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去年の秋、人通りの多い街頭で、プラカードを持った中年の親子の一団が、中数にんくらいで、世の中の物欲がどうの、物質主義ごどうのと、叫んでいました。
彼らは、きっと、この世の中が酷く醜くく、罪にまみれてる、そんなことを主張していたんだろうな・・・、と、思います。

しかし、僕が気になるのは、彼らしきりに騒ぎ立てている偽善や綺麗言ではなく、
彼らだって、きちんと何か手に職を持ってお仕事をされているということです。

なんか、矛盾してると思いませんか?
世を儚んでる、世捨て人に近い人間が、生活のためなら、と、そこはそこで、理屈をまげて社会に適応しつつ、きちんと納税の義務も果たして生活している。

つくづく、自分達の都合のいいように物事を解さない、調子のいい連中だな、と、
僕は思います。

それはそれで失礼として、あの手の手合いにで出くわすと、決まって、何か、気味の悪い、ドロドロした不快感に近い感覚に襲われます。

さて質問ですが、彼らのやってることは、所詮は自己欺瞞、それはぬきにして、
果たしてどれだけの意味を自分達にもたらしていうるのか・・。

きっと、現役クリスチャンの方もお読みの方もいらっしゃるかもしれませんが、
何か、ご意見があれば、遠慮無くおっしゃってください。

A 回答 (6件)

キリスト教信者と一般化するのはどうかと…


イエスは税金を払うことを否定していないし社会生活を否定していません。

で、その人たちですが、いわゆる『狂信者』の集団でしょう。
かつてオウムという集団がありましたが似たようなことを言ってましたね。
オウムはキリスト教ではなかったようですが。
また、ヤマギシも似たような集団です。
(ヤマギシは宗教ですらありません)

> 自分達の都合のいいように物事を解さない、調子のいい連中だな
カルト教団はほとんどそのタイプですね。
宗教の教義に関しても都合の良いところだけをつまみ食いして取り込んでいます。
結局、社会や宗教本来の意義なんて関係ないのでしょう。
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さきにも回答いたしましたが、まず何故彼らを


キリスト教信者とおもったのでしょうか?

他のかたがいわれるように、狂信的団体かもしれません。
○○○の証人、○○モン教、統一○○、キリスト教に似せた
団体はたくさんあります。
彼らは自分たちのしていることは正しいと信じて疑いません。
すくなくとも私はそう思いませんし、
私の知ってる範囲のクリスチャンは日曜に礼拝し、
自分の神様を信仰し、日々まじめに生活している人ばかりです。
きれい事をいうつもりはありませんが、多くの人が貧しい人、
弱い人をこころに止め、祈る生活をしています。

無神論ということですが、それはそれでいいと思います。
ただ、私は神様が好きだというだけです。
それは自分だけのことではありますが、時にはどうしようもなく
神様をたたえたいという衝動から、路傍伝道や、賛美をします。
しかしそれも強引にはしていません。
それらが不気味といわれれば仕方ないのですが・・・

そもそも私が信仰に入ったのは、思春期にいろいろ
思うところがあってですが、片親だったことの差別(昔だったので)
などから世の中の不公平について考えるようになってからでした。

まじめにやってもむくわれない人がいたり、不幸がかさなってしまう
人がいたり、好むと好まざると、親に死なれてしまったり、
戦争が起きたり・・・世の中は不条理です。
水戸黄門のように、必ず悪がほろび、善が報われたらどんなにいいでしょう。
身近なところでは兄が若くして亡くなったことなどから、
理不尽なことがいっぱいで、確かに神様なんていないんじゃ?と
疑ったこともあります。

それでも、少なくとも私は神様を信仰していなければ、
兄の死を乗り越えることはできなかったと今は思っています。

たしかに不気味な気持ちはどうしようもないでしょうが、
市井の片隅で私たちクリスチャンは神様をたたえながら
生きておりますので、そっとしておいてほしいというところが本音です。
ちよっと、本題からは外れましたね。

さきの団体についてはクリスチャンではないと思いますよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
僕がその連中をキリスト教徒だと思ったのは、彼らが、しきりに、『紙』という言葉を使ったいてからです。

まあ彼らのことはどうでもいいとして・・・、このトピを作って初めて、敬虔な信仰と呼べるものをお持ちの方々のお話を聞くことができました。

こんな僕ですが、昔は、そう高校生になるまでは、クリスチャンの方々ほどでないですが、これでも、神様の存在を疑うことなく、何処かで、神様が自分の見守っていていてくれている、と、本気で信じていた頃もありました。

しかし、高校生になったとたん、理不尽かつ不条理な差別を毎日受けるような地獄を味わい、そして、身の回りのあらゆる人間に裏切られて、精神的にもボロボロにになり、この世の中には絶対的な、許し難い悪が存在すると痛感しました。

ここで、pagu-paguさんと違うのは、僕は悪を徹底的に憎んだということです。正確に言えば、今でも憎み続けていますが・・・。

忘れもしない、あの92年の夏から、僕の人生は大きく一変し、かなり屈折した人間になってしまったと思います。

そして、もし神様がいるとうなら・・・、という数々の疑問は、結局、神様なんていない、という言葉で全て解けてしまいました。

しかし、信仰を持ってる方を前にして、神様なんていない、と言うのは、失礼かもしれませんね。

信仰は人それぞれの受け止め方ですから・・・・。

お礼日時:2002/09/03 21:51

ご質問の感じから、たいそう真面目な方とお見受けいたしました。



どのような宗教・信仰にも「生臭坊主・信者」はいるものですし、実社会との接点では教義を妥協することが絶対必要です。
なぜなら、宗教は(現実には存在し得ない)「理想」を描き求めるものだからです。

実社会との関係において、一切の妥協を許さないような「ピュアな宗教」は、カルトでありテロや自滅に走るのでしょう。

>果たしてどれだけの意味を自分達にもたらしていうるのか・・
高校生が文化祭の準備をするように、「みんなでやったら楽しい」位の意識でしょう。

>きっと、現役クリスチャンの方も
この文は意味不明です。

#まったく失礼で不躾で無知蒙昧な話ですが、「ピュアな宗教」と子供が「アイドルはウンコしない」と信じている姿とがダブってしまうのは、私だけでしょうか?
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 理屈を曲げないで社会に適応せず、自己欺瞞と自己矛盾の全くない人が、彼等に石を投げる事ができます。

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そういう主張をするからといって、世捨て人なのでしょうか?


公に主張するか、しないかですが、誰しも世の中に不満や、不公平感や
いろいろ思っているのではありませんか?

宗教は個人の自由で、人に迷惑をかけていなければ、所詮は自分だけの世界で
あり、自己欺瞞であろうと、自己満足であろうとほんにんがよければいいのでは
ないでしょうか?

実際、キリスト教の牧師さんで自分を犠牲にされていろいろ
なさっている方もたくさんいらっしゃいます。
一面をみて全てを”あの手の手合い”とひとくくりにするのは
いかがなものでしょう。

また、自分のまわり、ひいては自分も物事は自分のよいように
考えるものではありませんか?

たとえ、一途に信仰する宗教があっても
人は世の中の一員であるし、生きている以上、生活もしなければなりません。
かういう私もクリスチャンですが、普通に社会生活を送っています。
宗教に依存する人間は弱いとかいわれますが、
私は長い間自分をささえてくれたこの信仰がなければ
今の自分はなかったとさえ思います。それが自己満足であっても
それでいいとおもいます。
いろんなことは自己満足でなりたってるのではないでしょうか?

人はなにかしら信じるものは必要で、それがたまたま信仰だっただけだと
思っています。

この回答への補足

どうも僕は無神論者に近いほど信仰に疎い人間のせいか、敬虔な信者を目にすると
知らず知らずのうちに反発してしまうのでしょうね。:pagu-paguさんも、さぞ、不愉快な思いをされたことでしょう。

しかし、僕は個人の信仰の自由、言論の自由は尊重してるつもりです。
それでも、法律による司法制度が、個人の罪を裁き、行政機関によって社会のメカネニズムが整備されている民主主義国家において、彼らの口走る言動がどれだけ奇異に感じるものか、そしてそれを耳にして、どれだけの矛盾と独善満ちていたか、それを率直に伝えたった、ただそれだけです。

それを差別と受け取られるかもしれないし、信仰と言論の自由に抵触してるとなどと、つるし上げられるかもしれませんが・・。

信仰信の薄い人間から見れば、彼らは立派な狂信者です。
僕でなくても、大勢の人は、そう思うんじゃないでしょうか?

補足日時:2002/09/01 23:58
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> 彼らしきりに騒ぎ立てている偽善や綺麗言


> ではなく、彼らだって、きちんと何か手に
> 職を持ってお仕事をされているということ
> です

出家信者なのかもしれません
あるいは、勤勉や商売を否定しない教義という可能性もあるでしょう(実際、伝統宗教の多くは否定していません)

> 世を儚んでる、世捨て人に近い人間が、
> 生活のためなら、と、そこはそこで、理
> 屈をまげて社会に適応しつつ、きちんと
> 納税の義務も果たして生活している

世捨て人になったり、理屈を曲げたりする必要の無い教義なのかもしれません
信者がみんな世捨て人になっちゃったら、教団にお布施をする人がいなくなっちゃいますし

> 自分達の都合のいいように物事を解さな
> い、調子のいい連中

自分たちの教義に都合のいいように物事を解した勝手な理屈で、納税義務などを怠られるよりはましかなと思います

> 彼らのやってることは、所詮は自己欺
> 瞞、それはぬきにして、果たしてどれ
> だけの意味を自分達にもたらしていう
> るのか

欺瞞かどうかは別として自己満足だろうとは思います
少なくとも自分達自身には満足をもたらしているのでしょう
他人に迷惑の掛からない範囲であれば、信仰の自由、表現の自由の問題ですので、放っておいてもよろしいのではないでしょうか(霊感商法とかは困りますけど)
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