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私の父の話です。
繁華街か駅でか、柄の悪そうな2人組か3人組に絡まれている人を助けようとして仲裁に入ったが、逆に絡まれて殴り合いになり軽傷を負った。その間に、当の絡まれていた人は逃げて何もしなかった。
という話です。
こういうことって普通あってもいいものなのでしょうか?

A 回答 (7件)

あります、あります。


私なんざ、朝の駅で女性同士(!)が取っ組み合ってるので仲裁に入ったら双方の女性から「アンタはこの女の連れか!」と凄まれました。
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この回答へのお礼

やはり、一般人が「仲裁に入る」ということの認知度というものを徹底させるのは難しいんでしょうね。

お礼日時:2008/09/17 18:22

普通あっても良いものか・・と言われていますが、


ではどの様にあって欲しいのでしょう。
普通とはどの様な事を指して言っているのか分かりませんが、暴行を受けていた人はこれ幸いとばかり逃げた・・
それが許せないと言う事でしょうか?

それとも、
お父上に怪我をさせた人が謝罪に来るとか?
病院代を持つとか?
警察に逮捕されるとか、
はたまた、逃げた人が、お父上を探し当ててお礼をするとか?
を望みなのですか?
警察の件を除いてはどれも望み薄の様に感じてしまいます。

まあ、これを機会に喧嘩の仲裁などなさらぬ事が肝要かと。

仲裁をしようと思ったなら、警察を呼ぶことが最大の仲裁かと思います。
警察だって、喧嘩などの仲裁は職業上関与しますが、命がけで取り掛かっているのですよ・・・
相手の素性など分からないのですから・・・

今回は刃物など持っている相手でなかったのが、良かったのではないですか・・
その様な相手なら、今頃お葬式だったかもです。
今回の事は、その様な事にならなくて、運が良かったと諦めることでしょうね。

この回答への補足

すみません。先に補足という形で投稿させていただきます(皆さんへのお礼は後にいたします)

あってもいいのか?という最大のネックは
>暴行を受けていた人はこれ幸いとばかり逃げた・・
それが許せないと言う事でしょうか?
これです。こんな薄情な世の中でいいのだろうかと。薄情な世の中と書いたのは、自分を少なくとも救った他人を見捨てていいのか、駅員警察に何とか知らせるのが筋なのではないかという点です。つまり、自分の被害がなくなった安全になったから、後はどうでもいいという感覚が一般的だったとしたら、世の中これほど怖くすさまじいことはないのではないか?と当時のことを思い出すと身震いがします。

補足日時:2008/09/13 21:56
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この回答へのお礼

確かによっぽどの利害関係がない限り、仲裁されるほうにとっては納得いかないで証拠とは想像がつきます。だから、警察なんです。それを助けられて呼ばないということの感覚はどうなのかと。まぁそういうくだらない人もいるということらしいです。ルサンチマンというのは怖いもんです。ネットで荒れているのがいますけども、ああいうのはリアルの世界ではほんとに凶器持っているんだと感じてます。

お礼日時:2008/09/17 18:27

普通かどうかわからないですが 若いころ喧嘩の仲裁に入られたことがあって、頭にきましたね 大人が理由があって喧嘩してるのに偉そうに仲

裁するのはヤボです ただし仲間通し引っ込みがつかなく争いがとまらないときは、さすがにいい加減誰か止めてくれ!はありました 空気を読んで仲裁するのが利口な方法かなと今になって思います
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この回答へのお礼

確かに、自分の利害ではないのに何で仲裁に入るのかという気持ちは当人にとって当然でしょうね。ただ、あきらかに仲裁されるべき成り行きと言うのもあるので(本人らはそれが当然と思っていても社会的には違うだろうと)

お礼日時:2008/09/17 18:25

こんにちわ、勇気のあるお父様ですね。

大事にしてあげてください。このような方(金銭、地位関係なくして身をもってよい行動が取れる人)が本来、国民の代弁者になる人だと私は確信しております。今の政治家につめの垢でも飲ませたいぐらいですね。本当に勇気あるお父様だ!感動いたしました。
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この回答へのお礼

虫の居所が悪かったからというのもありますよ!ただ、そういうごろつきが余りに見苦しかったというのはあるのでしょう。

お礼日時:2008/09/17 18:23

>普通あってもいいものなのでしょうか?



よくない、と言ってみたところで全く意味が無いでしょうが。
実際よくあるんですから、助けに入るならそのくらいの覚悟は必要です。
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この回答へのお礼

そのようですね。容易にできることではないようです。

お礼日時:2008/09/17 18:21

よくある話です。



絡んでいるほうからすれば、
「ええ格好しにでてきやがって。生意気に」となり、

絡まれているほうからすれば、
「なんか知らんが矛先がかわった。今のうちに」となります。

警察に通報する。
「あっ、おまわりさん、こっちです」と大声をあげる。
なかなかよっぽど腕に覚えでもない限りは君子危うきに近寄らず
の格言があてはまるのかもしれません。
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この回答へのお礼

いやあ、ええかっこしやがってはわかるんですけどね。やっぱり、身の安全が99パーセントになって後はどうでもよくなるというさもしさがあるんでしょうね。警察にさえ通報する手間を避けたようですので。

お礼日時:2008/09/17 18:20

喧嘩をとめるというのは案外難しいものですね。


正直、とても難しい「仕事」なので私はだいたい関わらないようにしています。あなたのおとうさんのように反撃され、へたすると怪我をしますし、「ありがとう」などと言われることもまずありません(これは経験上皆無)
ですから、「普通」は喧嘩の仲裁をして「いいこと」なんてひとつもありません。基本警察にまかせておいています。それが「普通」だと思います。

でも、どうしてもというときは、別ですね。
私の父は子供の頃から私に
「喧嘩をとめるときは、かなりの覚悟をしなくてはいけない。自分がその相手全てと喧嘩するくらいの気合で腹に力を入れて両者を引き離しなさい」と言っていました。

私自身、喧嘩は一度もしたことはありませんが、喧嘩は体を張ってとめたことが数度あります。
ポイントは、引き離した瞬間に「やめんかぁ!」と地も振るわせるほどの腹からの一喝をすることです。
だいたいのまれて、動きが止まります。
この見知らぬ人の喧嘩の仲裁を「やめんかぁ!」でしたのですが、一度、迫力負けして反撃されそうになったこともあり、その場合、瞬間「火事だぁ!」の一喝で、その場をしのぎました。
襲われたときは、「助けて!」でもなく「火事だぁ!(一喝)」が一番です。人が集まるので、相手は大概逃げ出します。「助けて!」逆に人が逃げますね。

とまぁ。おとうさんには大変気の毒ですが、本当に喧嘩の仲裁は「義侠心」ではなく、「家族や仲間を助ける」ときくらいしか発動しないように言い聞かせたほうがいいと思います。
お父さんのその男っぷりをほめて、お酒でも買ってきてあげてください。
それで、痛みも怒りも消えます。
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この回答へのお礼

なかなか現実は「いやぁ助かりました、いっぱいおごらせてください」というようなドラマチックなことにはならないようですね。現実はどうもすさまじくていやなものです。
しかし、自分で仲裁に入るというときの気構えが大事だという教訓、その通りだと思います。何せ荒れている中に第三者が入ることのエネルギーの必要性は想像できます。

お礼日時:2008/09/17 18:19

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