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スターリンが粛清を行ったことは知っていましたが、それは自分の反対者達を抹殺したものだと思っていました。ところが『中公バックス 世界の歴史 15 ファシズムと第二次大戦』(中央公論社)を読むと、スターリン主義者やスターリンの右腕と目された人々をも粛清の対象としたことが分かり、驚きました。

まずトロツキー(1929年国外追放)、ジノヴィエフ、カーメネフ(いずれも1936年死刑)と争った時はブハーリン、トムスキー、ルイコフ(いずれも1938年銃殺)らと手を組みますが、用が済むと彼らもスターリンの右腕と目されたキーロフらの手によって粛清され、キーロフ自身、1934年に元共産党員の手にかかって暗殺されますが、これは秘密警察が裏で糸を引いていました。

1934年の第17回党大会は別名「勝利者たちの大会」とされていますが、ここでスターリンに賛辞を送ったスターリン主義者達1965名のうち1180名が「反革命の罪状」で逮捕され、あるいは銃殺または禁固刑に処せられ、結局、「犠牲者達の大会」となってしまいました。36年、ヤーコブに代わって、大粛清の代名詞ともなった「エジョフシチナ」のエジョフがスターリンによって内務人民委員(秘密警察の統括部門)に任命されると、36~38年にかけて党機関内部では上から下まで数千の犠牲者が出たとされています。

「エジョフシチナ」の手は軍にも伸び、トハチェフスキー元帥らも銃殺されます。これはWikipediaによればスターリンが軍功を欲したからだとされています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%B2%9B% …

そして「エジョフシチナ」の最後の犠牲者は「エジョフシチナ」を自ら行った秘密警察自身でした。

これを同じ全体主義国のナチス・ドイツと比べてみれば、大きな隔たりがあると思われます。初めにお断りしておきますが私は決してナチスを礼賛するつもりは全くありません。ホロコーストや侵略戦争は決して許されざる行為だと思われますが、単純にその党あるいは国家機関内部を見れば、確かにヒトラーと対立したレームを粛清したことはありましたが、少なくともヒトラー支持者達を抹殺するようなことはなかったと思われます。

スターリンの粛清は、非常に図式的に言うと、例えばAという人間を抹殺するために自分の配下のBを利用し、今度はCという人間にBを抹殺させるという、まるで人間を将棋の駒のように扱って、殺人をゲームの様に楽しんでいるような気がするのですが、なぜこのようなことをしたのでしょうか?粛清の真の狙いとは何だったのでしょうか?アガサ・クリスティーの小説ではありませんが、これでは「そして誰もいなくなった」(フルシチョフを除いて)になってしまったのではないでしょうか?

A 回答 (2件)

まず


礼賛者が本当に礼賛しているかどうかは証明できない。
No2は常にNo1の潜在的なライバルである。
というのが、一般的に言えます。

ここに、スターリンの個人的な体験が影響します。
ソ連成立時の圧倒的なNo1はレーニンであり、No2はトロツキーでした。スターリンの初期の目的は、トロツキーに替わってNo2になること。そのために手練手管を使ってトロツキーに追い出しを計ります。
※ この部分は、戦略の形成 下 より
この段階でスターリン自体が「礼賛者が本当に礼賛」していることはない、というのを実行しているわけです。これが自分にとっての真実になったのですから、自分上に上がるために何をやったかをよくわかるわけで、自分以外の人間はそうじゃない!と信じたのなら、それはそれで、おめでたいことになります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。ご回答の、非常に簡潔な表現の中に、全ての歴史的真実が網羅されていると思いました。

お礼日時:2008/02/06 01:34

スターリンは、独裁者の常として、非常に猜疑心が強かったと聞いています。


そのため、「自分に反逆する能力のある者全て」が粛清の対象となってしまったのです。
軍人は、有能でないと、部下がついて行かないでょう。
その、有能さが、彼を不安にさせたのです。
その結果が、対独戦初期の大敗北に繋がったのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。おっしゃる通り、スターリンは強烈な猜疑心を頂いていたということは、何かの本で読んだことがあります。

お礼日時:2008/02/06 01:38

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