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一般には、一部分を聞いて全体を理解する=聞く側の能力が長けていることを指すと思います。

しかし、もう確認する術がないのですが高校の頃、古典漢文の先生が本当は生徒の1つの質問に対して10の説明ができる説明のうまい先生ことをさすと言っていました。

これを裏付ける説を探していますが、みつかりません。まったくのでたらめでしょうか?
それとも一説としての可能性が多少あるでしょうか?

A 回答 (4件)

 質問者さんとANo.3様の出典の書き込みが正しいと存じます。


 結果:
  生徒が一つの質問をして、文(句)きり調に、一言で終わらしてしまうような回答しかできない先生は失格です。
  枝、根、葉、幹、関連、そして地面を生徒とその教育目的に合わせて、十くらい頭に画いて、お話できないようでは回答とはいえません。
  当たり前です。そういう趣旨のことをその漢文の先生はお話したはずです。出典もそして、その意味も知っていて。
  それを質問を受けた教師としては、こういうことになる、と、仰っているのです。
  お話していただいた理解力のことから、それを今度は質問を受けるという立場ではこういうことにもなるんだよ、という意味です。
  一歩突っ込んでのご説明です。例を挙げながら。
  形式的にそれだけ固定して記憶しないで、それこそ柔軟に元からその説明の意図、そして状況の中で理解することが、質問者さんにはご必要です。
  何とかの一つ覚えにならない構えが必要ですね、お互い様でした。
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出典を見れば明らかです。



論語三巻 公冶長第五より
子謂子貢曰 汝與回也孰愈 對曰 賜也何敢望回 回也聞一以知十 賜也聞一以知二 子曰 弗如也 吾與汝弗如也

孔子が(弟子の)子貢に「お前と(同じく弟子の)顔回では、どちらが優れているかな」と尋ねました。
子貢が、「どうして顔回と比べることができるでしょう。顔回は、一を聞いて十を知ることができますが、私はようやく二を知る程度です」と答えると、孔子が言いました。「及ばないね、私もお前同様(顔回には)及ばないよ」と。
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>まったくのでたらめでしょうか?


でたらめです。
それでは、「一を聞いて十を知る」の意味になっていない。
先生というのは年端も行かない生徒の前でデタラメをいうこと
はよくあることです。私も経験があります。

この回答への補足

一を(生徒が先生に)聞いて(先生から)十を知る(10パターンの例えで解説する)
と言っていたのですが
大学で専門に研究していたような先生でしたので信憑性もあり、
だまされている用でもあります。

断言していただきましたので
でたらめと認識を改めます。
ありがとうございました。

補足日時:2008/01/13 19:00
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先生の勘違いとは言いがたいですが、ジョークと考えてください。


1つの事を聞くだけで10個の事を理解する事を意味します。
分かり(理解)が速い事を言います。

序に
「情けは人の為ならず」
では誰の為の情けなの?解答は「自分のためです」
どんどん皆で情けを掛けるといづれ自分にも回ってくる事を意味します。
これも勘違いされた使い方をする人がいます。
「その人のために情けを掛けてはいけない」・・と
間違いですよ。
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