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 自分は考えて納得しないと気が済まないたちなんですが、周囲の人は「お前は考えすぎだ」とか「どうでもいいじゃん」とか、結構否定的です。
いろんなものに対して考えてしまうのですが、生きる意味とかは考えても納得できず嫌になります。だけど、納得できないので考えてしまう。
社会問題とかを結構熱く語り合う友人でも、人生観とかの話になるとめんどくさそうな顔をします(もちろん強要したりしてるわけではなく、どう思っているかが知りたいだけなんですが)。

考えるということは悩むことなので、時々苦しいです。
もしかしたら一生悩みながら死んでいくんじゃないか?と不安になります。
人生とはそういうものだと言われたらそれまでなんですが、悩まずに納得できることもあるわけで、そのバランスに困っています。
わからないことを考え続けているのは馬鹿、どうしようもない、というのもわかるんですが。

馬鹿な話だと思われたなら、「お前は馬鹿か?」と回答してくださっても構いません。ただその理由を教えてほしいです。
考え悩むことの必要性というか有用性みたいなものを教えて頂ければ幸いです。
よろしくお願いします。

A 回答 (15件中1~10件)

貴方は考えるという事に限界を感じています。

それは貴方が自分自身を掴み切れていないという事を意味しています。貴方がもし悩みを感じているなら、貴方にはその答えを手にする事が出来るはずです。貴方が感じている悩みは、貴方自身が発している問と言えます。

人間は心が二つあります、貴方に問いかけているのは貴方自身の心です。この事を知りたいと思うなら、禅と言うものを学んで下さい。鈴木大拙博士の書いたものをお勧めします。博士は見性経験が在ります。つまり悟りを開いているという事です。貴方の場合も自分自身を知ることで、今抱えている疑問が解消します。そうして心が本当に自由になります。貴方が抱いている疑問も、貴方の悩みも、全てがもう一人の貴方が感じさせています。悟りは人間の全ての悩み、疑問の解消と言う事を説いています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>貴方が感じている悩みは、貴方自身が発している問と言えます。

まさにその通りだと思います。

>人間は心が二つあります

この二つは、私の中で常に闘っています。それが私に悩みをもたらすのです。
禅というのは少し敷居が高く感じています。
本を見てみて、理解できそうなら読んでみたいと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/10/26 18:40

人間は規則を破る時にだけ「考え」ます。

規則に従っている時には、本人が考えているつもりでも、実は何も考えてはいないわけです。規則は必要な時にだけ破れば良いのであって、必要もないのに普段から規則を破ってばかりいては行けないと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとございます。
とても面白い考え方ですね。
そんなこと考えもしませんでした。
人生の意味とかばかり考えているとしたら、人間というものの規則を破っているということですね。
もしそうなら、自分はダメな人間ですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/10/26 18:33

考え「過ぎる」のは当然良くないです。




論語に「過ぎたるは猶及ばざるが如し」とあるように
たとえ良い事であっても、それが過剰になれば悪影響が
強くなってしまうものです。特に考えるということに関しては
「分別過ぐれば愚に返る」という諺もありますしね。



さて、質問者さんが悩まれているように、ここで我々が考慮すべきは
「考える」ことに「過ぎる」ことがあり得るのか、その一点です。
結論から言うと、これはあり得る事なのです。
その理由は主に2点。まず人間は常に正しい解答を導けるわけでは
無いこと。そしてもう一点は実行可能性上の問題です。




そもそも思考は直感と知識(経験)から成り立ちます。
どちらも思考には必要であって、どちらかが欠けている場合
間違った解答が導き出される可能性があります。

古代ギリシアの哲学者であり数学者であったピタゴラスは
有理数がこの世界の全てであり、この世は有理数で全て表すことができる
と説いていました。これが彼の哲学・数学の前提なのです。
しかし、ピタゴラスの定理を用いて正方形の対角線の長さを導き出した
弟子のヒッパソスは、その長さが√2であり、無理数であることを発見して
しまいます。このピタゴラスの教えに背く答えを導き出した「背教者」は
ピタゴラスの他の弟子によって溺死させられたと言われています。

ピタゴラスの熟考をもってしても、この矛盾は見過ごされていたのです。
どんな人間も論理のみで常に完全な回答を導けるわけでは無いのです。




そして、実行可能性としての問題。漫画のキャラクターのように
「こんなこともあろうかと、宇宙戦艦に対硫酸用のメッキをしておいたのさ!」
と、完璧な準備ができればそれすら問題にならないかもしれませんが
実際は宇宙戦艦が硫酸の海で潜水することは予想できないものです。

通常では起こらない事まで想定して準備する、ということは
その分、最も起こる可能性の高い事項へかける準備時間が短くなります。
もちろん問題発生時の枠組みを決めておくことは重要です。
しかしながら、個別の問題にまで対応できるほど、人間社会には時間的余裕は
ありません。





この2つの事象が何を意味するのか。
つまり思考実験には自ずと限界があるということです。
平たく言いなおすと「そんなのやってみなくちゃ解らん」ということですね。
とはいえ、これらにおいてもさらに考える余地は残されています。

つまり「ある結論に対して、理論と照らし合わせて正しいものであるか」
「予想される結果のうち、優先して対処すべきものはどれか」
「発生の頻度・確率が高いものはどれか」


以上をきちんと検証していることが先の2点の前提です。
これをやっていないのは「考えが足りない」状態であり
これらがクリアされた上で、やってみなくちゃ解らないことまで考えるのは
「考えが過ぎている」状態であると言えます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
論理的な説明でとてもわかりやすく、納得できました。
ただ、不完全性や時間的限界というのは頭では理解できるのですが、一方で、不完全や不可能や限界という言葉を認めたくない自分もいます。
認めたら生きてはいけない心持がします。
まあ、自分の場合考えすぎということになるんでしょうね。

お礼日時:2008/10/26 18:27

ものごとには、それをするのに最適な時間というものがあると思います。

いわゆる時熟という概念です(参考:ハイデッガー)。

秋の味覚の柿を例にしてみますと、実が熟し切れていない段階では、色も青く実も硬く甘美な香りを漂わせることもなく、味もよくありません。
しかし時間がたち、その時期が来れば実が熟しやわらかくなり甘美な香りを漂わせ甘みのある「柿」になってきます。

それと同じようにものごとについて考えるのにも最適な時間(時期)というものがあると思います(私見)。

そこでアドバイスですが、問題を考える時、一定の時間を決めて考えてみて(例えば1日間だけ考えてみるなどと自分のペースで限度時間を設定して)答えに辿り着けなかったら、その問題を取り組むべき時期ではなかったのだと考えてみてはどうでしょうか。

その問題は「いま取り組むべき問題ではない」未解決問題として区分し一旦忘れてしまいましょう(とりあえず)。
そうするとその後のなんでもない機会にふと問題解決の糸口が得られたり、腑に落ちる答えが見つかったりするものです。
ふと答えが見つかったときがまさに最適な時期だった[時が熟した]のだと考えればよいのです(実際にそんな経験ありませんか。)。

このプロセスを説明してみます。
一旦忘れてしまったと思っていても、意識の奥で問題を眠らせているだけの状態で、それを解決するために必要な経験や時間を待っているのだと考えます。
いろんな経験を重ねていくうちに、自然に(とりたてて問題意識をはたらかせず無意識に)答えを得るための知識や情報をストックしていき、思考が熟成し、問題がゆっくりとあたためられ、いつしか条件がととのい[時が熟し]ふと答えが見つかる…そんなイメージです。

解決するのに必要な経験知がない状態では、問題解決しようとしても、いたずらにもがき苦しむだけですから潔く止めましょう。
完全に忘却してもかまいません。そのような問題ははじめから考察するべき問題ではなかったのですから。
思い出したとき少し考えてみて、時が熟していれば答えは見つかるし、熟していなければ「まだ時が熟さない(解決すべき時が来ていない)」と考えればよいのです。

それともうひとつ、問題の種類を分類しましょう。
人生の意味と社会問題を同列で語っておられますが、二つの取り組み方は違うと考えます。

まず社会問題はさまざまなテーマがあると思いますが、問題に関与する人(関与するかもしれない人)は議論に参加し、妥当な解決策を見出さなければならない種類の問題です。
この意味で、当事者でなくても自分なりに考えることは大事ですし、意外と答え(または解決の選択肢や道すじ)は見つかりやすいのではないでしょうか。

いっぽう人生の意味というテーマは、答えても答えきれない、考えても考えきれない尽きせぬ問題ですよね。
こういう問題に対しては、時間にまかせるにかぎります。
時間が料理してくれるのを待つ…あせらずゆっくり待つ、人生の最期まででも待つ…ぐらいの気合でのぞみましょう。

気になる問題を忘れることは初めは難しいように思いますが、じきコツをつかむことが出来ます。
問題が気になって仕方ないときというのは、えてして頭でっかちなっているときではないですか。
脳だけが意識され、脳だけが活動していてヒートアップしている状態、そのような状態は不健康ですので、そんなときは意識を身体に向けてやってください。
呼吸を整えて、ゆっくり肩から二の腕、肘、手のひら、手の甲、指先へとマッサージしてみるのもいいです。
ゆっくり対極拳をやってみるというのもいいです。見よう見まねで。
できるだけ自分を快適な状態にしましょう、身体を意識しながら。

どうせ人生は短いのですから、その短い人生なら快適でリラックスした心持ちで過ごせたら その方がよくないですか。

身体がリラックスしたなあと感じたときには、もう心を捉えていた問題が切羽詰った問題ではなくなっていますよ。そうするとある程度の距離をおいて問題にのぞめますから、問題解決の糸口も見つけやすくなるというメリットもあります。

あわてる乞食はもらいが少ない(使ってもいい言葉なのでしょうか)。
下手な考え休むに似たり。
とらぬ狸の皮算用。
過ぎたるは及ばざるが如し。
Be cool !!

と考えました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
なるほど、確かにそうですね。

>下手な考え休むに似たり。

これ好きです。
とりあえずサボってないで勉強しなよ、って啓発してくれてるみたいで。

お礼日時:2008/10/26 18:08

人間の脳が考える力を獲得した原点である「見つめる」という能力に立ち返っているならば、 いくら考えてもいいのではないでしょうか?



もし、その原点に立ち返れないのなら、と言う理由からは「それなら、お前は馬鹿だ!」と言えてしまうかもしれないですが(^^)、 そんなことないですよ。

むしろ、この質問自体がそれを証明してますからね。

>考えすぎは良くないですか?<

という質問タイトル自体に、あなたが馬鹿じゃない証明となる答えが書かれてるようなものです(^^)。



そんなあなたが、 葉っぱが木から落ちるのを見てそれは何故かということだけを生涯考えるなどということはありえますか? 「だけをです。」 だったら考えすぎということは当てはまりますが。(これは冗談ですので 考えすぎないように^^)。



考えすぎか考えすぎでないか私は、そればかり考え続けてきたけど、今死の間際になってやっとわかったよ。 なるほど考えすぎだってね。(なるほど^^)。  そんなやついないってか(笑)。



ね。 まず原点に帰ってみま笑。



人間の脳が猿の脳から人間の脳に進化する過程についてのさまざまな推理思索は おいておいて、ともかくそれはどのような変化だったのかを考えて見ます。

すると解ることは、「自他をみつめる目」をその時生物は始めて獲得したということになります。

だから何か行動し失敗しても それを「見つめ」検討できるので 反省し、進歩する能力にそれがつながったということです。

ただ、ここはtoolsp013さん、しっかりもっともっと考えすぎてみてください^^。

人間の脳の原点なんですからね。

動物であった時には 《私たち》の意識や感情の世界は、実は同じ意味で「私たち」と言えるような世界ではありませんでした。

動物にも感情もあれば意識もあるのですが、それはすべて本能にしばられたものであり、生存に向かう本能以外でものを見、感じ、考える能力とそのゆとりの世界は全く無かったのです。

だから動物は笑えないともいえます。 この問題はちょっと脇においておきますけどね。

そんな動物の意識にとって 《私たち》と言える存在は生存のための「闘いの仲間」以外の存在ではなかったということです。

それにたいして、「私たち」人間は その能力を獲得した一番最初からそこに「友」という存在を始めて見たのです。

分け隔ての無い人間同士であり、同じに尊敬すべき自分の命の不思議とおなじにこの大地に生まれてきたリスペクトの対象として、私たちの最初の祖先たちは、そこに人間性の原点をも新鮮な心で発見したのです。

有史以前の 証明は出来ない世界でも 推理は出来る世界ですよ。 そしてそのあたりを推理することはけして「考えすぎ」などではないのです。

その当時にても また人間の脳は、始めて「美」をも見てるはずです。 太陽の光、緑、風のそよぎ、小川のせせらぎの音、それらを私たち文明人よりも鮮明に新鮮に感じるゆとりも その脳は同時に獲得してもいたはずなんです。 

つまりこんな感じです。 動物は一番星を見ても何も意識に変化を感じません。 でも人間になったとたん、もしかしたらですが、言葉を知る以前に、それを見て「あっ」と叫びあい目を交し合いそして微笑みあったかもしれないんです。

それこそ単純な でもほんとうは何よりも大切の人間の出会いの原点の世界です。 

しかし、やがて、私たちはその「見つめる能力」によって言葉を獲得してゆきます。

しかし、実はその言葉の能力により、やがて人間はウソの世界や権力欲とかの世界も獲得し、貧富の差をもやがて作り出し、心までも堕落させてもいきます。 

文明は進歩だけを生み出してきたのではなく、私たちの体もたとえば薬の害毒の面からは退歩もしていますし、心や考える能力の面もその原点「みつめる力」のあたりではかなり衰えてるとことさへあるかと思います。

戦争の因だって 大きくはそこにあります。

赤ちゃんが最初はおぎゃあふぎゃあと泣いて生まれてきたのに始めてお母さんを見て笑う時に、その赤ちゃん脳をは猿の脳を越えて人間として本当の誕生日を迎えるのだ という考えわかりますでしょうか(笑、 半分冗談ですが、半分は冗談なんかじゃないです。)


ここで、もう一度言います。 もしその原点である「自他を見つめる」能力を無視して考えつづけるならば、何を考えても馬鹿かもしれません。

しかし、こうしてこれを言葉で書いているように、 私たちは「私たちは」、もはやあともどりは出来ないのです。


 私たちは生物としての限界をもっていますので、その考えとかがまだまとまらないで死んでしまう可能性なら誰も持っています。  でもその過程を越えないでまとまる考えとかは 私たちにとってありえるでしょうか?

考えることには、人間としての価値が こうしてその原点の世界の価値からして存在しています。

真の原点の光を求めては、人間は真剣ならば悩む存在でもあると思います。

そして、それは、たとえ絶望の淵を歩いてさへ 人間が再びその単純な命の光や微笑をみつけるまで考え続けてきたことだと思います。

私も はっきり言えば人生について存在について考えすぎたことありますよ、 絶望の淵にて、酒飲んで血をはいて叫びまくって倒れて 気がついたら泣きながら静かに横たわっていました。  もう何もかんがえることもできすに、です。 それでも解らない、なにも解らないよう、とだけちいさく叫んでましたけどね。

そこまで苦しんだことありますか?  大丈夫ですよ。 原点さへ忘れなければ、  おおいに考えすぎてください《^^》/。

 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
難しいですね。
原点の「自他を見つめる」ということは、つまり、自分と他人の調和みたいなことでしょうか?
具体的には、自分やりたいこと、できることと、他人の許すこと、してほしいことを考えて、その範囲で選択するということでしょうか?

お礼日時:2008/10/26 18:03

私は良くないとは思いません。


あなたは向上心のある素晴らしい人だと思います。
「悩むのは苦しいから忘れよう」「考えないようにしよう」、という考え方は、「嫌なことは酒でも飲んで忘れよう」というような発想と同じような気がします。なんの問題の解決にもなりませんよね。
「考えすぎだ」とか「どうでもいいじゃん」などという人は、考えるのが怖いのではないでしょうか。考えても分からないから。
そういう人は、お金、地位や名誉、名声などを追い求めるタイプの人が多いように思います。豪華な家。高級な車。高い服。ブランド主義、物質主義、みたいな。それを得ることが幸せ、と頭から信じきって疑わないんですよね。
一生悩みながら死んでいくなんてことは絶対ないですよ。私も、自分は何の為に生きているんだろう、と悩み苦しんだ時期がありました。
「スピリチュアリズム」「霊的真理」
もしかすると、これが、あなたの悩みを解決させるキーワードになるかもしれませんよ。
しかし、もし、「何がスピリチュアリズムだ」「何が霊だ」「何言ってんだこいつは」「お前は馬鹿か?」とあなたの理性が反発するようであれば、こんなキーワードは忘れてくださってけっこうです。
早く心が晴れるといいですね!
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
励ましの言葉ありがとうございます。

>そういう人は、お金、地位や名誉、名声などを追い求めるタイプの人が多いように思います。

確かにこういう傾向はあると思います。でもきちんとした人が悩んでなかったりすると(何か答えを持っている訳じゃなく)、自分を悩ませます。
スピリチュアルなことに関しては、このサイトの質問を少し拝見したんですが、正直驚きました。違う世界というか。
馬鹿にしている訳じゃないんですが、周りにそういった人がいないので、少し怖いです。独りでその世界に飛び込んだら、自分を見失ってしまいそうな気がして。

お礼日時:2008/10/26 17:53

No.3です。


人間関係の部分に触れてなっかたですね。
逆の立場なって考えてみって下さい。友達や、他の人達は、あなたから見ておかしいと思う処、又は受けられないところや理解できない処は無いのでしょうか?必ずどこか有るはずです。
考え方も同じで、得手、不得手、があると思うのです。まあ、数学出来ない人に、計算しろつったて無理でしょ。それと同じことだと思いますね。
まあ、話の通じる部分で付き合い、その中で通じる部分を広げていくしかないのでは?

まあ、自分のやりたい事してても、上手くいかないことなんてざらにあるもんですよね。悩むのは必然。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
得手不得手はわかりますが、私は不思議なんです。
未来に何かあるかもしれないけど、永遠ではない生命、ただ人類の何千という歴史の中の一人として生きることが、意味のないことに感じます。
その意味を今ここで求めている訳じゃないですが。
でもそれを「考えすぎ、どうでもいい」と割り切って不思議に感じない人たちが不思議なのです。
愚痴のようですが、少なくとも私の周りにはこんなことを考えるのはおかしいという雰囲気があります。
そういう人達が欲望の為だけに生きていればこれほど悩まないでしょう。
たぶん、これが周りから見ておかしいと思われるところ。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/10/26 17:40

考えすぎも悪くはないですよ。

徹底的に考え抜いたなら、最後には考えることなど必要ない事に気づくでしょう。何年も掛かるかもしれませんが。

それでも初めから考える事をしない人より、世界が見えている分だけ楽に生きて行けるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

自分自身そう信じてます。そう願っています。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/10/26 17:18

苦しいですから悩むことはやめたほうが良いですねw



「考える」すなわち「範囲を区切って、論理的に道徳的に、実証できうることについて思索する」ならば何の問題も無いと思いますよ。

その思索の上で悩みを減らしていくことを目指してみたらいかがでしょう。

まずは発見できる所から、悩みの中から具体的に解決出来るものから着手するのが知者のやり方だと思いますよ。答えの出ないものから始めたら一生何も発見解決できないことになりますからねw

生き甲斐ではなく、意味となると後付の概念になるでしょうから答えは人それぞれでこれこそと言うものは出ないと思いますよ。もっと具体的なデータの有る話から勧めたほうが良いと思いますよ。

ここにデータがあるのは「五感と意識の六根」「五蘊といわれる生命の構成要素」「感情」。そして我々が行う「体の働き」「言葉の運用」「考え方」の三業の運用による自分の心の変容と人間関係などのなかで生まれる変化。

これらの考察によって、悩み苦しみとは何か、その原因は、それが滅するとは、その方法は…という答えの概要に納得がいったことを実生活などで実践し確認して柔軟に見解を更新していくことで、より悩み苦しみが無くなって、幸福になって、充実感を持って生きれるようになると思います。

サンガ出版の「仏法」はパーリ語の仏典から抽出した哲学論理道徳面で結構詰められたものとなってます。「正見」の項目だけ見てもその姿が見て取れると思います。オススメです。

スマナサーラ長老の書籍はどれもオススメですよ。

「理性的とは何か」これに尽きますねw


興味があったら読んでみてください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私は実践の部分でつまずいてるような気がします。
書籍に関しては見てみて読めそうなものだったら読んでみようと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/10/26 17:16

考えることで科学が発展すると思います


なぜ?という探究心が技術革新を生むからです
科学者には必要なことですね

会社の経営などに関しても
なぜ上手くいかないのか?というものをリサーチしフィードバックして
次に生かして伸びていく訳です
逆にそのように細やかな分析ができないと
社会で有用な人間にはなれません
ただの労働力の提供のみになります

答えのでないものを悩み続けるにあたって

いつか解ったら良いもの
解決できそうだからとことん調べるもの

この二つの区分に分けたらどうでしょうか?
いつか解ったら良いものにつきましては
少しずつ理解が深まることを人生の喜びとすれば楽しく生活できます
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
確かに科学や分析には試行錯誤が必要ですね。
未来への不安が少し和らいだ気がします。

お礼日時:2008/10/26 05:02

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