dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

今年からホークスの監督に就任した秋山さんですが
選手時代、世紀のトレードとも言われた、ライオンズからの
ダイエーホークスへのトレードには実際にどんな背景があったのですか?
詳しくご存知の方、教えてください。

本人が志願したのでしょうか、それともライオンズが高給な選手を
放出したかった、とかでしょうか。

それと、腰痛になったのはいつかもよかったら教えてください。

A 回答 (6件)

表向きの理由のほかに裏の理由として考えられるのは、西武入団の際、根本氏に”いろいろ”と世話になっていたからだと思う。



秋山の他にも石毛や工藤といった西武黄金時代を作った選手が
ダイエーに移籍していますが、全て根本元監督(後GM)&坂井代表のコンビで入団させた選手たちです。
昨年、西武がアマ選手に裏金を渡していたことが発覚して問題になりましたが、球団発足当時からクリーンなイメージとは裏腹にかなり強引なやり方(金で囲い込む等)で選手を獲得し続けました。
同じことを巨人がやったら大バッシングされる事も、西武がやったらウルトラCと表現され、マスコミにはあまりバッシングされませんでした。

その根本&坂井コンビがダイエーに移り、彼らから力を貸してくれないか?と言われたら、恐らく断れなかったのではないだろうか。
もちろん恩義も感じていたと思うが・・・

これは昔、あるパリーグの審判の方から聞いた話です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

なるほどなるほど、そういう背景もあり、彼らは根本さんを
「球界の親父」と慕っていた、と言う風に私の中でつながりました。

へえ、昔からそんなことやってたんですね、ライオンズって。
そういう話は大変興味深いですね。
初めて知る話ばかりで面白かったです。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/06 22:02

他の方が書いてあることは間違いないと思いますし、根本氏の存在も大きかったと思います。


それと同時にやはり九州出身の目玉選手が欲しかったというチーム事情、更にはセンターラインの強化という部分もあったのではないかと個人的には思いますが。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

確かに、センターラインは強くなかったですからね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/09 21:12

>でもなんで、ライオンズは清原をそんなに特別扱いしてたのでしょうね。



甲子園のスーパースターですし、ルーキーの年から大活躍しました。
ドラフトの時のドラマなど、巨人に対抗するチームを作りたかった西武としては、旗頭として清原ほどピッタリな選手はいなかったのです。
それにどう考えても清原で客は呼べても秋山では呼べませんでした。成績とか派手なプレーと人気とは直結しないわけです。

>黄金時代を築いてきた選手たち(石毛、工藤、平野など)が次々とトレードに出される

黄金時代が続けば年俸が上がります。石毛の場合は現役続行にこだわる本人と、引退してコーチ、監督をさせたい球団との思惑の違いもあるのでしょうが、結局は高年俸化した主力達を持ち続けるほど親会社に体力はなかったということかも知れません。
ファンとは勝手なもので、同じ様なメンバーで勝ち続けると飽きられてしまい、観客動員も減ってしまいます。球団も商売ですから費用対効果を考えての放出だったのでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

なるほど、そういうことだったのですね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/03 22:22

秋山はFAまじかで、権利獲得後は移籍確実と見られていました。


理由は簡単で、清原以上に貢献していたのに、選手年俸をおさえ込まれていたからです。
あと、辻の足が衰えてきていたので、新たな一番バッターを欲しがっていたという話です。
そこで西武側が、ダイエーの佐々木に目をつけました。

ホークス側としても、集客力がありチームリーダーとなるであろう秋山なら、文句なしと考えたのでしょう。

実際翌年、一番佐々木を押し立てて、森西武黄金時代最後の優勝をしています。戦力としての佐々木が必要であったのも間違いありません。

(ただ残念ながら、その後足の怪我により、佐々木の輝きは失われることになります。)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

なるほど、そういう事があったのですね。
でもなんで、ライオンズは清原をそんなに特別扱いしてたのでしょうね。
入団当時から、特別扱いされていたという話は聞いています。

辻はあっけなくヤクルトにトレードされましたね。
黄金時代を築いてきた選手たち(石毛、工藤、平野など)が次々とトレードに出される
のを見て、当時は不思議に思っていました。石毛って最後は西武の監督
になってくれって
言われて入団したとも聞いたことがあります。

秋山さんなんて、オールスターでも抜群の人気で、球界の宝でライオンズの顔でもあった
と思うんですが、そんな選手を放出する事もあるのか、と不思議に思ってました。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/02 23:03

真の原因は他にあるのかもしれませんが…


当時西武の森監督との確執は移籍前から報道されてました。当時確立されたばかりのFAで巨人へ移籍するのではないかと報じられていました。
また、トレード成立の1993年、秋山選手が不振だったこともあるかもしれません。(日本シリーズでは6番に降格していました)

表向きには、左の強打者である佐々木選手と右の強打者の秋山選手のトレードであったため、両者の思惑が一致したと言われていました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

確執報道はあったようですね。私も今知りました。
秋山さん6番にまで降格してたんですね・・・・。
オールマイティ選手のイメージしかなかったもので、
そんな事もあったんですね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/02 22:51
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/02 22:47

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!