プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

 人間には、すぐ心に傷がついて、その傷が長く癒えないタイプの人がいます。
 逆に、人に何か言われてもなんとも感じない人も射ます。
 
 「人に何か言われると、心に深く傷がつき、長く残るタイプの人」が、「言われてもさらっと流せるタイプ」になるには、どういうように生きていけばいいでしょうか?(100%は無理でも、少しでも傷が浅くさらっと流せるようになるには、どういう点に注意していけばいいでしょうか?)

 よろしくお願いします。

A 回答 (24件中1~10件)

「言われてもさらっと流せるタイプ」


本当にそのようになりたいと思われますか?
どうぞ、質問者様の感受性を捨てようとなさらないでください。

傷ついても立ち直る力を、自らを省みて精進する努力を、他を傷つけようとする悲しい精神に慈悲の手を。

どうぞ考えてみてください。
質問者様の本当の「理想の私」とはなんですか?
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「傷つくように生きれば良い」


人は慣れる生き物です。
”傷”を多く知るのなら、”傷”に上手く対処できますよ。


さて、核心は捨て置いて、私の”傷”に対する対処は、”ナナメ思考”ですね。
WW2の米元帥、マッカーサさんの戦法です。
”力”をナナメに受けることで、受ける力を軽減する方法です。
習ったかどうかは知りませんけど、「ベクトルの分解」というヤツに良く似ています。
相手の言葉を、すべて受け取ろうなんて思わないことです。
相手の言いたいことの、10%を理解できれば上出来です。
私は今、自分の言いたいことを40%も理解していませんよ。
それでもこうして書いている。
人間なんていうものはその程度のものです。

あなたは、傷から逃げるのではなく、
ただ見据えて、その本質を理解したほうがいいでしょう。
どうしても辛いのなら、背中を向けて全力で逃げても良いです。
少なくとも、目を背けてはいけません。

---蛇足---

「傷つかないこと」を目指して、そこに到達したのなら、
今度は「傷つけること」を羨む。少なくとも私はそうです。

あなたの、傷つける心は貴重です。
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この回答へのお礼

 参考になるご回答、ありがとうございました。
 心より感謝申し上げます。

お礼日時:2008/02/12 12:03

えらそうな書き込みをしてすいません。


初歩の心理学書に書いてあること以外は
受け売りではなくオリジナルですのでご容赦ください。

心の傷って直すのが簡単ではありませんよね。
でも、それが人間の本性なんだと思うし、
決して負ばかりでもなくて、価値があることなんだと思うんですね。

体の傷だって痛みを感じなければ、とても生きていけません。
これがなければ人間もここまで進化できなかったでしょう。
一度感染した病気には罹りにくくなる免疫機能だって、本来は、
痛みを乗り越えた後に得られる大切な機能ですよね。

どちらも程度の問題です。回復できない程の負傷は好ましくありません。心の痛みも似たところがあって、乗り越えた者だけが得られる耐性のようなものがあるんですね。そして、痛みを感じていることは生きている証でもあるわけです。
このことがご質問者様の助けになればいいのですが・・

前に書いた通り、まずはネガティブシンキングを論理思考(原因対策)にやらせるんです。「なぜ、どうして、こんなことになったんだろう」ということですね。同じ状況になっても同じ失敗に陥らないという確信は必要なのです。
とはいっても、意味なく落ち込むという落とし穴に陥る必要はまったくありません。痛みは自分の中で積極的に軽減してかまわないと言うことで、気持ちはできるだけポジティブを貫きます。
そして、痛みを乗り越えた後に、その痛み以上の本当の強さという耐性が得られるのです。

ご質問者様自身が、これを乗り越えて本当の「言われてもさらっと流せるタイプ」になり得るということに他ならないわけです。
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この回答へのお礼

 だいぶわかってきました。

 何度もありがとうございます。

 「ネガティブシンキングを論理思考(原因対策)にやらせるんです」

 ここがポイントですね。

お礼日時:2008/02/09 12:10

まだ、閉じられていなかったんですね。

じぁ、別の視点からです。

心の傷は、肉体の傷と同じような痛みを感じますよね。だから傷という言い方をするのだと思いますが、心の傷は、心というマシュマロにナイフなんかで傷付けられているのじゃなくて、その具体的物事のプロセスが記憶として新たに加わってそれを学習していることが傷なのではないでしょうか。不思議なことに学習が完了すると、その後の心の傷は癒えているのに無意識のプロセスの中でこの傷が見事に機能していることが解ります。

そして、この機能がなければとても生きて行けません。つまり、完全に「言われてもさらっと流せるタイプ」は、広い意味で学習がないので生きていけないのです。

とは言ってもあまりに敏感に、過剰に、物事を取り込んでしまっては、いろいろな許容範囲を突破してしまいます。
限界域では、自己防衛として無意識に、発散、解放、受容、抑圧、逃避、隔離、投影、合理化等の反応をしてしまいますが、意識との不一致を引き起こしてややこしい精神状態に陥ります。つまり、泣きたいときに泣けない。怒ってしまったが間違っていた。などですね。

でも、このような流れは、人間の機能としての感情的な側面であって、その元の物事の具体的事象とはあまり関係のない落とし穴のようなものですね。

こんなようなことを理解した上で、感情的な側面というのは、その心のヒダを掻き分けてゆくと、パンドラの箱に残っていた「希望」が残されているんだと思うんですね。これを人によっては、愛とか、いつくしみと表現する人もいるでしょう。
こんな一言で納得できるほど単純ではないのですが、感情の暗雲を掻き分けていって「希望」に象徴される原点とのつながりを確認することと、心の傷は、学習機能であることを理解することが助けになるのではないでしょうか。

この回答への補足

 ありがとうございました。
 閉じる前におたずねしたいのですが、ご回答者様はこのような回答をすらりと言えるには、相当の勉強を積んでこられてきたと思います。(経験も勉強のひとつと考えています。)
 どのような勉強を積むと、私などがご回答者さまのおっしゃることを理解できるようになるのでしょうか?
 勉強の内容について教えていただければ幸いです。
 
 よろしくお願いします。

補足日時:2008/02/07 14:55
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自分と向き合って、全ての面「良い事も、悪い事も」で自分を肯定する事です。

これからの人生で自分を、良くても、悪くても自分を受け入れて、ゆく事かと思います。そのためには、自分自身を掘り下げる作業も有るかと思います。自分を知って、自分を受け入れたときは、自分が自分の傷を治せることを学ぶ時です。
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。
 自分を知り、自分を受け入れることですね。
 
 的確なご回答、心より感謝申し上げます。

お礼日時:2008/02/06 13:07

taiyo7さんはこれまでに心にたくさんたくさん傷を抱えてきたんですね。


誰でも人から自分がしていることを非難されるのはイヤですし、多かれ少なかれ傷つくと思います。何を言われても全く傷つかない人なんていないと思いますよ。表面に出さないだけで、きっと心の中では悲しんでいるのではないでしょうか。

でも、傷つくことで得られるものもあると思いませんか?
すでに傷ついて、その痛みを知っている人は、同じ状況で苦しんでいる人の痛みがよく理解できます。
人間的にもずーっと寛容になれて、優しくなれます。
傷つくということをマイナスばかりに考えるんじゃなくて、プラスの方向にも考えてみませんか?
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この回答へのお礼

 そうですね。
 本当にそう思います。
 ありがとうございます。
 プラスのお答え、たいへんありがたいです。
 感謝いたします。

お礼日時:2008/02/05 21:18

自分を知り、自分の目的を持って行動する人は傷つきにくい


周りを気にしながら、比較している人は傷つきやすいですね。
絶えず愚痴を言ってる人もね。そのときはあいつ~と思っていても自分の人生の目的を知り、行動計画を持てばそんな事を気にする時間はないです
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。
 
 ご回答者様のアドバイス、たいへんありがたく、感謝申し上げます。

 参考として・・・
 さっき、本屋で「がばいばあちゃん」をみたのですが、その表紙に「思うがままに生きましょう。「世間の目」なんてたかが200人」という言葉がありました。

  

お礼日時:2008/02/05 14:02

初めまして、心理学なんて知りませんのでアドバイスに成り得ないでしょうが一言



私は、「人に何か言われると、心に深く傷つく」て事が無いんですよ。
その人に、そういった言動をさせた事に傷付くんだろうと思います。
結局は、自分に対しての憤りが心の傷なのかと
自分が嫌いな人は、自分が好きな人みたいです経験上。
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この回答へのお礼

 いえ、とてもいいアドバイスです。
 とても参考になりました。
 ありがとうございます。

お礼日時:2008/02/04 12:49

No14ですが、たとえばの簡単な話を思いついたのでカキコしときます。



見通しの悪い信号なしの交差点を車で横切るとき、
相手の一時停止違反で衝突したとします。

相手に謝罪させ、損害賠償責任追及しても事故は事故。
心に傷は負いますね。

ここで必要なのは見通しの悪い交差点では、今後は自分も必ず徐行する
という具体的行動なのです。

これをやらずに、
心に傷を負わない強い精神性を追求したり、
ここで事故らなければ、次の交差点でもっと大きな事故を起こしていたに違いないというポジティブシンキングだけをしてみても、
しょうもないことですよね。
これじゃ、同じ状況になるとまた事故が起こりますよね。

以上の例は単純なので簡単ですが、
これが人間関係の問題になっちゃうと、いかに正しい対策を思いついたとしても、その具体的行動をとるには、ある程度の勇気や心の痛みを伴うんですね。自分の精神論に逃げ込んだ方が遙かに楽であるところが難しいところですね。
それでもこれをやっておかないと、事故の例と同じように、その後の精神修養なんて自分の感受性を鈍らせるだけで全く意味をなさないんですね。

心に棘が刺さったら、まず抜いて、応急手当をして、
次に、二度と刺さらないようにして、
それから、刺さっても大丈夫な強い心というのを作るのが順番じぁないでしょうか。
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この回答へのお礼

 わかってきました!!

 何度も、何度も、ありがとうございます。

 心より感謝申し上げます。

お礼日時:2008/02/02 14:09

 ANo.10


 詩人ではありません。好きな韻文もありますが。漢詩は、漢文はいいです。
 よほど調理と料理をして、盛り付けたつもりでしたが、中々異界的ことばを連ねて、お心を煩わしました。
 禅家の偈も、噛み砕いてしまうと、それほだの力を以ってせまりませんが、そのまま自分の中でぐっと受けると、凄い力です。噛み砕いた表現ではなんともみすぼらしい感じになり、それは難しい。お経でも、聖書でも同じですね。私は、偈のようにまとめることはしないで、できるだけ噛み砕いた表現で、盛り付け、全部がおかゆで、そのなかにおかずも薬も全部いれてしまっています。
 これはそのつもりで読んでいただくと、そのまま、するする咽喉を通ってしまうと存じますが。
 判らない言葉を連ねて詩人という、ありがたいご推量ですが、当然な事ながら、単なる一信者、精進を、独善的に、独りよがりで、続けていられるものに過ぎません。
 
 

参考URL:http://www.yogananda-srf.org/
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