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人間は死ぬ。
ソクラテスは人間である。
ゆえに、ソクラテスは死ぬ。

三段論法ですよね。
ここで、「人間」とは何か、「死ぬ」とはどういうことか、「ソクラテス」とは何か、など知らなくても、これは、成り立ちますよね。
つまり、
A ならば B
B ならば C
ゆえに、A ならば C。

要するに、「数学」なる学問は、「関係性」だけを問題にする学問であって、その意味では、無味乾燥な学問である。
ヒルベルトは、「数学」あるいは「幾何学」について、そう、言いたかったのでしょうか?

A 回答 (1件)

三段論法の話とご質問とは関係ないように思いますけどね。



 ヒルベルトは厳密な、全く隙のない数学、というシステムを構築しようしてたんです。(でも、うっかりミスもやらかしてるんですが。)

> 「椅子、テーブル、ビアジョッキ」

 数学において、用語それ自体に意味を読みとろうとするな、ってことです。用語は他の用語と区別できさえすれば良い。「点」だからちっちゃいんだろう、だとか、「直線」だからまっすぐなんだろう、だとか、「虚数」というからには想像上のものに過ぎないんだろう、だとか、そういう直感は余計である。そんなものに左右されたり依拠してるようじゃ駄目だ。ってことです。
 これを言い換えれば、数学の本に出て来る「点」という用語を全て「椅子」に、「直線」という用語を全て「テーブル」に置き換えても、その本の意味する内容は何ら変わる事はない。

> 「関係性」だけを問題にする学問

という解釈は正しいのだけれども

> 無味乾燥な学問である

と続いてしまうようでは、ナイーブ過ぎると思いますね。
 認識論と対比してご覧なさいまし。
 要するに、科学あるいは現実世界と完全に決別し、形式的言語の世界だけで自己完結すること。それによって初めて、揺るぎない「証明」ってものが可能になり、数学は不易になる。
 数学・論理学・哲学・科学を明確に区別出来ていなかった時代なのに、凄い洞察だと思うなあ。
 さらにまた逆に、数学と現実とを(「点」だからちっちゃいんだろうというような余計な制約なしに)自由なやりかたで(ただしconsistentに)対応づけることが出来れば、様々な応用が可能にもなるんです。たとえば、「りんご1個にもうひとつりんごを持ってくれば?」というのを 1+1に対応付けて、1+1=2という計算結果をふたたび同じやり方で逆向けに対応づけることで「合わせて2つ」という答を出す、ということと本質的に同じ仕組みによって、量子力学では物理量を数学の演算子に対応付けている。この事は「演算子は数値じゃないんだから、物理量を表してる訳がないじゃん」という余計な直感を排除しなきゃ呑み込めません。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。なるほど、よく解りました。わたくしも、もっと、ヒルベルトの業績など、更に勉強したいと思います。C.リード著の『ヒルベルト』(岩波現代文庫)は、読んだのですが。ゲーデルの、いわゆる「不完全性定理」との関係など、まだ、よく理解出来ていませんので、勉強して、また、ご質問させていただきます。どうも、ありがとうございました。

お礼日時:2015/08/29 12:25

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