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今朝も、人身事故があって、電車が30分遅れました。
もう最近、しょっちゅうで嫌になっちゃいます。

でも、皆、慣れっこになっちゃったのか、今朝も周りの同乗者は、顔色一つ変えずに、文句の一言もなく、回復を待っていました。
鉄道会社も、最近は「30分ルール」とかに則り、30分で轢死体などを片付け、回復させるマニュアルが出来ていると聞きました。

全く、最近益々自殺の手段として、皆の迷惑も考えず、飛び込みを選ぶ人間が増え、皆も「又か!」という感じで、人のむごい死に対して悲しみも憤りも文句もなく、日々繰り返されていることに空恐ろしさを感じます。

差し当って、予算との相談ではありますが、全駅に「ホームドア」を設置するとか、自殺対策自体をもっと国家プロジェクトとして力を入れるとか色々ありますが、一体いつまで、こんな殺伐とした日本における「死に対する無感動、無反応、日常化」現象が続くのでしょうか?

A 回答 (6件)

以前に似たような質問があって、


その時はなんて答えたか覚えてないけど、
自殺させないためには自殺不可能なホームするしかないと思う。
踏み切りなども、ありとあらゆる、自殺可能な場所に。

「死に対する無感動、無反応、日常化」現象は、
自殺する人がいる間中続くと思います。
まわりの人間がそのようなのは、
確かにその人間たちの在り方にかかるわけですが、
そうさせたのは、自殺する人たちであって、
まわりの人間本人たちの元からの意思ではないと思います。

これを絶対に許さないと思い行動する人たちが、
自殺可能な場所をすべてどうにかするしかないと思います。

この回答への補足

この欄を借りて一言コメントします。

ANo.6さんへのお礼文の後半が、いかにも「人に迷惑をかけても良い」というニュアンスに聞こえたせいか、皆が引かれてしまい、後続の回答がないのかもしれませんね。
私が言いたいのは、人に迷惑をかけず、自分だけで解決していこうということに一生懸命になるあまり、一人で問題を抱え込み、にっちもさっちも行かなることこそ大変危険なことであり、ドンドン家族や友人に何でも弱音を吐いたり相談することが何よりも大切なことではないか、ということを言いたかっただけなのです。

いずれにしても良回答も得られたことなのでこの質問はクローズして、新たな質問「死にたいと思ったことがある方に伺います。」を同じアンケート・カテで立てたいと思います。
不謹慎かもしれませんが、私は自殺したいという人の気持ちが全く理解できませんので、その心理状態を伺いたいと思います。

補足日時:2008/09/16 19:10
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この回答へのお礼

No.4さんのお礼にも書きましたが、「自殺=罪」もしくはその考え方が日本でなじまないのなら、せめて「自殺=悪」であり「社会的に絶対に許すべきでない」、だから「あらゆる手段を講じてでも自殺可能な環境を改善するべきだ」という社会的コンセンサスがもっと育っても良いと思います。

「死にたい人はどうぞご自由に、ご勝手にどうぞ」、「電車に飛び込んでも、ご遺族からはたんまり補償金はいただきますが、私たちは30分できれいに片づけますから、列車運行には大して支障はありません。乗客の皆さんも慣れっこになっていますし、大して迷惑はかけませんので、ご心配なく。」ということなら、死ぬ人は、「そうなの?それなら安心して飛び込んでみようか。一時少々皆に迷惑をかけても、それで私の苦しみも終わり、あとはきれいさっぱり皆も私のことなど忘れてくれるから、せいせいするわ。」となってしまうかもしれませんね。

少なくても、私は自殺するのは、痛くて苦しいし、自分の死体を公衆の面前にさらすことになってみっともないし、家族などにも迷惑をかけるし、第一、好きなビールを今後飲めなくなるので、絶対に嫌です。

お礼日時:2008/09/11 20:26

日本人は自殺(自害)を美徳と感じる傾向がありますからね。


武士の切腹といい、日本は自殺の文化が根付いています。
世界的に見ると日本人の自殺率って結構高いらしいです。
ちょっとした不祥事とか起こしただけで軽く自殺したりとか、
自殺しても責任とったことにはならないと思うのですが。

鬱状態になって自殺しちゃう人は上記とはまた別の問題で本人以外は
その苦しみとか理解できないためどうしてもあーだこーだいって、
結局誰も自分のことを理解してくれないと絶望に思ってしまう人が
多いようです。
今の世の中、病んでますから鬱にかかっている人も多いでしょうね。
でも、その鬱状態も人それぞれで自分が鬱状態だって気がついていない
人がほとんどのようです。
鬱病は長期的ケアが非常に難しい問題です。

この回答への補足

すみません。
質問の焦点は、『一体いつまで、こんな殺伐とした日本における「死に対する無感動、無反応、日常化」現象が続くのでしょうか?』でしたが、ホームドアの設置や踏切の廃止などの物理的対策から、人々の「慣れ」への警鐘、そして自殺そのものの是非論や自殺防止策にまで、問題点が拡散してきてしまいましたね。
・・・まあ、いいでしょう。どんなことでも結構ですから、何とか自殺容認の日本文化の見直しになれば・・・。

補足日時:2008/09/13 08:36
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この回答へのお礼

確かに日本では武士道の伝統に則り、自死を美化する傾向がありますね。それが潔さの表れと思っているのでしょうか?

うつによる自殺は、もっと深刻のようですね。
このサイトを見ても、いかにうつに関する質問が多いことか。
うつになる人は一見しっかりしていて、がんばりすぎる人で、自分でもうつになっていることに気がつかないのでしょうか?

私も人生うまくいかないことが多くて自暴自棄になったこともありますが、私の場合は、内にこもらず、周りにあたり散らし、迷惑をかけることによって憂さを晴らす方で、絶対にうつにならないタイプだと思います。今は、当時を振り返って赤面の次第ですが・・・。とにかく誰が好き好んで、自分から死を選ぶのか、全く理解できない自分です。
私は自分が弱虫であると自負し、出来るだけ頑張らず、人にもどんどん頼ったり相談して、ぬくぬくと生き抜いていきたいと思っています。
とにかく、自分のことは人に迷惑をかけず、自分だけで解決していこうという姿勢には違和感を覚える私であり、どんどん周りを巻き込み、影響や迷惑をかけ合いながら生きていく方に賛同を覚える私です。

お礼日時:2008/09/12 21:11

確かに、ぼくも転落防止柵とかホームドアのようなものを何故つけない


のだろうといつも思っています。
予算がかかるから?->逆にそういった事故やらなんやらが発生したら
その対応でもっと費用がかかるような気が。

一部では踏切をなくすとかいろいろやっているみたいですけど、
足りませんね。

もし、飛び込みなどで電車止めたら遺族にすごい大量の慰謝料が
請求されるって聴いたことがあります。
周りの人ばかりでなく死んだ後に親族にまで迷惑かけちゃうのは
やめて欲しいですね。

まあ、死にたい人にとってはどうしようもなく深刻な事態でそれを
考慮する事さえできなかったのかも知れませんけど。
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この回答へのお礼

転落防止柵とかホームドアとかを増設するとか踏切をなくすとかいろいろやっているみたいですけど、死にたい人は今度は別の死ぬ手段を探すでしょうね。しかし、たとえいたちごっこになるとしても、あの手この手で、死ぬ手段を封じこみ、自殺はいけないことなのだ、自殺するのは社会的にも認知できないことなのだと言うことを悟らせる必要があると思います。欧米のキリスト教国では、他殺と同様、自殺も神が与えたもうた生命をないがしろにすることであり、はっきり罪と認定しているのですが、日本人にはまだ、自殺=罪という認識が足りないのは困ったものです。それに、自殺は他人や家族にも最大級の迷惑をかけるのをよく考えてほしいと思います。

お礼日時:2008/09/11 20:12

こんばんは。


それでも最近は、携帯に運行情報を確認出来るサイトがあるだけまだ良いほうですよ。

平成不況の時なんかは、同じ日にJR中央線が3回も人身事故起こたり、
数日間連続で人身事故を同じ路線で続けたりと。
余りの酷さに当時の中央線の各駅長が神頼みで厄払いまでしたほど。
最近の電車はそれでも、最悪床下に人が入ってしまうと救助が大変
(というよりバラバラになった遺体の処理が大変なんで)だから排障器でなるべく電車の床下へ入り込むのを防いでいます。

最近では確かに山手線でもホームドアを付けましょうか?という動きが
ありますが、あれを設置するとなるとドアより少しでも電車側のドアが
ずれると駄目なんで費用が馬鹿高いんです。

大体鉄道会社は単なるとばっちりです。
総理が無責任にころころ変わる時代です。
遠くの家族や親戚より、近くの友人。とどのつまり相談できる相手を誰か持ってなければ駄目ですね。
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この回答へのお礼

死にたい人間がわんさかいて、われもわれもと電車に飛び込む、そのために電車が遅延しても皆慣れっこになっている、そんなにイライラしなくても30分したら回復するから黙って待つ、飛び込む方もそれで自分が楽になるのなら後先考えない、そのように誰もが達観した気持になるのが怖いと思います。まるでチャップリンの「殺人狂時代」の世界だと思います。

勿論鉄道会社には責任はありません。ホームドアだって鉄道会社だけに負担させるのは酷のような気がします。政府から補助を出すか、その分運賃を高くしてもよいと思います。

とどのつまりはNo.2さんへのお礼にも書きましたが、相談できる人を作ることだと思います。

お礼日時:2008/09/10 23:26

死に対する無感動…に関してですが、長い歴史の中で考えると今の日本では自分で死の選択ができる時点で十分幸せと思います。


戦争で悲惨な死に直面することもないし、餓死した人が道端で放置され、その人肉を…なんて構図もありません。(ちょっとグロくてすみません)

大きな失敗をしてしまうこと、すべてを投げ出したくなること、人生に失望すること…誰にでもあります。政府が自殺対策にどこまで動いてくれるなんて分かりませんが、確かに国レベルでは損害です。例えば20歳の青年が自殺をしたとしたら国にとってGDPなどの点で損害ですよね。その人が20歳になるまでかなりの投資(食糧、教育)がかかっているのに。農業に従事してもらうとか、海外でボランティアしてもらうとか、その人が生きるためのきっかけを与えたいですね。そして、本当に死ぬことしか解決できないのであれば、献体や臓器提供をしてほしいところです。(過激ですいません)また、自殺にお金と迷惑をかけないでほしいですね。

難聴になり自殺をも試みたベートーヴェンが自殺を思い止まり素晴らしい作品を生み出したことは有名です。それらの作品を生み出せるのは自分だけであるという信念があったからこそ生を選べた。葛藤や不幸を乗り越えた作品故に素晴らしいのです。

生きる目的を見失った人に、新しい目的を提供してあげるのが生への執着になると思います。
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この回答へのお礼

>今の日本では自分で死の選択ができる時点で十分幸せと思います。
・・・うーん。確かに戦争のように有無を言わせず、死ななければならないのと違い、おっしゃる通りだと思いますが、そんな時代だからこそ死を自ら選択するのは、とんでもない罰あたりだと思いますが・・・。

>大きな失敗をしてしまうこと、すべてを投げ出したくなること、人生に失望すること…誰にでもあります。

その通りです。政府にとっても日本国にとっても大きな損失です。
政府が自殺防止のキャンペーンを張ること、そしてそれ以前に安心して生きていけるセーフティネットを張ること、生きがいのある明るい世の中を作ること・・・みんな当然のことだと思います。

そして、それと同時に、一人一人が問題から逃げずに立ち向かう気力とストレス耐性を挙げていく努力も必要だと思います。

そのためには、家族でもよい、友達でもよい、或いは身近な先生や先輩や上司や同僚など誰でもよい、民間の相談機関でもよい、ちょっと困った時に何でも気軽に相談に乗ってくれる人を確保しておくことが一番だと思います。

お礼日時:2008/09/10 23:18

「死に対する無感動、無反応、日常化」現象というような恰好良いものではありません。



単に、先行きに希望が持てないからです。

・年間32,000人が自殺し、そのうち無職者は18,000人程です。
 これは平成10年から横ばいです。

・自殺原因の半数は健康問題であり、経済・生活問題は1/4ほどです。

・自殺者の内、10,000人以上が60歳以上です。

自殺を防いだからといって何の問題解決にもなりません。
(他の手段を探すまでです。)

生きたいと思う社会(医療・環境)を作るのが先でしょう。
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この回答へのお礼

>生きたいと思う社会(医療・環境)を作るのが先でしょう。
確かにおっしゃる通りですね。

どうも自分が比較的恵まれているせいか、どこか、自殺していく人々を、人生の敗残者とみなす気持が、自分の心のどこかにあり、仲々共感できません。死にたいほど悩んでいる皆さんからすれば、腹立たしくさえ感じるかもしれませんが・・・。 勿論そう言う私でも、これまで、いや今でも、決して順風満帆な訳ではありませんが、絶望するほどまでには至っていないのは、幸せだと思います。

やはり政治が悪いのでしょうか?

お礼日時:2008/09/09 23:37

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