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進化心理学に関する本を読んでいたら、ある機能について「適応によって○○という機能が備わった。。。。」という説明は、批判の対象であるというようなことが書かれていました。Google等で調べると、適応主義批判だとかいうことらしいのですが、その批判が腑に落ちません。なぜpost hocな説明だとダメなのかがよくわからないのです。どなたか生物学の素人にも分かりやすく説明して頂けないでしょうか。
(post hocな説明でも、現象の説明ができていれば良いのではないかとも思うし、進化や適応で全てを説明しても説明したようで説明してないような気もするしで、混乱してます。)

A 回答 (5件)

 「盲目の時計職人」を既に注文されているのでしたら、私が何を書いても蛇足にしかならないのですが、まあ「まとめ」ということで。



>「ある環境における生存に有利な○○という機能(もしくは特徴)をもつ固体が有利に生存できた。その結果、○○という機能をもつ固体が増えた、生き残った。」

 まあだいたいその通りです。少なくとも「適応によって○○という機能が備わった」という表現よりはずっと正確です。

 生物学的に「適応的」というのは何を意味するのかというと、「生きるのに有利」=「長生きできる」ではなく、「子孫を多く残すことができる」形質を意味します。
 極端なケースを考えると、繁殖という行為はオスにとってもメスにとっても"コスト"がかかる行為です。たいていのメスのそれはオスのそれとは比較にならないほど大きいですが。
 で、仮に「繁殖をしないことによって自分の寿命を延ばす」個体が出現したとしましょう。で、現に他の個体の2倍の寿命を得たとしましょう。その個体は「適応的」でしょうか?
 違いますよね。その「繁殖をしないことによって2倍の寿命を得る」遺伝子は、子孫にその遺伝子を伝えることができません。たった1代でその遺伝子は消滅してしまうわけです。

 クジャクの派手な羽も、"生存"にはまったく有利ではないでしょう。むしろ不必要なほど大きいため動きにくく、派手なため補食されやすくなるため、一見「不適応な形質」に見えます。
 ですが、メスが「派手な羽を好む」のなら、寿命を多少削ってでも繁殖の成功率を高めた方が「適応的」と言えるのです。このような例を性淘汰といいます。(生存上は不利に見える形質が適応的になる理屈も同書で詳しく解説されています)

 さて、適応的という言葉が「繁殖成功率の高さ」であるならば、「淘汰」とは何のことなのでしょう。
 普通、淘汰と言えば生存に不利なため生き残れない、というイメージを持っている方がほとんどだと思います。確かにそれは淘汰の一面ではあります。
 では例えば、「老齢になるとガンになりやすい」形質は不適応といえるでしょうか。
 老齢ということは「繁殖行動」は既に終わっていますよね。ガンになろうがなるまいが。
 ということは、この形質は繁殖成功率には影響しない、すなわち適応的でも不適応的でもない、ということになります。
 つまり、老齢になってガンになりやすい遺伝子は淘汰はされない(淘汰圧を受けない)ということに。

 そもそも「自然淘汰」という言葉は日本語では定着してしまいましたが、元々の原語(英語)では "natural selection"です。つまり「自然選択」と訳すのが正しい。

 また特殊なケースを仮定すると、「若齢でガンになりやすい」という形質(遺伝子)があったとします。この遺伝子をある動物種の全ての個体が持っていたらどうなるでしょう?
 繁殖年齢中にガンになりやすい形質は間違いなく「不適応」な形質でしょうけど、全ての個体がその遺伝子を持っていたならば、この遺伝子は「淘汰」されません。その種そのものが衰退して絶滅の道を辿るならば「淘汰される」と言えるでしょうが、決してそうなるとは限りません。低い繁殖率ながら存続していくことは十分考えられます。
 ですが、そこに突然変異で「若齢でガンになりやすい遺伝子」を失った個体が出現したらどうなるでしょう。その遺伝子を持った個体は繁殖的に非常に有利になりますから(生涯に残せる子孫数が多い)、比較的短期間でその種から「若齢でガンになりやすい遺伝子」は"淘汰"されることになるでしょう。
 つまり、自然がやっていることはあくまで「選択」であって「淘汰」ではないのです。淘汰は選択の結果、あるいは副産物なのです。

 この例でもうひとつ判ることは、「淘汰される個体(遺伝子)も、ばっさり消されるわけではない」ということです。早死にしても死ぬ前には何頭かの子孫を残しているでしょう。長生きすれば繁殖機会そのものが多くなりますから、早死にする個体よりは平均すると残せる子孫数は多くなるでしょう。
 それが何千世代も続く内に、「長生きする遺伝子」が集団内で広がり、「早死にする遺伝子」はその率を減らす(あるいは消滅する)、ということになります。

 なので、上の文をさらに厳密に正しく修正すると、
「○○という形質を持つ個体は有利だったため、集団内で長い期間を通してみると平均して多くの子孫を残せた。その結果、○○という形質はその集団内で頻度を増やし、あるいは定着した」ということになります。

 まあ、今現在生存している生物は、とりあえず自然選択を受けた結果、こうして生きている「進化の勝者」ですから、その形質の大部分が「適応的」であることは確かなわけです。
 ですから、生物のある形質を「適応的」と仮定して「この形質が何故適応的なのだろう」という考察をすることは決して間違ったアプローチとは言えません。
 ですが、理屈では遺伝子座が近いため他の遺伝子と連鎖して定着してしまった不適応な形質もあり得ますし、遺伝的浮動によって偶然定着してしまった形質もあるでしょう。
 さらに現在淘汰圧を受けている最中の不適応な遺伝子だってあるでしょうから、「この形質は適応的」という仮定も、前提にまでしてしまうと間違いを犯すことも多くなりそうです。
 ほぼ全ての生物学者は、ある意味適応主義的なアプローチをしているもので、行きすぎてしまった理論構成を「適応主義」と呼んで批判しているわけです。

 まあ、この質問の私の過去回答も含めて、ここに書いたようなことはほとんど「盲目の時計職人」でもっと詳しく書かれています。
 「盲目の時計職人」を読んで興味が深まりましたら、「利己的な遺伝子」も読まれることをお奨めします。
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この回答へのお礼

詳しく説明して頂き、恐縮です。ありがとうございました。
修正して頂いたまとめの文章「「○○という形質を持つ個体は有利だったため、(中略)頻度を増やし、あるいは定着した」、よく分かります。今回、「詳しい方に丁寧に教えて頂くと、すっきりするな」と自覚しました。ほんとうにありがとうございました。

お礼日時:2008/11/09 06:09

 Jagar39です。



>このあたりの関係をうまく説明した本などご存じであればご紹介していただけでないでしょうか

 少し遠回りのようですが、進化論を基礎から勉強した方が結局は早道だと思います。
 「キリンの首は高い木の葉を食べるために長くなった」というpost hoc的な説明自体は決して間違いではありません。もう少し正しく言うと「他の個体より首が長いキリンが生存的に有利だった」ということになるのですが、ほんとはもっと長い文章で記述しなければ厳密にキリンの進化を説明することはできないのです。
 なのでさくっと簡潔な文章で説明するには、「キリンの首は高い木の葉を食べるために長くなった」と書くのが最も通りが良いわけです。

 ただ、このpost hoc的な説明がまずいのは、読み手が素人だとキリンが首が長くなるように努力したとか、あるいはキリンには首が長くなるように進化する性質があるのではなどという、「進化には目的がある」とか「突然変異には方向性がある」といった誤解が生じやすいからです。ちゃんとした知識を持った読み手なら、やはり「キリンは高い木の葉を食べるために首が長くなった」という文が一番読みやすいのです。

 というわけで、進化論の基礎の入門書としてリチャード・ドーキンスの「盲目の時計職人」という本をお薦めします。早川書房から出版されています。このタイトルそのものが進化論の本質を非常に的確に表現した名タイトルだと思います。
 厚い本ですし一般読者向けに書いた本といえども議論のレベルは落としていないので、そんなに気軽に読める本ではないのですが、文章はとても読みやすいし(訳も良いのでしょう)圧倒的に面白いです。進化論の入門書としては最良の本だと思います。

 ドーキンスだと「利己的な遺伝子」(草思社)も面白いです。これはもはや古典ともいえる本ですが。
 ドーキンスは本のタイトルを付けるのが上手いのですが、あまりにキャッチーなタイトルだったおかげで、却って内容があまり理解されていないようにも思えます。なのでwebや新書などの普及価格帯の本でまともな解説をあまり見ないので、原典を読んでおいた方が良いでしょう。
 ドーキンス自身はガチガチと言って良いくらい正統派のダーウィニストなのですが、この「利己的な遺伝子」は、適応主義者(まさに進化心理学)達に勇気を与えてしまったのではないかと思える節があったりします(誤解による勇気ですが)。

 「あなたのなかのサル」(フランス・ドゥ・ヴァール,早川書房)も面白いです。ドーキンスもドゥ・ヴァールも動物行動学者なのですが、生物学者でも何故か動物行動学者の書いた本は読みやすい気がする。グールド(古生物学者)の本も面白いのですが、やや読むのに体力を必要とします。
 まあ、「利己的な遺伝子」と「あなたのなかのサル」を読んで論旨を理解した頃には、進化心理学の主張は胡散臭く見えてくるでしょう。
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この回答へのお礼

キリンの話、腑に落ちました。納得です。
盲目の時計職人をさっそくアマゾンに注文しました。届き次第読んでみます。
自分なりに整理すると
「適応によって○○という機能が備わった」ではなく
    ~~~~~~
「ある環境における生存に有利な○○という機能(もしくは特徴)をもつ固体が有利に生存できた。その結果、○○という機能をもつ固体が増えた、生き残った。」ということでしょうか。
ずいぶんと自分の心の中を整理できたように思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/08 07:18

 適応主義というのは、「生物の形質はほとんど全てが"適応的"である」という仮定を前提に理論構築を行う考え方を言います。


 というわけで、その仮定自体が間違っている以上、間違った前提を基礎に構築される理論が正しいわけがない、というのがざっくり言って適応主義の問題点です。
 現在の全ての生物が進化の終着点ではなく、未だ進化の途上であることを考えると全ての形質が適応的である必然はどこにもありません。
 また、適応的とは環境との相互関係ですから、生物の進化と環境要因の変化の速度差を考えると、全ての形質が適応的であると考える方がどうかしている、とさえ思います。
 また、適応的でも不適応的でもない中立的な変異があることも受け入れられていますし、「適応」以外にある特定の遺伝子が集団内で頻度を増したり消滅したりする現象も説明されています(遺伝的浮動)。

 というわけで、適応主義そのものがかなり怪しげな作業仮説に過ぎない以上、その適応主義を立脚点にしている進化心理学が批判されるのは致し方ないでしょう。(何もそんな怪しげな論理を立脚点にする必要もないのに、と思いますが・・・)

 ラマルクの用不用説と適応主義はまた別物のように思います。適応主義もまた、用不要説を立脚点にする必要はありませんから。No.1さんが引用されたWikiでも、特に繋がりがあるような書き方はされてませんし。突然変異と自然選択を立脚点にしても適応主義は成立し得ますから。

 進化論が過去の事象を現代から遡って考察している以上、多かれ少なかれ適応主義的な考え方が入るのは避けられません。ただ、無理矢理なんでも「適応的である」という前提から理屈を捻り出す行為が正しい結論に至るとも思えませんよね。
 ヒトの尾てい骨も「適応的である」と仮定してそれを前提にしてしまったら、どんな奇天烈な理屈が飛び出してしまうか判りませんよね。(今、考えようとして思いつかなかったのですが)
 素直に、ヒトが遙か昔、尻尾がある動物だった頃の進化の名残、と考えれば、屁理屈に走る必要もないわけです。

 進化心理学が「適応主義的」と批判されるのは、しばしば殺人や浮気といった人類社会にとってネガティブな行動までが「適応的」という前提のもとに"屁理屈"で説明されがちだからでしょう。

 というわけで、post hocな説明は単に科学的論理を正確に述べていないという点(それ故に素人に定向進化論や進化の目的論という誤解を抱かせる恐れがある)で批判されるわけですが、適応主義批判とは別だと思います。
 また、post hocな説明が必ずしもラマルクと結びつくわけでもありません。
 つまりpost hocな説明は「定向進化論」と必ずしも結びつくわけではなく、定向進化論はラマルクと結びつきやすいですがイコールではありません。ラマルキズム(用不用説=獲得形質の遺伝)はとっくの昔に死に体になった説ですが、定向進化論はまだ死んだわけではありませんから(私個人的には余命は長くないと思ってますが)。要するにラマルク抜きの定向進化論も成立するのです。
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この回答へのお礼

詳しく説明して頂き、ありがとうございます。
post hocな説明と科学的論理の正確さ(適切さ?)の関係をよく考えてみようと思いました。
(図々しいお願いでもうしわけありませんが、)このあたりの関係をうまく説明した本などご存じであればご紹介していただけでないでしょうか。ご教示いただけると助かります。

お礼日時:2008/11/07 08:45

質問は進化論の本質的な部分に迫っています。



>post hocな説明はなぜ批判されるのかが気になってます。

「適応によって○○という機能が備わった」説はしばしば進化には意図や方向性があるという説、ラマルク説につながります。

適応主義の実例がまったく見つかっていないために、事実に即していない可能性が高いということで批判されるということです。(#1筋肉の例)

一方、ランダムにDNAに変異が起こり、自然選択が有利な変異を優遇するとしたほうが自然(実例がある)と考えられています。

いくら、頭で考えたことがもっともらしくても、実例がみつからない、ほかのメカニズムでうまく説明できるために批判されるということかと。
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この回答へのお礼

追加の説明ありがとうございます。
意図があるとうまい説明ではないというのはよくわかりました。

お礼日時:2008/11/07 08:38

ちょっと的確に答えているか自信ありませんが、ラマルクの説である獲得形質の遺伝は間違っているとされています。

これは、たとえば、どんなに苦労してトレーニングによって筋肉りゅうりゅうになっても(トレーニングによる適応の一種)、それは遺伝しないということです。

なぜか? 個人の生殖細胞、たとえば精子は親から受け継いだ時点で決定されている可能性が高く、どんなに苦労してトレーニングによって筋肉りゅうりゅうになっても、その遺伝資質へ影響をあたえるメカニズムがまったく見つかっていないからです。これから見つかるかも知れないのですが、それよりも、ランダムに変異が起こり自然選択が有利な変異を優遇する(=進化論)としたほうが自然と考えられています。

>適応と目的論
通常、生物学者は適応的な形質を「○○のための形質」と呼ぶ。このために、しばしば進化には意図や方向性がある、または目的論を含意していると誤解される。このような表現は「自然選択によってその形質に影響を与える一連の遺伝的変異が蓄積され、その形質が形成された」と言う表現の短縮形である。

ラマルクは用不用説を唱え、前進的な変化の方向に動物の体制は進化し、それぞれの段階において環境に主体的に対応して変化してゆくと考えた。一般的にイメージされる適応はこの意味に近い。またダーウィンもこの考え方をいくらかは踏襲していた。しかし現在では適応は自然選択の結果で、能動的なものであり、生物が主体的に適応しようとして起きるものではないと考えられている。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A9%E5%BF%9C# …
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この回答へのお礼

ラマルクの説である獲得形質の遺伝の内容、よく分かりました。自然選択が大事ということですね。納得です。ありがとうございました。
post hocな説明はなぜ批判されるのかが気になってます。生物学の問題ではないのですかね。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/06 10:46

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