナム政府との間は非常に険悪なものとなりました。
最終的には1979年2月に中国人民解放軍がベトナムに侵攻し、1ヶ月間の中越戦争が起こったのです。
1991年にパリ協定調印が行われ、中国とベトナムは友好関係を樹立しますが、それまでは一触即発状態の緊張状態が続くことになったのですネ。
以上kawakawaでした
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この回答へのお礼

詳しい解説ありがとうございます。
南沙諸島の領有権の問題などの国境紛争は、中越戦争の原因ではないのでしょうか。それから、ベトナムはなぜカンボジアを侵攻したのでしょうか。
単純に、ポルポト政権が親中国、反ベトナムであったからなのでしょうか。

お礼日時:2001/01/29 02:05

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