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- 回答日時:
この質問、このあいだからずーっと気になってました。
でも、誰も回答してくれないのでわたしがします(笑)。分析哲学の人が見たら、笑うだろうなあ。まあいいや。おそらくわたしの推測に間違いがなければ、質問者さんの方が感覚与件に関してはわたしより詳しいと思うんです。で、わたしはというと、分析哲学の方は、倫理学からの興味で、クワインやローティを知るために、初歩レベルの本を読んだだけ。それでも知ってることと知ってることを照らし合わせれば、何かがわかるかもしれない、というはなはだ頼りない回答をさせていただきますが、怒らないでくださいね。
何らかの助けになれば、ということで。
まず、感覚与件言語というのは、わたしの知っているかぎりでは、イギリスのエアー(Ayer)の用語で、感覚与件言語に対して物質的対象言語を対置させています。エアーは、世界には感覚与件言語と物質的対象言語という二種類の言語があるが、「物質的なものを指示する命題は、もしそれが経験的に有意味であるならば、何等かの仕方で感覚与件に関する用語で表現可能でなければならない」(『経験的知識の基礎』オースティン『知覚の言語』p.156からの孫引き)というふうに考えている、とかなり乱暴ですが、まとめることができるかと思います(そうしてオースティンは同書で日常言語の分析を通して、完膚なきまでに批判しつくします)。
「物言語」を言ったカルナップは、感覚与件という言葉は使いません。
で、こういう質問が出たということは、論理実証主義にはあまりお詳しくはないのではないか、という想定のもと、おもに大庭健の『はじめての分析哲学』に依拠しつつ書いていきます。
論理実証主義者たちが非常に重視したのは、「意味の検証理論」という考え方です。
すごくあらっぽくまとめてしまえば、彼らによれば、論理とは「文」のシステムです。
「語」は、実体的事物を指示する〈名〉で、この「語」の意味=指示対象と文の形式によって、文の意味は決まってくる、と考えたのです。
たとえば未知の文Sがあったとしても、それを構成している語のそれぞれの指示対象を直示してもらえば、語の意味はわかる。文の意味は「語」の意味=指示対象によって決まるのだから文の意味もわかる。各語の指示対象のつながり方を見れば文Sの意味も検証できる、というものです。
そうして、文が「真」であるということは、「実在と対応」しているということだ、という《対応説》を大前提とします。そこから、「有意味な文=検証可能な文」というのは、自然科学における文だけであり、それ以外の文(たとえば宗教や形而上学や倫理学や美学)はすべて無意味な「疑似命題」にすぎない、という主張がでてきます。宗教や形而上学上の議論の混乱というのは、日常言語が欠陥をもったものだからだ、というのです。
では、いったいどんな文が検証可能なのか。それは、論理に汚染されていない純粋な観察報告ではないか。そうして、こうした直接的に検証できる文を、論理実証主義者たちは「観察文」あるいは「プロトコル文」と呼びます。なかでもカルナップは「青いものが見える」のような「見え」や「聞こえ」、つまり、直示的に検証可能な「観察言語」を用いた文が「観察文」だと規定するのです。この時期の「観察言語」は「感覚与件言語」にほぼ等しいと考えていいと思います。
ともかくこの主張を図式的に言うと
〈直示的に習得可能な言語―その言語への還元―直示的な検証〉
ということになります。
もう少し具体的にいうと、どんな語 t であっても
「あるものが t であるのは、そのものが「赤い」「帽子」「を被っている」とき、かつそのときに限る」というやりかたで、〈直示可能〉な語のみからなる文によって「定義可能」になる。
ところが実際には
・直示的に習得可能な言語という想定も
・還元手続きという想定も
・直示的な検証という想定も
とうてい支持できないものであることがわかってきます。
しかも、自然科学の文でさえ、「エネルギー」とか「エントロピー」とか「質点」とかという抽象的な語が出てくる。これらは「還元不能」であり、「経験的に無意味」な言葉ということになってしまう。
そこからカルナップは、「検証」という概念を緩めてやること、「明示的定義による還元」を放棄し、「還元文」という文脈的定義に移行していきます。
ここに出てくるのが「物言語」だと思うんですね。
ところが大庭さんの本にも、戸田山さんの『知識の哲学』にも、「物言語」という言葉は出てきません。で、「物言語」で検索してみると、このようなサイトがヒットします。
http://www.let.osaka-u.ac.jp/~irie/kougi/kyotsu/ …
ここに「観察可能な物-述語」という項目がある。この「観察可能」は感覚与件言語というふうに考えてもいいのではないかと思います。
この物-述語というのはどういうふうに与えられるのか。
『はじめての分析哲学』p.85のこの箇所が参考になるんじゃないかと思うんです。
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いま、例えば「良導体である」という述語を考えてみますと、観察言語の述語P、Qを用いて、
xが良導体であるのは、xがPであり、Qであり……のとき、そのときに限る
という明示的な定義を与えて「良導体」という述語を消去するというわけにはまいりません。と申しますのも、「……であるとき、そのときに限る」と定義しようとするとき、その「……」の部分には“もし電源に繋いだならば”という非事実的条件法が、必ず登場してしまうからであります。そして、こういう条件法というのは、古典的な論理学でいう「ナラバ」では処理できません。従いまして、古典的な論理語を用いて“定義”を与えようとするならば、
xが電源に繋がれるナラバ、電流計の針が振れるナラバxは良導体である
といった仕方で、陰状的に部分的な、あるいは条件づきの“定義”を与えることしかできません。
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ここから大庭さんは「条件づき定義」の問題点、論理実証主義者が一貫して前提にしてきた、カントに由来する《分析的/総合的》という区別が揺らぎ始めた、という指摘をされているのですが、ご質問とはずれてくるのでやめます。ともかく、「還元文」というのは、“もし電源に繋ぐナラバ”、“もし……したナラバ”という実験・観察を重ねることによって書き換えられる文である、と考えることができます。
そうして、延々とこの「もし……ナラバ」の目指す先は、直示的・明示的な「感覚与件に由来する語」ということになるのでしょう。
非常にあやふやで、ところどころ推測を交えての回答となりました。
何らかの助けになれば幸いです。
どこかおかしいところがあったら、ご指摘ください。
> この質問、このあいだからずーっと気になってました。でも、誰も回答してくれないのでわたしがします(笑)。
全て想定内です(笑)。
回答者ばただ一人しかいないだろうと。
ゆっくりと拝読させていただきます。
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