は何ですか?
例えば、文系ならば現代文や英語、理系ならば数学、理科を課すのは解りますが、文系だからと言って古典を受験に課す意味はありますか?そもそも、古典というのは社会に出てから全く役に立たないように思えるのですが。文系でも理科の知識は知っておくと実生活で便利なことが有りますが、古典はもはや趣味の領域では無いですか?歴史なら日本史で学べば良い訳ですし。英語と違って需要も有りませんし。日本の文化を真に学ぶ、または母国語の成り立ちを考える、というのは解りますが、我々にとってもっと学ぶべき事はたくさんあるように思えるのですが。学校の授業としてやる分には大賛成ですが、受験にまで課す意味は何でしょうか?
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
歴史関係、これは、こ文書を読めないと話にならない。
よって古典が必要。法律関係。現在も生きているのです。大審院判決が。だから、大審院判決がよめないと法律関係は花氏にならない(判例を知っていれば知っているほど有利。変なことを裁判官が行ったらば、過去の判例を付けて出す)。だから、文語が読めないと話になりません。
実生活では、ビルを借りているとちに立てるときには地上権を設定します。地上権の主要な判決は明治の頃の内容です。
No.5
- 回答日時:
古典が社会に出てから全く役にたたないのではないか。
他に学ぶべきことがたくさんあるのではないか。
これは非常に難しい問題というか、判断の難しい問題ではないでしょうか。
それが判断できるほどまでに、それぞれの学問を学び社会で活用できるか試すこと自体無理でしょうし。
また、本質的にはこれよりもこちらの方が学ぶべきことだ、というようには言えないのではないでしょうか。
とはいえ、今回のお話では、実用的でないことと受験科目にする必要があるか、ということが眼目のようですね。
先に、受験科目にすることについて。
例えば、無駄だと感じたものは全て捨てていく人
古い物は無用の長物であり、最先端のものを見ればよいと考える人がいたとしましょう。
しかもその人は無駄だと思われるものは一切勉強しなかった。
そんな人に、どんな研究であれ、任せるのは私は怖いと思います。
新しい考えと古い考えの間を行き来したり、二つ以上の可能性の中で揺れる。
そういったプロセスを経て、多角的な視野を持ち、自分の見解を疑い疑いしながら、突き詰めていく。
文系の研究でそういう作業が必要だと感じます。
なので、一つだけしか見えていない人よりも
全体を見渡せる、ある程度色々な知識を持ち、様々な見方ができる人に研究してほしい、と思います。
新しいものは誰でも関心のあることですが、そうではないものを切り捨てずに拾えているか。
古典を、それを試す教科の一つと考えて構わないと思います。
それから、実用性がなさそうな古典ですが、
ある意味古典こそ学んでおくべきであるとさえ私は思いますよ。まぁ、身内贔屓ですが。
日本人である以上、アイデンティティの希求に古典は欠かせないものです。
今に至るまで続いてきた価値観と、今では驚くような価値観が共存し、
自分が無意識にしている考え方の根底を見たり勝手に当たり前だと思い込んでいた考え方を揺さぶられたり。
古典を読むことは、自分を知るための一つのツールとなります。
というか、研究者はまた別として、一般の高校生が古典を学ぶ意義なんて、ほぼ「自分を考える」ということではないでしょうか。
古典というと、古い文化だの、日本を知るだのとすぐ思われがちですが
そういうのは古典の一面であって、それだけではありません。
古典を学ぶことは、当たり前と感じていた思考を疑うことです。
それは、そのまま自分を大きくさせることではないですか。
生きる上で非常に大事なことだと思いますがどうですか。
例えば、「こんにちは」「さようなら」なんていう挨拶も、
言い差しの形だから、とても日本的ですよね。
なのに、それを当たり前だと思って何も感じずに毎日使っている。
これは卑近な例ですけれども、そういうようなことって沢山あると思うのです。
ところで、回答の中で
>私はずっと法律に興味が有り、一早く法律の勉強をしたいと長い間熱望しておりました。なので、意味の無い勉強などしたくなかったのです。
とおっしゃっていましたね。
私も大学に入るまで、古典を学びたい一心でした。
でも、やはり他の教科を学んだことというのは大事だったと痛感します。
自分が『源氏物語』の論文を執筆する上でパスカル三角形にヒントを得たりするんですよ。
役に立つかどうかなんて、その時にはわからないものですね。
ところで、実用的な学問を受験科目にするならば、家庭科と保健は必須ですね。
何故入っていないのでしょう。
そんなことを考えてみるのもヒントになるかもしれません。
有難うございます。
そうですね、何が役に立つかは今分かるようなことでは無いですよね。勿論古典を学ぶことで現代問題を解決する鍵にでもなりはしないか、とも思いました。唯、例えば東大を出た政治家、官僚が現在この醜態を晒しています。彼らはいわゆるたくさんの科目を受験時に勉強してきた教養人です。にも拘らず結局はそれが何の実も結んでいない。確かに、貴方の仰る事は非常に良く分かる上に教養の修養は人間形成において非常に大切な事だと思います。しかし、それのみに留まっていて、現代に於ける諸問題を解決する道標にはなっていないのではないか。ならば、もっと実用的な学問を大学受験でも課すべきなのでは無いか、と思ったのです。その上に汚職事件は後を絶たない。結局は受験レベルの古典を学んだ程度では人間形成には大して影響を与えないのではないか。それよりも根本的な人間による教育の在り方を見直すべきなのでは無いか(つまりは教師の在り方を問い直すべきなのでは)、と思うのです。現状を無視して理想論だけを先行させるのはどうか、と思ってしまいます。
>ところで、実用的な学問を受験科目にするならば、家庭科と保健は必須ですね。
家庭科は男子には不必要では?確かに主夫は増えてきていますが、それでもまだ少数派ですし、家庭科知識を必要とする大学もあまり無い様に思えます。家庭科を学ぶ位なら大学側の専門知識の一つや二つ程度かじっておいて欲しいと思っている様に思えるのですが、どうでしょうか。
橋下弁護士も受験勉強は将来何の役にも立たない、もっと実用的な学問を学ばせるべきだ、と主張していました。流石にそれは言い過ぎだと思いますが、やはり事実上役に立っていない教科を受験科目にする必要は現代に於いて有るのか?と邪念を拭いきれない次第なのです。
No.4
- 回答日時:
私も大学の受験生だったころ、質問者様とは別の意味で古典(古文)が理系の入試科目にもなっていることに疑問を持っていました。
それは自由に読めば古典は興味深いものなのに、入試科目にあるばかりにその真の面白さが伝わらず、入試のあとは見むきもされなくなるのではないかと考えたからです。当時は入試科目の国語に古文が含まれるのは、現代国語(と当時は呼んでいました)だけでは受験生の成績にあまり差がつかないからではないかとも考えていました。ただそれから40年近く経つと少し考えが変わりました。残念ながら入試科目にないと多くの生徒はまじめに勉強しませんので、たとえ入学試験に合格したいというだけの動機であっても、若くて心が柔らかいうちに古典を(ごく一部でも)学ぶことは意義があると考えるようになったからです。高校で古典について学ぶことは質量ともにあまり多くはないと思いますが、それが卒業後に自分の好きな古典を読むきっかけになればその意味は決して小さくないでしょう。古典を読むということは単に昔のことを知識として学ぶだけでなく、昔の人々と対話したり共感したりすることだと思います。だからこそ万葉集や源氏物語が千年の時を超えてずっと読み継がれているのではないでしょうか。またこの昔の人々と対話したり共感したりできる能力はもちろん生きている人とのコミュニケーション能力にも通じるもので、社会でも役立つと思いますが…。
No.2
- 回答日時:
大学とは、「学問をする」機関です。
お履き違えのないように。
「社会に出てから全く役に立たない」と仰いますが、社会に出てから役に立つような実用的なことだけを学びたいのであれば、専門学校や職業訓練校にいらっしゃい、何も無理して大学に進学することはありません。
大学も、そんな学生は、要らないのじゃないでしょうか。
「学問」に純粋な意義を見出せず、学ぶことを億劫がり、ただひたすら知るということ、考えるということに喜びを見出せないような学生が、何百人いても烏合の衆、ろくな論文は書けっこないし、大学にとって有益な研究をしてくれて大学の学会での地位を上げてくれるような名誉な学生は、とうてい輩出しそうにないですものね。
学問とは、人間の知的好奇心を充足させるためにのみ存在するのです。
それがたまたま何らかの形で社会に貢献したとしても、それは副産物であって、それそのものが目的だったのではありません。
知的好奇心を満足させて、なんになります?
なんの「役に立ち」ます?
そうです、仰るとおり、なんの役にも立ちません、自分が嬉しいだけです。
でもね。
知らかなったことを知って嬉しいと感じる。
考えた末に何かを解明できると快感を覚える。
それが、人間という生き物の、人間たる所以なのですよ。
こういう「喜び」を持っている生き物は、人間だけなのですよ。
その人間が、学問の最高府として設立しているのが、大学という教育機関です。
いやしくも大学に進学しようかという志を持っている学生は、そこが学問の場、最高学府であるということに了解し、学問の徒として誇りを持って受験していただきたい。
「我々にとってもっと学ぶべき事がある」
一見格好の良い台詞ですが、では、それはなんですか。
それに、あなたの仰る、古典を学ぶことを否定するだけの説得力がありますか。
それも学んで、古典も学ぶ、では、なぜいけませんか。
多く知ること、多く学ぶことの、何が損ですか。
それを損だと感じる限り、あなたに学問は向いていない。
向いていないことをしに、わざわざ狭き門を潜り抜けてまで、大学に行かなくてもいいじゃないですか。
ほかの、もっと向いていることをなさい。
いくらやっても苦にならないことをなさい。
そのほうがあなたのためにも幸せでしょう。
そうして、本当に学問をやりたい、学問に向いている、考えることや知ることが大好きな、学問バカの学生たちに、せめてあなたの分の一席を空けてあげてください。
そのほうが、よほど、「役に立ち」ます。
古典を受験に課すことの意義。
こじ付けでならなんとでも言えます。
真の国際人を育てるために、自国の文化に精通していなければならないのだとかなんとか。
古典を理解していなければ、日本の伝統文化はほとんど読み解けませんからね。
でも、そんなこと、後付けの理屈です。
日本人として当然の「教養」だからですよ。
平家物語の冒頭もろくに暗唱できない程度の「日本人」が、日本の「大学生」を張ることに、違和感があるからですよ。
教養なき人物が、大学へ行って、学問を修めて、それこそ、何をするんです。
知識も教養も、幅広く種を撒いていて初めて、どれから芽が出るか分からない面白さがあるのです。
学問というのはそういうものなのです。
あなたが、仮に、経済学を勉強したいと思って大学に行っても、経済学から派生的に学んだ社会学のほうが面白くなってしまって、そっちの研究者にならないとは限らないのです。
初志貫徹するも学問の醍醐味、あちこち寄り道するもまた醍醐味。
学ぶ面白さというものは、役に立つとか立たないとか、そんなモノサシで測れるような単純なものではない。
それを、あなたは今、知らないでしょ?
「お勉強」しかしてきてないからね。
まだ、「学問」をしたことがないからね。
それが分かるのが、「学問」なのですよ。
「学問」とは、それ自体に意味があることであって、本来「何の役にも立たない(実用的な意味で)」ことです。
それを応用したのが「技術」で、ここから先が実用なんです。
でも、それは、一部の特殊な単科大学や研究室を除いて、「大学」の本質的な存在意義ではありません。
大学の存在意義は、あくまでも「学問」の場としての最高府、ということです。
そして、大学は、この学生が「学問」のできる人物かどうかを見極めるために、入試を実施するのです。
真の教養人たる資格があるか否かを試すために、入試を課すのです。
そもそも、入試で課せられる程度の知識や解答力などというのは、古典に限らず、学問のほんの入り口の入り口、ごくごく底の浅い、表面をかじった程度のものです。
そこらへんで音を上げて、少しでも学ぶ内容が少なくなればいいのに、とぶつくさ言ってるようでは、どのみちモノにはなりませんから、入試ではじかれるのは当然です。
一通り、やるべきことはやる。
文句を言わずに黙々とやる。
そのうちのどこから芽が出るかなんて、たかだか高校生に判断のつくことではない。
100学んでもどの種が「当たり」だったのか分からず、1000学んでもまだ分からず、1万学んでやっといくつか芽が出てきたかと思ったら途中で枯れたり虫がついたりして・・・10万学んだ中から、ようやく、ああ、これか、これが自分のやりたかったことなのか、と、初めて、モノになりそうな「苗」が育っているのに気付く。
そういうものなんですよ、学問というのは。
・・・と、今述べたことは、本当は「理想論」です。
現実には、大学は、最高学府としての矜持を自ら捨て、専門学校や職業訓練所に成り下がろうとしつつあります。
もしかしたら、数年か数十年のうちに、質問者さんの望まれるとおり、大学は、古典の出題を、「実用的でないから」という理由において、割愛するようになるかもしれません。
それでも、私は、地に落ちた「学問」を、草葉の陰で嘆くでしょう。
有難うございます。
確かに教養人に成る為に古典の勉強は必須ですね。それは百も承知しております。しかし、それを言うならば美術も音楽も全て教養ですよね。なのにも拘らずそれらは副教科として切り捨て古典のみを受験科目としてあげる意味は何なのか、と思ったのです。それでも、歴史上の文献を古典で読み解くことに意味が有ったり、日本の代表的な文学作品をかじる程度の事は日本人として当たり前なのかも知れませんね。そう言う意味では大学の本来の目的にかなった制度として納得致します。
>それも学んで、古典も学ぶ、では、なぜいけませんか。
いえ、別に学ぶ必要が無いとは言っていません。飽くまで受験科目として課す必要があるのか、という意味です。しかし、大学の本来の目的が教養人の育成ならばそれも納得です。因みに私は古典は必要ないですよね?という趣旨でこの質問をしたのではなく、自分はそれ程必要性を感じないのだけれども、それは私個人の勝手な思い上がりかもしれないので、ご指摘ございましたら宜しくお願い致します、とこう言う意味で質問しているのです。ここが議論の場では無いこと位百も承知ですし、そんな偉そうに構えよう等とは全く思っていません。
因みに私は貴方の仰る古典を受験科目から割愛した大学に通っております。私はずっと法律に興味が有り、一早く法律の勉強をしたいと長い間熱望しておりました。なので、意味の無い勉強などしたくなかったのです。少しでも将来と関係のある勉強をしたい。受験勉強生活を大学に受かる為だけの勉強の場などにはしたくない、と。しかし、こうやってお話を伺う事で私も未熟だったと思い知らされる訳です。それでも一応は一流大学と呼ばれている大学ですので、やはり大学側も古典よりも小論文の方を重視しているのかな、時代はそう言う方向に傾いてきているのかな、と思っていたのです。現に、現代人の考えは現代的では無く、非常に古いものである、と長尾達也先生が仰っていたので、やはり今必要なことは近代以前の表面的な教養知識ではなく、ポストモダンな現代的知の構築なのでは無いか、と思ったのです。有難うございました。
No.1
- 回答日時:
教養です。
そもそも大学とは教養人になる場でしたから、教養の有無を審査するのは当然だったと言えます。その後実学志向が高まり、一般教養の講義を行わない大学も出てきたので、受験でも教養を審査する意味がないと考えられたのでしょう。ちなみに、国際的に一目置かれたいと思うなら自国の古典の知識は不可欠です。仕事後の雑談で源氏物語についての見解を求められ答えに窮したというような話は沢山聞きます。千年も前に文学があった国はそう多くありませんから関心を持つ外国人は大勢います。特に知識階層には多いです。経済や政治のような実務の知識よりも教養を重視する人もいるくらいですから、軽視すべきではありません。
日常生活では古典は趣味の領域かもしれませんが、付き合う人によっては必須の分野です。
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