ギリギリ行けるお一人様のライン

他人を批判や批判気味の評論をするとき、ある種の快感のようなものがあるのでしょうか?

「他者の批判=自分の正当化」につながり、そう感じるのでしょうか? それ以外にも理由はありますか?

よろしくお願い致します。

A 回答 (4件)

まず、「批判」というのは本来、自己正当化や自己顕示欲まして単なる悪口を言うためのものではありません。

(辞書を見てみてください)
特に哲学方面ではマイナスの意味を込めた使用をしません。
ですから
>それ以外にも理由はありますか?

当然あります。
特に学術方面などでは単にライバルを蹴落とすためとか自分が優位に立つためとか理論武装のためだけにやるのでは学問そのものが発展していきません。
ここのような専門外の一般人のための巨大Q&Aサイトですらも言えることですが、明らかに間違ったことが流布するようでは、いずれ社会的な影響が懸念されてきますし、学問的な分野等では尚更のこと相互に批判し合うという活動がなければ、より高い次元に進めません。

但し、他人を批判するときに何らかの快感を感じる人がいるかどうか、これは、その人によります。
むしろ、その考えかた等が世間に、または特定の分野内において蔓延するようではいけない、という焦りのような気持ちで批判発言をする人も多いだろうと思います。
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この回答へのお礼

質問においての表現が適切ではなかったことをお詫びいたします。
「過剰に批判ばかりする」人の心理を理解したく、このような設問をしたのですが、説明及び勉強不足であったと思います。
ご指摘頂き、ありがとうございました。

※回答頂いた皆さまには申しわけありませんが、ポイントをつけずに質問を締め切らせていただきます。

お礼日時:2007/10/22 06:35

 自己の正当化に加えて、征服感を得られる、ということもありそうですね。

屁理屈で人を黙らせて自分に酔うタイプの小利口な向きは結構いますし。
 また、自己の同一性が揺らぐことを恐怖する向きは、言葉によって武装し、他者の考えに自分が侵食されるくらいなら徹底的に攻撃してしまえ、と考えているのかもしれませんね。
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この回答へのお礼

必要以上に武装したり、威圧して自分を大きく見せるように振舞ったりというのは、それだけ気が小さく不安定であるということですね。
快感を得るというより、精一杯の武装行為により、安心したいということでしょうか。
とても参考になりました。 回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/21 20:53

質問者様がおっしゃるとおり、「自己の正当化」は大きな要因のひとつだと思います。



ほかに考えられるのは「自己顕示欲の強さ」でしょうか。
心で批判めいたことを思っても、口にするかしないかというところでも変わってくると思います。そこで口に出る人というのは、自己顕示欲の強さの表れだと感じます。

自分が人よりも優位な位置に立ちたいと思う方に多い傾向のように思いますね。でも思いっきり前向きに考えるのであれば、自分の意見に相当の正当性を持っていて、意見することで批判の対象となる人の意見を変えて更生させたい!なんていうのもあるかもしれないですね^^;
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この回答へのお礼

なるほど。自己顕示欲が(人一倍)強いというのは、自分の存在理由に不安があったり、どこか精神状態が不安定な感じだったりするのでしょうかね。(素人なので認識に誤りがあったらスミマセン^^;)
他者を批判・否定することで、さも自分が優れているかのように振舞う。一見、自信家で思い切った発言や指導力を発揮する人の中には、こういうタイプの方もいそうですね。
わかりやすいご説明により、とてもよく理解できました。 回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/21 20:49

 他人を批判する人は、ある種のコンプレックスを持っていると思います。

例えば人を「太っている」という人はその人自身もたいてい太っています。だから大体言われた場合には、「あんたには言われたくない。」
と思われる場合がほとんどであろうと思われます。
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この回答へのお礼

自分の嫌いな部分を相手に投影して見つけ、それを責めているということでしょうか。
そのことで快感を得るというよりは、そうしないではいられない心理状態なのかと想像しました。(深層心理というか、本人は気づいていない場合が多いのでしょうね)
とても参考になりました。 回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/21 20:38

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