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生から死への間は自由が与えられていますが、死とは何なのでしょうか?

A 回答 (20件中11~20件)

<結局皆さんわからないといっておしまいですか?



そのとおりだと思います。実際に死んでみて調べてから、生きて帰ってくるって方法ないですから。天国と地獄とか無に帰るとか、いろいろ説はありますがどれも根拠はない。
結論は「語り得ぬものについては判断を停止すべし」、つまり「わからんものはわからんといいなさい」ってことですか。

生きてる人間の側からの意見は他の人がたくさん書いてますけど、まぁ、死んだことある人が教えてくれる事じゃないんで、死ってホントのところ何なのかなんて、誰も答えられないんじゃないかと思います。

僕も含め多くの人は「知らん」って言うのを嫌がりますから答えを出しますけどね、どれほど自信を持って答えられるかは疑問ですね。
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生物学的にはDNAの消滅です。

それ以外に死は意味を持ちません。
もし死について考えるならもっと疑問点を明確にしたほうがいいのではないでしょうか?何を聞いているのかはっきり言ってわかりません。生と死の「境目」を聞いているのか、生きている人に対して「死」が持つ意味を聞いているのか、「死」についてどう考えるべきかという宗教的なことを聞いているのか、社会的な影響という観点から「死」について考えているのか、倫理的なことを聞いているのか。視点はいくらでも考えられます。
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「生から死への間は自由が与えられていますが」と言われるのなら、


「死」とはその自由な時間の終わりでしょう。それだけです。
タダ単に、「死」とは何かと聞かれたら、やはり「生の終わり」ですかねぃ
苦しみの終わりなのか、楽しみの終わりなのか、それはその人それぞれだと
思いますが、やはり何かの「終わり」です。

#7の人は眠っている時も死んでいるってことですよね
どこかの小説家が、「私は毎日死んでいる」って書いてた気がします。
それと同じ考え方ですよね...
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私が考える『死』とは…


「自分自身が『私は存在する』と認識できない状態」
です.
こう言うと「じゃあ,意識不明の人は死んでいるのか」と非難を浴びそうですが,科学的にではなく哲学的にはそうだと考えます.
「われ思うゆえに我あり」と言われているように,人の存在は意識して(されて)初めて在るのだと思います.
それは他人から意識される(愛されたり,必要とされたりするなど…)こともあれば,自分自身で意識する(自分の目的を持つとか,他人との関わりを考えるなど…)こともあるでしょう.
とにかく,こうした自分の存在を意識することが出来ない状態を,死と考えます.
ここで誤解のないように申し上げておきたいのですが,あくまでも自分の『存在』の認識であって,『存在価値』の認識を論じているのではありません.
存在価値の意識で死が決まるなら,私も死んでいます.

肉体が朽ち果ててもなお,この意識を持っていたとしたならば,それは『死』んでないのかもしれません.
逆に肉体が生きていても,深い心の衝撃を受けるなどして自分の存在を認識できなくなれば,それは『死』なのかも….

正しい云々は別として,以上が私が考える『死』です.
答えになってないかもしれません.
ごめんなさい.
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この回答へのお礼

自我の崩壊=死 わかります

お礼日時:2003/01/28 08:27

>死とは何なのでしょうか?



人の生と死と敢えて書いてないので、失われること(無くなること)。
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死からの情報が得られないからわからない。

でも生に対する死として考えると悪い方に考えてしまうでしょう。
生きていると動きお互いコミュニケーションがとれますだから生が活動的に見えます。
対して死者ただ横たわっているだけで語る事も無く聞く事も無いでしょう。生きている人から観ると死は静寂なものです。
死ぬと体は腐敗し形が崩れ腐臭を放ちその後は土へと帰るでしょう。ひとはそれを知るがために死を恐れ嫌うのでしょう。
私も死への恐怖はあり面と向かいたくは無いものです。いずれわが身に来る事ですが、死の先がわからないから今は死について考えてないのが本音です。
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有史以来この問題は長く議論され今だ結論が出ていません。


結果各宗教が発生し、独自の理論と教義が発生しております。
おそらく地球滅亡の日が来ても結論は出ないのでしょうね。

私は仏教徒ですから、仏教的な言葉になりますが勘弁してください。
釈迦は、弟子が死後はどうなるか質問した所、何も答えなかった
或いは、意味がありませんと一蹴したそうです。

私個人的には、『死』は全て無に帰すと考えます。
霊魂の存在も私には理解できません。
霊魂が存在していたら、天国地獄は有史以来の人間で超満員でしょうね。

『死』についてあれこれ考えるのは、良い事だと思いますよ。
おそらくkunasofさんより私の方が年は上と思いますが、若い内に考え将来に備えるのは懸命でしょう。
只『死』のみに拘ることなく、『生』についても考える事も必要ですよ。

色んな本を読んでください。(ジャンルに囚われずに)
その中で自分に一番合う考えで良いと思いますよ。
悩んで悩んで、一生懸命悩めば良いんですよ。
答えはおそらく一生見つけられないでしょう。
見つけられた人は、それを人は『仏』と言い表します。

悩んで生きましょうね。何にも感じない馬鹿者よりずっとましです。
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生きている限り死は体験できず、また体験したものは語る事が出来ないから死が、判らないのだと思います。


それゆえ恐れたり、逃避の先に選ぶ人がいるのではないでしょうか?

この回答への補足

結局皆さんわからないといっておしまいですか?

補足日時:2003/01/25 12:28
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言ってる意味が わからないのは、質問が 複雑だからです。



まず、
>生から死への間は自由が与えられていますが、
この前提から
>死とは何なのでしょうか?
となった場合、
死には 自由が与えられてない というのを言いたいのか、それとも
死とは 何なのか?(前提とは まったく関係なく) という質問にも 捕らえられるからです。

死後、自由でない ということは どうして言えるのでしょうか?
一度、死んだことがあってそう思うならば わかりますが、今、生きている人で
死んだことがある人がいないから、そのことがわからないと思いますよ。

それで、具体的に 死とは 何か? という疑問についてですが、
心臓の停止と脳波の停止、両方の停止で死としているようです。
どちらが先かなど 細かい医学的な死については、いろいろあるようですが・・・。

この回答への補足

自由とかの前提はなしに、「死」って何でしょう。

補足日時:2003/01/25 12:13
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決して自由ではありません。

そこには宇宙の法則という規制があります。
規制された空間が設けられ、その中で喜びや目標を見いだして生きているのが現状です。
あえていうなら、死は本当の自由です。

この回答への補足

いっていることが全くわかりません。
もっとまじめに答えてください。

補足日時:2003/01/25 12:00
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