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特に最近、益々盛り上がってきていますが各種の意見の中に、独断や偏見にとれる「感情論」的なものに嫌気がきます。
最近の傾向では、欧米の情報と、それに反する日本の旧態依然とした現実の為、被害者(嫌煙家)の乱暴なな意見が目立つとおもいます。
加害者(愛煙家)は肩身が狭い事でしょう。

私は「加害者vs被害者」という、最近の図式に嫌気がさします。
このような図式では、現実的な解決や歩み寄りは不可能です。不毛です。(日本と中国、韓国に於ける戦争問題もこの図式で、もう何十年と、すっきりとした解決はできていません。スイマセン少し話しが飛躍しました。)

また、欧米ではどうだ、こうだというのも聞き飽きた。
確かに欧米の気風で、わが国に非喫煙者の権利がわずかながら、確立しつつあるといえます。しかし逆に今の欧米は喫煙者に対し、排除、排他的傾向にあることもたしかで、欧米の愛煙家は多分‘泣きねいり‘なのでは?と思ってしまいます。(権利って難しいですね。)

大言を言うと、欧米を参考にするのは結構だが、それ以上に、日本が世界に先駆けて、両者の権利を公平に損なわないあり方を模索し世界に示せたら素晴らしいと思うが・・・如何なものか?


両者ともに歩みよるような客観的な、公平な意見を期待します。
尚、公平をきす為、敢えて私が喫煙者or非喫煙者かは言いません。

A 回答 (21件中1~10件)

それでは私も参加いたします!(^^)



私は重篤の喘息患者です。
タバコの煙を僅かに嗅いだだけでも、非常に苦しみます。
タバコの煙が充満している部屋にずっといると確実に発作がおきてしまいます。。。

なので、本音は「共存は残念ながら無理」。
理由は、私のように「煙草の煙を吸ってはいけない人達が厳然と存在している」
とにもかくにも、これ一点につきます。

ただ、だからといって私は喫煙者を毛嫌いしてませんし、人格も人権も
尊重している立場をとっています。

身近な者で喫煙者がタバコを吸っていても、大概は許しています。
我慢できなければ(体に黄色信号が出たら)すぐに場所から私から離れます。


私個人の考えとしては、正直この手の話し合いや論争は半ば諦めています。
決定的な理由として、喫煙者も非喫煙者も、「お互いの気持ち」が
どうしてもわからないからです。

男と女のそれぞれの気持ちが中々わからないのと同じく、
延々と繰り返される、まっとうなやり方ではいつまで経っても解決できない
心情的にも難しい問題だと感じています。

タバコの煙を吸ってはいけない人もいる、しかし嫌煙権を盾に排他的な
扱いや処遇を要求してしまう非喫煙者たちにも疑問を大きく感じます。

この問題に関しては、私は恐らく「悲観主義者」なのかもしれません。

タバコの煙とにおいが一切しない、それでいて体に害を与えないタバコの発明を
待つ、そんな幼稚な事に期待しているような人間です。

うーん、こんな意見でもよかったでしょうか?
ただ一言だけ、どうか社会には「煙草の煙を吸うわけにはいかない人間がいる」
この事だけでも理解してほしい。
そして、非喫煙をたてに喫煙者を排他的に捉える事も賛成できない。

以上です。
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この回答へのお礼

>私個人の考えとしては、正直この手の話し合いや論争は半ば諦めていま >す。
>決定的な理由として、喫煙者も非喫煙者も、「お互いの気持ち」が
>どうしてもわからないからです。

>私は恐らく「悲観主義者」なのかもしれません。

もっともであると、私も感じます。

>非喫煙をたてに喫煙者を排他的に捉える事も賛成できない。

煙草の煙の害があるのは正論だから、どんな論でも、排他的論でも通ってしまうのだと思います。でも非喫煙の権利はもっともであるし・・・
そのへんが難しいですね。

お礼日時:2002/09/08 16:58

喫煙者の中で「たばこはプライベートな空間で愉しむもの」という考えを確立すべきだと思います。


どこでもたばこを吸おうとするのは、どこでもアルコールを飲もうとするのと同じで、けむりが回りに流れる分、それより性質が悪いです。
あえて分煙、禁煙といわれなくても、公の場であわただしく吸うなどということはせず、家で、あるいは車で、親しい人との会合で、ゆっくりとたばこをくゆらす、というのがかっこいいと思うのです。
居酒屋みたいな「居煙草屋」ができるかもしれませんね。
そういったトレンドを確立できれば、まさに世界に率先垂範できると思うのですが。道路でたばこをくわえている人は、路上で酒を飲んでいる人と同じ。
「え? ロンドンってまだ路上でたばこ吸っている人いるの? ぷぷっ」てな具合に。

ちなみに、私は「嫌煙」と煙草のポイ捨ては大いに関係があると思います。
ガムを噛んでいる人の中でポイ捨てする人は比較的少数ですが、路上で煙草を吸っている人の中で携帯灰皿を持っているひとはごくわずかです。
量の問題は一定程度を超えると、質の問題に転化します。ガムを噛んでいる人の多くがガムを吐き捨てるようであれば、「禁ガム」論が盛んになるでしょう。
煙草も、ガムの包み紙みたいに、パッケージごとに携帯灰皿を必ず付けるようにしたらいいのかもしれませんね。
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これで最後にいたします。



「喫煙者全員が喫煙マナーを守れば、喫煙者と非喫煙者(嫌煙者)は共存できる」
と言ったときに

>マナーが守れない人がいるから問題なのではないでしょうか?

このような返しが返ってくる時点で「歩み寄り」はあり得ません。
実際、喫煙マナーをきちんと守っていらっしゃる喫煙者の方がいらっしゃる訳ですし、そういう方には私は何も言いません。
そういった方をマナーの悪い喫煙者の方とひとくくりにもしていません。(ひとくくりにされて「喫煙者は~」と言われるのは気の毒だと思っています)
もし、全員が自主的にマナーを守るのは難しいというなら(今現在がそうですが)、法律でギッチギチに規制をかける以外なくなるでしょう。

>「感情論」的なものに嫌気がきます。
>公平をきたす為

などとご質問に書いてあったため参加しましたが、どうも、私の誤解だったようです。
ここではいい解決の糸口が見つからないようなので、このご質問への私の回答は
「喫煙者全員が喫煙マナーを守れば、喫煙者と非喫煙者(嫌煙者)は共存できる」
ということで締めておきたいと思います。

喫煙者の皆さんの喫煙マナー向上を祈っております。。。
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#10です。


喫煙者が、みんな、マナーをまもって、いやがる人に迷惑をかけない、という以外にないでしょう。
それが「歩みより」にならない、というのは、「嫌煙者も歩み寄って、ちょっとぐらい我慢しろ」ということでしょ?

デポジットで解決する、とは言ってません。
むしろ、ちゃんとマナーを守って、ポイ捨てしなければ、デポジット制が導入されても損する人はいないはずなのに、それをいやがるようなレベルの愛煙者であることに問題がある、という意味です。
いくら建設的な提案がなされても、自分さえよければかまわない、という愛煙家が主流であれば、全く意味をなしませんね。

なお、ここは、賛同者を募る場所ではありませんので、他の方々の回答に対して、主張をおしつけるのは間違いだと思います。
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>喫煙者=ポイ捨てする。

ではないからです。

そうですよ。
「喫煙者=ポイ捨てする」とはどこにも書いていないはずです。
「タバコの吸殻のポイ捨て」が、悪い「喫煙マナー」の一つだからここで述べているのです。
私は「ポイ捨て」だけが問題だとは思っていません。
問題の一部です。

>喫煙者の一部でしょう。

だから言っているのですよ。
喫煙者の一部の方が「喫煙マナー」を守らないから『嫌煙者』という存在が生まれるのです。

>また、何度もいいますが、ゴミはあまたの種があり、何でタバコが特筆されるのか?

それは「じゃぁ何で車の排気ガスのことは誰も言わないんだ」と言っているのと同じことですよ。
ここは喫煙に関しての論議ですから、わざわざ「タバコの吸殻のポイ捨て」と書いているのです。
ゴミ問題は別の場所で話しましょう。

>ゴミは、人間がもたらすものです。
>タバコ自身がもたらすものではないのです。

あの~・・・
ご質問は、「喫煙者と非喫煙者(嫌煙者)が共存するには?」ですよね?
「タバコが人体に及ぼす害とは」というご質問でしたらうなずけますが・・・。
何度も言います。「ゴミ」のことを話しているのではありません。
一部の、喫煙マナーの悪い喫煙者の方の行う「タバコの吸殻のポイ捨て」という行為について言っているのです。
つまり、「マナーを守って!」ということです。

>タバコはゴミになるからいけない・・・(他のモンもなります。)
>タバコはゴミになるからいけない・・・(いえタバコは健康に悪いからいけない)

ですから、ご自身のご質問の内容をもう一度確認されてみてください。
それから、いい加減「ゴミ」から離れませんか?
喫煙に関しての論議です。

>勿論、常識としてタバコに限らず、ゴミはよくありませんよ。

そうですね。同感です。
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ごめんなさいね、何度も・・・(^^;



「喫煙者と非喫煙者(嫌煙者)が共存するには」の話ですよね。
ですから、何度も言うように「喫煙マナー」の悪い喫煙者が「喫煙マナー」を守ることで解決するのです。
「喫煙マナー」にはタバコの吸殻のポイ捨てをしないことも含まれます。
そのことを言っているのです。

この論議でタバコの吸殻のポイ捨てを問題外とするのはどう理屈をつけてもおかしいです。(いろいろ補足していただいて申し訳ないのですが・・・)
嫌煙者全員に聞いてみれば分かります。

結果として、私の意見は
「喫煙者全員が喫煙マナーを守れば、喫煙者と非喫煙者(嫌煙者)は共存できる」
ということです。

>pandamangaさんが「ポイ捨て」ストップと叫びたいなら、ゴミの問題で解決すべきです。日本人のゴミを捨てるという事に対するモラルを問うということです。

そこがおかしいんですよ~~。
「吸殻のポイ捨て」をするのは喫煙者でしょう。。。
ゴミ問題はゴミ問題で考えましょう。
ここは喫煙の論議の場所です。
「喫煙マナー」に反する「タバコの吸殻のポイ捨て」は喫煙の論議では必要です。
私は「ポイ捨てSTOP!」と叫びたいのではなくて、「喫煙マナーを守って!」と叫びたいのです。
(確かに最初に書き込んだ時のツッコミ所が誤解を招きますね。そこだけを言いたいのではないのです)

もちろんゴミ問題の論議になった時にはそれはそれで出てきますが。
何度も言いますが、ここは喫煙の論議の場所です。

>言葉悪くいえば、「ゴミの問題」を「喫煙の問題」に持ち込むことは、「ゴミの問題」を解決したいが為に、「喫煙の問題」に便乗しているのです・・・

申し訳ないですが私は今、「ゴミ問題」にはさほど(「喫煙問題」ほどは)熱くなっておりません。
ですから『「ゴミの問題」を解決したいが為に、「喫煙の問題」に便乗する』気はないです。
喫煙問題がキレイに解決したら、ゴミ問題に熱くなるかもしれませんが・・・。

>もう一度、それぞれの本質を見つめ直して下さい。

ごめんなさい。そのまま返させてください。。。

それから、補足の欄でやはり車の害の件を出されてますが、
それは本題からそれていくのでやめましょう。
喫煙の問題ですよ。喫煙に関する事のみで論議しましょう。
まぁあえて言うなら、もし「車にも喫煙同等の規制をかける」と言うならば私は賛成すると思います。
それで喫煙問題が解決するのなら・・・。

この回答への補足

車の事は例えとしてどうしてうけとれないのでですか?
べつに、車の事を論議するのは毛頭無いですよ。
車の話がよくでるのは、抱えている問題が似ているからですよ。

本題からはそれません。本題に対しての例えですから。


>「喫煙者全員が喫煙マナーを守れば、喫煙者と非喫煙者(嫌煙者)は共存できる」

マナーが守れない人がいるから問題なのではないでしょうか?
そのため(守れる為)に考えるのですが・・
そのときにの「煙」と「ゴミ」の問題は、別個で扱われるものです。
なぜなら、タバコの特性として「煙」は存在するが、「ゴミ」はタバコの特性ではなく、ありとあやゆる物質に付随する、普遍的問題だからです。


私の考えは、日本人のモラルが低下しているのであって。タバコを吸うから、ゴミが存在するわけでは無いと思うのです。他の事象にも言える事だと思うのです。

わからないのでしたのなら、もうやめましょう。

あと「マナー」と言いますが、多くの喫煙者は「煙」の害に関するマナーには、日本ではまだまだ無頓着な所があり問題となるのですが(過去では問題にならなかったから?)、「ゴミ」は、確信犯ですからね。

補足日時:2002/09/11 15:38
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この回答へのお礼

喫煙者のなかでタバコを平気でポイ捨てする人とその他大勢は、どう共存すべきか?でも立ち上げましょうか?

喫煙者=煙の害を大気にもたらす。です・・・・(1)
喫煙者=ポイ捨てする。ではないからです。喫煙者の一部でしょう。・・・(2)

ですから(1)はタバコの本質的な害です。煙はタバコの性質上、タバコが本来もっているものです。

また、何度もいいますが、ゴミはあまたの種があり、何でタバコが特筆されるのか?
ゴミは、人間がもたらすものです。
タバコ自身がもたらすものではないのです。

タバコはゴミになるからいけない・・・(他のモンもなります。)
タバコはゴミになるからいけない・・・(いえタバコは健康に悪いからいけない)

勿論、常識としてタバコに限らず、ゴミはよくありませんよ。

お礼日時:2002/09/11 17:03

何度も申し訳ありませんが・・・



>確かに「ポイ捨て」もマナーではありますが、それはどのような問題にもいえる事であり、問題外です。

問題外・・・そうでしょうか。
喫煙者の方の、そういった考え方も嫌煙者としては腹立たしいのです。
(ssiinnさんが喫煙者かどうかは分かりませんが、喫煙者の方にこういう考え方をする方が多くいらっしゃるので)
「どのような問題にもいえる事」と言い始めたら、「『煙を出す』のは車にもいえる事」・・・などとなっていくのです。。。

喫煙の論議ですよね。
『喫煙マナー』の悪い喫煙者の方がタバコの吸殻のポイ捨てをすることによって、非喫煙者及び嫌煙者の方(自分も含め)が迷惑と感じているのですから、
問題外ではありません。

喫煙者と非喫煙者(嫌煙者)が共存するには、お互いが気持ちよくいられる環境を作るべきですよね。
そのためにはやはり、タバコの吸殻のポイ捨ての件も考えなくてはならないことです。
ガムのポイ捨て、ゴミのポイ捨てを喫煙の論議に持ち出したら本題からそれます。

この回答への補足

>「『煙を出す』のは車にもいえる事」・・・などとなっていくのです。。。

多分、もうお分かりだと思いますが・・・
タバコと車の違いは、両者とも有害である。しかし、車は、殆どの人が、便利さを享受している、またその幸せを知っているのに対し、タバコは一部の愛好者しかその幸せを解からない所にある。

ですから、喫煙者の認識は、車=必要(便利)だけど有害。タバコ=必要(便利)だけど有害。であり愛煙家にとっての車とタバコの、この認識は一致するわけです。
しかし嫌煙家は、タバコ=不要であり有害ですから、車とタバコとの、この認識は一致しないわけです。



>ガムのポイ捨て、ゴミのポイ捨てを喫煙の論議に持ち出したら本題からそれます。


「喫煙の論議」では確かにそれます。
しかし「(喫煙からくる一部の人のもたらす)吸殻のゴミ」の事を語る事に、ガムのポイ捨て、ゴミのポイ捨てをもち込んでも、本題にそれませんよ。

私は、車に言えるとか・・そんな(次元の低い)子供のような、問題のすり替えをしているのではないのです、、
もちろんこれからの事を考える上での、認識として「吸殻のゴミ」「ポイ捨て」は考える必要性があるでしょう。

喫煙によって、他者に煙や臭いの害があるから、ではどうすればよいのか?と考えて、制度やキマリを論じるのが本筋です。
捨てタバコの問題は本来は別筋です。

また、(車を例に出しすいませんが・・・)
車の排気ガス等によって、環境に問題があるから、ではどうすればよいのか?とかんがえて、制度やキマリを論じるのが本筋です。
車の不法投棄とは別筋です。

「タバコのゴミ」の問題を「喫煙の問題」に持ち込むのは、「車の不法投棄」を「廃棄ガス」の問題に持ち込むのと同じ事です。
「車の不法投棄」にしろ「捨てタバコ」にしろ、それは本来ゴミをすてる倫理の問題ですから、不法投棄があるから車が悪いのでは無いのと同様に、ポイ捨てがあるからタバコが悪いのではないのです。両者共に「捨てる人」に問題があるのです。
そして「喫煙の煙」や「車の廃棄ガス」は、タバコや車自体が使われる事により、必然として生ずる「害」なのです。タバコや車そのものの問題です。

車は、エコカーなんかあって、技術により過去よりも、一台当りは廃棄ガスを放出するのは少なくなっているでしょうが、タバコはそうとはいかない・・・
また仮に、排気ガスゼロの車が一般に普及しても、不法投棄はある事でしょう。
また仮に、(夢の)煙ゼロ、副流煙ゼロのタバコが開発されても、ポイ捨ての問題は残るのです。
今論議されてる「喫煙の問題」は、煙ゼロのタバコは無いのだから、制度や規則で分煙等を考えようという事です。ですから根本的には分煙されても、「ゴミ」の問題は片づか無い可能性も十分あります。

pandamangaさんが「ポイ捨て」ストップと叫びたいなら、ゴミの問題で解決すべきです。日本人のゴミを捨てるという事に対するモラルを問うということです。

言葉悪くいえば、「ゴミの問題」を「喫煙の問題」に持ち込むことは、「ゴミの問題」を解決したいが為に、「喫煙の問題」に便乗しているのです・・・
もう一度、それぞれの本質を見つめ直して下さい。
失礼しました。
しかしながら、感覚としてはわかりますよ、「捨てタバコ」は日常に無視できない程あふれていて、非常に身近な問題です。

補足日時:2002/09/11 14:05
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イイ加減、足元を見すぎのような気がします。


結果が出るのは数十年後を視野に入れてもいいんじゃないでしょうか。
まずは大人が子供たちに進路を用意するべきです。

何かしらの対策で今まで散々被害者を出していた喫煙者の"日常"に影響があるのは当然、喫煙者の不平不満が出るのは当たり前です。
それをどう対処するかを考慮するべきであって、不平不満を出さないようにするかどうかではないんです。
対策後の不平不満はケースバイケースで個別処理されるべき物件だと思います。

ひとつ忘れないでほしいのですが、「未成年者に煙草を吸わせない、喫煙者を今後増やさない」という理想は、喫煙者も同じことではないでしょうか?
私はこれが真の「共存」だと思っています。
自身の理想に不平不満を垂らすのであれば、それは単なる自己虫です。何を言ったって正当化されるものではないでしょう。

現状非喫煙者が我慢しているわけですから、急にマナーが改善されなかったとしても、不満を漏らす人は殆どいないと思います。今まで耐えられたものが、明日から耐えられなくなるわけではないんですから。
対策に将来性がなければ別ですけどね。

例え何をやったところで日本の政治とやらで穴はできるでしょうし、私は急な変革は期待していません。
もうちょっと長い目で考えましょうよ。

#ちなみに私も喘息もちで、煙草の煙で発作がおきます。死因は多分喘息で決定。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

>結果が出るのは数十年後を視野に入れてもいいんじゃないでしょうか。

そのために今、個々で考えることは悪い事ではないと思います。

>私は急な変革は期待していません。

そうですね、それに別に、これは政治のシンポジウムでは無いですから・・・・

ちょっと私の考えを・・・
ただ私は過去の「喫煙問題」に対する、様々な意見を読みましたが、凄く「熱い」ひとにかぎって、自己中心的な感情論だったりするんです。
こういう問題だから、身近な事ですし、そんなになるのも解かるのですが、もう少し広い視野での認識を持って欲しいと思いもした。(もちろん全ての人ではないですが・・・。)
気概や気分で「問題」を扱われる危うさをかんじます。
日本の「タバコ問題」が、このままの気風ですと、「喫煙者」と「非喫煙者」が共に生活できる、日本社会が生まれないきがします。

お礼日時:2002/09/11 11:29

>タバコを排除する為の論議なのか、非喫煙者がタバコの害から守られ、かつ喫煙者も権利を最低限損なわない為ような、共存を図る為の論議なのか?



ですから・・・(^^;)
『非喫煙者がタバコの害から守られ、かつ喫煙者も権利を最低限損なわない為ような、共存を図る為』には、喫煙者の方の『喫煙マナー』がよくなる以外ほかないと思いますよ。
嫌煙者はほとんどの方が、喫煙者の『喫煙マナー』が悪いから毛嫌いするわけで・・・。

↓に出ているほとんどの意見が、喫煙者に喫煙マナーを守らせるものですもの。
自主的に守ってくださればいいのですが、罰則やら規則やらを設けないと全員が守るようにはならないから。
喫煙者の方がキチンと『喫煙マナー』を守ってくだされば、私は何も言いません。
嫌煙者のほとんどの方が何も言わなくなるでしょう。

簡単なことだと思うのですが、『喫煙マナー』の悪い喫煙者の方にとっては簡単ではないのでしょうね。
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この回答へのお礼

様々な「喫煙マナー」と「ポイ捨て」は、同上で論じられる事では無いということですよ、基本的に吸う側は嫌煙者に配慮する「マナー」が論じられる事が先です。

確かに「ポイ捨て」もマナーではありますが、それはどのような問題にもいえる事であり、問題外です。

お礼日時:2002/09/11 11:08

>私がいいたいのは、「捨てる」というマナーの悪さについてです。



この質問は、喫煙に関してのものですよね。。。
たいていそうですが、喫煙者の中にはこういう議論の時に「じゃぁ車が出す排気ガスはどうなんだ」「ゴミのポイ捨てはどうなんだ」などと言う方ますよね。
(嫌煙者の方でも喫煙を他の犯罪に例えて話す方もいます)
そういったことも、喫煙権擁護(?)の口実的論理であり、根本からはズレると思うのですが、どうでしょう・・・?

この回答への補足

「喫煙権擁護」ではありません。
喫煙から生じる緒問題のなかで、「捨てる」という行為は、普遍に言及できる行為であるから、「喫煙問題」の根本の解決を図る上では問題を履き違える事になりかねない。
まずは「幹」の部分を考える事が先です、「タバコのゴミ」は「枝」です。
それに、ゴミは倫理の問題であり、「必要悪」でもないのですから、
そもそも、「ポイ捨て」が前提で、タバコ問題を論議されるのが、おかしいということです。

タバコを排除する為の論議なのか、非喫煙者がタバコの害から守られ、かつ喫煙者も権利を最低限損なわない為ような、共存を図る為の論議なのか?
ただ排除する為なら、なんとでも言えるのです。

「ポイ捨て」問題は、簡単にいうと、そもそも、捨てなければ良いのです。
あくまで二次的な問題で論じられるべきです。

補足日時:2002/09/10 17:55
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この回答へのお礼

もちろん、屁理屈で「喫煙権擁護の口実的論理」としての目的で、そんなことを言う人もいるでしょうね。わたしは違いますが。
ただ「言う」ひとも、何か根本の問題からズレでいるようにかんじる「違和感」「嫌悪感」があっての発言ともとれますね。

お礼日時:2002/09/10 18:02

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