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(qa3867782『無は存在しますか?』
に関連して、焦点を絞り込んで質問し直すことにしたが、絞り込まれたものは以下の問題に集約されると思われる。)
≪(唯物論者について)彼らは、
「死んだら無になるんだ。…あぁ恐ろしい」
と言うのです。ここには、無になるなら恐ろしいも何も無い筈ではないかという疑問の他に、それ以前にその無は有り得ないんじゃないか、という考えがあるのです。

彼らの言う「無」とは、何でしょうか?
何かの事象に付帯する状態の表現としての無でしょうか?

私にはそれは、意識の完全な無、つまり絶対無であると思われるのです。

つまりこういう事です。意識の有無は客体から見れば、或る意識に付帯する状態としての有無と言え、それは有る。

しかし、主体的意識にとっては、それは絶対無ではないか。

客体の捉えたものが真なのか。
主体の世界が真なのか。

主体の目線から考えるなら、形而上学的な絶対無について考えるしかない、そんな風に思われるのです。≫

絶対無があるという事になれば、「死んだら無になる」は可能となる。
絶対無が無いなら、「死んだら無になる」事が出来ない。というより意識の無限が論証されてしまう。

それとも、やはり客体の視点しか存在しないのか?

「自分のことは自分が一番分かる」のか。
「他人が見てしか分からない事がある」のか。

そこで質問内容は結局2点以下に絞り切れなかった。

客体が見る事象であるところの意識の状態の有無しか存在しないのか?
主体的意識があるとして、それの無は絶対無であるが、絶対無は有るのか?

いろいろ込み入って参りましたが、付き合って下さる方、どうかよろしくお願いします。

A 回答 (14件中11~14件)

>「死んだら無になるんだ。

…あぁ恐ろしい」
これは無という未知のものに対する恐怖ではなく、既知のものを失うことへの恐怖ですよ。
私の車、私の家族、私の財産、私の友達、私の恋人、私の信念・・・・

私の所有物という既知のものを失うことを恐れているんじゃないでしょうか。
『無』という未知のものを恐れることはできないです。
『恐怖は未知と既知の間にある』ですね。

自分の死を自覚できないのに無を恐怖するなんて馬鹿げていますよね。
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この回答へのお礼

あなたの認識は私と全く同じものです。

ご回答有難うございました。

お礼日時:2008/03/18 22:11

主体とか客体とか言うものもあなたが意識しているから定義づけできている。


主体的意識の無は絶対無かどうかは知ることができない。
つまり、
あなたは生きているから、生きていることを意識で認識できている。
死んでしまったら生きていないから意識が無く、自分が死んだことは認識できない。
もし、死んだことを意識で認識できた気がしたなら、あなたはまだ生きている。死んではいない。
ダカラ
あなたは生きている限り、自分が死んだことは認識できない。
したがって、主体的意識の無は確認できない。
だから
絶対無はあるのかないのかは、知ることができない。
次に
客体が見る事象であるところの意識の状態の有無、ですが
あなたは彼や彼女ではない。
あなたの主体的意識と彼の主体的意識が同種類のものかどうかは「多分そうだろう」と推定できるだけで、厳密には実証できない。
胴がひとつで頭が二つの人がいた(ベトナムなど)が、それでも、一つの頭は他の頭の考えてることはわからない。片方の頭が眠っていて夢を見ていても、もうひとつの頭は覚醒していて、夢のことは全くわからない、と言ったこともあります。
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この回答へのお礼

私の質問内容には「(肉体が)死んだら無になるのか」という事の吟味が関連しています。
あなたの論説は、(恐らく、肉体が)死んだら無になる事が前提になっています。(私が「唯物論者」と言った段階で肉体の死を問題にしている事は明白であるから)
肉体の死=無(意識の死)なのか、と言っているのに、「肉体の死=無(意識の死)だから」とは言えません。それはずるい言い方です。

主体的意識の無は確認出来ません。ただ「無は有」という言葉の矛盾は、それは有り得ない事になるのではないか。

客体が見る事象であるところの意識の状態の有無は、厳密には実証出来ない、確かに。

ご回答有難うございます。

お礼日時:2008/03/18 22:03

唯物論でもなければ唯心論でもない


生は物心の両面を以って在るのではないでしょうか
絶対無は種の絶滅ということではないのかな
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この回答へのお礼

絶対無は、形而上学的な絶対の無を短縮しただけです。分かり難かったですかね。

生は物心の両面を以って在ると思いますよ。

ご回答有難うございます。

お礼日時:2008/03/18 22:08

主体的(自己主張)?


客観的(多目的)?

とかですか?

主体として、組織の一員なら、それに重きを置きます。
客観なら、俯瞰で捕らえられます。

また、絶対無として、無の境地という言葉を思い出します。

何語かはわかりません。

しばりがないということでしょうか?

この回答への補足

主体…意識する本人
客体…本人以外の人

絶対無…純粋に無であるという、「絶対的な無」を短縮しただけ

分かり難かったですかね、すみません。

補足日時:2008/03/18 20:58
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