プロが教えるわが家の防犯対策術!

 《wiki=自然法》:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6% …
 《wiki=自然法論》: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6% …

 知りたいのは 次の点です。
 (1) その法源は 神・自然・理性が挙げられていますが 自然(自然本性)も理性も 自然法そのものを言うと言わなければならないでしょうし 自然(環界・宇宙)は おそらく神の摂理の問題になるでしょう。そうすると 残りは 神です。これは 無根拠と言えば いいのではないでしょうか。自然法の法源は 無根拠である。こう考えてはいけませんか?(つまり 公理ですね)。

 (2) 《殺すなかれ》もしくは《生命の尊重》 この一つの事項を〔のみ〕 自然法の内容とするとしては いけませんか?
  * ただし 中傷・名誉毀損のような 《社会的生命の損傷》も含めます。

 こうすれば 自然法の内容にかんして 人ごとに違っていて 定まらないということは起きないでしょうし 実定法とのあいだに 特別の溝があるとも思えないのですが。
 wiki(その後者)によれば このような最小限の内容をもって 自然法を規定する行き方を ハーバート・ハートという人が提唱しているようにも言っていますが そのあたりについては よく分からないままの質問になります。よろしくご教授いただければ幸いです。

A 回答 (45件中31~40件)

こんばんは、brageloneさん。




●《レーザー光線》の話をする人が 《死の商人》を出したからと言って 驚くこともないと思うけれどなぁ。



 |(><)|きゃっ-☆エキゾチックジャパン♪(*^・^)ノ⌒☆まいど

      
       「古い奴だとお思いでしょうが、…」


   くぅー、にくいね、このセリフ、グッときちゃう (*^^*)v




●まぁ ピーターパンも何も あまり知らない者にとっては 困ったものです。



     ぬぬ… 聞きゃー 何か お困りの ご様子


        「知らざあ言って聞かせやしょう」


【豊島沖海戦】
http://ww1.m78.com/sib/hoto%20battle.html
【東郷平八郎】
http://www.z-flag.jp/sakakumo/togo/index.html
【閣僚失言の政治学】
http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/metadb/up/740070 …
【戦時国際法】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E6%99%82% …

陸の常識
海の常識
空の常識


● 《掛け値なし》の掛け値での取引ゆえに 《掛け引き》ですか。はあーぁ!


【値段とワイロの掛け引きは日本人に任せられない】
http://www.9393.co.jp/moshiq/kako_mos/2005/05_02 …
http://maruta.be/marutatoieba/361
http://maruta.be/marutatoieba/339

【ADRおよびGDRとは】
※ 米国で発行されニューヨーク証券取引所に上場されている預託証書をADR(American Depository Receipts)、主に欧州で発行されロンドン証券取引所に上場されている預託証書をGDR(Global Depository Receipts)といいます。預託証書とは、自国以外の国に株式を上場させる場合に株式そのものは自国に預け、株式に代わってそれに見合う証書を上場させて、投資家の便宜をはかるものを指します。
http://stock.indochannel.jp/warrant/tracker_warr …
http://www.daiwa.jp/products/fund/ubs_newmajor/i …

【「よくあるご質問」】
http://www.gs.com/japan/ewarrant/communi/7.html
http://www.gs.com/japan/ewarrant/communi/

【四半期決算】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …
集計に時間がかかりますし、数字は正確に出さなければいけないため、
どうしても決算日と決算発表日にはタイムラグが生じてしまいますね。

【売掛】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%B2%E6%8E%9B


◎商品が出来上がって納品完了してからじゃないと、売上を計上しちゃいけないの。

四半期決算が導入されても、タイムラグはなくなんない。

逆にいえば、タイムラグをあらかじめ想定して物事考えとかな。




『監視国家 東ドイツ秘密警察に引き裂かれた絆』
アナ・ファンダー著 白水社 
http://www.wildhearts71.com/content_stasiland.html

この回答への補足

 littlekissさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。

 ★ 『監視国家 東ドイツ秘密警察に引き裂かれた絆』
▲~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 他国の秘密警察等と異なり国家権力の本体だったシュタージは、97,000人の局員を抱え、・・・国民63人に対して1人のシュタージ、臨時の情報提供者を含めると6.5人に1人という計算も成り立っている
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ★  【豊島沖海戦】
▲~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ウェストレーキ(Prof. John Westlake,1828-1913;ケンブリッジ大学教授)・・・は、戦時における局外中立国市民の義務と権利について、説明しており、内容は現在においても通用する。すなわち、戦地において局外中立国民が軍事行為に参画すれば、その敵対国(団体)にいかなる危害を加えられても、母国と係争国双方に損害賠償を請求できない。また軍事行為は実体であって、係争国の宣言によらない。イラク戦争で、一方の軍事行為に加担しながら、日本政府に救助・政策変更などを求める現代日本人がいることにも驚かされる。

 東郷平八郎は、海事国際法について、イギリスで猛勉強したのだから、マスコミよりは通暁していた。さりながら知識と実行は別であって、軍人としても法曹人としても傑出した人物だった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ★ 『坂の上の雲』
▲~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 楽天家たちは、そのような時代人としての体質で、前をのみ見つめながら歩く。
のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶(いちだ)の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。
  (『坂の上の雲』(第一巻「あとがき」)より
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ じつはこの作品は読んでいません。クゥーッ。現在の考えとして
 《後ろ向きに 前へ進む》
と思っています。護送船団方式です。《九十九匹よりも一匹を》です。どう思われますか?
 《天気晴朗ナレドモ浪高シ》。
 ★ 【戦時国際法】
 ☆ も あるいは 《国際人道法》も そもそもを言えば 生命尊重をうたう自然法と矛盾する。という問題!!??

 ★ 値段とワイロの掛け引きは日本人に任せられない
 ☆ これは 中国人ないし世界の多くの国々の現状ということですね。中長期的には 日本人の習慣にほかの国が合わせるということも 考えなくちゃあ。

 ★ 【四半期決算】【売掛】◎商品が出来上がって納品完了してからじゃないと、売上を計上しちゃいけないの。
 ☆ これは 正確ではありません。契約が成立すれば 売上高に計上するのが 一般じゃないですか? 
 決算に際しては 何と言いましたかね 付帯事項としての注記をほどこす必要があるでしょうが 会計処理としての売上の計上は 発生主義によるのではないですか? それゆえ 貸倒引当金をも計上するじゃないですか。現金主義会計では 契約段階の取引を すべて 覚書の綴りとして処理しておくことになるでしょう。

 ★ 【ADRおよびGDRとは】 & eワラント
 ☆ この事項が どういう関係で 掲げられているのか?・・・

 ☆ ピーターパンにかんして 何かあったら聞かせてくださいな。空を飛んだりするのですか?

補足日時:2008/06/13 09:42
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ふたたびです。



引っ掛け問題?と問うたらば《死の商人》と返してくる。

もうー、メルヘンチックなお話のほうを考えていたのに…

引っ掛け問題とかけて、ピーターパンと、とく、

そのこころは…

【フック船長】http://www.disneygames.jp/puzzle/2004/などなど

(ピーターパンと戦っていて池に落ちた時に時計ワニに右腕を食べられてしました。

戦いの過程でフック船長が失った手、ピーターパンに罪はあるか?などなど)

ところがどっこい、あけてびっくり玉手箱…《死の商人》ってか?!!!

もうー、驚かしてくれるよ

なんてことはない、話は江戸時代に飛ぶ

【QNo.3385985 あなたの抱く《これぞ 日本人》をおしえてください】 ANo.5参照
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3385985.html 

【歴史探検(第十二回)】
http://www.01.246.ne.jp/~reki127/index.rekitan-1 …

【掛(け)値】かけ‐ね
1 値切られることを予想して、実際の販売価格よりも値段を高くつけること。

また、その値段。「当店は―は致しません」

2 物事を大げさに言うこと。

「―のない話、彼は優秀だ」「この本は―なしに面白い」
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E6%8 …

【掛け値なし】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …

経営実態を明らかにすることが求められてる。

商品が出来上がって納品完了してからじゃないと、売上を計上しちゃいけないの。
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この回答へのお礼

 littlekissさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 《レーザー光線》の話をする人が 《死の商人》を出したからと言って 驚くこともないと思うけれどなぁ。
 まぁ ピーターパンも何も あまり知らない者にとっては 困ったものです。
 《三井家の越後屋》から《三越》ですか。こんなことも知らないで 自然法を問題にしている。
 《掛け値なし》の掛け値での取引ゆえに 《掛け引き》ですか。はあーぁ! 一つひとつ勉強になります。

 きのうは コンピュータが故障してたいへんじゃったわい。

 ★ 経営実態を明らかにすることが求められてる。
 ☆ これは 情報公開 つまりは 《開け》の問題 としての自然法の問題。信頼関係の確立は 社会的生命の尊重でござあーい。だけど
 ★ 商品が出来上がって納品完了してからじゃないと、売上を計上しちゃいけないの。
 ☆ は よく飲み込めません。関連性も そして そのこと自体もです。

 * この質問は 一たん締めるべきでしょうか。

お礼日時:2008/06/12 20:47

こんばんは、brageloneさん。



*************************************************************************

●そういえば 繁栄を喜ばぬ勢力は 噂では 軍需産業のようですね。

危機をあおったり演出したり・・・ということのようですが。

あまり言うと 中傷になりかねませんが。

*************************************************************************

↑ (e_e).。oO  もしかして…引っ掛け問題?

あぶないあぶない、

ほい、

【軍需産業】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E9%9C%80% …

「産業」の頭に「軍需」って文字がくっ着くと…

すぐさま「戦争」の二文字を浮かべた人いるんじゃない?

そうすると、戦時中に軍需製品をてがけたことがある企業をも

怪訝な目で見られかねないじゃない?

これは、unfair。

今の暮らしの中をだーーーっと見渡すと、船、飛行機、新幹線、車…etc

零戦や戦艦で培われた技術が幅広く応用されています。

生活になくてはならない技術です。

人の暮らしに大きく貢献している点も事実です。

《繁栄を喜ばぬ勢力》は、何も(軍需)産業ばかりとは限りません。

《危機》を《あおったり》《演出したり》←噂をするのは?

…これみな「人」ですよね?

受けとった情報をどう読み解くか?

またもや言葉の問題といったところでしょうか?

【QNo.440874 地球環境とレイザ―光の因果関係】
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa440874.html

【──その記述方法をもとめて── 】
http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/kudohiro/modal …



**************************************************************************

●生か死かの危険な事態に臨んで 人間が何するか分からないという問題。

そして それは 大部分なのでしょう。

少数の例外もあるでしょうか。ないでしょうか。

**************************************************************************

ANo.12より一部抜粋
戦争、そのままその地にいれば捕らえられシベリヤ抑留、即、死を宣告されたようなもの。生きるか死ぬかの二者択一の選択しかない中、列車を止め乗客を降ろし列車を占拠し一路釜山へ。そこから、船に乗り日本へ命からがら300人が帰国。イイor ワルイで割り切れぬ戦争という過酷な現実があったこと。戦争は、人のこころに影を落とす。

《ANo.12この回答へのお礼》このお礼文の中の質問を

ANo.12の話を例にして少し考えてみます。


列車を占拠ー船に乗りー日本へー帰国


平時の常識じゃ、列車を乗っ取ることは非常識

時は戦時下、常識も非常識もあったもんじゃない

《イイor ワルイで割り切れぬ》というのは←まさにココ!

仮に上記の過程を経て帰国してきた者をワルイと言うならば

ある意味、その場で自害(自決)してこい

若しくは、果ててこいというが如くと同じ

暗黙のうちに死を強要することにもなりかねない

というのも、「潔しをもって善しとする」日本古来からの風習があるがゆえ、

自動的に命を絶つ行為に身を投じてしまいもする

『ひめゆりの塔』みたならば

《清く正しく美しくの原則》を守り、その身を投じる者も出る

何時如何なる場合に於いても「潔しをもって善しとする」ばかりではないと思う。

生きていれば、また違った展開を見ることが出来たかもしれない…

【 月 】
http://homepage3.nifty.com/kuebiko/science/frees …





●生か死かの危険な事態に臨んで 人間が何するか分からないという問題。

↓ ↑

【《 人間 》が《 何する 》か《 分からない 》という問題 】

↓ ↑

【 敵兵を救助せよ! 】
http://buta-neko.net/blog/archives/2007/04/post_ …
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この回答へのお礼

 littlekissさん ご回答をありがとうございます。

 《引っ掛け問題》も何も ないです。こういう場合もあるかも知れない / そういう事例もあったかも知れないという注意をしようと思って たとえば軍需産業というようなことを出したまでです。これには 《wiki=死の商人》:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E3%81%AE% … という言い方をすればよかったですね。

 ★ 【《 人間 》が《 何する 》か《 分からない 》という問題 】
 ☆ これも 大きくは 自然法に関係するのだと思います。
 それで わたしとしては 質問の趣旨として

 《自然法》の基本:生命の尊重
   その応用  :互いの差異の認容・異者の受容などなど

という考え方を提出しているかたちです。言いかえると
 ★ 《イイor ワルイで割り切れぬ》
 ☆ ということが前提にあると思われるから 最小限の基準を 上のように考えつつ 回答をお願いしています。

 ★ 【 敵兵を救助せよ! 】
 ☆ は こうして 自然法を想定することに 賛同していただける方向を見る思いですが どうでしょう? でも それでも この《生命尊重》を文字どおりにあてはめるとなると 
 ★ 「潔しをもって善しとする」日本古来からの風習があるがゆえ、
 ☆ ただちに 妥当だとは言えない場合もあると指摘いただいたと受け取ります。
 したがって ( a )間合いをはかりながら 自然法原則を守ると言っていいのか あるいは( b )そもそも自然法など まやかしだと見るべきなのか そこのところを 教授して欲しいという趣旨になります。

 もとに戻ったかたちですが そしてまた わけの分かったような分からないような状態に見えてきましたが どうなのでしょうか。(独り言になってしまいました)。

お礼日時:2008/06/12 09:56

ひきつづき、です。



《みづからの醜態から関心をそらせる》←見落としがちなポイント。

事件事故、ひいては戦争のさなかにいた場合、そこに居た者でしか語りえぬものってあると思うんだ。口にするのもおぞまし人間の本性。自身の身の内に潜む生存本能。平和な暮らしの中にあっては到底理解の及ばない事柄。言い換えれば、言っても理解してはもらえぬと身の内に仕舞い込んだあれやこれや。が、あるからだと思う。船や列車や飛行機などの大きな交通事故、沈没、脱線、墜落するさなかの船内、車内、機内の状況、そして僅かばかりの人が生存。そのとき船内、車内、機内で何が起こっていたのか…。激しい揺れ、揺れに動かされ自身の身体と他の人の身体とがぶつかり合い誰かを死に至らしめていたかもしれなかったり、誰かを押しのけ前に進み出ていたかもしれなかったり…順番に並んでとか、お行儀よく席に着いて、と、いった日常のルールが及ばない只中。死んだ者と生き残った者がそこにいる現実。悲惨な現実を目にするとそこから目をそらせたくなるのも人の身の内に備わる防衛本能のひとつ。時と場合によっては、精神のバランスが保てなくなりもする。現実を受け止めるには、時間を要す。戦争、そのままその地にいれば捕らえられシベリヤ抑留、即、死を宣告されたようなもの。生きるか死ぬかの二者択一の選択しかない中、列車を止め乗客を降ろし列車を占拠し一路釜山へ。そこから、船に乗り日本へ命からがら300人が帰国。イイor ワルイで割り切れぬ戦争という過酷な現実があったこと。戦争は、人のこころに影を落とす。
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この回答へのお礼

 うーうん。そうですね。
 前回の問題は 経済成長や社会の安寧をおびやかす勢力があるのか ということでしたが 今回は 非常時における人間の生態とでもいうような事情ですね。
 そういえば 繁栄を喜ばぬ勢力は 噂では 軍需産業のようですね。危機をあおったり演出したり・・・ということのようですが。あまり言うと 中傷になりかねませんが。
 生か死かの危険な事態に臨んで 人間が何するか分からないという問題。そして それは 大部分なのでしょう。少数の例外もあるでしょうか。ないでしょうか。また 主戦論も非戦論も 人間の弱さからくるものだと観念したとき 戦争やその脅威に訴えるやり方も そろそろ 薄れていくように思いますが どうですか。
 それにしても 臨場感あふれる叙述で 引っ張っていきますね。
 わたし自身に 身内も含めて このたぐいの体験はないようです。そうなったら 醜態をさらけ出すかも知れませんが。

お礼日時:2008/06/10 13:27

こんばんは、brageloneさん。



**************************************************************************************
思惟の問題でも 《開け》の重要性があると思いますし――つまりは要するに 《精神は まだ 神ではない》という言い方で おおよそ 伝えられると思いますが そのような抽象的な議論ではなく―― 具体的な議論においても ともかくも《ハードランディング》が起こり得るとしても まづは 公開した資料にもとづき考え合うことが 重要でしょうね。その上で 理論的な妥当性を抑えて そのときのハードランディング策を回避するほうを取り決め合うということも ありなんでしょうね。
**************************************************************************************

うん、
【骨粗しょう症】
http://www.iihone.jp/fear/index.html
http://www.sumire-hosp.com/pdf/op_q_and_a.pdf
http://three-b.net/kenkou/shop/kansetu-syoujyou. …
【どんな病気か】
http://health.goo.ne.jp/medical/search/10R21400. …

1955年前後の時代背景は…
http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1955 …
【河川総合開発事業】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E5%B7%9D% …


食糧事情は、ひところにくらべれば上向き、が、このときの成人の人の肉体はあまり栄養状態が良くない中で育ってきているころだろうから外見は健康体に見えていても中身は良好な状態とは限らない。まして、産めよ増やせよの時代、度重なる出産によるカルシウム不足はいまで知られるところの骨粗しょう症をまねく要因をもっていたことだろう。ある意味、抵抗力が落ちていた状態。そこへ他の外因が加わり、病気を誘発、連鎖的に合併症が引き起り、状態が悪化。

で、気になることがある。

1955年という年、http://club21.cool.ne.jp/history/30.html
乗用車製造技術が国際標準に近づく
東京通信工業(現ソニー)トランジスタラジオを発売
NHK、カラーテレビ東京実験局開局

日本の技術が急成長するきざしが垣間見える、それだけに、それを快く思わない者もまたいることだろう。急成長されると困る、なぜ?何かが売れれば当然市場のパイはかわらないのだから、売れなくなるものも出てくる。勘ぐりすぎかもしれないけれど、同時多発テロのごとく相次いで人体に影響が出る事件事故が起きている。社会問題ともなれば、政府自体対策に乗り出さないわけにはいかない。他のことに取り掛かれなくなる、ある意味足止め。日本ではない外からの力が人知れず加えられていたのではないだろうか?こと、何かあると悪玉のように取り上げられる大手企業。しかしながら、こう考えてみると、経済復興の歩みの中、国をリードし外国に進出しつつある企業が標的におかれていたのではないか?見えざる手。昨今の冷凍餃子薬物混入騒動をみていても一連の似た様相を呈している。こういった事件事故が起きた後は必ずといっていいほど国内の環境整備に力点が注がれる。内と外の均衡を調整するかのように。

【河川総合開発事業】
有峰ダム、御母衣ダム
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E5%B7%9D% …
《一部抜粋》
財政面では公共事業費・財政投融資による助成の他1950年(昭和25年)GHQによって見返り資金が放出され、資金難で事業進捗が鈍化していた河川開発が国庫補助が潤沢になると各都道府県による補助多目的ダム建設が盛んとなり、全国各地で河水統制事業が活発化した。


河川開発といえば早い話が、ダム。
ダムが出来るってことは、いくつかの小さな村落は水の底に水没したことだろう。住み暮らしていた場所が、なくなるというのは、なかなか受け止め難い現実。水の底、水没し、月日が経てば人の記憶からは忘れ去られる。そこに、人が住んでいたことさえ…。きっと、淋しいんだと思う。泣く泣くその地を離れたのに、誰からも感謝されることもなく…。水道の蛇口をひねれば水が出るご時世。この水が、どこからどんなふうにどうやって家庭に届いているのか?時に思い巡らすこと大事。人を思い遣るって、何て難しいんだろう。そんなこんなを思いつつ、ゴミ問題、焼却施設建設地決まらず立ち往生あっちでもこっちでも。資源の少ないこの国、ゴミをゴミだと思っていたものが資源ゴミとして対価を生むとなれば、ゴミのいや資源の奪い合いが野放図に始まりはしやしないか。

この回答への補足

 littlekissさん ご回答をありがとうございます。
 いつもですが すごいですね 資料検索。どこまでも伸びますね。
 
 自然法は もともと 人間の本性として 自然の状態を想定して そこに 条理・人倫また規範性を見ようとする思想です。その法源は 単純に神の法(観想のたぐいですね) その応用は実定法(法律として具体的に実定する)です。
 今回は 人体自然や環境自然にも拡げて あたかも自然法を見てみようというかたちであるかも分かりません。

 これまでにも【感染症】問題がありましたが 今回の問題について簡単に抜き書きしておきます。

 【愛知県衛生研究所】カドミウム
 《その後の研究でカドミウムは骨に直接障害を与えるのではなく、これは腎臓障害に骨軟化が合併した病気であることが分かってきました。
 【イタイイタイ病とは どんな病気か】
 《1955(昭和30)年以後は重症者はほとんどみられなくなり、近年、本症の新たな発症は認められていません。
 《本病の原因物質としてカドミウムが最も強く疑われていますが、カドミウムの単独原因説には無理があり、低蛋白、低カルシウムなどの栄養上の障害も原因のひとつと考えられています。なお、動物実験での再現が困難なことから真の原因は解明されていません。
 ☆ だったんですね。カドミウム犯人説だと思っていました。(友だちが就職したのは 被告企業ではなく その系列の会社でした)。

【植物で土壌をきれいに 】
 ・重金属を蓄積する植物
 ・重金属を高蓄積するコケ植物体の取得と重金属排水処理装置開発
 ☆ どんどん 研究・開発がすすむことでしょう。

【河川総合開発事業】
 《今後の河川総合開発事業は、こうした気候変動を踏まえ、住民参加型で環境に配慮した多角的・総合的な事業推進が不可欠であるが、実情としては全て並行して達成する事は難しいのが現状であり、効率的且つ迅速な事業推進のための法整備や議論の場が必要との指摘が多くなっている。
 ☆ まだまだ うといです。

 ★ 1955年前後の時代背景は…〔との関連で〕
 ★ 〔経済成長を阻む〕見えざる手。
 ★ それ(経済成長)を快く思わない者もまたいることだろう
 ☆ これは ちょっと 大掛かりな事柄を捉えようとしています? そこまでは なんとも 分からないけれど。
 ただ 列車や飛行機などの大きな交通事故あるいは政治家の暗殺などが起こったとき 中には 政府あるいは逆に反政府の力が絡んで わざと起こしたのではないかと推測を逞しくしたことはありましたが。政府の側がなぜ?といえば みづからの醜態から関心をそらせる。あるいは 権力闘争の絡み。――揣摩臆測ですね。それ以上のものがありますか?

補足日時:2008/06/10 11:07
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こんばんは、brageloneさん。




●《開け》の問題ではないでしょうか。


《開け》の問題…

うーん、

で、

思いつくのは…

【QNo.393289 ハ-ドランディング 】
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa393289.html


別件でカドミウムを調べてたから、ちょっと遅入り。
なんで、バイオ燃料とばかりにネコもシャクシもこぞって田畑にトウモロコシを何故植える?解せない…何かある。何だろう?この大掛かりな仕掛けは?それに加え、食品に高濃度の毒物混入騒動やら老舗料亭の食の使いまわし騒動やらと食品の安全性が問われる出来事が後を絶たない。時期も時期、環境と開発に関する国際連合会議が日本(洞爺湖サミット)で7月7日から開催する。世界規模で土壌汚染が深刻な状況にあることがひとつ考えられる。土壌が汚染していたら…知らず知らずの内にも育った作物を口にする。人体に影響が及ぶほどでもないのであればそう神経質にならずにもおれようが、それがそうでなかったら一刻を争う。雨が降れば、土壌に染み渡り、染み渡った水は、地面をつたい川へと流れ出る。そして水も飲み水として人の口に運ばれる。一旦、田畑で食糧となる作物を育てることを休眠状態にし、その間に土壌再生にとりかかったのではなかろうか?日本は過去にイタイイタイ病の発症患者を生んだ。他国にもまして、危機意識が大きく働くことだろう。経験値から予防対策の地道な研究が取り組まれている。


【雪印種苗株式会社】
http://www.snowseed.co.jp/index/frame_bokusou_en …
【植物で土壌をきれいに 】
http://www.kek.jp/newskek/2006/marapr/fern.html
【カドミウムの雑学】
http://www.sam.hi-ho.ne.jp/takeshi-kunimoto/inde …
http://www.maff.go.jp/cd/html/D2.htm
http://www.maff.go.jp/cd/PDF/D3.pdf
【土壌・地下水汚染対策の現状と動向】
http://www.nts-book.co.jp/item/detail/contents/k …
【衛生研究所】
http://www.pref.aichi.jp/eiseiken/
http://www.pref.aichi.jp/eiseiken/5f/cd.html
http://www.pref.aichi.jp/eiseiken/5f/metal.html
http://www.riken.jp/r-world/info/release/press/2 …


欠乏と過剰(=言葉足らずと言い過ぎor言つのり)が状態を悪くする
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この回答へのお礼

 littlekissさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 ★ 《開け》の問題…
 ★ 【QNo.393289 ハ-ドランディング 】
 ★ 欠乏と過剰(=言葉足らずと言い過ぎor言つのり)が状態を悪くする
 ☆ たしかに おっしゃるとおりに 要するに 合わせて 《情報公開》の問題にもなりますね。
 《過剰》=《公開のし過ぎ》? とは どういう事態かという問題が ひっかかりましたが 話し合いは 基礎資料を公開することから始まるはづです。
 思惟の問題でも 《開け》の重要性があると思いますし――つまりは要するに 《精神は まだ 神ではない》という言い方で おおよそ 伝えられると思いますが そのような抽象的な議論ではなく―― 具体的な議論においても ともかくも《ハードランディング》が起こり得るとしても まづは 公開した資料にもとづき考え合うことが 重要でしょうね。その上で 理論的な妥当性を抑えて そのときのハードランディング策を回避するほうを取り決め合うということも ありなんでしょうね。

 銀行の不良債権うんぬんと言っていたときには もう底無しの泥沼で――またあるいは 不良債務をかかえた企業には 厄介な人びとがからんでいて 政治の力では どうしようもないとか言うことも聞きましたし―― どうなるかと思っていましたが 現在 どうなっているのでしょう? 
 銀行は 政府から注入を受けた資金を返済したと言うのですが どうなんでしょう。UFJ銀行が 実際以上に悪い状態にあると 行政のほうから 仕向けられていたと分かったという事態などは 案外 ほんとうのようですが。

 今晩の《 CHANGE 》も うまく行きましたね。ああいうものなんでしょうか。勝海舟みたいな交渉の仕方なのでしょうか。

 *(参考サイトは まだですが)。
 イタイイタイ病のとき カドミウムが 骨を侵すということに関して 長い長い裁判がおこなわれていましたが あとで そのことは 常識だと 化学専攻の友だちから聞いて おどろいたことを覚えています。かれは その後 その被告の会社へ入っていきましたが。

お礼日時:2008/06/09 23:34

A1、primeapeです。


今回のbrageloneさんのご質問には見識の無い当方はサポートしか出来ませんが、削除されてしまった今までの論議の流れから参考意見を述べさせていただきます。

まず私は実の母をナイフで暴漢に刺される経験をしています。
母は現在健康で不謹慎な物言いですが、もし母が殺されていたら大体このような証言をすると回答しました。

犯人のことはなんとも思っていません。早く普通の社会人としてたちなをって欲しいとさえ望みます。母が死の際につらい思いや苦しい思いをしたとは思いたくありません。だから(魂の救済にために)犯人には罪を償って早く更生して欲しいと思います。私は犯人さえ許せるのが本当の供養だと思います。だからどうしても許してあげたいです。

母が刺されたのは約20年前ですっかり記憶の中に埋没して忘れていました。このように犯罪被害者が忘れるのは実際ある程度時間がかかりますが、「許す」「受け入れる」事でもあります。
同じ社会に住む第三者として社会の中に犯罪者を(許すと言うよりも)受け入れることに論議が及ぶと有意義なご質問になるかと思います
受け入れていく前提なら自然法はとてもいいのですが私の意見だとそこに神の存在がないと無政府主義と区別が付きません。
21世紀の現在地球上のことは人間が全て責任を負うべきでしょう。したがって神頼みで結論を先延ばしにするのはいかがなものかと思います。
そのように考えた参考意見でした。

蛇足ですが、
わたしは現在独身ですが、もしも子供がいたらこんなことをいって脅かしてやりたいと思います。

もしもお前が万引きでもしてつかまったら、お店の人や先生たちが穏便に済ませてやると言っても、お父さんはお前を警察に連れて行く。普通の親なら一緒に謝ってやるところだが、お父さんはお前を独りで警察に置き去りにしておまわりさんに「明日迎えに来ますから一晩牢屋に止めてください」とでも言って本当に返る。子供が牢屋に入れられることは無いだろうから実際はおまわりさんの家に泊めてもらって一日中説教を食らうことになるだろう。実にいい経験だと思うぞ。それでもいいならやりたいようにしろ。

こんなこと言うつもりでこの歳までお嫁さん探しをしています。
こうも愛した我が子が殺されてもやはり母の場合と同じく犯人を許すつもりです。

この回答への補足

 primeapeさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 ★ 同じ社会に住む第三者として社会の中に犯罪者を(許すと言うよりも)受け入れることに論議が及ぶと有意義なご質問になるかと思います。
 ☆ ごもっともですね。そして たしか その時の質疑応答においても 《社会復帰》のことは 出ていたと思いますが。それが この自然法との関連で どうか?ということですね。
 ★ 受け入れていく前提なら自然法はとてもいいのですが私の意見だとそこに神の存在がないと無政府主義と区別が付きません。
 ☆ 自然法思想あるいは 要するに 人間の自然本性 これを問題にするということは 生活全般にかかわってくると言わねばなりません。ただ いまは たしかに その人倫・条理・規範の要素が その川上としては 〔法源として〕どこから来るか その川下としては どのように実際の法律に応用されていくのか こういう主題をあつかっています。ですから その規範の具体的な内容にかんしては 直接 触れていないかたちですね。
 逆に 触れるとすると わたしの場合 《殺すなかれ》という内容一本でいいじゃないかなどと言っています。これは けっきょく 具体的な思想にまでは行かない段階にとどまっています。それによって 自然法が普遍的なものとして確認されることを望んでいます。
 それで おっしゃる課題は そのあとになるという捉え方です。もしこの行き方を自己弁護するとなれば こうなります。つまり 
 第一段階:普遍的な自然法において 《生命の尊重》
 第二段階:その応用として 《死刑廃止 / 加害者の社会復帰》
という順序になるのだと考えます。
 そうして もし
 ★ こうも愛した我が子が殺されてもやはり母の場合と同じく犯人を許すつもりです。
 ☆ とおっしゃる事柄を いま 《自然法》において 積極的には取り上げないとしたら それは 言い訳に近いかも知れませんが 説教調になるからだと考えます。規範性を内容とする自然法として取り上げないとしても 自然本性としては取り上げるし 含まれているとも言えるかと思います。と同時に それこそ 民主的な井戸端会議にゆだねても いいのではないでしょうか。というより 逆に言えば その前に 一人ひとりの自然本性にゆだねられているという現実があるのではないでしょうか。
 このようなところでしょうか。(考えがふらついたていたら ごめんなさい。考え直した場合には あらためて書き込みます)。

補足日時:2008/06/08 02:40
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この回答へのお礼

 補足欄の補足です。(6月8日記)
 
 基本が《生命の尊重》で その応用が《死刑廃止 / 加害者の社会復帰》というふうに述べましたが よく考えると 質問の趣旨説明に その基本原則の内容として
 
 * ただし 中傷・名誉毀損のような 《社会的生命の損傷》も含めます。
 
と書いていました。《社会的生命の尊重》のもとに 《社会復帰》も入りますので 《赦す》という事態も 大いにかかわっています。
 たぶん――たぶんですが―― 《赦す》という言葉を 基本原則に入れると 上の補足欄でも申しましたように 説教口調になるとおそれます。その一点のみ ひっかかっております。
 草々。

 

お礼日時:2008/06/08 21:31

ふたたび、おじゃまします。

 

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(1) 《自然と社会》との二分法によっている。
(2) 《社会》について逆に 二分法を用いない。
(3) 二分法を用いての《土台と上部構造》なる分析では 人間が
    プロレタリアートのみになりがち。

***************************************************************************************

帰りがけに目にした夕刊に《「アイヌ民族は先住民族」》の記事。

ちょっと よく わからない

独立国でもつくるのか?日本の中で…?

先住民…

生まれてこの方、神戸に住んでいるけれど…

ご近所さんの顔ぶれ年々変わりつつある

地震があったことも幾分影響しているとはいえ、

年配の方の一人暮らしのお家けっこう増えてる。

子どもは、転勤先で居を構え帰る気配なし。

元気なうちは、「子どもの世話にはならん」と、頑なに家を守る。

しかし、寄る年波には勝てず、老いてくると

あんなに好きだった庭弄りさえも億劫になるとか

住みなれた家を処分し、子の住まいする家に身を移す

入れ替わるように、空いたお家には、他所から人が移ってくる

他所から移り住んで来た人も10年もすれば、

その間に子どもも生まれ否が応でもその土地とかかわりを持つ

さらに、10年もう10年が経過すれば…

移り住んで来た時より数えて30年

どっしり、土地の顔

そして、人は言う「昔から住んでいる」と

その前からいた人が姿を消せば、次に来た人が先住民となり

次に来た人が姿を消せば、その次に来た人が先住民となり語る

「昔から住んでいる」と…

アイヌに限ったことでもないように思う。

極々身近な日常でもある事柄。

文明の利器、通信メディアの発達において

アイヌと称する方のもとにもいろんな情報が届く

子どもたちは、土地を離れ文明へと開花していく

その土地に残るのは…

何処の地域ともかわらぬ同じ様な高齢者問題が立ち現れる

廃れ行くアイヌの伝統、

伝統を守りたいとする人のこころが人を頑なにもし

外からの人の侵入を阻む

アイヌで育った子達も大きくなり

他所に腰を下ろし根を張り暮らす者もいることだろう

他所にはそれ以前に誰かが住んでいたことだろう

気が付かないだけで日々人は入れ替わっている

外界とのかかわりなしに人は生きてはいけないのでは?

アイヌに生まれた者にしかアイヌのことは語れないのだろうか

いいかえれば

アイヌの伝統はアイヌで生まれた者にしか守れないのだろうか

過疎化に苦慮する市町村あまたとある

同じような問題を抱えてる

この回答への補足

 この欄をお借りします。
 キケロとアウグスティヌスの関係についてです。(6月9日記)

 《当時 まだ青二才の私は・・・慣例の学習順序に従い ついにキケロとかいう人の書物にまで到達しました。・・・この書物は 哲学へのすすめをふくんでいて 『ホルテンシウス』と呼ばれます》と紹介を始めて アウグスティヌスは これを讃えています。

 ▼~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 キケロのすすめの中で あれやこれやの学派ではなくて 知恵そのものを それがいかなるものであれ 愛し探求し獲得し保持し強く抱擁するように 彼のことばによってはげまされ点火され燃えあがったということ ただこれだけでうれしかったのです。ただ一つ そのように燃えあがりながら ものたりなく感じたのは そこにキリストの御名が見あたらないことでした。
 (アウグスティヌス:告白 3・4)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ これが 総論のようです。
 『ホルテンシウス』は 現在 失われており アウグスティヌスの引用する断片でのみ知りうるということで その一端を ここに覚え書きしておきたいと思います。
 ▼~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 弁論学の偉大な教師トゥリウス(=キケロ)はその『ホルテンシウス対話編』において四徳全体について次のように論じている。
 ◇~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 もし私たちがこの生から移り住むとき 寓話が物語るように浄福者たちが住む島に不死の生を送ることが許されるとするなら そこにはいかなる審判もないであろうのに なぜ弁論学とか諸徳が必要なのであろうか。いかなる労苦や危険も私たちに対して課せられないから 勇気の徳を必要としないであろう。また他人から何も欲するものがないゆえに 正義の徳は必要なく またいかなる欲望もないゆえに それを支配する節制の徳は必要でなくなるであろう。また善と悪の選択に迫られないから たしかに賢明の徳は必要がないであろう。したがって私たちはそれによってのみ神々の生も賞讃されるべき本性の一つの認識と知によって浄福なのである。このことから 私たちは他のものは必要性に属し この一つのことは意志に属することを理解し得るのである。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
と。そのように この偉大な弁論家は哲学者たちから受け取ったものを集め 明晰に興味深く説明しつつ 愛智の道を讃えるとき 私たちが困苦と誤謬に満ちていると見るこの生においては四徳全体が必要であると語ったのである。しかし 彼は私たちがこの生から移り行くとき もし幸福な生が存在するところで生きることを許されるなら それらの徳のいづれも必要ではないと語った。
 ところが善き心が認識と知識とによって すなわちそれ以上より善くまた愛すべきものがない本性の観想によって幸福であると語ったのである。その本性とは他のすべての本性を創造し秩序づけたものである。そしてもしこの支配する本性に服従することが正義の特性であるなら それはたしかに不死である。・・・
 (アウグスティヌス:三位一体論14・9)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 思弁的ですが こう確認できます。時間的世界におけるあたかも自然法にもとづく徳なる生活と そうして これを超えたところの・ということは つまり 自然法じたいが それに基づくところの《なぞ》の本性とが 捉えられています。
 後者は 《永久法 / 神の法》のことですが もし《なぞ / 無根拠》とすれば それは 死後の問題ではなく いま・此処なる現在の時空間としての構造の問題だと考えられます。時空間の上に あるいは 外に 神の法があるという表象を持つよりも この時空間が 開けている(つまり 閉じていない)ということが 重要だろうと思います。そうであれば いかに生命尊重を具体的に表現するかの議論も 一般に民主的な話し合いとして 進め得ると考えます。
 ヘーゲルは 絶対者について 《真無限》ということを考えていたようですね。《開け》の問題ではないでしょうか。

補足日時:2008/06/09 14:48
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この回答へのお礼

 こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 民族が歴史的に先住民であることと 人が住居を移動することとは 別ではあるけれど。
 ★ アイヌの伝統はアイヌで生まれた者にしか守れないのだろうか
 ☆ という問題なのですね。つまり アイヌのに限らず もろもろの伝統の保存のそれですね。
 アイヌが ここのところ 一回か二回 よく出て来ますね。知里真志保でしたか 読みましたが 文字を持たなかったのが わざわいしているでしょうか。金田一京助に師事していたある日 牛の置き物で 頭が別に作られていて 吊り下げられた状態でつながれた物が 金田一の部屋にあったのを見て しきりに 頭を振らしながら 見続けていたというかれの挿話を覚えています。(山田秀三の著書だったと思います)。
 これは 自分たちアイヌが 日本人に対して いつまで経っても ペコペコしているだけだと言おうとしていたのではないかと 山田が語っていたと記憶します。研究やら民族振興は進みつつあったのですが どうも 自分たちの手で まだまだ やれないことに悔しい思いをしていたということらしいです。
 地方分権 道州制は どうなるのでしょうね。
 ★ 過疎化に苦慮する市町村あまたとある
 ☆ そういえば 今朝(7日朝) テレビで 出生率が高くなった長野県の下条村(?)を紹介していました。役場の経費も削減 効率よくやっていると言います。道を作るのも コンクリートなどの材料だけを役場が負担して あとは 《お役》と言って 村民が自分たちの手で 作業をする仕組みだそうです。子供の医療費を無料にしたり 対策を打っているのだそうです。
 自然法のあり方ですよね。 

お礼日時:2008/06/08 02:13

ただいまです、brageloneさん。



(^人^)ごめん。URLのっけただけで。

いいわけ。ANo.5をアップした時間みてみて。 → 06:53

出勤まえきわきわ。

朝、午前5時過ぎに起きてパソつけたら たんと回答が並んでる。

黙々と読みふける。気が付けば… あわわ

時間忘れて読みふけったもんだから、でがけからドタバタ。

書かれてある回答文を読んでますよ!と、お話続けてとばかりに読者気分で意思表示のURL。

アップしたURLには深い意味はない、

じゃ、なんでこのURLなのって?

ああ、それはね、ちょこっと別件で謎を追ってましてね

寝る前に、お酒の醸造製法あたりをつらつら読んでたんで

ちょっと、リンクしちゃった。

『ひやおろし』
http://www.cablenet.ne.jp/~kamioka/a1shinkame-sy …
『スパークリング・ワイン』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BA%E6%B3%A1% …
http://www.asahibeer.co.jp/enjoy/wine/sparkling/ …

古典的な技術がいまに応用されてることたーんとある。

水素燃料電池車の構造もこんなかんじかなって。

ほだから、古典はあなどれんと。

この回答への補足

 littlekissさん こんばんは。(6月8日記)
 harepandaさんが 通俗的に言えば なぜ 折れたかが まだ よく分かりません。

 いづれにしても 絶妙のタイミングで No.5のご回答を寄せていただいたと思います。
 ですが わたしが いぢわるなのは ご存じでしょう。ひとこと多いか 逆に わざと ひとこと少ないか。こうやって えらそうに言い訳するのも いぢが悪いかも知れません。
 草々。

補足日時:2008/06/08 21:22
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この回答へのお礼

 ★ ほだから、古典はあなどれんと。
 ☆ ということで。次のご回答にて。

お礼日時:2008/06/08 01:45

bragelone様



> 例によって ご講義を聴いての隙を縫って ちょろちょろと動き回る二十日鼠の訴えになります

いえいえ、私こそbragelone様の幅広い教養に驚いており、真剣に回答することで楽しませていただいております。他の方への回答に上部構造の概念が出てきたのを見て驚き、「この方はスコラ哲学や仏教やヘーゲルだけでなく、マルクスも分かるのか!」という衝撃を受けました。おそらく、私より年配の方だと思われ、私のような若輩者が、果たして回答をさせていただいてよいのだろうか、とすら思うことがあります。

まず、アウグスティヌスの議論がルソーよりも古く、ルソーと同じであるという見解は私も賛同するところです。スコラ哲学が普遍というのは存在するのか否かという議論をやっていたのですから、ルソーと適合性があるのは、当然のことです。

しかし、これにつきましては、議論を追加させていただきたいと思います。すなわち、スコラ哲学よりはるかに古いイデア論というものがあったということを。死ぬ直前くらいの時期のヘーゲルは、自然法思想の偉大な歴史について語るとき、キケロの「義務について」を出発点とするのです。これは、「法の哲学 自然法と国家学」だけ読んでも分からない議論で、簡単なところでは岩波新書の「歴史哲学講義」のほうに言及があったかと記憶しています。しかし、「歴史哲学講義」では、この議論が不明瞭で、わかりにくかったような気がします。本当にキケロから出発しているのだと確認するすべは、ひょっとしたら、もろに1831年講義録のドイツ語版を読むしかないかもしれません。ただし、私が大学生で現役だったころには存在しなかった講義録の日本語訳が出ている可能性があります。

「世間のこり固まった偏見を持つことになる前に ぼくたちは 柔らかく固まった感じ方・見方を持っている というのも ぼくが ぼくたち二人の判断の感覚にみとめているその同じ調和を 二人の心の中に求めてみようとしたとて 行きすぎではないと思う。ときどきぼくたちは 眼があう。同時に 少しの間 息を殺している。人目を忍ぶような涙をいくつぶか・・・」

これを読んで、最初は「ああ、これは夏の夜の夢だ」と思いました。しばらくして思い出したことがあります。「法の哲学 自然法と国家学」の序文で、マルクス主義者に誤解され、ヘーゲルは既存秩序を追認する保守反動勢力だ、ということにされてしまった、あの、かわいそうなテーゼです。

理性的なもの、それは現実的であり、
現実的なもの、それは理性的である。

これは、正確に訳し、文脈を考えると、次のようなものなのです。

理性的なもの、それは現実に機能し、
現実に機能するもの、それは理性的である。
あらゆる哲学はとらわれない意識と同じで、自然的宇宙を考察する時も、精神的宇宙を考察する時も、この確信から出発する。

どういう意味なのかというと、次のように解釈すべきだと、私は思っています。

「理論と現実は、かならず一致する。現実は理論とは違うなどと言っている人は、偏見にとらわれているだけだ。哲学は、第1の自然(自然)を考察する時も、第2の自然(精神)を考察する時も、偏見にとらわれない意識から出発するのだ」、と。

これについては、大学にいた時に他の方と議論する機会がなかったので、完全に私個人の見解だと思っていただいても結構です。ただ、私はこれについて、確信があります。

法学理論よりも経験現実を重視してみたいということで、お伝えしたいことがあります。それは、プロイセンは過去、法源を成文法のみに集中させ、裁判官には一切の解釈の権限を与えず、裁判官が疑問を持った事項については学者を交えた特別委員会の判断を聞かなくてはならないという、無茶な制度を作ったことがあるのです。つまり、裁判官の自由裁量の法源性を否定し、裁判所の機能を法の適用のみにしてしまう制度です。人による支配を排し、法による支配を貫徹するという主旨で作られたこの制度ですが、当然ながら法律はやたらめったら長くなり、しかも法律を書いた人が楽観的な啓蒙自然法の傾向がある人だったので、「健康な母親は、自ら授乳しなければならない云々」といった、馬鹿馬鹿しいまでに細かい規定が多くなりました。

国王はそれを読み、「あまりに長すぎる」と苦言を呈しましたが、それを書いた法学者スヴァレツは、ひたすら熱く、自分の信念を語ったといわれています。

この試みは、4年で失敗に終わり、廃止されました。法の適用と解釈の間に、明確な境界線を引くことなど、実務上、不可能だと分かったからです。

ですから、法理論と言っても色々なタイプがありますが、一切の経験的要素を否定するようなタイプの法理論は、絶対に上手く運用できないということが、このエピソードから教訓として読み取ることが出来ると思います。経験と全く無関係な純粋な理論は成立すると言い切ったのはカントですが、私はカントやその後継者達の法理論を受け入れることはできません。常識のある法理論家であれば、プロイセンの例を知っていれば、経験を無視することはないはずです。この例を知っており、それでもカントの説の方が正しいなどという人は数が少ないでしょう。いたとしたら、私ならこう言います。「カント自身がイギリス経験論を批判的に受容しているということの意味を、お前は分かっていない」。

この回答への補足

 harepandaさん ご回答をありがとうございます。

 ★ キケロの「義務について」
 ☆ については 例のwikiですけれど 人倫とよぶべき しかも 素朴な人間社会における生活のことを語っていたということが分かりました。それで いいのだと思いますし また われらが思いは もう一歩先を望むところも あるのでしょうね。それゆえでしょうか ヘーゲルも 
 ▼ 理性的なもの、それは現実的であり、
   現実的なもの、それは理性的である。
 ☆ において 解釈を添えていただいたように 《理論の望むところの現実化》をも 見ていると考えます。たとえまだ実現していないとしても わたしなら 《理論の有効性が 現実においては 無効なものの単なる既成事実化による有力のもとに 無力と化している。また それに過ぎない》と言うと思います。
 マルクスをけなした恰好になりましたが ここは 次の一点にも触れたいと思います。
 ◆ ヘーゲルは国家から出発して人間を主体化された国家たらしめるが 民主制は人間から出発して国家を客体化された人間たらしめる。
(マルクス:ヘーゲル国法論批判)
 ☆ ヘーゲルの言う自由を求めての歴史もあったわけで それをいわば前史として マルクスの言う後史も あるいは あるのかも知れません。方法を別として 現在すでに始まっているのかも知れません。

 ★ 「歴史哲学講義」
 ☆ は 武市健人訳《歴史哲学》で読んでいました。キケロは分からず ヘーゲルは 《三位一体》について 言葉にしていたのですね。すっかり忘れていました。《精神》という言葉に――そういえば 《概念》という言葉にも―― 強い積極的な意味合いを やはり 与えた恰好なのですね。
 ▼~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 神が純粋な精神であるという神の本性はキリスト教において人間に啓示される。
 しかし 精神とは何であるか。・・・
 いま精神が(1)絶対的区別に基づく絶対的な自分自身への反省であり (2)感情(エムプフィンドゥング)としての愛であり また(3)精神としての知識(生粋の霊そのもの)であると解するとすれば 精神は三位一体の精神と見られる。
 (ヘーゲル:歴史哲学 第三部 ローマの世界 第三編 第三期帝政時代 第二章 キリスト教)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ◆~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 わたしたちはたしかに わたしたち自身の中に神の似像(イマゴ・デイ) すなわちかの至高の三位一体の似像(にすがた)があることを知る。それは神の造ったものの中で神にもっとも近いものである。・・・
 すなわち わたしたちは存在し その存在を知り かつその存在とその知識とを愛する。わたしたちはここにあげた三つの実在(存在・知識・愛)に関して・・・
 (アウグスティヌス:神の国 11:26 泉治典訳)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 単なる字面だけになりますが 掲げておきたいと思います。

 たぶん お気づきかも知れませんが わたしは 法律について その条文の段階になると なかなか あたまが回りません。気持ちがついていかないという癖になっています。でも こうして もし自然法の問題から 固めていければ 少しは好きになって さらに入って行ければよいと思います。
 それにしても このようなQ&Aでは 刺激されますね。
 もし自然法にかんして その存在の確認ができたとしましたなら ありがたいですし よかったと思います。いろんな課題をもって あらたに歩みたいと思いました。
 おそらく 法学理論は それほど簡単なことではないのだと思います。人間の学として 確認させていただきました。重ねてお礼申し上げます。ありがとうございました。

補足日時:2008/06/08 01:43
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