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調べてみても納得のいく説明が無かったので質問を投稿します . 活字離れの問題点と原因をご説明ください .

既に

・思考力や読解力が低下する
・携帯電話やネットの普及で活字離れが起きている
・知識力の低下

などの意見がありますが , これらの因果関係は立証できているのでしょうか .

教えて!goo グレード

A 回答 (6件)

こんばんはです。

活字離れの問題点と原因ですか、、、。難しいですが個人的な意見とかでもいいんですかネ?。残念ながら立証ができているかは知りませんけど、、、。

まず、既に意見されているという3点について。
・思考能力、読解力が低下する
これについては私も同意です。読解力なんてのは字のごとく読むことをしなければ力はつかないと思います。思考能力については判断が難しく考えることと活字離れを直接的に結びつけるのは正直私はどうかと思います。ただし、3番目にあげられた知識力の低下⇒物事を解決する選択肢の減少⇒思考力の低下と考えられなくもないので。

・携帯電話・ネットの普及により活字離れ
これについては不思議に思うコトがあり、今の世の中は誰もがHPを作成し、ブログを書き、掲示板に書き込みをします。動画サイトにはコメント打つ機能もありますし(笑)実は活字とはそれほど離れていないのではないかというのが私の印象です。しかし、今は活字を読む人も書く人も素人なのだなと思います。例えば10歳の少年が書いた文章を50歳のおじさんが読む時代なのかもしれません。(読む人が素人なのは一般人なので今も昔も変わらないのですが、、問題は書き手がプロではないという点)ようは現在のネットなどで触れている語学のレベルの問題なのかもしれないと思います。ただ、中には若くしてすばらしい文章を書く方ももちろんいらっしゃいますし、ネットの世界での独自の文化もあると思うので語学のレベルなどという尺度自体がおかしいのかもしれませんが、、、。

・知識力の低下
前述した項目と関連してあると思います。

では私の考える問題点ですが、これは単純に今まで生きてきた経験上の話です。ようは言葉の使いまわしが上手くなるかどうかだと思っています。やはり本をたくさん読むことにより、文章に書かれた空間での話のやりとりなどを擬似的に経験することができ、それを自分の実際の生活上で使えたりできるんじゃないかと。もちろん表現方法なども学ぶことができると思います。活字に触れないと自分の生活している空間だけの言葉しか存在しないので、表現の広がりが小さくなってしまう場合もある思います。
私自身、活字離れな人生を送ってきたような気がするので、むしろ自分自身の戒めのつもりで書いてしまいました(汗)

原因については、前述したように今の時代はアマチュアの方も世界中のあらゆる人に自分の文章を発表できます。しかし、これは受け取る側にはどれが良質な活字なのか判断しにくくなっているのではないかということです。良質な活字に出会わない⇒活字離れのようになってしまっている(?)というのが私の考えです。

まあ、素人が書いた文章なので、もっと専門的な方が回答してくださったときは素通りしてください。(笑)

この回答への補足

早速丁寧な回答をしていただきありがとうございます . 補足をさせていただきます .

>>これについては私も同意です。読解力なんてのは字のごとく読むことをしなければ力はつかないと思います。(後略)

コレについてはわたしも同意です .

>>しかし、今は活字を読む人も書く人も素人なのだなと思います。(後略)


これは喜ぶべき事だと思うのですが . 冗談みたいに駄目な文章があれば“何で本を出版しないんだ!”と思えるくらい良質な文章もある .
さらにはウェブ上にはプロが書いた短編なども載っており , 必ずしもウェヴ上の文章は質が低いとはいえないと思うのですよ . 書籍に対して S/N 比が低いという点は確かにありますが , ウェブはウェブの利点があるでしょう . (書籍も叱り)
それを無視してウェブ上の文章は質が低いと喧伝するのは早計ではないかと思うのです .

補足日時:2008/05/14 11:08
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まあしかし、夏目漱石の時代でも「近頃の大学生は昔より質が低下した」みたいなことを言っていたようですから・・・・・



どの話だか忘れましたが、そんな記述が小説の中に出てきました。

電車内で携帯電話画面を見ていれば、そのぶん、本を読む時間は減るでしょうけれど(物理的に)、ケータイがなかったらその人が本を読むかというとそうでもないかもしれない。
昔から皆が皆本を読んでいたわけではない、という説もあります。
論理的説明にはなりませんけど。

――調べても納得のいく説明が見付からなかった――

現在進行形の事項ですから、結論付けは無理だと思います。
仮に論文や説明があったとして、「納得が行くかどうか」は受け取る人次第な気もします。
数値化してはっきり「このように増減している」というのがあれば別でしょうが、それだって「統計が恣意的だ」「母数が少なすぎる」とかいくらでも言えそうな気がします。

この回答への補足

確か文学の代表である太宰も“小説は女子供が読むものだ”といっていましたね .

>>現在進行形の事項ですから、結論付けは無理だと思います。(以下略)

ええと , 納得のいく説明がないというのは , 活字離れという問題自体が“印象論”であり , 実験や調査によるデータというものがなかったのですね . それなのに“活字離れは問題だ”と主張している人が結構多いので“本当に根拠があるのかよ , 納得いかねえな”と思い質問を投稿しました .

補足日時:2008/05/22 00:43
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一つの意見として



活字離れの原因
昔、団塊の世代が小学生だったころは、新聞は総ルビですべての漢字にフリガナがついていました。
ですから、小学生でも新聞を読んで、大人の物まねができたわけです。
今はそうでありません。

活字離れの問題点
どうしても人の内面的成長には、答えのあって無い問題を考えるという訓練が必要です。
例えば、「恋愛とは」「職業とは」「結婚とは」「扶養とは」といったことです。他にもいろいろあるでしょう。
様々な小説、物語、評論、エッセイ、あるいは映画や漫画の中にも織り込んでくる、普遍的なテーマのことです。
こういったことで、しっかりとした自分の考えを確立させるのには、
様々な人の考え方を学び、自分なりの経験をとうして、取捨選択する必要があります。

一つや二つの作品を読んだり、一人や二人の話を聞いて出た回答というのは、所詮他人の受け売りに過ぎず、
他人に与える説得力や影響力といったものがありません。
やはりまず、沢山の考え方を自ら積極的に学ぶ必要があります。

このようなテーマについて情報収集するには、映像よりも、活字の方が沢山の情報を表現できるメディアではないかと思われます。
(映像メディアの、わかりやすさという点においては活字はくらぶべくもありませんが)

また、活字を楽に読みこなし続けるには、ちょっとした訓練や習慣が必要です。
また、同じ量と内容の文を読んでも、どれだけのことを吸収、連想できるかや、文意の奥の洞察力を上げるにも、訓練や習慣が必要です。
そこに質問者様があげる、「因果関係」が含まれているのではないでしょうか?

この回答への補足

因果関係の立証はできていませんよね . “どうしても人の内面的成長には、答えのあって無い問題を考えるという訓練が必要”――であることに根拠がない .

また新聞のルビ云々にしても , 相関関係はあるかもしれませんが因果関係ではないでしょう .

個人の印象に基づく説明も歓迎ですが , この質問では統計的事実 , 実験による成果などで“活字離れの原因は云々である”と説明してほしいです .

補足日時:2008/05/20 22:04
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活字離れに関しては、様々な機関が調査を行っていますが、調べると意外な結果が浮き彫りになります。



まず、活字に接する時間ですが、これは「新聞」と「書籍」をあわせた時間では年齢が高くなるほど長く、若くなるほど短い傾向にあります。
ところが、これを「書籍」に限定した場合、若年層ほど時間が長い、と言う結果が出ています。
また、公立図書館の利用実態などでも、若年層の利用率が上がっている、という発表があります。

つまり、一般的に言われる「活字離れ」は、「新聞離れ」と言う方が正しいのです。ただし、ここにも一つのカラクリがあり、この新聞離れは「購読率」の低下であり、「発行部数」の低下とはいえない状態があります。新聞の公称発行部数はピークから少し下がっただけで極めて高い水準にあります(もっとも、押し紙などの問題も指摘されており、実際の発行部数の正確性には疑問が残るのですが) 購読率が下がった、というのは、一人暮らしなどの世帯が増え、世帯数の分母が大幅に増えたことに由来します。

よく、携帯電話はPC、ゲームなどの普及で本を読まなくなった、といわれますが、実際には上に書いたようにむしろ、若年層ほど読んでいます。そして、そのきっかけに携帯電話やPCなどがある、と言うこともいえます。
例えば、ケータイ小説。「これは文学などではない」と言う人が多くいますし、私自身、あまり面白いとは思えません。ただ、少なくともそういう形で書籍を読む、興味を持つきっかけになる、と言うことは多くあります。
また、最近、ライトノベルの話題が出ることが多くありますが、これも若年層向けとして出版され、彼らが書籍を手に取るきっかけとして有効に働いています。さらに、ファンタジーゲームをやって、神話などに興味を持って、そういう小説を読み始める…なんていう人も多いのではないでしょうか?

そもそも、活字を読むことが重要だ、大事だ、なんていわれるようになったのが最近のことです。
僅か百年前の日本史を見れば、文筆業はろくでもない職業と言われていたのです。江戸時代、多くの作家が改革などの度に弾圧を受けました。明治になってもそれは同じです。近代小説の先駆けとなった作家・二葉亭四迷のペンネームが親に勘当された際に言われた言葉、なんていうのは教科書にも載っています。また、文学でもその内容を取り上げて「こんなのは文学じゃない」と一部のジャンルが批判される、という歴史も連綿と続いています。今の都知事・石原慎太郎氏も、そのターゲットとなって批判された一人です。
つまり、活字を読むことが重要だ。携帯やPCなどはダメだ、ケータイ小説は文学などじゃない、などと言う文言自体が、ジェネレーションギャップを多く含む言説である、という風に私は思っています。
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私見ですが、今の世代全ての方がパソコンやネットの住人ではないように(扱えきれない方等)もいらっしゃいます。

かなりのやっかみも含んでいると思いますが、ネットの匿名性などの賛否が渦巻いている中、今の判断を下すのは早計な気がいたします。また、本でもつまらない本もあれば面白いのもあり。それはネット系となんら変わりはありません。
>若年者は無教養
等は、言っている彼ら自身が言われて来たのを、繰り返しているに過ぎないことが多いと感じています。これまでに、年配の方とお仕事をする機会がありましたが、皆さん口をそろえて、「きつかったが、頑張った。君も頑張らなければいけないよ」でしたし、あまり敏感になると、かえって馬鹿にされたように思われたのでしょか?酷い反感を買い、すぐに仕事を変えてしまいました、人間関係は引きずって・・参考までに。
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こんばんわ。


新聞、小説本以外の活字(マンガ、情報誌など)および紙媒体以外の文字情報の増加は、活字離れを問題視する上で通常語られません。
また若年世代に限って問題視するのかどうかも文脈によって異なり、問題提起自体がまだ定まっていないと言えます。因果関係の立証という段階ではないでしょう。
新興マスメディアに対する古参マスメディアの優位性(歴史の長さ、商業的に利用されにくい点など)の有無こそが焦点だと整理できるのなら、現状どちらかに極端に偏っているとは思えず、私見ですが問題足りえないと思います。
極論かもしれませんが、参考になれば幸いです。

この回答への補足

ええ , “因果関係の立証と言う段階ではない”と言うのはおっしゃるとおりですね .

余談 , この質問をした理由を説明します .

わたしの目に付く範囲で , 「活字離れは問題である」と主張している連中の言っている方が多いのですが . 彼らの言っていることをまとめるとこんな感じ .

・若年層は無教養
・小説が売れていない
・小説を読まないから無教養だ
・小説を読めば教養がつくからもっと読め
・携帯電話や PC ばかり触るな

などがあげられています . ですがそれらの主張は .

・若年層が無教養である事の真偽は ?
・仮に若年層が無教養だとしてそれが本を読まない事と本当に関係があるのか ?
・単なるジェネレーションギャップの一種ではないのか ?

といった疑問があるため――調べても納得のいく説明が見付からなかった――この質問を投稿しました .

補足日時:2008/05/14 11:25
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