電子書籍の厳選無料作品が豊富!

「死刑になりたいから殺した。誰でもよかった」。

かつての大教大附属池田小事件から始まって、枚方の一家殺害、奈良女児誘拐殺人、
そして今年に入ってから荒川沖駅、岡山駅ホーム、先週の秋葉原……と、
そんな理由で無差別に人を殺める事件が頻発している、ような気がします。

死刑制度の存置が抑止になっているどころか、暴発への引き金と化しているとさえ感じているのですが、
考えすぎでしょうか? 皆さんはどうお思いになりますか? 
また、こうした動機による犯罪を減少させるアイディアもお教えいただけると幸いです。


ちなみに私は、消極的な死刑制度存置賛成派です。

A 回答 (15件中1~10件)

死刑に抑止力はありません


それどころか、死刑を廃止すると殺人が減ります
    • good
    • 0

よくカナダを例に死刑を廃止しても犯罪が増えないと言う人がいますが、


実はそのカナダでは、「殺人事件への死刑を廃止」後、「殺人事件数」が倍加しています。

無論、犯罪が増えるのは社会、経済など諸要素があり死刑廃止が原因と一概には言えませんが、よく死刑廃止論者が「カナダでは死刑を廃止しても犯罪が増えない云々・・・」と言っているのが真っ赤な嘘で、彼らの理論ならカナダの例は「死刑を廃止すれば犯罪が増える」証拠になると言う事です。

参考URL:http://www.geocities.jp/aphros67/090620.htm
    • good
    • 0

>死刑制度の存置が抑止になっているどころか、暴発への引き金と化しているとさえ感じているのですが



違います。死刑制度があるからまだこの程度で済んでるんです。

(1)死刑になるから人を殺す
(2)死刑にならないから人を殺す

(1)は死刑制度がある場合、(2)は無かった場合。
どっちが多数派かは単純に考えても分かると思います。
私は凶悪犯罪者に対して、死刑ではなく奴隷制度を導入してほしいくらいですが…
    • good
    • 0

> 死刑制度の存置が抑止になっているどころか、暴発への


> 引き金と化しているとさえ感じているのですが、考えす
> ぎでしょうか?

 考えなさ過ぎです。

 責任能力、というキーワードに頭が届いていませんね。
 このキーワードの存在が、死刑による重犯罪抑止効果として想定しているターゲットを明確にします。あなたが挙げた事例は、そのターゲット外なので、端的に言えばそんな事例は死刑制度の本筋から見たらどうでもいいのです。

 引っ張ってもしょうがないので明示しますが、ターゲットは、計算づくで犯罪を犯す人間です。その種の人間に「これやって死刑になるのは、割に合わない」という判断をさせて、重犯罪をそもそも実行させないというコンセプトだということですね。

 衝動的に何かしでかすような人間は、どのみち何かしでかします。
 「死刑になりたかった」なんて甘ったれたことを抜かす精神的ガキも、死刑制度が無ければどのみち別の甘えた理由を持ち出します。ダガーナイフが無ければ包丁でもカッターナイフでもを使うでしょう。その程度。
 どちらも、死刑で抑止するような話ではありません。
    • good
    • 1

タイトルはよく覚えてませんが、「◯◯人の死刑囚?」他、いろいろその手の本を読んだことがあります。


読んで感じたのは、死刑囚になった犯罪者に、死刑の抑止効果はほとんどないということです。
人間追い詰められると、どんどん視野が狭くなり、目の前の欲求を満たす為だけに行動する。
そのとき「死刑」などということは全く意識していないようです。
ですから私達も、数年後には同じ立場になるかもしれません。

無差別殺人は、最近特に増えたわけではないと思います。
幼女連続誘拐殺人事件あたりから、心の問題について世間も犯罪理由として認識するようになったと思いますが、
それまでは、世間が「動機なき殺人」を容認出来ないため、もっともらしい動機(金・異性)などにしていただけでしょう。

減少させるアイディアはないでしょう。アイディア程度では無理です。
まあ、集団自殺勧誘サイトをそのままにしておけ、くらいでしょうか。
    • good
    • 0

死刑を廃止するかどうかより、死刑になるような凶悪犯罪者をなくすような教育・社会作りが重要かと・・・

    • good
    • 1

「死刑になりたいから殺した。

誰でもよかった」。
あーこれね。嘘ですよ。
死にたければどっかの事務所にカチコミすりゃ願いは叶いますから。
後はイラクへ行くとかね。
言えば格好良く決まるとでも思って流しているだけです。
そんなデタラメに付き合って死刑を考えるのは筋違いですよ。
    • good
    • 1

うーん。

なんてのかな、死刑制度ってのは、はなから「抑止力」なんてこと考えてなかったと思うんだよな。一応、死刑維持の意見の中で抑止力うんぬんってのは使われるけど、感じとしては「後付けの理屈」っぽい感じがする。枯れ木も山の賑わいじゃないが「とりあえずこれも理由の一つに入れておけ」的な。

日本では統計はないが、例えば死刑を廃止した国(カナダなど)では、死刑廃止前と廃止後での犯罪発生率(特に、それまで死刑となっていたような凶悪犯罪)の比較統計というのはいくつか存在する。それを見た限りでは、死刑の廃止による犯罪の増加は認められないんだな。となると、少なくとも今まで死刑を廃止してきた国においては、死刑による抑止力と呼べるものは確認できなかった、ということでないか。

法(刑法に限定していいけど)ってのは、何を目的としてあるんだろうかね。それは、被害者遺族の復讐のためじゃ断じてない。かといって、加害者の更生支援のためが主眼と言い切るのも微妙な気がする。結局は、「社会の維持」のため、としかいいようがないと思うんだな。社会秩序を維持していくためにその社会のルールを決める、そういうこと。

犯罪発生率は、死刑の判決数や執行数などとはほとんど関係なく、むしろ「失業率」に大きく関係がある。これは日本の犯罪白書を見れば一目瞭然だ。犯罪は、罪の軽重ではなく、「社会不安」によって増減する。だから、死刑による抑止力ってのがよしんばあったとしても、それは失業率が1%も増えれば消えてなくなる程度の、ほとんど誤差に等しいものでしかない、ってことだろうな。最大の抑止力は、「社会の安定」でないか。

「こうした動機による犯罪を減少させるアイディア」ってのだけど、「死刑にしてほしかったから人を殺した」ってのは、これは減らせるとかいった類いのものじゃないと思う。これ、たとえば仮釈放無しの無期懲役だったとしても、やっぱり「刑務所に入りたいから殺した」ってのは出てくるだろうし、減らしたりできるもんじゃないだろ。

ただね、殺人ってのは、戦後一貫して減ってるんだよな。ここ何年か、治安が悪化したと思われてるけど、それは増えてるような「気がする」だけ。たとえばこの10年ほどを見ても、殺された人間の数は年々減ってる(統計ってのは面白いもんで、実は昨年、殺された人間は500人ちょっとなんだが、殺人事件は千件を軽く超えてる。殺人事件の半数以上は、実は「誰も死んでない」んだな。そうした内容を見ず、統計上の数字だけを見て判断するのは、けっこう危ういことなんだろうな)。だから、「減少させるアイデア」なんてのはないし、なくても殺人は減る。現に減っている。また「無差別に人を殺める事件」ってのも、明らかに増えているという統計はないな。昔からこの種の事件はあったんだよな。

死刑制度だの、凶悪犯罪だのといったことを考えるとき、何よりもまず最初に「メディアによって植えつけられてしまった、現在の法と犯罪に関するイメージ」とどう戦うか、から考え始めないといけない。おそらく日本中の人間の頭には、「日に日に増えていく凶悪犯罪、治安の急速な悪化」みたいなものが刷り込まれてる。少年犯罪、精神病患者による凶悪事件、外国人による犯罪、そして通り魔的無差別殺人。実は、これらはすべて「まったく増えてない」んだけど、「急増している」というイメージが完璧に人々に浸透してしまってる。この幻想の上に死刑制度の世論などが構築されていく。こいつは怖いことだぞ。

死刑うんぬんとか法改正うんぬんといったことの前に、この「浸透してしまった、誤ったイメージ」をどうやってぶっ壊すか。それが今の日本には一番必要なことでないかね。
    • good
    • 6

命を軽く見ている証拠ですね。


死刑になりたかったからやったといいながら、本当に死刑判決が確定したらどういう気持ちなのでしょうね。
そういうことを考えられない世の中になっちゃったってことだと解釈しています。

いろいろなものに良い面と悪い面があります。
良い面ばかりを主張してもいけないし、悪い面を強調してもいけないと思いますが、報道のあり方に問題があると思います。
どこそこでいじめを理由に自殺とか、報道しすぎです。

それと反面、「命」に向きあう機会が減りました。
核家族が進み、医療が進歩し、おじいちゃんおばあちゃんの死を体で感じるって少なくなりました。(多分)

それと、極論ですが小学校で蛙(フナ)の解剖をしなくなりました。
命を知る機会がどんどん減ってゆく、そういう事の弊害を考える時期にきている気がします。

死ぬということ、命の重さを知らずに大人になっている。
それだけがすべてではないのですが、そういうことが根本にあるきがします。

死刑はあっていいと思います、でもそれは抑止力のためではないと思います。
死刑がなければ人を殺すか?、死刑があるから思いとどまるか?
そういう問題ではないと思ってます。
    • good
    • 0

「更生の可能性が無い」から死刑になるのは他者評価として、


死刑になりたい(自殺願望含む)というのは
自分でこれからの人生に希望が無いということかと思います。あたりまえですが。
自殺は怖くてできない、あるいは人生に負けたようで嫌という人間の中に
自動的に、強制的に死を提供もらえるのならと思う人は多いはずです。

その人のやる気や能力では無く挫折や失敗などの過去の行いによって
普通の人生が急激に送り辛くなる、現在の社会の仕組みが原因だと考えます。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!