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現在高校2年生です。
現在哲学に興味を持ち哲学を始めようと意気揚々図書館へ本を借りにいったのですが、意味がまったくわかりません。
哲学の歴史みたいな本を2冊借りてきて、なんとか読もうと努力するのですが一向に理解できないんです。
わからない単語は調べて何度も何度も同じところを繰り返し読み、同じ日本語なんだから理解できないはずはない!と必死になって読みました。
でも子供の頃、初めて新聞の社会面を読んだ時のように読めないんです。
数学の教科書を読んでる時の気分にも似ていました。
はたして僕に哲学はまだ早いんでしょうか?それとも入門書が哲学の歴史というのは過ちでしょうか?

A 回答 (13件中1~10件)

うん。

気持ちはよくわかります。
なんというか難しい専門用語が多いし、同じ言葉でも日常の使い方と違う意味で使ったりすることもあるからね。

早いということはないんでしょうが、そういう本を読むためにはそれがすんなり入るように、自分なりにいろいろなことを考える素地ができている必要があるんです。

定番の入門の本というと「ソフィーの世界」ですかねえ。
哲学者を網羅したわけじゃないですが、西洋哲学者のキモをわかりやすく示してくれています。

同じ日本語なんだから、という心がけは立派ですが、哲学のほとんどは他国のもので、それが日本語に翻訳されているわけですから、「翻訳のせい」ということもあるかもしれない、とは思っておいて下さい。
哲学書を訳した初期の日本人は、哲学というものをどうも最初っから難しいものという先入観を持っていたような気がしますね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
そうですね、小説から入るのもひとつの手ですね。
正直いうと僕は他人より本を読んでる自信があり模試で評論関係が出てもスラスラ解けました。
俺には読解力がある、という見栄が哲学の本を読んでボロボロと崩れてしまいがっくりきているのが今の状況です。
背伸びせずわかりやすい本を見つけていこうと思います。

お礼日時:2007/08/31 13:01

哲学というのは、西洋哲学のことですね?翻訳が悪いので、分かりにくいという事情もあるんです。

それから、哲学者には、いろんなタイプがいて、あなたの発想法にあう人もいれば、ぜんぜん理解できないタイプもいるでしょう。それをいきなり、哲学史として、うまく全部まとめている本があるのか、私はよく知りません。が、哲学史というのは、いろんな考え方の人をひとまとめにしたものなので、難しくて当たり前です。簡単にまとめてある高校生向けの本なんかがあれば、見てみたいです。

ちょっと質問をさせてください。カントという哲学者がこんなことを言っています。「経験とは全く無関係な、純粋な理論というものは存在するであろうか?私は、存在すると考える」。もし、あなたがこの意見に賛成なら、カントとあなたは、相性が良いということです。逆に、私のように、「は?経験と無関係の理論?そんなもん、あるわけねーだろ」と思ったら、あなたはカントとは相性が悪いということです。一生、カントは理解できないでしょう。

哲学史の本ということは、あなたにとって相性の良い哲学者も、悪い哲学者も、両方、かまわず並べてあるということです。だから、今の段階では、分かるところだけを読んで、分からないところは、放っておけばいいんです。

私はカントと逆にヘーゲルという哲学者と、相性が良いタイプです。ヘーゲルは、だいたい、こんなことを言っています。「理性的なもの、それは現実に力を持つものであり、現実に力をもつもの、それは理性的なものである。あらゆる哲学は、偏見にとらわれない意識と同じで、この確信から出発する」。要は、理論と現実は必ず一致するのであって、理論と現実は一致しないなどというのは、偏見にとらわれた人の言い草に過ぎないといっているのです。私なんかよく、筋論を主張して、「それは理論的には正しいかもしれないが、世の中ではそれは通用しない」と言われるたびに、このヘーゲルの言葉に勇気付けられます。

哲学史全体の入門書をぱらぱらめくってみて、気に入った哲学者が見つかったら、その哲学者の入門書を読んでください。全ての哲学者を理解しようなどというのは、無謀です。

それから、西洋哲学の書物の翻訳は、本当にひどいもので、日本語として成立していないものもあるくらいなのですが、原典を読んでみたいと思ったら、現段階では、ルソーとキルケゴールの岩波文庫を薦めます。このふたりの文章は、日本語で読んでも恰好いいです。簡単という意味ではありませんよ?ただ、ルソーの鋭い指摘には、うならされるものがあります。(実は、私は高校の時からルソーを読んでます)。キルケゴールの文章は、同じ弁証法理論のヘーゲルやマルクスやアドルノと比べたら、ずっと常識的だし、同じ実存主義者のサルトルあたりと比べると、「俺は不幸者だ。だから頭がいいんだ。どうせ、お前のような頭の悪い幸せ者にはわからんだろう」といった、ひねくれた意識も見られず、読んでいて不快感がありません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
>>「経験とは全く無関係な、純粋な理論というものは存在するであろうか?私は、存在すると考える」
僕は経験なしに理論を作り出すことは不可能だと思います。理論は経験の上で成立する(とらえかたはあってますよね??)
哲学史というものは学校の歴史と同じではなく何通りも解釈がある、
というのも本によって書いてることが違う(ような気がします)。
>>「理性的なもの、それは現実に力を持つものであり・・・
理性!この理性という言葉が本の中では連呼されていました。
哲学の中では理性というのが重要なキーワードなのでしょうか?

お礼日時:2007/08/31 13:16

心配ご無用。

みんなが通る道です。
最初から哲学書がスーっと読める人なんて、よほど頭がいいのかちょっと変わった人ですよ。

絶望的ともいえるくらい下手な文章、わざと直感的にはわからないようにしているかのごとき新術語の連なり。ほんとに、これ日本語? という感じでしたよ、私なんか。
もっとも、フランソワーズ・サガンの小説『悲しみよこんにちは』のちょっとエキセントリックな大学受験生の女の子も、ベルグソンを読んで、「何?これ!フランス語?」というような感じで怒り出しています。哲学先進国、フランスの17歳も同じようなものなのです。

しかし、わかろうがわかるまいが、高校生の時期に哲学することはとても有意義なことだと思います。とりあえず、読解力を上げながら悪戦苦闘(その本は良くないかもしれません)し続けてみましょう。そのうち読めるようになります。たぶん。

私のオススメ入門書は、小須田健 著『日本一わかりやすい哲学の教科書』です。
http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%B8 …
網羅性といい、わかりやすさといい、最初の1歩にはベストではないかと思います。

ところで、料理を勉強するのに料理を食べ続けても意味がありませんよね。料理は、つくってみなければ始まらないことをお忘れなく。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
はっきり言って安心しました。
下で書いたように自分にある程度の自信を持っていたので読めない!というのが非常に不安でした。
>>ところで、料理を勉強するのに料理を食べ続けても意味がありませんよね。料理は、つくってみなければ始まらないことをお忘れなく。
本当にそうだと思います。

お礼日時:2007/08/31 13:20

哲学に興味を持ったきっかけがどのようなものか分かりませんが……。



哲学の歴史、過去の哲学者がどのようなことを考えてきたのか、
に興味を持ったのでしたら、哲学史を読んでゆくしかないでしょう。
しかし哲学そのものに興味を持ったのでしたら、歴史書ではなく哲学書を読むのも良いと思います。
哲学書といってもあまり本格的なものは良し悪しの判断もしにくいでしょうから、
日本人が日本語で、一般向けに書いたものから初めてはいかがでしょうか。
手軽に読める文庫・新書サイズでも、例えば、
  廣松渉『哲学入門一歩手前』
  永井均『〈子ども〉のための哲学』
など、なかなか読みやすい良書がいくつかあるので、
図書館へ行かれるなら一通り眺めてくると良いと思います。

もちろん哲学史を概観したり、あるいは手当たり次第に読みあさって、
そこから自分の哲学を捉えていく、というやり方ももちろんあります。
基本的に他人の哲学というものは理解不能なものなのですが、
たまに、自分とよく似た感覚、自分と同じ問題意識を抱えている人がいるもので、
そういう人の著した物を読むと勇気づけられたり、自分の哲学を先へ進めるきっかけを得たりすることができます。
(これがNo.2さんの仰る、相性の良い哲学者ということだと思います)

哲学するに早すぎる、ということはありません。
むしろ年をとると観念が固定化されてしまって、哲学はしにくくなっていきます。
ともかく、誰かに強制されたものでないのなら、
自分が読みたいと思うもの、自分が読めそうだと思うものから読んでいけば良いと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
僕が最初に哲学に興味を持ったのはマトリックスからだと思います。
自分の周りにあるものすべてが本当に存在しているのだろうか、と子供心に思いました。
他にも理科で地球の成り立ちについて習ったとき、地球が生まれる確立が天文学的に少ない。
さらにその中で僕の親が日本の同じ時代に親が生まれ出会い、結婚し、ちょうど僕が生まれることになる精子と卵子が発生したときにHする(笑)。
こんな確立はまさに無限分の1ですよね。
これは僕がものすごい幸運なのか、と思ったときにああこんな幸運なわけがない、こんな偶然があるわけない。
こんな世界嘘なんだ、こんな世界あるわけないと思いました。
今思うと怖い子供ですね(笑)。
高校生になりいろいろな本を読んだりサイトを見たりしていくにつれ水槽の脳とかデカルトの悪魔とかクオリアとかに興味を持ちました。
特に自分以外の人間に意識があることを証明できない、と聞いた時の驚きの快感は今も忘れられません。
僕のやろうとしている哲学?はおそらく近代的な哲学なんだろうなと思ったのでまず哲学史をやってから自分の好きな分野に踏み込もうと思い哲学史を読んでみました。

お礼日時:2007/09/01 10:38

>俺には読解力がある、という見栄が哲学の本を読んでボロボロと崩れてしまいがっくりきているのが今の状況です。




では、セミ哲学のレベルから入るとよいかと思います。
「ソフィーの世界」はストーリーも付随してしまうので、鬱陶しくなるきらいはありますからね。
カミュの「シシューポスの神話」あたりを読んで脳をシャッフルするのも一興かと思います。
あるいはニーチェのような、評論文とは違う文学的な文体に脳をスライドさせるのもよいかもしれません。


>理性!この理性という言葉が本の中では連呼されていました。
>哲学の中では理性というのが重要なキーワードなのでしょうか?

ものを把握するためには理性が必要である、と考えられていた時代がありました。
その中心時期は主にデカルトからはじまって、フランス革命で理性が崇拝される時代を経て、ニーチェあたりが突破口になります。
そして、日本では、その時期の哲学だけをもって「哲学」と代名詞化している面があります。
まあ、だからだと思いますが、それを知ってることが偉いみたいに思い込まれてしまった不幸があって、よりわかりにくい解説だらけになってしまったんだと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
ソフィーの世界は昔から読んでみたいと思ってたので今度読んでみようと思います。
>>シシューポスの神話
調べてみるとなかなかおかしい話ですね(笑)。
おもしろそうな話ですので今度読んでみたいと思います。

お礼日時:2007/09/01 10:43

現在42歳です。


高校生の頃から哲学に興味を持ち
自分なりにあれこれ本を読んできたのですが
いまだに内容が理解できず読破出来ていない本がドッサリありますし
このOKWaveの哲学カテゴリーに寄せられる回答でも
すでに日本語として理解できないものが沢山あります(滝汗。

哲学というと恐らく、人生哲学のようなモノと学問的なモノの
2タイプをイメージされる方が多いと思います。
後者の学問的なモノの中で主流だと思われるのが西洋哲学ですが
その西洋哲学の中でも主流にあるのが「形而上学」というヤツです。
形而上学を英語で言えば「metaphysics」。
metaは「超越した」の意、physicsは「物理学」の意です。
つまり形而上学とは物理的現象を超越した「絶対的真理」を探求する学問です。

さて、形而上学がなぜ西洋哲学の主流になったか?というと
それは西洋宗教の主流が一神教だからです。
一神教の神というのは我々の世界を超越したところにいる「唯一絶対存在」ですよね。
発想法として同じ構造を持つわけです。
そして、もうひとつ重要なこと。
一神教世界では我々の住む現実世界を超越したところに真理があると考えるわけですね。
つまり、この世の存在は「仮のモノ」と考えるわけです。
ここで、例えば目の前に「美しい花」があるとします。
このとき、現代の日本に住む我々でさえも
目の前の花の「美しさ」を超えて
より普遍的で絶対的な「観念としての美」があると考える筈です。
この観念上の絶対的なモノを「イデア」と言います。
観念(アイディア)の語源ですね。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A5%A4 …
そして、ここが我々日本人には分かりにくいところなのですが
イデアは必ず言葉によって論理的に説明できると信じます。
この「言葉によって論理的に説明できるという主義」のようなものを「ロゴス」と言います。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A5%ED …
ロゴスの概念は厳密には日本語で相当する言葉がありません。
形而上学とは(言い換えれば)「ロゴス」によって「イデア」を探求する学問です。

どうでしょう?ここまでは理解頂けると思うのですが・・・
(ちょっと乱暴に都合よく説明したんで、つっこみどころは満載です。)
哲学の歴史書を読んだとのことですが
その前提となるフレームを説明してみました。

哲学が難しいことの理由として
ひとつは(既出の回答にもあるとおり)翻訳の困難さがあります。
すでに「ロゴス」という最大のキーワードが上手く日本語化できません。
もうひとつは、すでに何となく感じて頂けているかと思うのですが
やはり「キリスト教」世界と密接につながっているのですね。
たとえば近代哲学の父と言われるデカルトの
「我思う、故に我あり」ぐらいまでは分かると思うのですが
デカルトでもその先の(近代理性の)論理展開になると
キリスト教の神の概念が入ってきて少なくとも私には難しかった。
つまり、少なくとも西洋哲学はキリスト教と自然科学の歴史と一緒に理解していかないと
非常に分かりにくい部分があります。

でね、ここから提案なんですけど
近代哲学以前を学ぼうとすると、歴史的な知識が欲しくなるので
思い切って「現代」から入るのはどうかな?と。
(私がたまたま現代から遡った方が理解が早いタイプなので・・・)

現代哲学というのは、誤解を恐れずあえて一言でいえば「形而上学批判」です。
デカルトは「何が正しいか」を問うために、一旦全てを疑ってみたことはご存知だと思います。
そして、全てを疑っている自分の意識だけは、確実に存在すると考え
そこから「我思う、故に我あり」という名文句を思いつきました。
ところが20世紀に入る直前になって
「デカルトはおかしい」という人が増えてきます。
代表的な人が、例えば精神分析の祖であるフロイトですね。
フロイトは「無意識」を発見したわけですが
この無意識でデカルトの「自分の意識」を攻撃したわけですね。
他にフッサール、ニーチェ、ヴィトゲンシュタインなんて人が重要視されるのですが
言っていることが難しいので置いておきましょう。
そして、この本を読んでみて下さい。
●内田樹:著「寝ながら学べる構造主義」
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4166602519/250-34 …
へへへ、いつもコレばっかり薦めるんですけどね。
それが言いたいだけで、こんなに長々とスイマセンね。
私の個人的な思いとして、哲学の専門書はあまりに難解なのですが
その反作用なのか、入門書になると妙に子供向けになってしまうのです。
子供向けでも永井均氏の著作など、非常に内容的にイイなと思うモノもあるのですが
学問的な空気を求めるならモノ足りないでしょうし
他のモノは教科書のおさらいみたいだったりして読み物としてつまらなかったりします。
(あくまで私の偏見ですが。)
内田樹氏の著作もレビューを見ると賛否両論ありますが
10代後半ぐらいの方には丁度よい知的面白度だと思います。
あくまで最初の1冊としてのおススメですが
高校で学ぶレベルの世界史とリンクできるであろうことと
言語学・記号論のソシュールに触れているのが特におススメする理由です。
> 同じ日本語なんだから理解できないはずはない!
に対する何らかのヒントをくれると思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
とても勉強になりました。
おっしゃるとおりやはりカタカタ文字が難しいのかなと思います。
ロゴスやイデアなどあまり意味自体を理解してない言葉がばんばん出てきました。
しかも「これが西洋の形而上学につながる」とか書いてあっても僕は形而上学が何かわかってませんでしたかちんぷんかんぷんでした。
今回のアドバイスを読んで形而上学が少しわかった気がします。
>>思い切って「現代」から入るのはどうかな?と。
これははたして可能なのでしょうか?
どこかにパンク・ロックを知るにはまず過去の音楽を知らないとわからないみたいに今の哲学は過去の哲学の反発だから過去の哲学を知らないとわからない、と書いてあったので僕も哲学史を読もうと思ったのですが。
ですが現代から入れたらそれにこしたことはありません。

お礼日時:2007/09/01 10:55

CUE009さん



riven990さんは、古代から現代に至るまでの哲学史の話をしているのですから、あなたの世代がはまったようなニューアカの話をするのが適切とは思われません。

riven990さん

構造主義は、当時のフランスにあっては政治にも積極的に関わる哲学運動だったのですが、1980年代の日本では政治的意義は理解されず、哲学書を持っていることを恰好いいからというファッションの一部にしてしまった哲学バブルの連中です。ここから哲学の勉強を始めるのは、あなたにはお奨めしません。構造主義を学ぶくらいなら、カントの方がいいです。(なお、構造主義は私のような弁証法家の天敵です)
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ANo.6です。


ご察しの通り、私は中学生でセックスピストルズの洗礼を受けた
オリジナル・パンク世代です。
> パンク・ロックを知るにはまず過去の音楽を知らないとわからない
確かにそんな意見もありましたね。
でも当時の私は「目の前で事件が起こっているのに
過去のお勉強なんて後でイイんじゃないの?」と思っていましたし
今でもそう思います。

> 入門書が哲学の歴史というのは過ちでしょうか?
過ちではないと思いますが、新しい何かを学ぶときに
過去から入るというのは臨場感がつくりにくくて個人的には苦手です。
(臨場感が湧かないというのは分かりにくさにつながると思います)
私は「とりあえず今どうなっているの?」「これからどうなるらしいの?」
から入って臨場感を高めてから、歴史を遡って因果関係を紐解いていく方が
分かり易いことが多いですし
何より「昔話」よりも「最新トピックス」を聞いた方がワクワクします。

内田樹の「寝ながら学べる構造主義」をオススメしたのは
ページ数多くないし価格も高くないから
ハズレでもたいして痛くないでしょ、というのは冗談ですが
この本なら「とりあえず今どういう状況にあるの?」が分かり易いと思ったことに加え
(さらに橋本治の「二十世紀」を併読すればバッチリです)
内田樹が現在とても精力的に活動している思想家だからです。
(他に今、元気ある人って誰がいる? 永井均ぐらいかしら)
そして、もしこの本が気に入って頂ければ
次は思想家・内田樹と宗教家・釈 徹宗の共著である
●インターネット持仏堂1・2
http://www.amazon.co.jp/%E3%81%84%E3%81%8D%E3%81 …
なんて、どうかしら?と思っています。
OKWaveの哲学カテゴリーに寄せられる質問も
半分以上が宗教(さらにはスピリチュアル)に関する質問のようです。
哲学だからということで形而上学に限定するよりも
宗教や科学と絡めていった方が、臨場感を得やすいのではないかと思っています。

最後に。物凄く私見にもとづいたオススメだから
つまらなかったらゴメンなさい。
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水を差すような回答になります。



分からないものは分からないとしなければならない哲学の類はあると考えます。

その上でですが――ほかの方も言っておられますが―― 分かるもの・自分にあった考えのものに出会うまで進めていくことになると思われます。

もう一つは 問題意識です。何に自分は関心があるのかです。何を問い求めているかです。

特にないが 哲学を学ぶこと自体にでしたら 哲学とは何かを まづ学ぶのがよいと思います。というよりは 哲学史を読みつつも 哲学とは何かと考えつつ 進めるのがよいという意味です。哲学の歴史がどうであったかの前に 哲学とは何かです。何でもないかも知れません。あるかも知れません。・・・

抽象的な話に終始しますが 哲学に興味があるとおっしゃっているので そういう推論になると思います。

高校を卒業するまで 本を読まなかった(あるいはまた 三年生になるまで 試験勉強という試験勉強をしなかった)者のことばです。
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私の意見ですが…。


学問は時に縦割りで、横との繋がりが無いことが多々あり、定義が複雑になる一例です。こと哲学にはご注意ください。独自の主観的思想が根強く、他分野の専門用語を乱用し、一般的な言葉でさえ、歪曲な意味付けの傾向にあります。そこで、論理学や心理学など、他の側面から哲学を学ぶことをお勧めします。早い遅いよりも、むしろ順序が大切です。
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