マンガでよめる痔のこと・薬のこと

スターリンが粛清を行ったことは知っていましたが、それは自分の反対者達を抹殺したものだと思っていました。ところが『中公バックス 世界の歴史 15 ファシズムと第二次大戦』(中央公論社)を読むと、スターリン主義者やスターリンの右腕と目された人々をも粛清の対象としたことが分かり、驚きました。

まずトロツキー(1929年国外追放)、ジノヴィエフ、カーメネフ(いずれも1936年死刑)と争った時はブハーリン、トムスキー、ルイコフ(いずれも1938年銃殺)らと手を組みますが、用が済むと彼らもスターリンの右腕と目されたキーロフらの手によって粛清され、キーロフ自身、1934年に元共産党員の手にかかって暗殺されますが、これは秘密警察が裏で糸を引いていました。

1934年の第17回党大会は別名「勝利者たちの大会」とされていますが、ここでスターリンに賛辞を送ったスターリン主義者達1965名のうち1180名が「反革命の罪状」で逮捕され、あるいは銃殺または禁固刑に処せられ、結局、「犠牲者達の大会」となってしまいました。36年、ヤーコブに代わって、大粛清の代名詞ともなった「エジョフシチナ」のエジョフがスターリンによって内務人民委員(秘密警察の統括部門)に任命されると、36~38年にかけて党機関内部では上から下まで数千の犠牲者が出たとされています。

「エジョフシチナ」の手は軍にも伸び、トハチェフスキー元帥らも銃殺されます。これはWikipediaによればスターリンが軍功を欲したからだとされています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%B2%9B% …

そして「エジョフシチナ」の最後の犠牲者は「エジョフシチナ」を自ら行った秘密警察自身でした。

これを同じ全体主義国のナチス・ドイツと比べてみれば、大きな隔たりがあると思われます。初めにお断りしておきますが私は決してナチスを礼賛するつもりは全くありません。ホロコーストや侵略戦争は決して許されざる行為だと思われますが、単純にその党あるいは国家機関内部を見れば、確かにヒトラーと対立したレームを粛清したことはありましたが、少なくともヒトラー支持者達を抹殺するようなことはなかったと思われます。

スターリンの粛清は、非常に図式的に言うと、例えばAという人間を抹殺するために自分の配下のBを利用し、今度はCという人間にBを抹殺させるという、まるで人間を将棋の駒のように扱って、殺人をゲームの様に楽しんでいるような気がするのですが、なぜこのようなことをしたのでしょうか?粛清の真の狙いとは何だったのでしょうか?アガサ・クリスティーの小説ではありませんが、これでは「そして誰もいなくなった」(フルシチョフを除いて)になってしまったのではないでしょうか?

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A 回答 (2件)

まず


礼賛者が本当に礼賛しているかどうかは証明できない。
No2は常にNo1の潜在的なライバルである。
というのが、一般的に言えます。

ここに、スターリンの個人的な体験が影響します。
ソ連成立時の圧倒的なNo1はレーニンであり、No2はトロツキーでした。スターリンの初期の目的は、トロツキーに替わってNo2になること。そのために手練手管を使ってトロツキーに追い出しを計ります。
※ この部分は、戦略の形成 下 より
この段階でスターリン自体が「礼賛者が本当に礼賛」していることはない、というのを実行しているわけです。これが自分にとっての真実になったのですから、自分上に上がるために何をやったかをよくわかるわけで、自分以外の人間はそうじゃない!と信じたのなら、それはそれで、おめでたいことになります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。ご回答の、非常に簡潔な表現の中に、全ての歴史的真実が網羅されていると思いました。

お礼日時:2008/02/06 01:34

スターリンは、独裁者の常として、非常に猜疑心が強かったと聞いています。


そのため、「自分に反逆する能力のある者全て」が粛清の対象となってしまったのです。
軍人は、有能でないと、部下がついて行かないでょう。
その、有能さが、彼を不安にさせたのです。
その結果が、対独戦初期の大敗北に繋がったのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。おっしゃる通り、スターリンは強烈な猜疑心を頂いていたということは、何かの本で読んだことがあります。

お礼日時:2008/02/06 01:38

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Q第2次世界大戦のソ連の戦死者が多い理由は?

先日、池上彰さんのテレビ番組で「第2次世界大戦のソ連の戦死者は2000万人を超えている」「その恐怖からスターリンは、隣国を共産国にした」ということを知りました。

日本の太平洋戦争での戦死者は300万人くらいと聞いてますが、日本の戦死者と単純に比較できるのかどうかわからないのですが、日本の7倍の戦死者の数には、とても驚きました。

第2次世界大戦のソ連の戦死者が多い理由をお教えいただけましたら助かります。

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

まあ、漫談です。

ソヴィエト軍はバルバロッサ作戦当初にその主体が壊滅したので、1941年のタイフーン作戦を乗り切って以降の部隊が、みな新兵、という特徴がありました。
また旧式の機械装備も壊滅したので、結果的に機械装備が新式のものにいれかわりました。
T-34は名高い戦車ですが、他につかえる戦車が当初はなくなってしまっていたから使った、というのが実態です。
最新装備と新兵がまぜこぜになった軍隊が、モスクワ正面の戦いを乗り切った、1942年当初のソ連軍でありました。

もちろん精鋭であり戦略予備といえるシベリアの部隊はありましたが、ノモンハンのときに日本の帝国陸軍と正面衝突を初めてして大損害をうけた経験から、軽々しく欧州戦線に移動させるつもりに、ソ連軍指導部はなれなかったのです。
そのノモンハンのソ連軍総司令官が、スターリン直々に任じられたジューコフでした。

ジューコフは、

1 ソ連軍は弱い

2 だから勝つためには、敵より多くの兵器と兵士を前線に惜しみなく投入し、その重みで押しつぶすしかない

3 だから、兵士も戦車も大砲も、とにかく数をあつめる

ということを、理解していたので、必要なだけの兵力を敵がつぶれるまで投入しました。当然ながら自分より強い相手を数でつぶすのですから、犠牲はふえます。
さらに、この考えをスターリンも支持したので、党、治安組織、軍事思考、動員体制、といったソ連という国家の戦争体制そのものが、勝てるまで人命も装備も前線に突っ込むように構築され、上から下まで人命軽視というより、人命より目的達成、のドクトリンが徹底しました。目的達成が勝利なら、なおよし、です。

そのような体制のもとで運用されたソ連軍の基本的ドクトリンは、

最低でも幅50kmの線に分厚く、最低でも敵の3倍、普通なら5倍、理想は7倍の二陣の部隊を結集させ、

まず砲撃と航空攻撃だけで相手の6割に損害をあたえ、

そして第一陣が弱った敵に突っ込みその第一陣が自分の損害を省みず敵をなぐるだけなぐったら、

味方第一陣の残骸を乗り越えて無傷の第二陣が第一陣と戦ってボロボロになった敵を蹂躙する、というものでした。

装備は更新されたし、戦車・武器も疎開した工場と米英のレンドリースでそろえてはいるが、兵士の教育が低い軍隊にむずかしいことはあまりできません。字の読めない兵士が珍しくないどころか、ロシア語がわからない兵士も珍しくありません。
なので、時には下級将校は選挙で選び出され、そのような将校には反抗するものを軍法会議抜きで「処分」する権利はあたえられました。戦争をしている国家と党に異を唱える者はいらない世界です。
また、女性が前線で銃をとったり、戦車兵をやったり、戦闘機・爆撃機パイロットをしたりしたのも、ソ連軍だけでした。

この残酷な単純化となりふりかまわなさが、精鋭のドイツ軍相手に血を流しつつも、ソ連軍を勝たせたのです。

まあ、漫談です。

ソヴィエト軍はバルバロッサ作戦当初にその主体が壊滅したので、1941年のタイフーン作戦を乗り切って以降の部隊が、みな新兵、という特徴がありました。
また旧式の機械装備も壊滅したので、結果的に機械装備が新式のものにいれかわりました。
T-34は名高い戦車ですが、他につかえる戦車が当初はなくなってしまっていたから使った、というのが実態です。
最新装備と新兵がまぜこぜになった軍隊が、モスクワ正面の戦いを乗り切った、1942年当初のソ連軍でありました。

もちろん精鋭...続きを読む

Qスターリンとヒトラーを比較して

最近いろいろと本などを読むにあたり疑問に思ったのでよろしくお願いします。(歴史には疎いです)

ヒトラーとスターリンってよく比較対象とかで名前を一緒に見る気がするのですが、
なぜかスターリンの行為・残虐性(?)というのは表立ってみない気がします。
私は歴史には全然強くないのですが、
ヒトラーと聞くとやったこととか(ユダヤ人虐殺など)いろいろと頭に浮かびます。
ですが、スターリンだと名前や存在は知ってても、
具体的にどんなことをやったとか、ほとんどわかりません。

こう思ったのも、この前テレビ番組(CS)でヒトラーとスターリンの生涯を見ていて、
スターリンが行ったこと(直接的・間接的含め)による犠牲者が2,000万人だと聞いて
ビックリしたからです。ユダヤ人虐殺でも600万人と聞いています。
600万人という数字はユダヤ人の虐殺だけですから、もっと犠牲者は多いと思いますが、
それにしても2,000万人とはかけ離れている気がします。
(600万人よりも少ない説もあると聞いています)

でもヒトラーの方が悪名高い(気がする)のは
戦争に勝った・負けたなんでしょうか?
それともそのやり方なんでしょうか?
ちょっと見たところではスターリンも同等の悪の代名詞な気がするのですが…。

学がないため犠牲者数の間違い・認識不足などがあるかもしれませんが、
よろしくお願いします。

最近いろいろと本などを読むにあたり疑問に思ったのでよろしくお願いします。(歴史には疎いです)

ヒトラーとスターリンってよく比較対象とかで名前を一緒に見る気がするのですが、
なぜかスターリンの行為・残虐性(?)というのは表立ってみない気がします。
私は歴史には全然強くないのですが、
ヒトラーと聞くとやったこととか(ユダヤ人虐殺など)いろいろと頭に浮かびます。
ですが、スターリンだと名前や存在は知ってても、
具体的にどんなことをやったとか、ほとんどわかりません。

こう思った...続きを読む

Aベストアンサー

一つは両者の死亡後の立場の差があります
ヒトラーは戦争に負けて死亡後ドイツは無条件降伏しているのですから、それまで対立していた国だけでなく自国民も全否定する立場で語ることになります。
スターリンは死亡後もソ連の国家体制が変わったわけでなく、基本的な路線(秘密警察体制)は継承されつつフルシチョフやゴルバチョフ・エリツィンらの時代に徐々に見直しや批判が(主にトップの立場から)行われたのです。総てが明らかになったのはソ連崩壊後でした。

第二に戦後のドイツとロシアの情報公開性の差
これはご存知の事だと思います。

第三に被害者の差 ロシアの被害者たちは欧米のユダヤ人ほど世界への発言力の無いロシア人少数派・ウクライナ人・コサック・イスラム系などの人達だったことも関係有るでしょう
ヒトラーの虐殺のなかでもドイツ人障害者やロマ人(いわゆるジプシー)に対するものは今でも御存知ない方が多いと思います。ユダヤ人に対するものが突出して宣伝されています。

Qヒトラーはなぜユダヤ人を大量虐殺したの???

お世話になります。
基本なのかもしれませんが、ヒットラーはユダヤ人を何故あのような形で虐殺しひどい事をしたのでしょうか?その根拠を分かり易く教えて頂けると嬉しいです。

Aベストアンサー

なぜかというのは解明されていないので、真実は調べてもわからないと思います。ヒトラーはユダヤ人の血がまじっている可能性だあったという噂がありますが、それも噂なだけで、まだ解明されてはいません。(参考URLにつけときます)

当時のドイツの状況はご存知でしょうか?
戦争に負けて、ものすごい額の賠償金を課され、軍事力は制限され、領土や海も奪われた。負け戦におわされたあまりに一方的な代償、国民の政府への反感は相当なものであったと思われます。

そこに世界恐慌が起こり、貨幣価値が60億分の1にまでなるというありえないインフレになり、失業率が30%をこえるまでになりました。バター400グラムのために丸二日休みなく働かなければならない状況です。しかも、まだまだ不景気は悪くなる傾向で、お金がない、食べるものもない、仕事もない、明日どうなるかもわからない、そんな状況でした。それを国は解決できないでいました。

日本も不景気な時に小泉首相が人気出てましたね。あれとは程度がまったく違いますが。独裁的なまでのリーダーシップとわかりやすい言葉で説明できる弁舌力を持つ指導者を求める声が強くなっていったのです。

それがヒトラーでした。ヒトラーは貧乏だったという通説がありますが、実は裕福でおまけに神童といわれるくらい優秀だったとの話もあります。そして青年時代のヒトラーは画家を目指していましたが、美大の受験には失敗してます。このウィーンにいた時代は、貧乏だったとナチスの発表している公式な伝記にはのっていますが、実は裕福だったようです。

この頃のヒトラーは絵を売る生活をしていたヒトラーにとって裕福な芸術人の多いユダヤ人はよき取引相手であったようです。それなのに、ヒトラーはナチスに入ってからどういうわけかユダヤ人を嫌う発言や文書を残しています。

この頃になにかあったのかもしれませんが、ヒトラーが個人的にユダヤ人に恨みがありそうな記録はありません。ただ、ヒトラーは作曲家ワーグナーに心酔していたという記録があります。ワーグナーはユダヤ人への差別意識がある作曲家で、ドイツ人・アーリア人種の純粋さを保つことが大切であると風潮しており、のちの「ゲルマン主義」につながるような思想を持っていました。

ヒトラーの話はとりあえずこれで十分だと思いますが、ドイツが経済的に最悪な状態にあったのですが、そこにいたユダヤ人はドイツでは少数民族ではありましたが、昔から銀行業などを営みその利子で生活をしいる人が多かったのです。この金貸業は「いやらしい職業」として一般的に嫌われていました。このことはシェークスピアのヴェニスの商人でも感じられます。経済が低迷し失業率が高まってくると「働きもせずに、利子で暮らしている」という嫉妬心がユダヤ人に対して芽生えてきたのは不自然ではないと思います。

ここに目をつけたナチスは「ユダヤ人はイエス・キリストを殺した悪いやつら、今度の戦争もユダヤ人が足をひっぱったから負けた。ユダヤ人はこの国をのっとるつもりだ」という話で国民を扇動。政党の支持率もあがりますし、ユダヤ人から富を奪い取ることで経済力も向上させることに成功したのです。

もともとユダヤ人はキリスト教との関係で差別されることの多い民族で、金貸等で恨まれている人もいましたから、そういう差別意識に火をつけることは難しくなかったといえます。

個人的にはユダヤ人迫害は「お金」と「妬み」と
「民族主義」があいまって起こった悲劇と考えます。


下のサイトはかなり詳しくナチス・ヒトラーについての解説をのせています。

ただナチス関係の情報は私はあてにならないと思っています。というのも旧東ドイツの体制は、金融・マスコミ・軍事力を制圧しており、絶対的な独裁でした。その当時に作成した資料は全て国の管理下におかれた状態で作成・発表されたものであり、不都合な情報の削除などはいくらでもできたからです。

また旧東ドイツ体制の崩壊で多くの貴重な資料が流れています。いろいろとうやむやになったことも多いようで、そのときにこっそり書き換えてても不思議ではありません。結局歴史上なにがあったかは当人にしかわからないものなのでしょうね。

参考URL:
http://inri.client.jp/hexagon/floorB1F_hss/_floorB1F_nazis_X.html

参考URL:http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc616.html

なぜかというのは解明されていないので、真実は調べてもわからないと思います。ヒトラーはユダヤ人の血がまじっている可能性だあったという噂がありますが、それも噂なだけで、まだ解明されてはいません。(参考URLにつけときます)

当時のドイツの状況はご存知でしょうか?
戦争に負けて、ものすごい額の賠償金を課され、軍事力は制限され、領土や海も奪われた。負け戦におわされたあまりに一方的な代償、国民の政府への反感は相当なものであったと思われます。

そこに世界恐慌が起こり、貨幣価値が60億...続きを読む

Q共産圏では「書記」がなぜ一番偉いんですか?

ブッシュ大統領が初めて金正日総書記に「ミスター」の敬称を付けて呼んだという記事を読んで、小学生の頃思った疑問をふと思い出したので質問します。

当時、共産圏では共産党の一党独裁で、党の方が国家より上の組織であり、「共産党書記長」が国家元首だと塾で教えてくれました。例えば当時のソ連で言えば、ブレジネフ「共産党書記長」の方がポドゴルヌイ「最高幹部会(議会に相当)議長」より偉い、という風に。

でも、「最高幹部会」なんて名前からしたら一番上の組織のような感じがしましたし、小学校の学級会で言うと議長の方が書記より偉いのになあ、書記なんて黒板にみんなの発言をまとめて書く人じゃん、などと思っていました。

あと、東西冷戦期の東欧の国家(チェコかポーランド?)では、呼称が「第一書記」とかでもとにかく「書記」が国家元首だったことも思い出しました。

もっとも同じ共産圏でも、中国では「国家主席」(但し文革で劉少奇の失脚以降暫く空位)、キューバや旧東独は「議長」(ベトナムは忘れました)が元首で、一概に「書記」=「元首」とは言い切れないのかもしれませんが。

北朝鮮は、金日成は「国家主席」でしたが、金正日は「総書記」のままで、黒板にみんなの発言をまとめて書く人達の中で一番上の人が国家元首ってのも変ですね。

共産党(北朝鮮の場合朝鮮労働党)って、そんなに黒板にみんなの発言をまとめて書く人が大事なんですか?

ブッシュ大統領が初めて金正日総書記に「ミスター」の敬称を付けて呼んだという記事を読んで、小学生の頃思った疑問をふと思い出したので質問します。

当時、共産圏では共産党の一党独裁で、党の方が国家より上の組織であり、「共産党書記長」が国家元首だと塾で教えてくれました。例えば当時のソ連で言えば、ブレジネフ「共産党書記長」の方がポドゴルヌイ「最高幹部会(議会に相当)議長」より偉い、という風に。

でも、「最高幹部会」なんて名前からしたら一番上の組織のような感じがしましたし、小学校...続きを読む

Aベストアンサー

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

政党や労働組合の書記局の責任者を指す。

書記局は、日常的な党務を処理する機関であり、党の過去をよく知る書記長は、党の未来も予測できると考えられた。「書記長」という名前は社会主義・共産主義政党、社会民主主義政党に主に用いられることが多い。


>>そんなに黒板にみんなの発言をまとめて書く人が大事なんですか?
古代エジプトにも書記というのがいて、非常に偉い地位です。書記の像が作られていまでもルーブルやカイロに残っているくらい。
みんなが「カラスは黒い」て発言しても、書記が「カラスは白い」て書いてしまったら、カラスは白くなければいけないのです。そのくらい書記という地位は偉いのです。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B8%E8%A8%98%E9%95%B7

Qモンゴル帝国の滅亡について

チンギスハンが興したモンゴル帝国はなぜあんな大きな帝国ができたのですか。その当時の国はどうして対抗できず滅んだのですか。また、これは教科書にもなかったのですが、なぜあんな巨大帝国が後に滅んだのですか。滅んだ過程がわかる方ぜひともお願いしますむ。中学や高校の教科書で断片的な知識しかなく、ぜひともお願いします。

Aベストアンサー

それは、やはりモンゴルが遊牧騎馬民族であることが大きいです。

歴史的に見ていくと、古代~中世世界において遊牧騎馬民族というのは反則的に強いのです。フン族に襲われ大混乱になったヨーロッパしかり、万里の長城を作って必至に防ごうとしたにもかかわらず北方を幾度となく奪われた中国など、敗北例は山ほどあります。

基本的に兵は全部騎馬(普通、農耕民の軍隊でこれはまずありえません)で、しかもほかの民族には難しい騎射(馬の上で弓を撃つ)という戦法をすべての騎馬が可能(他の国はこれができるのは精鋭くらいなもので、精鋭であっても錬度の面で馬上で生まれ馬上で死ぬ遊牧騎馬民族にはとてもかなわない)です。
また、都市という概念がないので食料とかもすべて(生きた状態で)持って移動していますから、「補給」という軍隊において最も重要で最も面倒くさく最も維持しにくいものを維持する必要がないため、桁外れの機動力を持ち合わせていました。
また、その機動力を余すことなく使用する戦術(代表的なものは偽装撤退。城攻めの必勝戦術でもありまして、相手に撤退すると見せかけて追い討ちさせ、それを迎え撃つという戦法です)を保有していました。
そのため、どんな強国でも優秀な指揮のもとで統制された遊牧騎馬民族にはかなわず、ホラズム(この国はモンゴル帝国の侵攻直前まで領土を拡張し続けており、決して弱い国ではないのです)や金も、敗北しています。ちなみに、この強弱関係がひっくり返るのは火器が積極的に導入されてからです。

しかし、滅びたのもまた遊牧騎馬民族である面が大きい、ともいえます。
遊牧騎馬民族というのは、都市の概念がないですから、そもそも「国」という概念が希薄です。
それをかなり変えたのはやはりチンギスなのですが、それでもモンゴルの伝統である末子相続(つまり末っ子が遺産を引き継ぐ)、そして後継はクリルタイという族長会議で決定(ただ、このクリルタイ、モンゴル帝国では2年くらいかかるんです・・・なにせ、あの広い領地から集まってくる上、このクリルタイも半分宴会みたいなものでして・・)というのがありました。
そのため、チンギスは生前に嫡子4人に領地を分配します。長男であるジュチ家(後のキプチャクハン国)、次男であるチャガタイ家、三男であるオゴタイ家、そして四男であり、モンゴル高原を直接的に保有するトゥルイ家です
そして、三男のオゴタイが継ぎました。しかし、その次が問題でして、グユクというのは酒癖も悪く評判が悪かったのですが、母親の根回しもありハーンとなりました。しかし、これを一番嫌ったのが長男家の当主で一族の長老であったバトゥ(また、四男家も、譲歩したとはいえ面白くはなかったようです。逆にグユクの側にいたのが次男家)。グユクは彼に暗殺されたとも言われています。
その後、トゥルイ家のモンケが継ぐのですが、これが面白くなかったのがチャガタイ家とオゴタイ家。このあたりから兄弟家の間での不和が表面化します。
そして、日本でも有名なフビライの代で分裂は決定的になります。彼は、いままでの方針を破って、全族を集めないで(支持者だけを集めて)クリルタイを行った上で即位、また即位を宣言した弟を倒して、ハーンとなりました。これが気に食わなかったのが長男、次男、三男の家。とくに三男の家当主であるハイドゥとは軍事衝突に発展しています。
そうなると、もうあとは各地の地方政権ですから、ほかの歴史上の国と同様、隣国、兄弟家同士でたたきあったり(オゴタイハン国はチャガタイハン国に叩かれて消滅)、支配民族が反乱を起こしたり、ほかの異民族に倒されたりで、消滅していきました。

また、モンゴルの政権といってもほとんどその妻は現地人のため、代を重ねるにつれどんどんモンゴル人から離れていって、しまいにはハーンがイスラム教徒になってハーン位を捨てたり、はてまたキリスト教に染まったり・・
そういう具合に、自然とその地に溶け込んで、消滅していったのです。

それは、やはりモンゴルが遊牧騎馬民族であることが大きいです。

歴史的に見ていくと、古代~中世世界において遊牧騎馬民族というのは反則的に強いのです。フン族に襲われ大混乱になったヨーロッパしかり、万里の長城を作って必至に防ごうとしたにもかかわらず北方を幾度となく奪われた中国など、敗北例は山ほどあります。

基本的に兵は全部騎馬(普通、農耕民の軍隊でこれはまずありえません)で、しかもほかの民族には難しい騎射(馬の上で弓を撃つ)という戦法をすべての騎馬が可能(他の国はこれができ...続きを読む

Q郵便振替って機械でするの?用紙に書くの?

おはずかしい話ではありますが
郵便振替を一度も利用した事が無いので教えて下さい。

この度、オークションで落札した商品代の支払いに
郵便振替の指定がありました。指定の口座に振り込む
手続きはどのような手段がありますか?

銀行の様に機械で振り込むの?それとも、手書きの
用紙にいろいろ記入するのでしょうか。

仕事の合間の30分の短い休憩時間を利用して行かな
いといけないのでできるだけ手間のかからない方は
どっちなのかも教えて頂けると嬉しいです

銀行での支払いは手数料が少しだけ高いので今回は
利用しない事にしています。皆様の回答お待ちして
います♪ヨロシクオネガイシマス( ゜ー゜)/゜*゛;゛:..・☆

Aベストアンサー

元・郵便局員です。

一般的に利用の多い取り扱いで説明いたします。

(1)送金先口座番号が「0」で始まる場合
一般振替口座あての送金になります。
「払込取扱票」という用紙が郵便局の窓口ロビーに備え付けてありますので、この用紙に「送金先口座番号、加入者名、送金する金額」を記入します。また、通信欄もありますので、送金先へお伝えしたいことがございましたら、自由にお書き添えください。「払い込む人の住所、氏名、電話番号」を用紙下部に記載し、郵便局の窓口へお持ちください。
 この用紙が、複写式のものは「窓口専用」、2票式(ミシン目入り)のものは「窓口、ATM共用」です。2票式の場合、ATMでも送金でき、手数料が若干安くなります。(用紙に必要事項を記入し、送金ボタンを押して案内に従ってください)
この用紙を使った場合は、銀行振込でいうところの「文書扱い」となりますので、送金を受けられる方へ入金の通知が入るのは、2~4日後となります。
電信扱いも出来ます(用紙が異なりますので、窓口へお申し出ください。手数料は上がります)ので、必要に応じてご利用ください。

(2)送金先口座番号が「1」で始まる場合
ぱるる口座あての送金になります。
一般にATMから送金される方が多いようですが、窓口からでもご利用いただけます。
窓口の場合は、
「電信払込したい」と職員へお申し出いただければ、必要な用紙をお渡しします。
「送金先口座番号、口座名義、送金される金額」を記載してください。
「送金される方の住所、氏名、電話番号」を記入します。
必要に応じて通信文が入れられますが、有料です。
窓口へ用紙をお持ちください。
ATMからの場合は、「送金ボタン」を押し、郵便貯金キャッシュカード挿入、暗証番号入力、送金先記号(口座番号の先頭5桁)入力、確認ボタン、番号入力(口座番号の残りの部分)、確認ボタン、送金金額入力、確認ボタン、送金内容表示、確認ボタン、カード・明細受け取り、終了です。

元・郵便局員です。

一般的に利用の多い取り扱いで説明いたします。

(1)送金先口座番号が「0」で始まる場合
一般振替口座あての送金になります。
「払込取扱票」という用紙が郵便局の窓口ロビーに備え付けてありますので、この用紙に「送金先口座番号、加入者名、送金する金額」を記入します。また、通信欄もありますので、送金先へお伝えしたいことがございましたら、自由にお書き添えください。「払い込む人の住所、氏名、電話番号」を用紙下部に記載し、郵便局の窓口へお持ちください。
 この用...続きを読む

Qローマ(帝国?)とルーマニアの関係について。

ローマ(Roma)とルーマニア(Rumania)は何か関係があるのですか?私の知人はルーマニア人は大昔ローマから来たと言っていましたが、イタリア人の友達に言わせると、全く関係ないといいます。どうなんでしょうか?

Aベストアンサー

私も気になって調べたことがあります。

古代ローマがダキア(現ルーマニア)を征服したあと、そこに植民地を作り、現地のダキア人とローマ人が混血してできた民族だということです。ローマ人の末裔だということが民族の誇りで、ルーマニアは(ローマ人の国)という意味です。日本語のルーマニアは英語読みから来ているそうですが、ルーマニア語ではRomaniaロムニアといいます。言葉もラテン語から派生したロマンス語系統です。

Q稲川淳二の「生き人形」って本当に実話なんですか?

稲川淳二の怖い話の中に、生き人形というのがあります。
真偽を訪ねる前に、簡単に言われている内容を言います。

20年以上も前に、TVの生放送中に、幽霊が映った話らしいのです。たしか「プラスα」という番組らしいのですが、稲川淳二と霊能力者とその他の方が出演されてた番組で、おそらく霊に関する番組だったんだと思います。そこで、まず番組の段取りとして予定外なのですが、霊能力者の人が、「男の子の霊がいます」と言い出します。そこからパニックが起こります。スタジオの観客席の上にある照明のクサリか何かが、突然ガシャーンと音を立てて揺れ始めます。誰もそんな部分を揺らすなどしてるはずはないのに・・・。その時点で、観客はパニックです。その上、生放送を見ていた視聴者からは、スタジオにいるはずの無い霊が見えると電話が殺到し、実際スタッフが確認してみると、カメラにモニターに男の子の霊が映っているのです。そして、原因不明のガシャーンなどという音が鳴り続き、番組のスタジオはTV関係者も含めてパニック状態だったそうです。

以上のような内容です。今でもその当時のビデオはタブーとされているらしいです。21歳の自分には勿論その頃まだ生まれているかどうかも分からないぐらい前という事です。なので、この話が本当ならば、おそらく見ていた可能性があるのは30代ぐらいの方になるかと思います。心霊系の掲示板などでは、「リアルタイムで見てた」という書き込みがありますが、ああいうサイトでは、脅かそうと思って書いてる可能性もあるので、あえてここで本当の事を聞きたいんです。ここでは怖がらせようとかそういうの無しで、あくまで「本当にこの番組を確かに見た」という人にお聞きしたいのです。この番組、そしてこの話は本当にあったんでしょうか?別に嘘だったからといってがっかりするものでもないので真実が知りたいです。是非教えてください。

稲川淳二の怖い話の中に、生き人形というのがあります。
真偽を訪ねる前に、簡単に言われている内容を言います。

20年以上も前に、TVの生放送中に、幽霊が映った話らしいのです。たしか「プラスα」という番組らしいのですが、稲川淳二と霊能力者とその他の方が出演されてた番組で、おそらく霊に関する番組だったんだと思います。そこで、まず番組の段取りとして予定外なのですが、霊能力者の人が、「男の子の霊がいます」と言い出します。そこからパニックが起こります。スタジオの観客席の上にある照明のク...続きを読む

Aベストアンサー

見てました『プラスα』。

関西ローカルの午後2時からの番組です。
当時小学生で、怖い話を半分聞き流しながらテレビを
見ていたんですが、
突然スタジオの観客のおばちゃん達がパニック状態に
なって、
カメラが天井で揺れているライト(スタジオのでっかいやつ)を映し、
視聴者からは「あの人形のそばの子どもは誰!?」って
ガンガン電話がかかったそうです。
(これはテレビで言ってた、私には子どもの姿は見えませんでした)
…今のは何だったんだ?とか思っていて。

数年後。あの時の話でセンターに座っていたのが
稲川淳二と知ったのは。

♯1さんの『生き人形』をコミック化した
漫画家の永久保さんは、
書いてる最中にいろいろあったようですね。
後日談が収録されているのを読みました。
まさか、こんなに怖い話になるとは…(^^;)

Qなぜ日本は植民地にされなかったのですか?

19世紀、他のアジア諸国は欧米列強の植民地にされたのに
なぜ日本は植民地にされなかったのですか?
日本の教育水準が高かったからですか?
それとも単に運がよかったからですか?

Aベストアンサー

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
ところが長崎に高島しゅうはん、という人が役人でいて、脇荷貿易の権限もっていて新式大砲を研究していました。それは出島にくるオランダ船が礼砲を撃つと威力、性能が進化しているのをしっていて、です。
幕府も国防上、江戸へ呼んで演習。一日でその平地は「高島平」(たかしまだいら)になりました。今もそう呼ばれてます。伊豆代官江川が引き継いで、青銅砲でない鋼鉄砲をつくる高熱の製鉄炉(反射炉)をつくろうとしたり(大砲、兵学などはなんとかヨーロッパの技術においつこうというカンジ)、日本人は形式・格式でガチガチのバカな武士社会の中でも一部の有能な、志ある人たちに助けられてなんとか西洋とわたりあえる学術・軍事・文化・行政制度をもっていたのです。
(ほとんどの藩はド貧乏、借金まみれ。一部の外様大名とかだけです。意識あったのは)

ペリーが来航した時も(一年前くるっていったのに来ないと思って内緒にしちゃったバカな幕府上層部のせいで大慌てしたが)、一年後返事をもらいにくる、といったあと年明け10ヶ月にきた時には、無防備だった江戸湾に砲台島を築かせて防衛体制つくった(江川が指揮)
これが砲台場、今の「お台場」です。
これにはペリーも驚いた。
あと吉田松陰みたいに単身(2人だったけど)黒船に乗り込んで
「我アメリカに行かんと欲す」と叫びまくって返ってきた若者とか。
こんな人他のアジアの国にはいなかった。

日本は天文、数学、測量でもヨーロッパの文献研究したり、和算でも微分積分できたらしい。水準高かったンですよ。富豪商人は学問する人たちが多いとか、そういうこともあったらしいし、町民文化も小説、演劇、レベル高かったです。

アメリカと国土交渉する際もペリーが小笠原はアメリカ人住んでる、国際的に通じる文書で証明しない限りアメリカ国土だ、といった時、フランス語版・林子平著三国通覧図説をだして、出版年からも日本領土だと証明。
松平定信が迫害した林子平の著作が、大黒屋光太夫一行のうちロシア日本語学校教師にのこった一人とドイツ人言語学者の手で訳されて、小笠原諸島をまもったわけですね^^

ま、そんなこんなで、日本は他のアジアの国より運がよかった。
・一応、統一国家でまとまってた。いくつか勢力が争ってるとかじゃなかった
・文化水準がヨーロッパと同程度だった(これは不思議なものである)
・一部の蘭学者のおかげで、外国の情勢なども在る程度はつかんでいた?!ジョン万次郎がいたといなかったじゃ、また違ったろうなぁ
江川さんがいなかったら大変だったと思うよ
・穏健バランス派の阿部が老中(筆頭?)だったのもよかった。水野忠邦だったらボロボロだったんじゃないかなぁ
最後は大分大胆に物事運んだけど。
・武士階級、常時帯刀武装してる階級が行政してる、というのはなかなかすごいかも^^
・シーボルトが日本の文化レベルを紹介する書物を発表してくれていた
(ペリーもちゃんと読んでた)→日本は交渉するレベルの国だと思ってもらえた。おそらく礼砲をちゃんと返せる国なんてアジアで日本ぐらいだったでしょう。

兵力でいえば、この前NHKでもやってましたが薩摩とイギリスの争い、中国のイギリス艦隊きた時は薩摩ボロ負けですよ。海戦は特に。
最初、不平等条約だったのもしゃーない。
しかし、交渉のテーブルがある、というのは在る程度、相手を認めてのことだし、全面開戦しなかった、というのはお互いのメリット、リスクも含めて必然だったのかも。
まぁ頑張りましたね、当時の日本^^

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
ところが長崎に高島しゅうはん、という人が役人でいて、脇荷貿易の権限もっていて新式大砲を研究していました。それは出島にくるオランダ船が礼砲を撃つと威力、性能が進化しているのをしっていて、です。
幕府も国防上、江戸へ呼んで演習。一日でその平地は「高島平」(たかしまだいら)になりました。...続きを読む

Q日本は強かったの? 他国から歴史をみたら日本なんてなんてことない国だったの?

第一次、第二次世界大戦の時代
私は今まで、日本はアメリカに負けたけど、日本は戦争に強かった。と思っていました。零戦とか戦艦大和とか聞くし、神風特攻隊を出撃させたのは、作戦には疑問を持ちますが、とにかく日本は強かったんだと思っていました。でも、実際そうなんでしょうか?戦争に関して知識は豊富ではないですが、昔のVTRなどをみていると、簡単に言うと、ずるい方法をとったりしていたようにいわれてました。(約束破り?)
私は日本で日本の歴史を勉強するので日本は負けたけど、すごかった、強かった、というような感じを受けるものが多いですが、ほかの国から歴史を見たら、日本なんてなんてことなかった かのような存在だったのでしょうか?教えてください

Aベストアンサー

ご質問が「第一次、第二次世界大戦の時代、日本は強かったの」
ですが、
「アメリカには勝てないが、かなり強かった」といえます。

第二次大戦の時期の列強陸海軍ランキングを仮に作成してみます。

陸軍
1) アメリカ
2) ドイツ
3) ソ連
<この間、かなりの差>
4) 日本 4) フランス 4) イギリス
7) イタリア
(他はランキング対象外)

海軍
1) アメリカ
2) 日本
3) イギリス
<この間、かなりの差>
4) イタリア 4)フランス
6) ドイツ
(他はランキング対象外)

<陸軍について>
日本陸軍は弱かった、人命無視のムチャクチャな作戦をやって自滅して行った…という悪いイメージがありますが、仔細に見るとそうでもありません。

A) 支那事変は、蒋介石率いる国民政府が、上海周辺にドイツ軍事顧問団の指導で建設した第一次大戦型の塹壕陣地(第一次大戦の常識では『突破不可能』。ゼークトラインと呼ばれた)を建設した上で、上海に駐屯していた海軍の上海特別陸戦隊を襲撃し、救援にやってくる日本陸軍を、上海周辺の塹壕陣地に誘致して殲滅する、という計画で始まりました。

蓋を開けてみますと、上海特別陸戦隊は意外なほど頑強に戦って陸軍の援軍が来るまで持ちこたえ、杭州湾に上陸した日本陸軍3個師団は、国民政府が頼みにしていたゼークトラインを「浸透戦術」を巧妙に用いることで少ない損害で突破し、国民党軍を包囲殲滅しながら国民政府の首都である南京へ進撃しました。

これは蒋介石にとって全く予想外のことで、国民政府軍は総崩れとなりました。日本陸軍は、上記のランキングでは「ランキング対象外」の国民政府軍より「遥かに強かった」と言えます。

ウィキペディア 第二次上海事変
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E4%BA%8B%E5%A4%89

B) ポツダム宣言受諾の「後」に、ソ連軍が北方から千島と南樺太に侵攻しました。
千島列島の北端である占守島、日本領であった南樺太には、比較的装備が良く、兵員も充実した守備隊が残っていました。
8月15日以降のソ連軍の攻撃に対し、占守島と南樺太の陸軍部隊は善戦し、
「占守島においては、上陸したソ連軍をもう少しで海岸に追い詰めて全滅させるところまで戦う」
「樺太においては、ソ連軍の南下を食い止め、南樺太の日本人が北海道へ逃げる時間をかなり稼ぐ」
という戦いぶりを見せています。

<海軍について>
日本海軍については、アメリカに次いで世界第二位の戦力を持っていたのは異論がない所で、戦前においては、東太平洋は「日本の海」でした。

「空母機動部隊」はアメリカと日本だけが編成して運用できたものですし、18インチ砲搭載の戦艦を建造できたのは日本だけです。第二次大戦終結までに完成させた大型空母の隻数で言えば、アメリカが圧倒的に多いわけですが、次に多いのは日本です。第三位のイギリスにかなり差をつけているはずです。

無限の物量と高度な技術を持つアメリカと戦っては、昭和19年のサイパン沖海戦で日本空母機動部隊が壊滅し、レイテ沖海戦で航空機の援護のない「レイテ湾への特攻」を命じられた水上部隊がろくな戦果を挙げられずに甚大な被害を受け、「沖縄への大和特攻」(坊の岬沖海戦)で終わったわけですが、アメリカ海軍相手にここまで戦える海軍は日本海軍だけだった、というのは紛れもない事実でしょう。

ご質問が「第一次、第二次世界大戦の時代、日本は強かったの」
ですが、
「アメリカには勝てないが、かなり強かった」といえます。

第二次大戦の時期の列強陸海軍ランキングを仮に作成してみます。

陸軍
1) アメリカ
2) ドイツ
3) ソ連
<この間、かなりの差>
4) 日本 4) フランス 4) イギリス
7) イタリア
(他はランキング対象外)

海軍
1) アメリカ
2) 日本
3) イギリス
<この間、かなりの差>
4) イタリア 4)フランス
6) ドイツ
(他はランキング対象外)

<陸軍について>
日本陸...続きを読む


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