
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
再登場です。
#2のアドバイスでは
質問に対する直接的な答になっていないのと
誤解を招く部分があるなぁ、と思ったので。
とりあえず哲学における二元論を考えてみましょう。
恐らくその方が質問の意図に近いと思うから。
まず二元論の前提として
この世の中なり日常世界の背後、あるいは別の場所に
真の存在や真理があると考えます。
この世を超えた(=形而上)真理を追及する学問が形而上学です。
この真の存在が形而上学でいえばイデア、宗教でいえば神です。
さて、完全な存在、あるいは真理が客観的に存在していれば
私たちが日常経験している完全ではないもの
あるいは日常的な判断はどこから生じているのか?
この両者はどう関係しているか?が問題になりまね。
こうして真理と日常、物と名前、
デカルトの精神と自然、カントの叡知界と現象界、
といった二項対立の関係から真理を導き出そうとするのが
二元論の基本だと思います。
下のアドバイスで三位一体論を三元論としたのは
誤解を招く、というよりは嘘です。もっと複雑です。
わりと現代思想に近い考え方です。
No.4
- 回答日時:
人間の思考の癖と考えると分かりやすいと思います。
例えば「考える」ということを考えると、「考える」行為主体を一方に置き、他方に「考えられている」対象を措定します。これで二つの項目が立ちました。主体vs客体、主観vs客観、精神vs物質等々と、二項を独立し対照させる考え方の基本です。
日常生活に於いても好き嫌いや善し悪しなど、対立する概念を参照して反省や判断をすることが、ともするとありがちです。このような傾向を「二項図式」で物事を考える癖と云います。しかしまた、ふたつが共に元々あるというのも座りが悪いと考えるのも人間の癖なので、哲学や宗教はどうにかしてそれを一元化しようとする営みと考えられます。
デカルト的二元論は「物質」と「精神」を区別して考えますが、見方によれば神と自然が渾然一体としていた呪術的自然観から、「精神」の活動を抜き出すためにまずは二項を弁別したのだとも云えます。以来、「二元」といえども哲学的思索及び科学的経験は「精神」の活動中心になりました。
実在論の立場に於いては、「神と悪魔の戦い」は別にして、「物質」と「波動」が実在の基本の地位を争った経緯があります。現在では「実在の二面性」などと表現したりしていますが、これなども人間が持つ二元論的思考の限界かも知れません。また、話はここに止まらず、「観察」と「対象」という新たな二元論が統一を目指して論議されています。
「唯一と二」、「一切と多」は哲学的思考の根本問題ですが、これさえ「二項図式」を借りて表現されているのですから、私たち人間の「二元論」好きは病膏肓と云って過言ではありません。簡単にその場所を突き抜けるという思想は、多分に「独りよがり」か「原初的神懸かり」の傾向にあると云えるでしょう。
No.2
- 回答日時:
分かりやすく書いてみます。
その分、厳密ではなくなります。
宗教とか哲学、っていうのは「何が正しいのか?」を問うていますよね。
その時、「絶対的な真理」があるという前提で
この世なり社会を「善と悪」といった2つの価値対立で
捉えていくのが二元論です。
中世西洋では、絶対真理を神に求めるのが主流でした。
近代西洋になると、絶対真理を科学に求めるようになります。
20世紀に入ると「絶対真理なんてものがあるか?」と
いう人が増えてきます。
例えばヴィトゲンシュタインは「動かないモノ(=真理)は
それが絶対だから動かないのではなく
周りのモノに挟まれているから動けないのだ」といったような
コトを言っています。
これが相対論です。
二元論と相対論を対比させるのはやや乱暴ですが
何となく二元論のイメージや価値が掴めてくるのでは?
因みにキリスト教は「父と子と聖霊の」御名における
三位一体論(三元論)が基本だったのですが
これは二元論に較べて難しいのです。
だって、二元論なら神は正しく悪は正しくないわけですから。
三元論だと父(=神)、子(=人)、聖霊(=第三者)の中に
真実が隠れている、というので分かりにくい。
でね、ズルして今みたいな簡単な教義を主流にしたんだよね。
それから「風の谷のナウシカ」という作品がありますが
アニメは二元論、コミックは三元論で全然結末が違います。
結構、面白いです。
この回答へのお礼
お礼日時:2001/02/27 00:24
丁寧なお返事ありがとうございます。
私の頭の中は一段とこんがらがってきましたが動かないものが真理っていうのは
勉強になりました。
二元論には関係ないけど風の谷のナウシカは面白いっスよね^。^
ってことでどうもありがとうございました。
No.1
- 回答日時:
相異なる二つの根本原理(互いに相対立する)から宇宙の成り立ちを説明する宗教、哲学上の立場。
例えば古代ゾロアスター教のように光と闇の二原理が世界の成立の要素と同時に物事の善悪(価値としての対立)のもとであるといった考え方。これは万物に神が宿るとする汎神論的一元論とは対立します。また哲学上の二元論は普通、精神と物質(自然)のどちらかを根本的な実在とする唯心論・唯物論とするのに対し、精神と物質の区別を説くもので、デカルトの二元論がその最たるもの。(思考と延長、精神と身体との区別で、フランス哲学の伝統)。
しかし今は知識と善悪についての判断ははっきり区別するようです。アメリカ、イギリスの分析哲学ではさらにそうなっているようです。
この回答へのお礼
お礼日時:2001/02/25 23:57
お返事いただきありがたく思ってます^-^
なんとなく解ったような気がします。
世の中には良い事と悪い事があるみたいなもんですか??
勝手にそんな風に思ってしまったんですが・・・どうなんでしょう?
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