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私はカント、ハンナアレント、サルトルと哲学書を少し読みましたが

良心こそが大切といったり、結局、技術者が世の中的に力をもったり、関係性こそが大事だとか

いろいろ書いてありましたが、結局、人それぞれ違う事を認める和の発想こそが

もっとも、世の中的に優れている気がするのですがどうでしょうか?

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A 回答 (25件中1~10件)

質問と寄せられた回答には、学ぶことが有りました。


普遍化とか個性化と云った事にまで関連させて考える事が出来ました。

hisasanさんの思う処の《和の精神》は、世の中的に優れているかどうか、と云う処にあると思います。
この「世の中的に優れている」と云う事に付いて別の表現をすれば「人それぞれが適度な自制心をもって、自由に生きることが出来る」と云う事になるでしょう。これは普遍化に対する個性化に当たると思います。

そして、このような「多様な世の中」を実現し《それを共有》するには《和の精神》が必要ではないかと云う問いかと思いました。

今の日本の社会を見て、それなりにこの《和の精神》は活かされているとした場合、この日本の社会の現実の是非を絡めて回答を寄せるのは、注意しなければならないと思います。

《和の精神》は、個性を受け入れると云う「普遍的精神(大地)」からの産物のように思えます。
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この回答へのお礼

そうですね複雑化する世の中にあってシンプルに大きく自分を生かしながらも、人と共生していく

和の精神は重要であると思います。また小さくなる世界にあっも これから

共生という意味で和の発想が大切になるのではないかなと思います

お礼日時:2015/11/15 13:13

#16のあほなさんの回答関連で:



>それは人々において平等に存在するものと考えるからです。この平等観がある故に、誰とも敵対せず、自らの目的(自ら定めた生き方)を全うできるのではないでしょうか。

日本人て昔から世界的に突出して平等意識の高い国です。事実、鎌倉時代の貞永式目は、女性の相続権を明記し、さらに本領安堵という表現で人類史で最初に私有財産権を明記した憲法です。国際的に見ても、日本は国際会議で人種差別撤廃を明確に主張した最初の国であり、第一次世界大戦後のパリ講和会議の国際連盟委員会で人種差別の撤廃を明記するべきという提案をしました。その点、西洋人たちはずっと遅れており、この日本の提出した人種差別撤廃案は当時のアメリカ大統領で国際連盟の提案者だったウッドロウ・ウイルソンによって否決されてしまいました。私はアメリカに住んでおり、テレビでもラジオでも自由という言葉を毎日何回も聞きますが、平等という言葉は一週間に一度聞ければ良い方でしょう。

ところが、もし私の記憶違いでなかったら確かNHKだったと思いますが、最近のテレビで「平和と自由」と言っただけで、その言葉の中に平等が欠けていたのには驚かされました。西洋かぶれどもの影響で、日本人も西洋人並みに平等観念が欠落し始めてしまったのでしょうか。

宜しかったら、

 http://ameblo.jp/texas-no-kumagusu/entry-1158084 …

も参照して下さい。
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あなた様の考えは正しいです。

 

しかし、それを否定する意見もまた、正しいのです。

この世に、約、80億人の人類がいれば、80億人、すべての意見は正しいのです。

よって、80億人、すべての意見は、正しいけど、否定する意見もまた、正しいので、80億人すべての意見は、誤りでもあるのですね。



正しいとは、誰にとって、正しいのか??

つまり、正しいなど、有っても無い、無くても有る。


森羅万象、この世のすべては、極めると逆転する。

これを、私は、陰陽逆転の法則、と呼んでいます。

では、このへんで

ごきげんよう

逆転地蔵

。。
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ひささんんサンに甘えます。


 
 40. 幼子は すでに胎児のときから 心臓の鼓動などを聞いていて 《知覚》
 がはたらき 《感性》は目覚めさせられています。

 41. 母親の顔を見たり声を聞いたりして さらに五感は――それと意識しな
 いまま―― 発達するでしょう。さらに外界からのいろんな刺激を受けて 《感性
 の原野》は息づいて来ます。

 42. 言葉をも聞いていますから 言語能力(ランガージュ)ももう黙っていま
 せん。やがて 《知覚》したものごとを その内容(概念)として受け留め それ
 と《ことば》との対応に気づくようになるのでしょう。

 43. ただしまだ 《わたし〔が知って分かったというように わたし〕がはた
 らいている》のではないと思われます。

 44. やがてわたしは《わたしがいるということ また わたしが例えば言葉を
 使っているということなど》を知る。ここで《われ》の誕生(目覚め)です。もの
 ごころが着くといった程度でしょうが。

 45. つまり われの自覚を得る前にも わたしはすでに感覚はもちろんのこと
 言葉を使い始めて何らかのかたちで《知解》行為をおこなっている。《世界を認識
 する》ことを始めている。その意志もはたらいている。

 46. 自然本性の内側から 《わたしは世界において生きる》といういとなみは
 おのづと起きて来ている。《われの自覚》も ともに携えて起きている。
  のでは?
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hisasannさん、


自然本性、に理性とか意志とかの能力とかがあると云っても、それは資質として持って居る、と云う事であって、開発しなければ育たない、無いに等しい、と云う事なんです。
「我」が生じて、初めて「我」の刺激を受けて活動し始めるんです。
卵も暖めることで、孵化します。

解りますよね。
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この回答へのお礼

私はエゴいう意味での我というのは自然本性と違うと思います

そのエゴによって考えるという意味でその際に働く意志の働きは人間の業であると思います

しかし自然本性に近い考え方はあると思っています

もちろん考えるという時点で自然本性と違ってくる部分があるとは思いますが

お礼日時:2015/11/17 16:29

hisasannさん。



自然本性、が"考え"ちゃぁだめですよね。
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◆(回答№19) 生命の成長とは「我」と云う着物を着ることだ


 ☆ というのも 自然本性における《意志》のハタラキです。

 そのとき 《理性》によって考えることをも伴なっているはずです。


 ひささんんサン ごめんなさい。
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質問への直接の"回答"とは言えませんが。


多くの寄せられた回答を見て。

"自然本性"に理性とか意志と云った働きが有ったとしても、生命の成長とは「我」と云う着物を着ることだ、と例えて見れば成長した自然凡人に"本性"が直接現れる事はなく、だから「我」を通すことになります。

"自由"は本性に必要ではなく「我」に於ける産物。

この事をしっかりと別けて理屈を立てないと意味不明、混沌としてきてしまいます。

技術者に優位性を見るのは技術が物事を実現させているからであって、それは技術が技術的に答えを出して居ると云う事でもあり、それだからといって人間である技術者の"思い"が答えになる、とは言えないのです。

重なりますが、技術の結果が明らかになったからと云って、それを引き出した技術者の思い"考え・思想"をそのまんま「人間」に当てはめて「良し」とするのは如何なものでしょうか。

科学は破壊にも"貢献"しています。

☆ 個性化は破壊にも通じる?

嗚呼・・・
私は「爆発」だ~、なんて言ってしまった、けど。
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36.★(№17お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~


  何というか、西洋思想は頭で東洋思想は感覚的に

  世の中の普遍性を考えていこうとしている気がします

  だから、西洋思想はどうしても頭でっかちになっている気がします
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  ☆ 一般的にそういう傾向が見られるとわたしも考えます。
  ただし そのことはヨーロッパ人も分かっているはずです。

 37. たとえば 次のように語る人間もいます。:
 ▲ (パスカル:幾何学の精神と繊細の精神) ~~~~~~
  http://james.3zoku.com/kojintekina.com/pascal/pa …

  第一章 精神と文体とに関する思想
  1
  幾何学の精神と繊細の精神との違い。

  前者においては、原理は手でさわれるように明らかであるが、しかし通常の
 使用から離れている。 したがってそのほうへはあたまを向けにくい。慣れてい
 ないからである。しかし少しでもそのほうへ あたまを向ければ、原理はくまな
 く見える。

  それで歪みきった精神の持ち主ででもないかぎり、みのがす ことがほとんど
 不可能なほどに粒の粗いそれら原理に基づいて、推理を誤ることはない。

  ところが繊細の精神においては、原理は通常使用されており、皆の目の前に
 ある。あたまを向ける までもないし、無理をする必要もない。

  ただ問題は、よい目を持つことであり、そのかわり、これこそは よくなけれ
 ばならない。というのは、このほうの原理はきわめて微妙であり、多数なので
 何も見のがさない ということがほとんど不可能なくらいだからである。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  
 38. 《共通感覚 sensus commnunis 》ということを 一般的にして普遍
 性を持つ要素として推し出してもよいと考えます。
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この回答へのお礼

いろいろと教えいただき有難うございます

もう少し私も勉強してみます

お礼日時:2015/11/17 11:41

★ (趣旨説明欄) 良心こそが大切といったり、結局、技術者が世の中


 的に力をもったり、関係性こそが大事だとか
 ☆ について考えます。

 24. ひとは 自分たちが生きているということについて 良し悪しで
 言えば良いことと思っている。と思われます。

 25. この世界に生まれて来たことについて めぐみ――これは《只
 (無料)》という意味にも通じますが――であると受け取ってその存在
 をとうとびます。

 26. これは そのことを意識したときにはやはり《良心》と呼ぶべ 
 き心のはたらき あるいはつまりそのチカラをやどした《身と心》との
 すこやかな状態を言うものと考えられます。

 27. 身にも心にも 傷を負ったりこれを拗(こじ)らせたりするの
 ですがそうだとしても 良心――もしくは要するに生まれつきそなわっ
 たみづみづしい自然本性――は いつもつねに無傷でいる。と想定して
 いるところがあります。(《自性清浄心 あるいはブッダター》ですと
 か)。

 28. この自然本性としての良心は それゆえにと同時にそうであっ
 ても 自由です。証明抜きで 自由です。

 29. 《良心ないしその意志》が 《そうであっても》自由だという
 のは じつは そのわが心にしたがう素直さのほかに 心にさからって
 も考え事をおこないこれを実行することがあるからです。
  このような――変な――自由度をも持っています。

 30. やましく後ろめたいことをも人はその自由意志にてやらかしま
 す。おそらくこれによって人は 《傷つく》のだと見られます。自分が
 自分を傷つけているのだと。

 31. にしても このいろんな意味での《きず》をわたしたちは 自
 由にともなう責任としてすなおに負いつつ わたし自身をそれぞれ経営
 して行くことになっています。

 32. 自由意志と良心あるいはそれをふくむ人間存在 これは 一般
 に互いにとうとびましょうと言うのが 共通感覚(コモンセンス)です。
 
 33. ひとは 社会的動物であるといったその共生性のことを言って
 いるわけですが ならば一般に人と人との《関係》は おそらく相対的
 なものだとしつつも 絶対性をさえ帯びる。とも考えられます。
 
 34. 《技術者の優位性》にはたどり着きませんでしたが――だどり
 着いてその殊更の優位を言うべきかどうかも分かりませんが―― カン
 ト、ハンナアレント、サルトルの哲学と《和の精神》とが互いに相い反
 する思想だとは 見る必要はないのではないでしょうか。
  

 35. おそらく――西欧思想について一般的にも――表現の仕方やそ
 れを言い出す生活世界としての土壌や下地が異なっているということで
 はないでしょうか。東と西とで あるいは南も北も 《共通感覚》は 
 共通なのでは?
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この回答へのお礼

何というか、西洋思想は頭で東洋思想は感覚的に

世の中の普遍性を考えていこうとしている気がします

だから、西洋思想はどうしても頭でっかちになっている気がします

まー私の意見も東洋思想も何故そうなのかを説明しようとすると

感覚的な物なのでとしか答えようがない所がある気がするので

理詰めにされると弱いかもしれません

お礼日時:2015/11/17 10:56

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