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須藤元気さん著書のレボリューションの中にこのような言葉が記述されていました。

“光は闇を背景としてきわだち、闇は光を分離することでさらに闇を深める”

この言葉↑は誰のですか?また、人によって解釈が違うと思いますが皆さんはどのように解釈しますか?

よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

須藤元気さんがどういう文脈で言ったのかは存じ上げませんが、憶測しますと、



1.須藤さんは宮崎駿のナウシカがお好きなようですので、コミック版のナウシカのラスト付近で語られる、シュワの主とナウシカの問答あたりが引用元ではないでしょうか。そこでの台詞はいまちょっと手元にないので、正確な引用ではないですが、「光は闇の中にあってはじめて光となる」というような言葉であったか、と記憶しております。

2.加えてナウシカの光/闇区分はおそらく、旧約聖書の光と闇に関する話から来ているのではないか、と思います。

3.さらに光/闇を古典的な二元論と言うのであれば、それが持ち込まれた宗教的起源を辿ればゾロアスター教に行き着くのだという話をよく聞きます。

4.宮崎駿が言及したような意味で、「光は闇を背景としてきわだち」という議論は、地と図の関係の議論でしょう。概念「A」が成立するためには、概念非「A」が要請される、という話です。概念は意味の差違の中において、相対的に成立する。
 →細かくはソシュールの話とか、言語名称目録観(ノマンクラチュール)と言った言葉でググっていただければ。
 →ナウシカでは、素朴なユートピア思想はむしろ危険である、ということの揶揄としてこの表現が使われていました。つまり、ユートピア的幸福(光)だけで人間の世界が成立するということはありえない。実は、幸福(光)は、猥雑で汚らしい人間の営み(闇)と切り離し、独立に存在させることのできない概念である、と。そういう指摘です。

5.ただし、「闇は光を分離することでさらに闇を深める」、「4」で言及したような話とは別の観点に立っているように思います。「4」は二元論を捉える時のごく標準的な発想ですが、須藤さんの発想はむしろ自然科学的発想を取り入れているように思います。たぶんですが。
 「光は闇を背景としてきわだち」は、視覚効果ということでしょうかね?まあ、確かにレンブラントの『夜警』の絵などを見ると、光の表現が生き生きとするためには、光の対としての影とのコントラストが書かれていますね。まあ、でもコントラストという話は「4」の話と同一線上にあります。
 「闇は光を分離することでさらに闇を深める」は、哲学的な言い回しであるのだとすれば、概念の作り方としてはもう少し注意深く語った方がいいだろう、と思われるところです。ただ、自然科学的観点なら多少はわかります。単に、光がなければ暗闇はもっと暗くなるだろう、と。
 ただし、光が全く存在しなければ、暗闇は暗闇という概念として単独に成立する可能性を失うので、「分離する」という言葉使いが意味するところに説明が欲しいところです。

 なお、須藤さんの本は前にネタだと思ってパラパラめくったぐらいしかありませんので、須藤さんがどの程度、教養の在る方なのか等については完全に憶測ですのでアシカラズ。
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須藤元気さんはスピリチュアルなことにも興味があるそうなので、その手の話かもしれません。



似たような話としては、「神は自分自身から輝く光によって自分自身を見ることができなかった。そこで闇をつくり、自分の影をみて自分の姿を知った」
というのがあります。

意味は光と闇というまったくの対極にあるものでさえも独立して存在することはできない、つまりすべてのものは単独でなく依存しあって存在していることだと個人的に思います。
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#3です。


先ほどの回答に追記。「光と闇を分離」というのも、どうやら旧約の最初の方に出てくる言葉ですね。

「初めに、神は天地を創造された。
地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。
神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、
光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。」
http://www12.ocn.ne.jp/~sokkidou/sokkig_01/0101_ …

で、光と闇をコントラストにおいて捉える発想は旧約的な発想の外側にありますが、光と闇を「分離」と書いてしまう発想は、むしろ創世記の想像力のほうに近い。
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二元論ですね。


二元論では「光と闇」、「善と悪」、「白と黒」などが用いられます。「光と闇」では闇があるから光が際立ち、闇は光を排除してより闇(漆黒の闇)になる。「光と闇」を「善と悪」、「白と黒」に置き換えても同じですね。
「善」の代わりに「良」と置き換えて、「悪貨は良貨を駆逐する」という言葉もありますね。
ここでは、「光と闇」を「善と悪」に置き換えるとよくわかりますね。
“善は悪を背景としてきわだち、悪は善を分離することでさらに悪を深める”
悪なる心の持ち主がいるから善なる心の持ち主が目立ち、悪なる心の持ち主は善なる心を排除することでより悪人になる。
ということですね。
二元論は単純論法ですからわかりやすいですね。でも本当のところは闇は光の影でしかないですから光と対等じゃないんですけどね。
参考までに
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ことばが誰のものかはわかりませんが、ちょっと意味的におかしいの


ではないですか?
「闇は光を分離することでさらに」って、闇が光を分離することなど
あり得ないです。
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