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私の周りの大人で、「人は結局1人だ」という人が何人かいます。
この人たちはどういうふうに人は1人だと思っているのでしょうか?
(本人には聞きにくいので教えてください)

人は結局1人だと思う方、何故ですか?

J-POPなんかの歌詞でもあれだけ「1人じゃない」とあるのに・・・ある程度年のいった人は何を感じているのでしょうか?

A 回答 (10件)

「どんなに親しい間柄でも心の奥底まで解り合うことはない」という意味ではないでしょうか。



このOKwaveでもライフ>恋愛・人生相談カテゴリを見ると「信じていた恋人/配偶者に裏切られた」とか「親友だと思っていた人に冷たい仕打ちをされた」みたいな相談が山ほどあります。

「人は結局1人だ」という言葉に、いくつかのレベルがあると思います。「家族・友人・仕事仲間が居ない人なんていない」というレベルならNoだと思いますが、「心の底まで解り合える人なんて誰にも居ない」というレベルならYesだと思います。

(我々はテレパシーなんて使えませんから。むしろ、解り合えてしまったら人間関係の崩壊は加速すると思います。「この人、調子のいいこと言いながら本心ではこんなこと思ってたなんて」みたいな感じで。
あと、ありえない話ですが、もし世界中の人の心が解り合えて融合して一つの巨大な「精神集合体」みたいなものになってしまったら、はたして生きていて楽しいのでしょうか?)

質問者様は「人は結局1人だ」という言葉のネガティブな面ばかり捉えておられるようですが、「個の尊重」というポジティブな面もあるのではないのでしょうか。
たとえ親子・夫婦というもっとも親しい間柄でも、別個の人間であるからには違うところがあるのが当たり前であり、その違いをお互い認め合わないと良い人間関係は築けません。
違いを認めることができない人は、いい年して親離れ子離れのできない親子や、パートナーを100%思い通りに支配しないと気がすまない「モラルハラスメント」になったりするのではないでしょうか。

それとJ-POPを持ち出すのはどうかと思います。J-POPにも信じていた人に裏切られた悲しみを歌うような内容のものもありますし、J-POPがありとあらゆる人間心理を網羅しているわけでもありません。
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参考書「幼児化するヒト」



この仮説によると、人間は類人猿の幼児期を保持することにより、大集団の協力が可能になったそうです。

人間以外の類人猿では、特に大人の雄は「友情」としての関係性はもたないようです。孤立するようです。

大人の人間でも、類人猿とっては幼児的行動だそうです。
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前向きに人様に公に出来る一人とは、孤独の意味ではなく「私は誰にも依存しない」との覚悟の吐露です。


20代前半の遅すぎた親離れにありがちです。
大人になりきれば一人であることは常識過ぎて気が付きもしません。
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No.7です。


すみません、訂正です。真ん中あたりの文、

「人は結局1人だ」という言葉に、いくつかのレベルがあると思います。「どんな人にも家族・友人・仕事仲間は居ない」というレベルならNoだと思いますが、「心の底まで解り合える人なんて誰にも居ない」というレベルならYesだと思います。

です。
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 もうちょっと前後の文脈が無いと想像も難しいのですが。



 一般論で言えば、頼りたいときに他人に頼れなかったときなどにそういう発言をするケースはよくありますが。
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自分の外側は、自分ではない という感覚が強いということでしょうね。

連帯感とか、共時性とか、共感というものも外部とするから、「結局」となります。
他人のことは決して知ることができない。ということでしょう。
自分のことは知っているような気になっているところに
どうしようもない硬直さがあるんですね。
この部分に「そんなの関係ねぇ♪オッパッピー♪」を微塵ももって
これないんです。

素直なんですが、安直で視野が狭窄している感覚なんだと思います。
若い頃は気づかない、気づいたときそこから飛躍できる
可能性を見いだせていない状態なんでしょう。おそらく。
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ひねくれたことを言えば心配して相手してもらえると思ってる


心が幼稚な人なのでは?

結局一人とか言えるのはロビンソンクルーソーみたいな人だけ
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 《人は結局1人》なので たがいに 分かり合えて 互いに 向上していくこともできます。

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想像します。



人はそれぞれ違うので、主義や思想や感情を完全に理解することは出来ない。だから一人だという事ではないでしょうか。
罪と罰というゲームで、仲間が主人公の全てを受け入れ一つにならなければならなくなった(SFなのでそういうシーンがある)場面があります。
拒絶はしていないがまだ触れ合っちゃいけない部分があるって事で、
一つになることは出来ませんでした。
そういう事なんじゃないかなーと思います。

とは言え、分かり合える部分もあるし、人は分かろうとする努力ができるので、個人的には正しいとは思いませんが。
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いろいろな意味にとれますが、養老孟司さんの言葉を借りれば、人は自分の脳の中に棲んでいるということではないでしょうか。

つまり人間は頭が非常に発達した結果、頭の中に広い世界を持っていますが、その世界は外の世界と違って自分しか生きていないわけです。頭の中のものはすべて映像ですから友人や知人でも犬でもネコでも全部映像でしかないということになると思います。こういう意味で頭の中の世界に関する限り人間は一人であるというようには考えられないでしょうか。人間でも体があってかrだはほかの人と同じ外界に棲んでいますから、人間でも体は孤独ではないのかもしれません。歌の歌詞のひとりじゃないというのはこういう意味かもしれません。ちょっと気になったのですが、一人と独りは少し意味が違うように思いました。
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