
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
最近、水子の霊がいろいろな障りをもたらすと言って、その供養をさせる寺や宗教が盛んに流行し、マスコミにも取り上げられたりしています。
流産なさる方、他方無軌道な快楽の果てにおおっぴらな妊娠中絶をなさる方、さまざまでありますが、これらの昨今の事情も手伝って水子供養なるPRが一部では一層盛んになっている状況です。
供養につきましては、まずは、ご自身の宗教宗派の中で御考えいただくのが筋ではないでしょうか。
亡き先祖の供養は、自己の家の宗教で行い、「水子」だけが別の宗教で別のところに追いやればそれでよろしいのでしょうか。
また、水子という理由で本当に特別な供養が必要なのかも考える必要があります。
たしかに仏教では生命の誕生は受胎の時にあると考えます。ですから水子といえど
も、この世に姿を現さなかっただけで、生命をもった立派な人間であるとみなければなりません。仏教では満年齢よりも数え年を用いるのも、こうした理由があるからです。したがって、私たちが人の生命を大切に思うと同じように、流産した未だ見ぬ赤ちゃんの「いのち」を重んじなければなりません。それにしてもその水子を供養しないと、私たちに祟(たた)られるなどということはあるのでしょうか。いえ、断じてありません。祟るのは自分自身、障りの原因は全て私たち自身の心の中にあるのです。
なにかあると水子に責任転嫁するかのように、水子がたたるとか、水子だから特別な供養をと考えるのは大きな間違いです。「水子のせいで」と水子を悪者にしてしまいかねないのは、私たち自身なのです。
水子という用語も、本来、江戸時代の飢饉などで、出生後、口減らしで故意に殺害した子供に対する用語だったのが、現代(もっともこの20年前ごろから新たに生じた言葉ですが)では、主に人工中絶した子を指し、その後流産した子をも含むようになってきています。
現在、行われている一部の寺院や新興宗教的寺院等で行われている水子供養というのは、わずか20年ほど前からできた新しい風習です。水子が「タタリ始めた」のもその頃からのようです。単なる迷信、いや、単なる脅しであります。
現在、世間一般でなされている形の(多くの人が思っている)水子供養など、仏教とは一切必要ない世界です。その点に関しては、水子供養寺や霊能者と称する者たちによる「霊感商法」に似たようなものでしかないことを強調しておきます。
ただ、いわゆる「水子」をつくると(自然な流産などの場合もそうですが、特に、人工的な堕胎を行った場合)体調が崩れたり、人間関係などに亀裂が入ったりすることはあります。
これは、タタリではなく、自らがなした行為の結果であったり、自然の摂理として縁無く命終わっていくにすぎません。
理由はともあれ、ある意味、最も自分に近い生命である子が亡くなったのでありますから、しっかり、もう一度自分を見つめ直すべきであります。
もし、堕胎などで親の側の理由によって子供を「殺した」ことがあるならば、形ばかりの「水子供養」など、何の役にも立ちません。子供殺しの罪の償いこそが本当は必要なのです。(流産だったらこの文章はゴメンね)
結論から申しますと、亡くなった水子が迷っているのではなく、生きている私たち
が、実は迷いの存在なのです。人の言うことが気になり、直ぐに迷ってしまうので
す。人生順調に行っているときは、自分は偉く強いつもりでおりますが、人間とは、非常にもろく弱い存在です。車で道に迷っているごとく、あっちにフラフラ、こっちにフラフラ、いつ事故を起すかわかりません。
私たちは、しっかりと地に足をつけて人生を歩んでいるつもりですが、そうでもな
いようです。特に、この目には見えない悪霊には、現代でも多くの人々が苦しめられているのです。それは、亡き方を悪霊にしてしまっている私の側に問題があります。
人間は、順調なときは、すべて自分の手柄にしますが、ひとたび、うまくいかなく
なると、何かのせいにするのです。悪いことがあると、先祖のせいにしたり、自分が流産やおろした水子のせいにしたり、墓が悪いとか、仏壇の向きが悪いとか…、きりがありません。それを「迷い」と言います。
しかし、どうしたら、この弱い存在の私が、人生を迷うことなく、生ききることが
できるのか。それは、「どんなことがあっても、あなたを捨てることがない」と、わが「いのち」を支えてくださる「まこと」なるものに、出遭うしかありません。
まずは、ご先祖方と同様に縁のあったものの供養として、ご自身の菩提寺や同じ宗派の寺院を訪ね相談されることをお勧めします。
水子供養なるものを勝手に行い、そこでもらったものを、あとになって自分の宗派のお寺に来て、「これどうしましょう」と相談されても、菩提寺では困ってしまいますのでね。
以上、多少、乱暴且つ乱文で恐縮ですが、amida3@坊さんからでした。
この回答へのお礼
お礼日時:2002/10/06 00:29
そうですね。
一番大事なのは水子をまっすぐに素直な心で見つめることなんですよね。
形式的には今日、供養という形をとってきました。
ご冥福をお祈りできるのは私たちだけだということ。
決して忘れない事が最大の供養だということ。
今日はその事を再認識できたように思います。
大変ありがたいお話を聞けたこと、amida3@坊さんに感謝致します。
ありがとうございました。

No.1
- 回答日時:
寺じゃないですけど、広島で水子供養してくださる
石材店を発見しましたので、紹介します。
また、水子供養の仕方も下記サイトにのってましたので
参考になれば幸いです。
参考URL:http://www.mihara-inc.co.jp/mizuko/
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